3月 2024 - ひとりでうろつく京都 (β版) ひとりでうろつく京都 (β版)

東福寺の涅槃会へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2024年3月15日(金)


東福寺の涅槃会へ行ってきました。もちろん、ひとりで。 

「観光」 と 「信仰」 は、果たして対立するものなのでしょうか。恐らく、違うはずです。
元来 「観光」 は仏の光を観ることだと、どっかの坊さんが言うのを聞いた憶えがあります。
単なる物見遊山のつもりでも、単なる景観消費のつもりでも、実は仏の光を観ているのが 「観光」 。
寺院系の観光スポットに群がる者は、内実を問わずその全てが仏に導かれているというのです。
聞いた時、心の半分では 「詭弁だ」 と思いました。ただ残りの半分では、 「その通りだ」 と思いました。
清水寺を筆頭とする超メジャー級の寺院で大混雑を見た時に感じる、不思議で独特な浄化感。
稚拙な観光欲が消化 or 浄化 or 昇華され、何かの仏性に繋がっているように見える、あの感じ。
「群がる観光客を嘲笑しよう」 と思ってこのサイトを始めた頃、私はこの感覚を味わい、戸惑いました。
単なるイベントや単なる雑踏では生まれない何か。それが、大きな寺社にはあるのではないか。
そう思ったのです。冷やかし気分で清水寺へ赴き、私と同じような印象を受けた方も多いはずです。
「観光」 と 「信仰」 は、対立するものではない。むしろ、 「観光」 は 「信仰」 の中にこそある。
何なら、 「観光」 はひょっとすると、仏の光を見ることから始まったのかも知れない。
こんなわかるようなわからないようなことを、東福寺涅槃会へ出かけた際、感じていました。
東福寺は言うまでもなく禅宗の大古刹であり、涅槃会もまた言うまでなく釈迦の命日に行われる縁日。
3月15日 or 旧暦3月15日には各地の寺院で涅槃会が開かれていますが、東福寺もまた行っており、
中でも法堂に掲げられた明兆による巨大な 「大涅槃図」 の無料公開が最大の呼物となっています。
で、この涅槃会の雰囲気が何とも 「仏の光を観る」 という意味での 「観光」 といった感じだったのです。
仏の光を求めて、あるいはわけもわからずやってきて、皆が等しく仏の光を浴びる。
禅寺は厳格なイメージがあって、伽藍からして背筋を正してしまうようなテイストが漂ってますし、
特に東福寺の三門などはその極致で、何となく小乗感というか、厳しい印象がなくもありません。
でもこの日の東福寺は妙に大らかで、実に 「観光」 したような気になったのでした。

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