嵯峨釈迦堂 - ひとりでうろつく京都 (β版)

嵯峨祭・還幸祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2012年5月27日(日)


嵯峨祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

嵯峨祭。言うまでもなく、嵯峨の祭です。
極めてまんまな名の通り、その時々の嵯峨の状況をヴィヴィッドに反映し、
度々姿を変えながらも、現代まで脈々と受け継がれている、洛西の春祭であります。
嵯峨天皇による離宮造営以来、風光明媚の遊興地として多くの貴人たちに愛された、嵯峨野
しかし、離宮の後身である大覚寺が京における南朝の拠点となった南北朝時代以降は、
皇族や武士や坊主たちが、この美しき地で金と武力と宗派を巡るパワーゲームを、大々的に展開。
大覚寺。その大覚寺をどうにかしたい、室町幕府。その幕府によってブッ建てられた、天龍寺
その天龍寺の金満ぶりに焦った大覚寺が、財政基盤確立のため掌中に収めようとした、清涼寺
その清涼寺と浅からぬ縁を持つゆえ、大覚寺がついでにゲットしようと目論んだ、愛宕神社
そして、斎宮の潔斎所としての存在感をなくし、身の振りように困ってた野宮神社
これらプレイヤーたちの思惑が絡みに絡み、その結果をヴィヴィッドに反映した嵯峨祭は、
小さな村祭から、愛宕神社&野宮神社のダブル神輿が巡幸する大掛かりなものへと、変貌しました。
さらに、プレイヤー間のパワーバランスが変わるごとに、祭の内容・性質・主催者まで、変化。
かなり、ややこしい祭なのです。そして、そこが極めて面白いとも言える祭なのです。
状況のヴィヴィッドな反映は現代も続いており、住宅地化による人口増+若者の伝統回帰で、
嵯峨祭を考察した数少ない書である古川修氏の 『嵯峨祭の歩み』 によると、
現在嵯峨祭は参加人数が増えまくり、その勢いは 「最盛期に近づいている」 んだとか。
鉾差しなど生きた文化財を体現する祭衆、増幅し続け未定型の混雑に対応し切れてない警備、
そしてそんな盛り上がりに舌打ちする無関心な住民が入り乱れる、嵯峨の祭・嵯峨祭。
常に動態、そして現在進行形であり続ける伝統の姿、ご堪能ください。

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清涼寺のお松明式へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年3月15日(火)

嵯峨大念仏狂言
清涼寺のお松明式へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

東日本大震災から、4日目。
発生当初は自粛ムード希薄、ライトアップ等も敢行していた京都ですが、
被害の未曾有な実態が判明するに連れ、後手後手的な中止や延期が多発。
こちら清涼寺のお松明式も開催の是非で議論があったようですが、とりあえずやるようです。
清涼寺。通称、嵯峨釈迦堂。
釈迦の生前の姿+内蔵まで再現した、本尊にして国宝、三国伝来の釈迦如来立像が、
貴族から庶民まで幅広く信仰を集め、今なお地元の方々から愛されてる寺です。
光源氏@源氏物語のモデル・源融の没後、その山荘に阿弥陀堂を建てたのに始まり、
東大寺の僧・奝然が宗より釈迦像を請来、弟子の盛子が安置して、寺名を清涼寺と改称。
鎌倉時代には融通念仏の中興者・円覚上人より無言劇・念仏狂言が伝えられ、
現在も京都三大念仏狂言のひとつ・嵯峨大念仏狂言のホームグラウンドとして、伝統を守ってます。
そんな清涼寺で行なわれるお松明式は、お釈迦様の入滅した日に行う、涅槃会の行事。
釈迦が荼毘に付された時の様子を模して、大松明3基を燃え上がらせるわけであります。
嵯峨大念仏狂言の無料公演も開催。トップ画像は、その写真です。

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