宮津の三上勘兵衛本店を借り切って聖夜を過ごしました。もちろん、ひとりで。 【後篇】

2021年12月24日(金)


宮津の三上勘兵衛本店をひとりで借り切って過ごすクリスマス、前篇に続き後篇です。

丹後は、「海の京都」 という枠には収まり切らないエリアではないかと、たまに考えます。
当然と言えば、当然の話でしょう。ここはそもそも、大和と異なる王権の存在さえ想定される地。
平安京などが出来るずっと前より、海を介して交流を広げ、豊かな文化を築いて来たのです。
また、時代をずっと下って近世以降に話を限ってもなお、丹後は大きな広がりを持つ地と言えます。
西回り航路北前船の登場は、日本海沿岸を始め日本各地の交易範囲を劇的に拡大させましたが、
丹後に於いても久美浜・間人・由良などがこの恩恵を受けて、港町として大きな発展を果たしました。
無論、宮津も同様です。ので、和貴宮神社の玉垣にも 「播州」 「讃岐」 の名が並んでたわけです。
三上家を始めとする宮津の豪商も、海運の隆盛期には北海道~大阪を行き交う商船を所有・運用し、
丹後の品の輸出に留まらず各地の物品も売買するなど、地方廻船の枠を超える活動を展開しました。
全国区としての丹後。そんな考え方も、可能かも知れません。そういえば言葉も少し標準語的だし。
この辺を考えると、京都と丹後との距離感自体も、今と違ってたのではないかと思えてきます。
物理的な直線距離は、昔も今も京都は他都市より丹後に近いです。でも海路ならどうか、と。
西回り航路は、西日本を大きく迂回するルートでありながら、安全性で各地の 「距離」 を縮めました。
この西回り航路で丹後から物資を運ぶ場合、京都はそれこそ、播州や讃岐よりも遠くなるわけです。
そんな環境で交易を行った近世後期の丹後の人々は、京都をどのような目で見てたのでしょうか。
そして、現在の丹後が 「海の京都」 と呼ばれてるのを彼等が見たら、どのように感じるのでしょうか。
我々は、海運の身体知のようなものを通じて、丹後や宮津を考え直す必要があるのかも知れません。
お籠もりモードで敢行した今回の宮津投宿では、何故かこんな思念がよく頭の中に湧きました。
籠もってたため、人と話したりあちこち丁寧に見て回ったりはしてません。海も、ロクに見てません。
でも逆に、昔の船人が風待で籠もった際に感じただろう宮津は、幻視出来た気がするというか。
三上勘兵衛本店での聖夜、後篇も籠もったり抜けたりしながら、宮津を感じて行きます。


いわしに乾杯しながら、クリスマスディナーを楽しみます。クリスマスと言えば、いわしですよ。
節分では、いわしを食うでしょ。クリスマスだって、節分と同じく季節の 「境界」 。なので、いわしです。
ただ酒は、『香田』 よりも辛口の方が合うかも知れません。ハクレイ酒造なら 『酒呑童子』 でしょうか。
もちろん 『香田』 自体は、フルーティで美味。また、先刻の練物・おらんだには異常にマッチします。


ディナーを〆るデザートは、ピンと餅。餅生地の小さな回転焼に餡子が入ったような焼菓子です。
これが、美味しい。温めると、もっと美味しい。メーカーは冷食を推してますが、温めた方が美味しい。
宮津や舞鶴、焼物系が美味いですね。生魚を食うことが増えるから、却ってそう感じるだけでしょうか。
写真では、味覚を表現すべく一部にだけピントを合わせてみました。この餅にピンと来たら、ピンと餅。


食った、食った。腹、膨れた。ので、食後は腹ごなしを兼ねて、未訪の2階を見ときます。
この貸切宿、2階もあるんですよ。階段を登ると、寝る準備を頼んだ洋寝室と、あと2部屋あり。


2部屋のうちのひとつは、和室。実に渋い。寝る準備、こっちの方が良かったかも。


もうひとつは、小部屋。縦窓から見える景色が、外出欲をそそります。外、出たい。


外、出たい。出たら、そもそも広めの宿を借りた意味がないけど、出たい。籠もりの掟、破りたい。
時刻は、22時半です。深夜の新浜の様子が気になるし、花街の残香も今なら漂ってるかも。出たい。
と、考えた次の瞬間、私の体は既に外へと抜け出てしまっており、わくわく通りの路上に立ってました。
言わば、幽体離脱ならぬ俗体離脱。仕様がないなあ。仕様がないので少し歩いてみます。わくわく。


わくわく。


わくわく。


わくわく。


わくわく。


わくわく。


わくわく、という感じで常夜灯がある辺まで歩いてみました。でも正直、あまりわくわくしません。
深夜の新浜も、夕方と同じくやっぱり普通に飲み屋街。それも、おばさんの歌声が多めの飲み屋街。
それも、ママでなく普通のおばさんが40代前後の歌をテクニカルに熱唱し、近所の人が聴いてる感じ。
おっさんの動態保存地帯に見えて、実態は全く違うというか。すれ違ったのも、高齢男女が2組ほど。


その割に 「囲ヒ門戸」 のレプリカはしっかり作って飾ってるのが、謎というか、風流というか。
海運が栄えた近世後半、市中に散在してた置屋を埋立地に集める形で形成された、東新地 = 新浜。
この 「囲ヒ門戸」 で市中と隔てられ、並ぶ置屋は70人~100人の酌取女・茶汲女を抱えてたそうです。
酌取女は京都出身が多く、祇園に次ぐ格を誇ったと言います。レプリカ、その自負の表れでしょうか。


とはいえ、レプリカの他に花街の名残はないみたい。何か納得しました。ので、宿へ戻ります。
しかし帰る途中、わくわく通りの東の方で灯が見えました。店から、男性数名が出てきます。何だろ。


わくわく


いや、飲食店に入るのさえ自粛するのに、濃厚接触を提供する店へ行くわけありません。
宿に帰ったら、風呂入ってまた酒飲んで、明石家サンタを義務感で少し見て、後はもう寝ます。


予約時に寝る準備を頼んだ2階の洋寝室は、ベッドの加減が実に良く、空調もまた完璧。
ぐっすりと寝れそうです。それでは、おやすみなさい。そして全ての同志に、メリークリスマス。


実際、洋寝室は最高でした。ぐっすりと寝れました。聖夜企画では最高ランクの寝心地でした。
しかし翌25日は、まだ夜が明け切ってない午前7時に起床。寝心地の良いベッドに、別れを告げます。
宮津、25日は午前中から雨が降るんだとか。その前に、海らしい表情をした宮津港を拝みたいのです。
来津してから一度もまともに海を見てないので、何とか天気が保ってる間に拝んでおきたいのです。


そう思って外に出ると、空はもう濃い雲に覆われてました。その濃さも、分単位で増して行きます。
丹後には 「弁当忘れても傘忘れるな」 なる諺があるそうですが、それにリアリティを感じる天気です。
何故か24H営業と思い込み、ついでに朝食を何か買おうと思ってたミップルも、実際は普通に開店前。
見るもん見て、すぐ帰るしかありません。雨が降る前に裏へ回り、宮津港、拝ませてもらいましょう。


そう思って拝んだ宮津港は、海らしい表情というよりは、湖らしい表情。あるいは、川らしい表情。
雨雲の張りも難ですが、何より水平線の彼方に山が見えると海感が出ません。妄想も、捗りません。
右の山は栗田半島、左は丹後半島でしょうか。左の水平線上にある横棒みたいな物は、天橋立かも。
とにかく、陸だらけです。ただこの地形こそが、海を静め、宮津を天然の良港にしてはいるわけです。


宮津港にも、何か納得しました。後は、朝食を買えるコンビニを探します。が、見当たりません。
その代わり地図には、昨夜歩いた飲み屋街に早朝から開いてる食堂があると出ました。本当かよ。


どうせ準備中だろとか思いながら、もう降り始めた雨の中を歩くと、食堂、本当に開いてました。
『海味鮮やま鮮』 という店で、中を覗いたら先客はなし。なのでもちろん、籠もりの掟を破って入店。


『海味鮮やま鮮』 、早朝なのにメニューが普通に色々あって、刺身定食なんかも普通にあり。
なのでその刺身定食を頼んだら、美味い。ブリや鰆などの刺身が、いずれも美味い。異常に美味い。
富田屋で初めて魚を食った時の衝撃を、思い出しました。しかも、早朝に。宮津、やはり尋常じゃない。
食い終わった頃に客が入ってきたので、すぐ帰ります。勘定は、1000円。宮津、やはり尋常じゃない。


朝食を食ったら、後は宿へ戻って帰り支度です。しかし、こうして見るとしみじみ、広過ぎ。
おまけに、籠もりの掟を破り過ぎて、結局どの部屋も大して使えませんでした。もったいない。


もったいないと言えば、三上家住宅のおまけ観覧券も使わないと、もったいないですよね。
でもな、ここ、窓から三上家住宅が見れるんですよね。隣家だし。わざわざ行くの、面倒だな。


「宿泊者限定のお宝アングルで、三上家を堪能しちゃいました!」 とかで済ませたら、駄目か。
ああやっぱり駄目ですか、そうですか。では、母屋に顔を見せに行くつもりで、朝9時にお隣さんへ。


お隣の三上家住宅、蔵の如きその前面を改めて正面から拝みます。重文の威厳、充分ですね。
三上家 aka 元結屋は、この地に屋敷を構えた初代・三上勘兵衛に始まり、近世に幅広く事業を展開。
この豪邸は、強風で焼け広がった宮津大火の後、白壁土蔵造で耐火を徹底する形で再建されました。
耐火を徹底したおかげで、建物と共に多くの古文書も残り、現在は三上家文書として知られてます。


そんな三上家、タダ券で中に入り、拝ませてもらいます。何とも、勘兵衛勘兵衛。


勘兵衛勘兵衛。


勘兵衛勘兵衛。


勘兵衛勘兵衛、と三上家を拝ませてもらいました。実に勘兵衛でした。また、実に三上家でした。
見るもん見たら、三上勘兵衛本店もチェックアウト。あちこちうろついたりもせず、すぐに離津します。
丹後の雨、辛いんですよ。雨も辛いし、風も辛い。というか、痛い。どうせなら、雪が降ればいいのに。
昔の船乗りもきっと、こんな冬の悪天の日は宿に籠もり、酒飲んだり魚食ったりしてたんでしょうね。


と、昔の船乗りが籠もる様子を幻視しながら私が離津した直後、丹後では雪が降り始めました。
それも、度を超したレベルの大雪で、丹鉄は翌日から運休が出始め、JRも丹後圏の大部分が運休。
私も、本当に籠もることになってたかも知れません。「雪が降ればいいのに」 とか思うんじゃなかった。
あ、ちなみに本当の北前船は、こんな悪天になる冬には航行なんかしなかったそうですよ。わはは。
 

三上勘兵衛本店、宿としては値段を大幅に超えるクオリティだと感じました。
広さや利便性は、完璧を超えているとさえ思います。それゆえ、ひとりでは使い切れません。
出前などを使って本当に籠もり切っても、フル活用出来るかどうかは微妙でしょう。
立地的に見ると、天橋立を観光する際の宿としても非常に良い感じですが、
宿そのものがあまりに良過ぎるので、宿だけとして使うのはもったいない気もします。
最低でも2~3日は宿泊しないと、この宿の真価はわからないようには思いました。

細かい点では、近所から物音が聞こえることはほぼなく、ネットなどの面でも不都合はなし。
料理が出来ないことだけが、不満らしい不満とは言えますが、
すぐ近くに美味い店や美味いものが沢山あるので、何を食うかむしろ悩むくらいでしょう。
なので、ひとりに向いてる度は限りなく★★★★★に近い★★★★くらいで。

そんな三上勘兵衛本店での、聖夜。
好きな人と泊まれば、より北前船なんでしょう。
でも、ひとりで泊まっても、北前船です。

宮津の三上勘兵衛本店で聖夜を過ごしました。もちろん、ひとりで。 【前篇】


 
 
三上勘兵衛本店
京都府宮津市河原1851‐1

三上勘兵衛本店 – Airbnb
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海味鮮やま鮮
京都府宮津市新浜1988
7:00~15:00 水曜定休

海味鮮やま鮮 – 株式会社山一水産