綾部の大本本部・梅松苑へ節分大祭を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。 【前篇】

2016年2月3日(水)


綾部の大本本部・梅松苑へ節分大祭を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

節分といえば、 「鬼は外、福は内」 と言って豆をまき、鬼を退らうのが普通でしょう。
しかし京都府には、このを 「悪神によって艮の方角へ閉じ込められた金神」 として信仰し、
開祖が 「世の立替え立直し」 を語り始めた節分の日に、最も重要な祭儀を行う教団が存在します。
その教団とは、言うまでもなく、大本。平仮名だと、おほもと。新宗教の老舗とも言える教団です。
日本近代史に於いては、正しく近代史の暗黒面と言い得る激烈な弾圧を二度も受けた教団であり、
その筋な方々の間では 「霊界物語」 「日月神示」 「王仁三郎の予言」 などで人気の教団であります。
かつては九鬼氏の城下町であり、維新後は商業化・産業化が進んだ京都府中丹・綾部に於いて、
貧苦にあえいでいた老婆・出口なおへ 「艮の金神」 が降りたのは、明治25年の旧正月、即ち節分。
「元の国常立尊」 と名乗る金神は、なおの口で神示を語り始め、文盲の手で神示の自動筆記も開始。
書かれたその 「筆先」 が言うには、「三千世界一どに開く梅の花 艮の金神の世になりたぞよ」 と。
この神示に従い、なおは綾部ローカルながら活動を開始。そこへ、後の聖師・出口王仁三郎が合流。
王仁三郎の合流以後、教団は爆発的な拡大を始め、戦中の当局から警戒視されるほどに膨張。
最終的には、 「地上から抹殺する」 という宣言と共に、徹底的な弾圧を二度受けることになりました。
戦後の大本は、より芸術に重きを置く形で再建が行われ、ネイチャー系な教団として現在も存続。
七草粥で振る舞われるネイチャーな粥などは、近隣住民から普通に親しまれてたりするわけですが、
しかし、今も変わらず開教の日、即ち節分に最重要祭儀として行われているのが、節分大祭です。
この大祭は、開教の日に開教の地・綾部に於いて、天地万有全てのものを夜を徹して祓うというもの。
綾部大橋の上から大量の人型を流し浄めるビジュアルは、見たことがあるという人も多いでしょう。
で、今回、この節分大祭へ行ってきました。綾部に宿を取って、泊まり込み+徹夜で行ってきました。
七草粥記事にも書きましたが、丹波にルーツがある私は、何か大本に隣人のような印象があり、
それゆえ微妙な距離感があったり、あまり首を突っ込みたくないという思いもあったりするんですが、
京都に於ける節分を巡るのなら、やはりこの祭儀は外せないと考えて、行ってきたわけです。
で、実際に行ってみた節分大祭は、そして綾部は、実に不思議な世界だったのでした。


綾部があるのは、京都府の北西。公共交通は、山陰線一本。で、当日、山陰線鈍行へ乗車。
13時頃に京都を出ましたが、駅に信徒さんらしき姿はなし。皆さん、普通に特急で行くんでしょうか。
途中までは中国人団体が騒いでたものの、連中が嵐山で降りた後は、丹波の侘な風情が漂うのみ。
天恩郷がある亀岡で客が増えることもなく、園部で2輌のワンマン列車へ乗り換えて、更に北西へ。


後部車輌で人の流れをほぼ見ることがないままワンマン列車は進み、15時前、綾部へ到着。
ここまで、家族一組以外に信徒さんらしき姿はなし。やはり皆さん、普通に特急で来るんでしょうか。
到着したら、安め+深夜も動ける基地として確保した駅直近のアールイン綾部に、すぐチェックイン。
一泊6300円のビジホですが、外観+フロントは妙に豪華。でも部屋は値相応に普通で、妙に安心。


で、下に一枚厚着をして、すぐ外出。といっても、寒さは京都市内と変わらん感じですけど。
駅前の観光案内所に 「大本節分」 の幟があるのを見て、 「おおっ」 とか思ったりしながら、駅南へ。
綾部の昔からある市街地は、基本、駅南側に形成されてます。大本本部・梅松苑があるのも、南側。
それにしても街の感じは、普通。教団らしき車が太鼓を鳴らして走ってはいますが、雰囲気は普通。


『大地の母』 などの大本本で、神示と情愛と欲望に駆られた人達が駆け回る、綾部の街。
現在は無論そんなこともなく、大正~昭和中期の建物が所々でナチュラルに残る、味ある街並です。
と、街ブラ気分で大本へ近付いて行くと、目に飛び込んできた、十曜紋の旗。大本の神紋であります。
頭の上もよくよく見たら、 「大本通り商店街」 の看板あり。狭い道も、走る車が急に増えてきました。


増えてきた車は全て同じ方向へ向かってて、その先に立ってたのが、ずばり 「大本」 の看板。
あの看板の先は、綾部市本宮町。梅松苑があり、土地のほぼ全てを大本が所有する町であります。
車はこの少し先にある駐車場へ向かうも、満車らしく、更に奥にある他の駐車場へ誘導されてました。
この交差点の辺は、帰神した当初は金光教に属してたというなおが、広前を転々とした辺でしょうか。


天保年間に福知山で生まれたなおは、隣町・綾部の大工・出口家へ嫁ぐも、家が底なしに没落。
帰神へ至る前には饅頭屋を営んだ時期もあり、それに因む饅頭店・金龍庵が駐車場入口横にあり。
金龍庵、小さな飲食スペースがあるので、金龍餅を頂いてみました。作り立てであるその味は、美味。
基本はあんこ餅ですが、胡桃か何か入ってて、独特の美味さです。大本タッチな湯呑もまた、妙味。


金龍庵を出て、隣にある神苑北側入口を覗くと、ごく普通の露店がごく普通に準備してました。
回転焼や串焼きなど、本当にごく普通の露店群が、17時の大祭スタートに向けてスタンバってます。
周囲では、どう見ても宗教と関係なさげな近所の子がアーシーに徘徊。何とも、不思議な雰囲気です。
神苑の中は、まだ特に動きなし。すぐ近くにある開祖ゆかりの熊野新宮神社へ、行ってみましょうか。


で、数分で着いた、熊野新宮神社。大本にとっては総産土社、出口家にとっては氏神だとか。
帰神後になおがこの社を参ると、竜宮乙姫が現われ 「おめでとうございます」 と祝福したそうです。
総産土社な為か、こっちも節分大祭、やるようですね。門前には分裂した方の大本のバスの姿、あり。
そう、大本って、分裂してるんですよ。何故&どう分裂してるのかは、私に訊いたって知りませんよ。


宗教の難しさを思いながら熊野神を拝んでると、花火音+ニューエイジな音楽が聞こえました。
時間は、ジャスト17時。祭、始まったようです。というわけで、改めてやって参りました、梅松苑・入口。
宇宙創造神の理想世界を地上へ移写した根本聖地にして 「まつり」 の中心地、その入口であります。
奥からは、現世的な福引のジャラジャラ音&嬌声がやたら聞こえますが、さあ、天国へ入りましょう。


門を入ってすぐの広場らしきエリアでは、御覧の焚火を取り囲むように露店&福引などが展開。
いかにも、一般向けの客寄せ場な感じではあります。が、実はここは、大本開教の地の目と鼻の先。
焚火の奥にある芝生地の辺こそが、帰神当時になおが住み、そして神示を受けた、出口家の元屋敷。
旧正月の寒さの中、56歳のなおが水垢離を延々続けたという井戸・金明水があるのも、あの辺です。


そして、その元屋敷の真東に聳えるのが、国の登録有形文化財でもある神殿、みろく殿。
先述の通り、王仁三郎の合流以後は教団が爆発的に拡大し、元屋敷周辺の土地も大々的に買収。
神殿も、バンバカ立てられます。といっても、御覧のみろく殿は戦後になって再建されたものですけど。
第二次大本事件の際、境内がとことん破壊されたわけです。さっきの元屋敷&金明水も、再建とか。


そんなみろく殿の横では、福引が平和に大盛況。祭の賑わいとしては、実に賑わいであります。
福だるまが必ず当たるという福引、客層の感じはこれまたアーシー。何とも、不思議な雰囲気です。
福引の他で広場へ出てるのは、うどんの奉仕所、教団系のネイチャーな店、地元物産の店などなど。
ラインナップも雰囲気も、やはり凄く、普通。妖しいグッズを売る店なんか、淋しいくらいありません。


とはいえ、やはりここは、聖地。アーシーな家族連れが祝詞を大声で奏上してることも、多し。
みろく殿南側にある御覧の池 = 金龍海でも、二礼四拍一礼+祝詞を奏上する家族を見かけました。
この金龍海は、拡大期に掘られた人工池。無論、弾圧で一度埋められ、戦後に再掘されてますけど。
凄い生命力です。教団は戦後も、隣接する役所跡などを入手。おかげで境内は、無茶苦茶に広し。


そんな無茶苦茶に広い境内を歩いて、大祭のガチ祭儀会場・長生殿へぼちぼち向かいます。
節分大祭、17時に先刻の広場の賑わいが始まり、18時頃から信徒さん向けのガチ祭儀がスタート。
23時&翌2時に綾部大橋から和知川へ人型を流す瀬織津姫行事があり、4時頃に豆まきという流れ。
で、ガチ祭儀も込みでこの全てを見ようと、私はしてるわけですね。でもな、長生殿、入れるのかな。


拝観予約も何もせず到着した、長生殿。巨大過ぎて、今見えてるのは北側の端っこだけですが。
長生殿。悪神の罪を背負って艮へ退隠し、 「鬼」 とされた大本皇大神を祀る神殿です。だそうです。
なおによって地上へ再臨したその根本神が、 「みろくの世」 実現の神業を行う神殿です。だそうです。
手前には、大本紹介コーナー&橋から流される人型の受付所がありますね。寄って行きましょうか。


終戦後の賠償権放棄話のビデオが流れるテントの中へ入り、人型だけ奉納してみました。
人型は、薄い水溶紙製。各種事項を記入し、任意額の玉串と共に出します。私の任意額は、千円。
受付の方は、家や車などを祓う型代も入れて欲しげでしたが普通に受け取って、お札もくれましたよ。
教団紹介コーナーでは、梅松苑案内や脳死何ちゃらのパンフなども、ごっそりもらって行きましたよ。


で、改めて正面から拝むも、巨大過ぎて巨大さが全然伝わらない巨大さを誇る、長生殿。
王仁三郎が建設を開始するも弾圧で途絶え、開教100年の1992年、遂に完成した神殿であります。
今見えてるのは、前殿・鶴亀殿。これら建築群の総称が、「長生殿」 とか。で、それら全てが、純木造。
全体的に質素で清廉な印象を受ける梅松苑ですが、この感じは新宗教っぽくて、盛り上がりますね。


と、盛り上がるのもいいですが、無料の甘酒も行っときましょう。節分大祭、最大の名物です。
長生殿南側の奉仕所で、立ち姿の格好いいおばちゃんがその場で生姜を混ぜてからくれた甘酒は、
フルスクラッチ感全開であると共に、砂糖を使ってないのが信じられないくらい甘くて、味が濃い逸品。
米の存在感も極めて強く、ほとんど食物状態。おかわりは自由ですが、私は二杯で腹が膨れました。


腹も膨れたので、いよいよ長生殿へ入ります。長生殿入口は、向かいの建物にある地下口。
この入口に気づくまで、どこから入るのかが全然わからず、しばし不審者丸出しで迷いまくりました。
鶴亀殿には、靴を脱いだ人が入りまくってるのに、入口が見当たらないという。不思議な構造ですね。
「信徒以外の方は御遠慮下さい」 とも書かれてないので、とりあえず入れる所まで入ってみましょう。


地下を進むと、超巨大な玄関ロビーが出現。消防法絡みで、玄関は現代工法製なんだとか。
このロビーで、靴を預けます。大勢のスタッフが大勢の参拝者の大量の靴をさばく様は、壮観です。
で、先刻の看板に出てた 「つくばい」 の先の階段を大勢の信徒さんと一緒に登って、鶴亀殿の中へ。
あ、ここから先にいるのは、ほぼ完全に信徒さんオンリーな感じ。すんません、闖入させて頂きます。


入ってすぐの辺では、神職さんが修祓中。更にその先では、一大人型奉納ゾーンが稼働中。
奉納ゾーン、集金感を感じました。ここまで余りにその感じがなかった為、逆に何か、ホッとしました。
裃姿の教団スタッフの雰囲気は、普通。時折こちらをギロっと見てきますが、基本的には実に、普通。
またすんませんと思いながら、祭儀の様子を写すモニタが何台も設置されてる間を抜け、本殿へ。


外気を感じるゾーンを一瞬だけ通り、木製の大きなドアを横へ滑らせて、入りました、長生殿。
殿内は、奥に拝殿があり、その前に畳の広間が広がってます。広間、何畳かわからんくらい、広し。
正中が祭員の通路として空けられ、端なども通路を確保。で、それ以外の所にいるのは全部、人間。
18時の時点ではまだ7割程度な入りですが、それでも充分に、多し。で、にも関わらず何か、寒し。


殿内、暖房は多分、なし。外と同じ格好のままで人間が密集してますが、それでもやや、寒い。
女性の多くは、寒さのことをよく知ってる為か、最初から腰の周りに衣類などをしっかり巻いてます。
あ、服装は大半の人が、普通。正装の人は、来賓以外は見かけません。足を崩して座る人も、多し。
ヤバい格好の人が、勝手にヨガしてたり、何となく浮揚してるようなことも、なし。全てが、普通です。


客層は、50歳以上の中高年をボリュームゾーンとする烏合の衆、とでもいう感じでしょうか。
目視で数が見えないくらい人が多いので、様々な層を見かけはしますが、基本はあくまで、中高年。
若い人は、いても大抵は家族連れの内のひとり。チャラい奴などもいましたが、これも概ね家族連れ。
カップルは、ほぼおらず。若い夫婦さえ、見かけません。30代くらいの女性2人組は、見かけたかも。


単独は、気合入った遠来系と近所の人系ばかり。前者は中年男性、後者は高齢女性が多し。
『霊界物語』 がどうとか言いそうな物好き系の姿は、全然なし。ああいう人達、全然来ないんですね。
脳が霊界と直接コンタクトしてるようなスピリチュアル系の姿も、全然なし。実に穏やかな雰囲気です。
近隣:遠来比は、5:5か6:4くらいでしょうか。ただ、混んでて狭くて、細かいことがよくわかりません。


という感じの観察を、殿内後方で正座しながらやってると、後からどんどん人が入り、満員化。
更に人は入り、押されて前へ進む内、周囲を完全に人間で包囲され、中座し難い状況となりました。
つまんなかったら途中で帰ろうと思ってたのに、どうしよう。という闖入者の危惧をよそに、祭典開始。
撮影禁止などが告げられ、大本が力を入れてるエスペラント&日本語で開会宣言。始まりましたよ。


教主体調不良で欠席の件、その教主のお言葉の代読が行われてから、来賓の紹介へ。
来賓は、綾部市長とかが来てました。あと、福知山が地元の谷垣禎一議員の祝電読み上げもあり。
その後、100人程の祭員と100人程の瀬織津姫が入場。で、前から後へのウェーブ拝礼をして、昇段。
で、祭員&瀬織津姫の修祓に続いて、参拝者の修祓、そして大本神諭の朗読などが行われます。


続いて、 「お手持ちのしおりを御覧下さい」 と言って、祝詞&讃美歌の合唱がスタート。
信徒の方は皆、節分大祭のしおりをお持ちのようです。讃美歌の歌本もやはり、お持ちのようです。
私の周囲の人は皆、お持ちのようです。チャラい感じの方がいましたが、その方もお持ちのようです。
が、私は持ってません。なので、奏上&歌うフリだけします。隣で大声で歌ってた人、すんません。


で、この祝詞の合唱が、凄く、長い。もの凄く、長い。とんでもなく、長い。死ぬほど、長い。
正座のまま合唱のフリを続けてると、足が痺れてきました。血行不良で、頭もクラクラしてきました。
合唱中も足を崩してる方がいたので、私も足を崩させてもらいます。狭過ぎて、崩すのも大変ですが。
で、楽になったら今度は、正座に戻すタイミングでも痺れで足が動かない。無礼です。すんません。


「平伏」 の時なんかは、足を崩してた方も、再正座。しかし私は、戻れません。すんません。
やむなく無礼の上塗りで足を崩したまま平伏すると、足と腹筋を同時に攣りました。辛い、辛過ぎる。
合唱がやっと終わると、宇宙を祓い浄めるという 「大修祓」 がスタート。舞姫が大御神楽を舞います。
が、角度の為、何も見えず。フィンガリング音が独特な八雲琴の響きへ、虚ろな意識を向けるのみ。


先刻通った鶴亀殿では、ここへ入れずモニタで祭儀を観てる信徒さんも、いらっしゃるでしょう。
余りにも、申し訳ないです。すぐに、ここから出るべきです。が、足が動かない。それに、腹筋も痛い。
罪悪感と来るんじゃなかった感にじっと耐えていると、祭儀は世界中の国々を祓う 「中修祓」 へ移行。
そして、人型を祈念して壺へ収める 「小修祓」 に入ると、立ち上がる人が増えました。あっ、出れる。


ほぼ四つん這いで隅へ逃げ、しばらく足へ血を回し、立てるようになった所で長生殿を出て、
鶴亀殿にやはりいたモニタ観てる信徒さんの横を申し訳ない気持ちで通り、戻ってきた、鶴亀殿前。
おめおめ、逃げ帰って来たのであります。完全に、敗退であります。キツかった。本当に、キツかった。
時間は、22時。正直、もう帰りたい。しかし、祭はまだまだこれからです。というわけで、以下、後篇

綾部の大本本部・梅松苑へ節分大祭を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。 【後篇】 へ


節分大祭
毎年 2月3日 大本本部・梅松苑にて開催

大本本部・梅松苑
京都府綾部市本宮町1-1

JR山陰線&舞鶴線 綾部駅下車 徒歩約20分
 

大本 – 公式

大本 – Wikipedia