大本亀岡本部へ七草粥を食べに行ってきました。もちろん、ひとりで。

2012年1月7日(土)


大本亀岡本部へ七草粥を食べに行ってきました。もちろん、ひとりで。

大本についての説明、どれくらい必要なんでしょうか。
本籍地を丹波に置きっぱなしの私にとっては、何となく「知ってて、普通」な感じなんですが、
一般的知名度はそれほどでもないのかも知れません。そうでもないのかな。
大本。平仮名で書くと、おほもと。読みは普通に、おおもと。
いわゆる新宗教の老舗です。「新」なのに「老舗」というのも変ですが。
明治中頃、京都北丹・綾部で開祖・出口なおが「御筆先」を記したことで始まる神道系の教団ですが、
教団を巨大化させたのは、『霊界物語』などで今なおカリスマ的人気を誇る、出口王仁三郎
メディア戦略に天才的な才能を持つ王仁三郎は、勃興期にあった新聞&ラジオを大々的に活用、
教団を爆発的に拡大させ、「万教同根」の真理に基づいて大陸にも進出、世界各国の宗教とも提携し、
遂には郷里・亀岡の亀山城をまるごと購入、綾部と共に聖地としました。
インテリ・貴族・軍人までも巻き込むその勢いに、特高は目をつけ、大正・昭和と二度にわたり弾圧
特に戦中行われた「第二次大本事件」と呼ばれる二度目の弾圧は熾烈を極め、
「大本を地上から抹殺する」と、1300本のダイナマイトで教団施設を城ごとぶっ飛ばしました。
壊滅状態に陥った大本は、追い討ちをかけられるようにカリスマ・王仁三郎も失いますが、
何とか自主再建を果たし、ズタボロになった亀山城址も何とか再整備。
戦前の勢いはないにせよ、平和運動・農業運動・芸術運動などに力を入れ、現在も活動を続けてます。
そんな大本が、信者以外にも無料で振舞ってるのが、1月7日の七草粥。
普段は拝観に申込が要る亀山城も、一般開放。なので、城見物をかねて出かけてみました。


JR亀岡駅ホームから、保津川下り乗り場方面を望む。
亀岡、こう見ると思いっきり田舎ですが、実際には京都府第三位の人口を誇る市です。
京都から20分のベッドタウンとして開発が進み、この裏はバスターミナルやイオンがある普通の街。
そういえば山陰線に乗ってると、嵐山から保津川下りの船頭らしき人達が乗ってきました。


駅前の公園に飾られてる、亀山城天守閣にあった鯱のレプリカ。
亀山城。言うまでもなく、本能寺の変をやらかした明智光秀によって築城された城です。
亀岡は、山陰から京都への出入り口。光秀は、信長から丹波平定を命じられ、この城を建てました。
で、のちに反逆、と。ちなみに、足利尊氏が反逆の旗揚げを行ったのも、ここ亀岡。


「亀山」と「亀岡」の表記が混乱してるように思われるかも知れませんが、
この地の名前は元々、亀山。三重の亀山とカブるため、明治以降はこちらが変名となりました。
亀山城、江戸時代は日本初の層塔型天守とも言われる立派な天守を誇る城だったそうですが、
明治維新で、廃城。その跡を、大本が買ったと。


亀岡駅から10分ほど歩いて着いた、大本亀岡本部・天恩郷の入口。
普段は拝観に本部への申し込み&許可が必要ですが、七草粥の日は出入自由です。
同好の士がゾロゾロ歩いてたりするのかと思ってたら、特にその手の人とは出会いませんでした。


新宗教の施設らしい、整然とした亀山城跡内。
しかし、出口王仁三郎が幼少だった明治初頭は、かなりの荒れ具合を晒してたようです。
キツネやタヌキが徘徊し、町の人々も怖くて近づかない様を、幼い王仁三郎は間近に眺めて育ち、
のちに「待てしばし昔の城にかへさんと 雄たけびしたる若き日の吾」なる歌を詠んでいます。


その歌の通りに、王仁三郎はこの城を買い取りました。
亀岡の名士・田中源太郎が、山陰線敷設のために石垣まで流用した城跡を、大正8年に購入。
大本信者と共に、石を掘り起こしてまで元の亀山城石垣を復元。さらには、買収を続け敷地も拡大。
あ、石垣が使われた山陰線というのは、現在の嵯峨野トロッコ鉄道のことです。


で、まずやってきた神殿・万祥殿。参拝は、1揖2拝4拍手1拝。
七草粥の奉仕は、この奥の春陽閣でもやってます。というか、むしろこっちが、本命。
ただ、「本席」と称して少人数ごと丁寧に給仕するため、混雑が凄く、いつ食べられるかわかりません。
なので、特設テントでの接待の方へ移動です。あ、併設された茶室・万祥軒では茶席も開催中。


で、外のテントの奉仕、その行列。
信者感ゼロ+近所感全開の人たちが、新年の挨拶をしまくるのを聞きながら、待つことしきり。
こちらは略式なのか何なのか、結構な回転率。長時間待つようなことは、多分ありません。
あ、もちろん七草粥は、無料。整理券も、不要。説教聴かなくちゃいけないということも、特になし。


10分ほど並んでありついた、七草粥。
キッチンで渡され、テントの中の好きな席に座って、いただきます。
七草の入った粥、何らかの草類が入った吸い物、そして香物というラインナップ。
粥と吸い物は、ネイチャー系の新宗教っぽい、無味。でも香物は、野趣のある味わいが光ってました。


粥をいただいた後は、しばし城跡をうろつきます。
立派な石垣が残ってますが、これもきっと、のちに再建されたものなんでしょう。
昭和に入り熾烈化した弾圧では、城の破壊はもちろん、再建の可能性も厳重に封じられました。
土地は無理やり亀岡町へ譲渡され、石類は日本海まで運ばれ捨てられたとか。


よく見ると、何となく生々しい何かが残ってる気もする、石垣。
第二次大本事件の際には、信者の墓石から大本の名をわざわざ消すことまでしたそうです。
司馬遼太郎はかつて「亀山城は光秀と王仁三郎の2人の謀叛人を出した」と評したそうですが、
戦中の当局は、足利尊氏も足して、その手の系譜を亀岡に感じていたのでしょうか。


よく見なくても、生々しい何かを見せつける、首なし伊都能売観音坐像。
結局敗戦により、罪状そのものが消滅。譲渡させられた亀山城も、大本へ返還されました。
教団の損害賠償請求権は莫大なものになりましたが、王仁三郎は戦後の国状を考え、これを放棄。
それもあり大本は、新宗教の中では異例の高評価を戦後も得ることになります。


城の次は、美術展をやってるみろく会館へ。
「芸術は宗教の母なり」と考える王仁三郎は、短歌・書画・陶芸などを大量に制作。
その思想は現在まで受け継がれ、歴代教主が率先する形で芸術活動が行われています。
美術展では、王仁三郎一門の多ジャンルに及ぶ作品と、大本と亀山城の関係などを展示中。


王仁三郎作の素朴かつド派手な楽焼「耀盌」や、歴代教主の書を拝見。
書画では、魯山人も絶賛した二代目教主・出口すみの書が、光ります。特に鳥の墨絵が、ナイス。
三代目補の、たまにちょこっとと出てくる可愛いおにぎりのような自画像(?)も、ナイス。
で、その後でまた王仁三郎の作品を見ると、天然というよりむしろ理性を感じさせるのが、面白し。


15時過ぎ、改めて春陽閣へ行ってみました。
まだまだ待つ人は多いですが、それでもだいぶ減ったので、「本席」に並んでみます。
記帳をして、七草粥や節分祭、艮の金神についてのビデオを見ながら、床に座って待つこと、しきり。
おおむね6~12人くらいずつ人が呼ばれ、30分ほどして、遂に奥へ通されました。


食事の部屋は、頑張っても50人くらいしか入らないとこ。
席に座ると、袴姿の男性職員が一礼して配膳してくれ、竹に入ったにごり酒を出してくれます。
これが、美味い。薦められ、あるいは此方から催促して、都合3杯飲みました。
粥の味は、テントのものと基本的に、同じです。


ただ待合ビデオのおかげで、ちょっとディティールは見えるようになりました。
七草粥は、普通に七草粥。吸い物は、昆布出汁+形が羽根つきの羽根に似たつくばね草。
向付は、味噌を使わず醤油で煮込んだ柚子味噌+たんぽぽの佃煮+塩昆布+ごまめ。
食い終わり、何かの葉を煎じた茶を頂く頃には、時間はもう16:10。


本部を辞して、H商店街なる城下町をしばしうろつく。
H商店街は、Hな商店街というわけではもちろんなく、道の形がHになってる商店街。
ナチュラルレアに残る町家が美しい通りです。和菓子屋で、柔らかいしんこを買っていきましたよ。
帰りの駅では、雪ダルマと区別がつかない「さがのさん」と「かめおくん」が、お見送り。


勝手にもらってきた、おみやげ一覧。
「おおそうだ、愛は無限だ」という王仁三郎の言葉を掲げる大本パンフ、
「丹波亀山城と明智光秀公」と題された冊子、亀岡天恩郷について解説するレジュメ、
七草粥の説明書き、そして「脳死は人の死ではありません」パンフなどなど。

客層は、普通の中高年メインです。
夫婦、親子連れなど。茶席があるためか、着物姿の妙齢女性も少しいました。
カップルは、極めて少ないというか、絶無に近し。いても、よく見たら子連れだったり。
冷やかし半分 or 興味本位な若者や、物好きそうな単独さんなども、全然見当たりません。
多くの人が近隣住民&顔見知りであり、そこら中で「新年明けまして・・・」と挨拶が交わされてました。
信者率は、半分もいってない気がします。ディープな宗教テイストは、希薄かなと。
宗教団体に紛れ込んだというよりは、地域のイベントに混ざった感じでした。

そんな大本亀岡本部の七草粥。
好きな人と食べたら、より艮の金神なんでしょう。
でも、ひとりで食べても、艮の金神です。

【客層】 (客層表記について)
カップル:微量
女性グループ:0
男性グループ:0
混成グループ:0
修学旅行生:0
中高年夫婦:2
中高年女性グループ:2
中高年団体 or グループ:6
単身女性:0
単身男性:微量
【ひとりに向いてる度】
★★★
色気のプレッシャーはないし、
宗教的プレッシャーやアウェー感も、特にない。
居心地もそれほど悪いわけではなく、気軽にまぎれるが、
基本、浮くとは思う。

【条件】
正月7日 土曜 12:40~16:15

 

大本亀岡本部
京都府亀岡市荒塚町内丸1
通常参拝は本部受付へ申し込み

JR山陰本線 亀岡駅下車 徒歩約10分
京阪京都交通バス 大本本部前下車 徒歩約2分

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大本 – Wikipedia