亀岡祭の宵山へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2018年10月24日(水)


亀岡祭の宵山へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

祇園祭・宵山には、独特の気配、はっきり言えば 「死」 の気配が漂ってると感じます。
『京都思想逍遥』 では 「滅び」 と表現してましたが、私が感じるのは寧ろギラついた 「死」 です。
無論そんな 「死」 は、露店&大混雑で覆い隠されてます。が、ちょっとした隅とかに、すぐ現れます。
比較的人が少なめとなる後祭・宵山が復活した後は、さらにあちこちで感じられるようになりました。
「単に辺りが暗いから、そう思うだけだ」 と思われるかもしれませんが、ちょっと違うんですよね。
「祭は元来、そういうものだ。カーニバルだ」 とも思われるかもしれませんが、ちょっと違うんですよね。
街が背負う祭の重責が、異様な気配を生んでるというか。しかも、それが千年分重なってるというか。
千年分重なった愛着・憎悪・恐怖・徒労などが、濃厚に混ざり、ギラつく暗黒色を生じてるというか。
で、そんな暗黒色から沸き立つ 「死」 の気配こそが、チャラい混雑も引き寄せてる気がするというか。
妄想や思い込みが甚だしい上、全く誰も得しない話で恐縮ではありますが、あなたどう思いますか。
祇園祭・宵山へのこの印象、実は、逆説的に裏付けてくれた祭があります。亀岡祭です。
丹波の最南端にある亀岡の地を、巨大な鍬を以て切り開いたという伝説を持つ鍬山神社の例祭が、
明智光秀による亀山城築城を経て、江戸期には城下町の祭として規模を拡大するに至った、亀岡祭。
城下町の町衆達は多彩な練り物を出し始め、祇園祭の影響を受けまくった10数基の山鉾も出現。
リアル京都に至近なこともあって、本物顔負けの豪華な山鉾が城下を練り歩くようにまでなりました。
城が消滅した明治以降は衰退しますが、平成に入ると復興の気運が上昇し、山鉾も立て続けに復活。
最近では全鉾による山鉾巡行も行われ、 「口丹波の祇園祭」 の名を確固たるものにしてます。
そんな亀岡祭、巡行前夜には宵山も開催。で、この宵山が、本家と似てるようで、違うんですよね。
残りまくる城下町が、祇園祭以上に祇園祭的に映える一方、全く違う何かも見せてくれるんですよね。
「死」 や暗黒が渦巻くことなく、ひたすら大らかに、そして美しく、山鉾が寿がれてるんですよね。
そんな亀岡祭の宵山、夢コスモス園でコスモスを見た帰り、のんびり歩いてみました。


コスモス園からバスに乗り、18時頃に戻ってきた、亀岡駅。駅には、山鉾の提灯が出てます。
実に、祭な感じです。が、改札を通る客はいずれも通勤帰り客であり、祭な雰囲気は全くありません。
皆、親の死に目に会い損ってるような勢いで、バスへ向かうばかり。で、それが終われば静寂、という。
宵山はもう始まってる頃ですが、祭見物らしき人は、激少。とりあえず、山鉾町へ向かいましょうか。


で、向かうんですが、その前にスタンプラリーの集印帳を、駅内の観光案内所で買っときます。
先述の通り、亀岡祭の山鉾は全部で11基。根性を出せば、誰でも回れる数です。ので、回るのです。
買いに入った観光案内所は、コスモス園についてあれこれ訊く人が多かった昼間よりも、人が少なめ。
私が御覧の帳を買ってる間、横では香港から来た独男さんが、英語で山鉾の案内を受けてました。


駅から山鉾町、というか亀山城の城下町までは、歩いて約10分。大した距離ではありません。
で、祭に向かう人は確実にいるけど、そうでない人の方が圧倒的に多い街を歩いて、まずは鍬山へ。
ラリー、回り方に特に決まりはないですが、最初はやはり鍬山神を乗せた鍬山から回ろうと思います。
で、ずっと普通に普通の街を歩いて到着した、御覧の鍬山。で、この辺から急に、そして実に、宵山。


で、実に宵山な雰囲気の中、子供達の奏でる御囃子を聴きながら拝む、鍬山。


で、拝んだり聴いたりしてから、御覧のような感じで集印帳に頂いた、スタンプ。


で、拝んだり聴いたり頂いたりすると共に眺めた、街角の屏風祭ならぬ甲冑祭。


そして、鍬山と同じく鍬山神社の祭神が乗る八幡山を、渋い蔵と共に拝む。


やや小さめな山鉾の中、子供達が御囃子の鉦を巧みに鳴らすのも、拝む。


見送りの雲龍宝散図と、胴懸の朝鮮毛綴に見惚れながら、武内山を拝む。


武内山には子供用のミニ山鉾みたいなのもあり、その雰囲気も共に、拝む。


歩いてる内に出会った、屏風祭ならぬ甲冑祭ならぬ屏風祭も、見たり。


高砂山では、余りに見栄えが良い山鉾と会所のコンビに、見惚れたり。


見送りの異国人図綴錦を眺めながら、また子供達の鉦に聴き入ったり。


そして三輪山では、提灯の彼方に19世紀英国製の胴懸を見つめる。


街並は普通だけど、床机の雰囲気は実に良い雰囲気の山鉾周辺も見つめる。


と、歩いてると到着した、御旅所に近い所で堂々と立つ、稲荷山


稲荷山と御旅所の間は露店が立ちまくり、とんでもない大混雑。


混雑で御旅所へ行くのを日和った私を、後から見てた、稲荷山。


そして蛭子山では、蘭人図綴錦を借景に、揺れる蛭子神&かめ丸を見つめる。


正面に回り、蛭子山&その奥に鎮座する本物の蛭子神も見つめる。


難波山では、やはり見栄えが良い山鉾と会所のコンビに、見惚れたり。


さらに見栄えが良い蔵と山鉾と会所との組み合わせにも、見惚れたり。


難波山の近くで出会った、風情あり過ぎな街の光景なんかも、見たり。


浦島山では、清朝期の雲龍文繻珍錦水引と共に、祭神・浦島太郎を拝む。


さらにぐっと寄り、何か言いたげな顔にも見える浦島太郎の横顔を、拝む。


少し離れた所にある羽衣山へ歩き、提灯越しに御囃子が鳴る山鉾を拝む。


割と新しく再建された山鉾ながら、風情あり過ぎな周辺の雰囲気も、拝む。


で、羽衣山からもっと離れた所にある翁山へ行く途中に見た、美しい行灯と道。


で、本当にかなり歩いた末に到着し、御囃子を聴きながら拝む、ラスト鉾・翁山


で、借景が単なる住宅地になるとは言え、一応は少し引いた形でも拝む、翁山。


で、翁山でスタンプをもらえば、集印帳、コンプ。コンプすると、亀岡祭カレンダーがもらえます。
買うと、500円するものです。有難いです。 「買った方が早いんじゃないか」 とか言うのは、なしです。
それにしても亀岡祭の宵山、大らかで、そして美しいものでした。また、実に穏やかで、健康的でした。
「ただ単に、御囃子をやってるのが子供だから、そう感じただけじゃないか」 とか言うのは、なしです。


で、回るだけ回ったら、帰ります。が、その前に、祭の本義たる鍬山神社・御旅所に寄ります。
御旅所は、先刻の大混雑露店ゾーンの先。というか、御旅所の周囲に露店があるというべきですが。
今度は日和らず牛歩で到着した御旅所は、高校生以下の子供が集結中。で、前後不覚の中、参拝。
御旅所、境内にも露店は出まくってて、本殿前ではメガ焼きそばのメガな麺が湯煙を立ててました。


で、お参りしたら、今度は本当に帰ります。城下町を出て、急に祭の気配が消えた街を、駅へ。
本当に、御旅所の混雑が幻覚だったかのように祭感は消え、淡々と亀岡駅に到着してしまいました。
駅は祭の帰り客で大混雑、ということは全くなし。いるのは、歩き始めた夕方と同様、通勤帰り客です。
そして、これまた夕方と同様、皆、親の死に目に会い損ってるような勢いで、バスへ向かってました。

亀岡祭の宵山、客は基本的に、地元の家族連れがメインです。
そこに、その他の属性が烏合的に混ざり、物好き系の単独もほんの少し混ざる感じ。
後は、屋台ゾーンから流れてきたらしき子供と、協賛か何かの背広連中が目立つくらい。
観光感は、かなり稀薄。観光丸出しなテイストの輩は、ほとんど見かけません。
人出も、大したことなし。これからどうなるかは不明ですが、現状ではのんびり歩けるでしょう。
ただし、屋台ゾーンはこれら全ての事情が変わり、子供だらけの大混雑状態です。

そんな亀岡祭の、宵山。
好きな人と行けば、より城下町なんでしょう。
でも、ひとりで行っても、城下町です。

亀岡祭の山鉾巡行へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

【客層】 (客層表記について)
カップル:1
女性グループ:若干
男性グループ:1
混成グループ:若干
子供:1 (ただし露店ゾーンは9)
中高年夫婦:1
中高年女性グループ:1
中高年団体 or グループ:4
単身女性:超微
単身男性:微

【ひとりに向いてる度】
★★★★
夜の城下町の風情は、祇園祭を凌ぐと思う。
近隣系の家族連れが多いが、アウェー感は割と稀薄。
のんびり歩くには、少なくとも現状では、いい感じ。

【条件】
平日水曜 18:10~21:30


 
 
 
 
亀岡祭 宵山
毎年10月23日&24日 夜 開催

亀山城 城下町
JR嵯峨野線 亀岡駅下車 徒歩約15分
 
 
 
亀岡祭山鉾連合会 – 公式

亀岡祭 – Wikipedia