旅籠茶屋・池田屋はなの舞で、鱧の落としと鱧小鍋を食べました。もちろん、ひとりで。

2017年8月23日(水)


旅籠茶屋・池田屋はなの舞で鱧を食べました。もちろん、ひとりで。

池田屋事件が起きた夜の京都は、かなり蒸し暑かったのではないかと思ったりします。
元治元年6月5日・祇園祭の宵々山は、新暦でいえば、7月8日。正に、梅雨明け直前です。暑い。
実際、 『幕末維新京都町人日記』 によれば、事件前は雨続き。で、珠に陽が差す感じ。暑い。
で、こんな蒸し暑い盛りの京都の夜に、冷房などなく、下階では灯さえ燃えてる屋内にて、斬り合い。
しかも、何時間にも亘って、斬り合い。間欠泉の如く熱い血があちこちから吹き出す中、斬り合い。
それは一体、どういう状況なんでしょうか。血がスチーム効果を生むサウナ、みたいなもんでしょうか。
沖田総司は、持病でなく熱中症で戦線離脱したという説がありますが、暑さを思えば、さもありなん。
京都の夏を体で知る人なら、誰もが想像するだけで発狂しそうな地獄の沙汰、と言えるでしょう。
この池田屋事件、幕末日本にとっては無論、京都観光に視点を絞っても、極めて重要な事件です。
ゆえに、京都メジャースポットの単独特攻を趣旨とする当サイトとしては、スルーは許されません。
ので、池田屋の跡地たる居酒屋・池田屋はなの舞の訪問は、早い段階からずっと目論んでいました。
しかし同時に、 「訪問するなら、当日に溢れてたであろうこの暑気こそを絡めた形で」 とも思い、
現在の宵々山 = 7月15日に湿気が満ちるのを待ち続け、そのまま現在まで未訪となってたのでした。
7月15日頃の京都って、案外と涼しい場合が多いんですよね。いい感じで、風が吹いてたりして。
一般基準なら充分過ぎるくらいに地獄なんですが、京都水準的にはマシな場合が多いんですよね。
この程度の暑気では、池田屋事件のグダグダでドロドロの地獄感は、まず体感できないでしょう。
タイミングはズレても、グダグダでドロドロに暑い8月後半の方が、訪問には相応しいのではないか。
その方が、事件が持つ温度感や湿度感みたいなものに、より深い形でシンクロできるのではないか。
そんな高踏な考えに基づき、私は敢えて8月下旬の蒸し暑い日を選んで池田屋はなの舞を訪問し、
荒っぽく骨を斬り合った者達の青春に想いを馳せつつ、荒っぽい骨切りの鱧などを食ったのでした。
そう、これはあくまでも、新たな挑戦なのです。幕末への体感的共鳴を目指す、挑戦なのです。
断じて、 「夏終了前に企画 『ひとり鱧』 をもう一発」 と、雑な動機で出かけたのでは、ありません。
決して、 「どうせ行くならネタになる店に」 と、邪な動機で出かけたのでも、ありません。


で、事件と全然関係ない8月23日19時、池田屋への進撃を開始。往路は、少し遊びましょう。
新撰組志士捜索を始めた祇園から、猟奇惨殺ストリート・木屋町通を通り、店へ向かってみます。
事件当日に吉岡庄助が勢いで殺された南座前を抜けて、すぐに殿内義雄が斬殺された四条大橋へ。
橋の上からは、島田左近の生首が晒された四条河原を拝む。河原の上の川床、何とも涼しげです。


しかしこの日は、実際には、蒸し暑し。生首など瞬時に馴れ寿司と化しそうなくらい、蒸し暑し。
川入って泳ぎたいとか思いながら木屋町通へ入り、本間精一郎の胴体だけが泳いだ高瀬川を拝む。
また、池田屋事件の発端人であり、足裏に五寸釘と蝋燭をブチ刺された古高俊太郎の邸宅跡も拝む。
夜の木屋町、猟奇史跡を巡ってる奴は無論、皆無。ただ、写真撮ってると、すぐが寄ってきます。


で、碑の意味がわからんがヘラヘラ笑う声を何度も聞きながら、本間の解体現場碑も拝む。
ベロベロに酔わされ解体された、本間。現在も木屋町通は飲み屋が多く、居酒屋の呼び込みも多し。
タナトス溢れる道ゆえエロス屋も多いですが、そっちは割に静か。定休日かなとか思いながら、北へ。
私橋に唐橋村庄屋の生首が晒された土佐藩邸跡も通り過ぎ、向かうは晒しの聖地・三条大橋です。


儒者・家里新太郎や破戒僧・正惇&光惇の生首、目明かし・猿の文吉のフルチン絞殺死体、
そして村山たかの生殺しや足利木像の木首など、猟奇な晒しが数多く行われた三条大橋下を拝む。
また、亀頭と肛門に竹串を刺され巨大化した文吉の陰茎、その面影を偲びながら、橋の欄干も拝む。
で、陰茎を偲ぶ余りに名物の刀傷を観忘れたりした後は、いよいよ今夜の目的地へと向かいます。


で、三条大橋を西へ少しだけ歩いて到着した、今夜の目的地である、斬殺の聖地・池田屋跡。
またの名を、旅籠茶屋・池田屋はなの舞。居酒屋チェーン・チムニーが経営する、居酒屋であります。
海鮮茶屋とか旅籠茶屋とか、冠がよく変わる居酒屋であります。今宵は、旅籠茶屋のようであります。
道の対岸から 「誠」 な全容を拝んでると、2~3人客が立て続けに退出。夕飯使いの帰りでしょうか。


道を渡って店の正面に立ち、玄関腋の 「維新史蹟 池田屋騒動之址」 と掘られた碑を拝む。
間違いなく、池田屋であります。隣の明治屋が正しい場所という説もありますが、池田屋であります。
自分で言うんだから、池田屋であります。飲み放題2時間付きの特別宴会だから、池田屋であります。
はなの舞の玄関、外人は足をよく止めますが、入店する者は少なめ。ひとりでも、席ありそうですね。


で、 「今宵、旅宿御改めッ」 と心の声で絶叫しながら入店すると、北添佶摩が落ちた階段あり。
間違いなく、大階段です。階段落ちはフィクションという説もありますが、大階段なので、大階段です。
となれば、 「手向かい致すにおいては容赦なく斬り捨てるッ」 とまた心の声で絶叫しながら、階上へ。
と行きかけて、階段横の受付で 「すんません、ひとりなんすけど」 と訊くと、下の階へ通されました。


そういえば池田屋事件の戦闘、階下でも行われたんですよね。しかも、八軒なる大照明付きで。
正に、血の間欠泉を灯が追い炊きする、血煙サウナ。扇の代わりに刀を振るが如き地獄であります。
狂気の暑気を憑代として、幕末への魂のシンクロを試みる今宵の私には、お誂え向きの席次でしょう。
あ、下の階は半個室が並んで、普通に居酒屋。新撰組ゴリ押しとかも、なし。冷房も、効いてますよ。


で、客が描いた絵にむしろ濃さを感じたりしながら2分ほど待った後、通された2人用の半個室。
何ちゃらが書かれたコースターや、何ちゃらのコラボメニューがある以外、かなり普通に居酒屋です。
あ、大階段何ちゃら刺身は、ちょっと面白そうでしたけど。でも私は今宵、鱧を食いに来たんですよね。
そう、私は今宵、ここで、鱧を食うのですよ。実質チェーン店の居酒屋で、鱧を食おうというのですよ。


と、決死の覚悟で開いた、鱧メニュー。鱧は、寿司や天ぷらなどがあるようです。全部、頼むか。
いや、それはやはり、金が惜しい。何より、外れの度合が凄かった場合、泣く可能性も否定できない。
天ぷらはまず外れがないと思うけど、ゆえに無難でネタにならん。というわけで、落としと小鍋を注文。
ボタンを押して呼んだ店員さんは、 「御用改めでござる」 とか言わずに、普通の居酒屋対応でした。


で、お通しよりもドリンクよりも先に来た、骨切りがワイド幅のざく切り状な、鱧の落とし。
正に、肉を斬らせて骨も斬らせた事件当日の乱闘加減を思われる、ワイルドさです。どうしよう。


と、落としに戸惑う間に来た、ドリンク。頼んだのは、この店オリジナルのはなの舞割り。
心を麻痺させる必要を感じたので、丸飲み。割りは、楽々と丸飲みできるくらい、ジュースな割り。


で、 「そうか、お通しはなしか」 と感心した頃になって、フェイントの如く現れた、お通し。
一瞬で丸飲みしたので素性は不明ですが、外観から考えて恐らく、豆腐と何かしらの肉でしょう。


と、気を紛らわせてから遂に食した鱧の落としは、魚介の枠さえ越える勢いの、新食感。
骨も臭みもなく、他にも色々とありません。ので、梅肉をブラッディに付けて、味を足してみたり。


で、真っ赤に染まった鱧を飲み込んだ頃に来た、小鍋。正式名称、鱧と都野菜の梅鍋。
出来上がったのが来ると思ったら、コンロ付き。これはある程度、自分で色々リカバーできそう。


と、ほんのり期待しながら煮始めた小鍋、具はネギ・水菜・何らかの野菜・豆腐・梅・鱧。
しゃぶしゃぶで食ってもいいですが、落としが色々と色々だったので腰が引け、やたらと煮まくり。


で、食す。これが案外、美味い。いや、正確に言えば、マシ。ただ、落としとは雲泥の差。
鱧自体のクオリティは同じながら、出汁を吸うと、荒いざく切りがむしろ良い感じに化けるという。


と、煮詰めて食ってると汁が辛化したので、中和用に頼んだ、プルプル何ちゃらサワー。
飯で中和もいいですが、鱧寿司は恐い。ので、プルプル。割りは、はなの舞割りよりは酒な割り。


で、食って飲んだら、帰ります。店内を全然見てませんが、何かもう色々、充分です。帰ります。
周囲の席にいたのは、インドネシアのLCCの話や職場の力関係の話とかをしてる、ごく普通の人達。
その筋の人が騒いでるようなことは、なし。そういう方々用には、そういうフロアでもあるんでしょうか。
受付へ行くと人が居らず、大階段を見るとスタッフさんが降りてきて、勘定。額は、3400円弱でした。


で、暑い街へ出た帰り際、ちりめんならぬ斬りメン暗殺教室で育てた瑞山先生寓居跡も、拝む。
しかし、写真撮ってる背後でおばさん集団が 「何やろか」 と溜まり出したので、天誅、でなく、退散。
大藤幽叟松井中務らの首が晒された高札場でも、若者に出くわしたのですぐ逃げ、三条大橋へ。
刀傷拝観をまた忘れたまま橋を渡れば、忘れてはならぬ場所を最後に拝みます。そう、あそこです。


最後に拝むのはもちろん、蒸し暑さで馴れ寿司と化した事件の死体を引き取った、三縁寺跡
移転工事の際は、記録以上の頭蓋骨が出たとか。勢いで埋められた寿司、でなく、志士の分も拝む。
寺移転の元凶にして、池田屋本来の最寄駅である三条地下駅でも、寝てるの邪魔してすまんと拝む。
すると、電車が雷で大混乱。すわ、天誅か。幕末への共鳴、呪的にはできてしまったようであります。

この夜の池田屋はなの舞、地下の目視可能な場所では、入りは5割程度。
客はいずれも、地元系 or 在住系。仕事あるいは家族などの3~4人のグループが多し。
カップル・男同士・団体で騒ぐ連中は皆無で、不気味なくらい普段使いな居酒屋然としてます。
先述通り、腐女子や歴ヲタ系、また観光外人が騒いでるというようなことは、全然なし。
この日が偶然こうだったのか、あるいは常にこんな感じなのかは、不明。
その手の連中は全て、階段を上がった上のエリアに案内されるんでしょうか。
興味のある方は、是非頑張って 「斬り捨てるッ」 と絶叫しながら登ってみて下さい。

旅籠茶屋・池田屋はなの舞での、鱧。
好きな人と食べれば、より幕末なんでしょう。
でも、ひとりで食べても、幕末です。


 
【ひとりに向いてる度】
★★
ひとりで行く分には、かなり普通の居酒屋。
アウェーでもなく、居心地が良いわけでもない。
面白いほど酷くもなく、ただただ凡庸という。
好き者以外の人は、無の心で行くといいと思う。

【条件】
平日水曜 20:00~21:00
 

旅籠茶屋・池田屋はなの舞
京都市中京区中島町82 申和三条ビル
年中無休

京阪電車 三条駅下車 徒歩約4分
市営地下鉄 京都市役所前駅下車 徒歩約5分

旅籠茶屋 池田屋 はなの舞 – 公式