京都・東山花灯路2018へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2018年3月13日(火)


京都・東山花灯路2018へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

これといった理由も動機もなく東山花灯路へ立ち寄ることが、たまにあります。
大抵は、北側ゲート近くの図書館から帰る時です。調べもので、帰りが遅くなった時とかです。
平安神宮の辺から神宮道をフラフラ南下して電飾ゾーンへ入り、そのまま写真も撮らず歩き続け、
プレッシャーがどうこうといったことも考えないまま、極めて適当な気分でうろついたりするわけです。
少し遠回りして帰る、というくらいの気持ちで。少しは運動もしなくては、というくらいの気持ちで。
そんな時に目にする花灯路は、つまり単なる通行人としてごくごくナチュラルな目で眺める花灯路は、
それこそ 「特攻じゃあ」 と意気込んでる時とは違って見えるかといえば、そんなことはありません。
安い集客を図るべく撒かれた電飾と、それに吸い寄せられる蛾の如き民が、蠢いてるだけです。
が、特攻時のようにそれを注視するのではなく、さらっと通り過ぎてると、気分は結構変わってきます。
楽しいかといえば、特にそんなことはない。では楽しくないかといえば、これもそんなこともない。
そんな、無な気分になるんですよね。で、こんな気分になる場所というのは、他にないんですよね。
桜開花前の閑散期に於ける集客イベントとして始まり、狙い通りの活況を生んだ、東山花灯路
その活況により生じる地獄の沙汰については、当サイトでも以前から延々とお伝えしてきた通りです。
が、その一方で、さらっと通り過ぎる際に感じるこの無な気分も、実は以前から気になってました。
この不思議な気分は一体、何なんだろう、と。この無は一体、何処から生じてるものなんだろう、と。
というわけで2018年花灯路特攻は、この無にこそ対峙しようと考え、先述の遠回り帰宅モードで決行。
平日の夜、客層を細かく見ず、写真もなるべく撮らず、散歩の如くうろついてみたのであります。
そして、無の発生源を確かめるべく、電飾で強調された闇などにこそ目を凝らしてみたのであります。
そう、これは新たな挑戦なのです。 「平熱の花灯路」 みたいなものを伝える為の、挑戦なのです。
決して、マンネリでやる気がすっかりゼロなのを、屁理屈で誤魔化してるのでは、ありません。
断じて、そもそも花粉症ゆえ細かく見るのが面倒臭かったのでも、ありません。


というわけで、クシャっとした鼻と心のまま、例年通りやって来た、三条側の花灯路ゲート。
人、全然いないように見えますが、本当に全然いないわけでは無論ありません。そこそこ、います。
が、休日などに比べると、やはり少なめ。散歩気分でうろつくには、ちょうどいいくらいの感じでしょう。
ずっとこれくらいの感じだと、いいんですけどね。では、心底面倒臭いですが、見ていきましょうか。


で、まずはおおくすの庭のダイナマイト原を、眺める。


神宮道を南下しながら、いけばなプロムナードを、眺める。


大楠の向こうで光ってる、青蓮院の青い光を、眺める。


で、さらに南下すると、特に催しもなくただ光ってるだけの、知恩院


さらに南下すると、例年通りに円山公園でやってた、現代いけばな展。


公園の奥へ行くと、こちらは例年と違って工事中だった、幽玄の川。


で、少し戻り、こちらは例年通りカオスな生け花に、ロンギヌスの槍を想う。


さらに少し戻って池を眺めて、例年通り 「誰か落ちたら面白いのに」 と、思う。


で、円山公園から八坂神社への道には、これも例年通り、粟田神社の粟田大燈呂


今回は特に小振りでもワイルドでもなく、ごく普通に異常なテイストの、粟田大燈呂。


平日なので舞妓はんの舞踊奉納などもなく、ただ光ってるだけの、八坂神社


大谷祖廟・参道で、たまたま見かけた、キツネの嫁入り。


金牌台灣啤酒的芸大灯作品展犬。


清不要用手触漠的祇園閣前狛犬。


で、触んなという狛犬をスルーした先で眺める、祇園閣


祇園閣の先では、一気にそれらしい混雑がそれらしい状態となる、ねねの道。


その混雑の前で 「この混雑こそ春の光よ」 と嘯いてるような、高台寺塔頭・春光院


その春光院の前で、春の光を一生懸命に偽造し続ける、くにゃっとした感じの行灯。


で、トナラーとウシラーが沸き倒す石畳を見て、人の意思とは何ぞや、と思う。


高台寺公園の行灯でできた 「東」 の字を上から見て、 「束」 の字を想う。


で、ぼ~っと歩いてる内に一年坂を通り過ぎ到着してた、二年坂入口。


二年坂も今後は 「二寧坂」 になるのか、と思いながら登る、二年坂。


ならば産寧坂は 「散念坂」 にならんのか、と思いながら登る、産寧坂


で、清水寺に着き、客引きしてるゆるキャラなどを、眺める。


客引きをスルーし、帰りの清水坂で生け花を、眺める。


開いてる店が少なく、あからさまに無な二年坂を、眺める。


で、帰り際に例年通り拝んだ、八坂の塔。という感じで、2018年の東山花灯路でありました。
無な気分、多少は感じてもらえたでしょうか。何か、それこそ例年と全然変わりない気もしますけど。
というか、そもそも無を電飾で盛ってる場だからこそ、無を感じるのは当然という話でもありますけど。
その意味では、盛りまくりの写真は正しいのかも。とか思いながら、鼻水垂らして帰りましたとさ。

この夜の東山花灯路、平日火曜ゆえ、客の数は多くありません。
混雑で歩けないということは全くなく、移動に困ることも逃げ場所に困ることも一切なし。
なんですが、それでもやっぱり、地獄。自由に動ける分、阿呆が活発に動くのが、最悪という。
大混雑で身動きが取れない時よりも、むしろ阿呆の阿呆加減を目に入れられてしまう感じです。
それ以外は、ごく普通の花灯路という感じでしょうか。安定の地獄加減、とでもいうか。
カップルは相変わらず多く、メイン層ではありますが、存在感的にはもはやベタ極まりなし。
むしろ、 「恋愛めんどくさい」 とか言いそうな小心で勝手なグループ客が増えてる気がします。
中年以上の客は、例によって少なめ。おばちゃんグループは、妙によく見かけましたけど。
単独は、基本、カメ。頭がおかしい方は、これまた安定して沢山いらっしゃいました。

そんな、京都・東山花灯路2018。
好きな人と歩いたら、より集客策なんでしょう。
でも、ひとりで歩いても、集客策です。

京都・東山花灯路2011へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
京都・東山花灯路2012へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
東山花灯路2013と清水寺特別夜間拝観へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
京都・東山花灯路2014へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
京都・東山花灯路2015へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
京都・東山花灯路2016へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
京都・東山花灯路2017へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

【客層】 (客層表記について)
カップル:5
女性グループ:2
男性グループ:1
混成グループ:若干
子供:0
中高年夫婦:微
中高年女性グループ:1
中高年団体 or グループ:1
単身女性:微
単身男性:若干

【ひとりに向いてる度】

平日で空いていても、やっぱり、地獄。
あと、ベタ化が色々と悪い方向で進行してると思う。
心底、うんざりする。心底、もう行きたくない。

【条件】
平日火曜+会期中日 18:30~21:00

 
 
 
 
 
 
 
京都・花灯路
「東山花灯路」 を毎年3月中旬に、
「嵐山花灯路」 を毎年12月上旬に、開催
 

京都・花灯路 – 公式

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