粟田神社の粟田祭・夜渡り神事へ行きました。もちろん、ひとりで。

2011年10月9日(日)


粟田神社の粟田祭・夜渡り神事へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

えと、トップ画像で光り輝いてらっしゃるのは、かの法然上人でございます。
法然。もちろん、浄土宗の開祖です。粟田神社のすぐ南にある知恩院の、ラスボスです。
神社の祭のトップ画像がバリバリの仏僧とは、これいかに。
いや、それ以前に何故この法然はこんなにキンキラキンなのかという話ではありますが、
しかし、これが粟田神社の粟田祭なのであります。宵宮の奇祭・夜渡り神事なのであります。
粟田神社は、明治維新の神仏分離までは「感神院新宮」と呼ばれていました。
「感神院」といえば八坂神社の旧名「祇園感神院」が有名ですが、粟田神社はその新宮。
平安時代に朝廷が祇園社へ勅使を派遣、「東北に清浄の地あり」と神託を受け、創建されたわけです。
祇園感神院は、一時は比叡山の門下に寺として入るほど神仏習合が激しい社でしたが、
粟田神社もまたその傾向は強かったようで、社名から祭神から「ご一新」した経緯を持ってます。
が、往時の残り香のようなものは濃厚に残っていて、この夜渡り神事はその典型。
粟田神社名物の剣鉾が知恩院の七不思議のひとつ・胡瓜石の前まで出向き、
出迎えた知恩院の僧たちと一緒に剣鉾&石に祈るという、神仏コラボ祭事を展開してしまうのです。
その名も「れいけん祭」。凄い、何かよくわからないけど、凄いのであります。
2008年からは京都造形芸術大学の学生さんによる、超巨大燈籠「粟田大燈呂」も登場し、
2010年には御覧の法然も団体の枠を越え参戦、何かよくわからん凄さはさらに加速しました。
もとから奇祭だった祭がさらに奇祭化してる様、とくとお楽しみ下さい。


17時頃、粟田神社一の鳥居付近の三条通で、その威容をみせつける牛頭天王。
他の燈籠は灯が入らないと絵になりませんが、このお方は日中の方が不気味な迫力があります。
「感神院」の「新宮」ですから、もちろんこのお方が粟田神社の主祭神。
八坂神社と同じく、明治維新で「素盞嗚尊」になりましたが、大燈呂では堂々登場です。


同じく17時頃の粟田神社・二の鳥居。扁額に「感神院新宮」とはっきり書かれてます。
もっとも粟田神社、牛頭天王が勧請される前から粟田一帯の神様だったという説もあり、
また八坂神社より先に牛頭天王がやってきたという説もありますが。


境内の隅っこにいる猿田彦の台車、そして奥に本殿。天狗さん、夜渡り神事は留守番です。
巡幸する阿古陀鉾と地蔵鉾は、法被着た氏子さんたちが「お迎え行列」として当家へ出迎え。
担がれた剣鉾は本殿へ帰社、18時より出発祭の神事が行われます。


三条通では、夕暮れる空を横目で見ながら巨大な面々が、出番待ち。
粟田大燈呂、詳しい資料・絵図は全然残ってないそうですが、戦国時代以前から盛んだったとか。
「さまざまの造り物ありて衆人の目を驚かすにより、貴賎群集することおびただし」 (華頂要略)
江戸末期に途絶して以来、実に180年ぶりの復活。現代も、衆人の目を驚かせまくってます。


阿古陀鉾と地蔵鉾を迎え、出発祭がつつがなく執行される境内。
お祓いを受け、炎上する松明に照らされてる、十二灯。こちらは夜渡り神事に参加。
こんなビジュアルや、あと近所の民家の祭支度を見ると、すごくネイティブなテイストを感じます。
剣鉾の復活にも熱心な粟田、ここも祭りに関しては熱いエリアのようです。


出発祭が終わると列立てを行い、4本の松明が前後を守る形で、18時半、行列は出発。
写真は、参道を火の粉を散らしながら抜け、三条通りへ飛び出す松明。
松明に続き、阿古陀鉾と地蔵鉾も公道へ。その後ろに大燈呂8基が続く形で行列は進みます。


今年デビューの新型、スサノオノミコト。明治以降の粟田神社の主祭神です。
新型はクオリティが高くなり、ちょっと青森のねぶたに似てきたというか。スケールは段違いですが。
元々あっちのねぶたは、この粟田大燈呂を見て始まったという説もあるそうですが、
少なくとも現在のこっちの大燈呂は青森のねぶたを参考に作られてるそうです。


三条通りをしばし西進した行列は、青蓮院や知恩院へ繋がる神宮道へ入ります。
写真は、神宮道の狭い坂を上る、スサノオノミコト。狭い道だと、迫力が増しますね。
若干狭過ぎたのか、ヤマタノオロチなんかは頭頂部がしっちゅう木ににひっかかってました。


神宮道を南進、19時に行列は知恩院黒門前のパワースポット・爪生石へ集結。
黒門の脇に電光法然がどっしりと鎮座し、神と仏が入り混じっての「れいけん祭」が始まります。
法然上人の慈愛の光を受けながら、石段を降りてくる知恩院の僧侶たち。実に、奇観です。


電光法然に奉納するが如く、爪生石前に祭壇を設け、左右に両鉾を配置。
その前で、先に仏式の法要が執り行われ、僧が般若心経を読経。続いて神事が行われます。
神職が坊さんをお祓いしたり、爪生石のまわりをゆっくり三周まわったり。
神仏習合はともかくとして、光る法然が「大丈夫か、こんなことして」と思わせること、しきり。


約1時間の神事が終わると、知恩院の僧は黒門から帰還。その後姿を見守る神職。
「れいけん祭」の「れいけん」は、もちろん「霊験」から来てるんでしょうが、
ひらがなでしか伝わってないあたり、実にディープな信仰の形を感じさせます。
巨大法然は冗談みたいな絵面ですが、現場では遠忌客っぽい人もかなり喜んで見物してました。


20時過ぎ、列を立て直して巡幸再開です。神宮道を北上する大燈呂たち。
実に景気の良さそうなえびっさんがカッツカツで進行してますが、一応こちらも粟田神社の祭神。
摂社として出世恵美須が境内にあり、これまた実に景気の良さそうな恵美須神像が鎮座されてます。


神宮道と三条通の交差点を横断する、ヤマタノオロチと牛頭天王。
大燈呂、そばに寄るとエンジン音と重油の臭いがするんですが、そっちはどうやら照明発電用らしく、
動力自体はあくまで人力。学生さんたちが力任せに押してます。大変です。


続いて三条通を横断する、牛若丸、地蔵、合槌稲荷。
牛若丸と粟田神社、関係あるのかと思ったら、東行する義経はここで源氏再興を祈願したそうな。
合槌稲荷はもちろん、謡曲で御馴染の三条小鍛冶宗近ゆかりのお稲荷さん。
地蔵は、えと地蔵は、一体何なんでしょうか。


大燈呂のインパクトが凄過ぎるのでそっちばっかり追っかけてしまいますが、
鉾と松明も興味深いルートで巡幸を続けてます。写真は蹴上インクラインの下を進む、松明。
松明などの先行行列隊は、三条通で大燈呂とバラけ、蹴上を超えて日向大神宮へ参宮。
車も見物人も少ない中、松明が静かに歩む姿は、穏やかな奇観であります。


一方、大燈呂は「見てくれ!見てくれ!」とばかりに、都ホテルのど真ん前へ登場。
神宮道から阿含宗京都本部の角を曲がり、京津線の旧線ルート(多分)の狭過ぎる道を巡幸、
蹴上手前から三条通へ進入して、御覧の通りの愛嬌振りまき大会です。
そういえば、法然が都ホテルの中へ入っていきましたが、何か用でもあったんでしょうか。


一旦全隊が合流して三条通を西進した行列は、東大路三条でまた分岐。
ここからは過激に狭い道ばかり回るので、小型である牛若丸と地蔵以外の大燈呂は、一時休憩です。
法然と合槌稲荷を横目に、味のある街並を進む松明。時刻は、21時過ぎ。


古川町商店街を中心として、その周辺の街中を無茶苦茶くねくねと蛇行する、行列。
このあたりは、粟田神社の御神酒の札を特によく見かけるエリア。
派手さはありませんが、地元の人はいっぱい集まってきて、実にあたたかく出迎えられてます。


大燈呂に協賛してる一澤帆布の横を通ったりしながら、行列は商店街の中で一旦停止。
京都の神輿ならではの鳴りカン鳴らしが行なわれます。
松明の煙がもうもうと立ち込める中、地蔵に見守られながら、ホイットホイット。やはり、奇観です。


その頃、休憩していた大燈呂。場所は、奉賛もしているファミマ東大路三条店。
何かカタパルトって感じで、妙に格好いい絵面であります。


で、また行列は合流して、巡幸再開。ラストスパートです。
「清流+柳+一本橋」のいかにもな京都ビジュアルである白川沿いへ乱入する、謎のプリズ魔。
どうでもいいことですが、道幅、怖いくらいにカッツカツですね。


牛頭天王や法然など、巨大発光体の皆様も続々、22時の白川へ乱入。
大燈呂、白川に架かる狭い橋だって、渡ってしまいます。もちろん、行者橋は無理ですが。


三条通手前でまた分岐と合流を繰り返す、先行隊と大燈呂。
芸大のみなさんも、このあたりになるといい加減、バテてます。よろめく人も見かけたりして。
最終的には剣鉾など本隊が神社本殿へ、大燈呂は集結場所の白川小前で巡幸終了となります。


で、とことん細かい路地を回った末に帰ってきた、本隊。
ごくろうさまです。でも祭りは明日もあるんですよね。というか、明日の神幸祭こそが本番ですが。
剣鉾を高々と差し上げる勇壮な「剣差し」、そして1.2トンの神輿を担ぐ神輿巡行。
明日も、大変です。私は来られませんが、頑張って下さい。

客層は、基本、地元民の中高年・親子連れしかいません。
れいけん祭が行なわれる爪生石前だけは、観光客などでにぎわいますが、
どちらかといえば遠忌の団体風の人が多く、いわゆる観光ハイなテイストは希薄です。
他の場所では、カップル・ベタな観光客などの姿を見かけることは極めて少なめ。
もちろん京都有数の観光エリアを回ってるわけですから、それらしき人もいることはいますが、
いずれも「何?」という感じで振り返り、チラっと見て、通り過ぎる感じ。
ず~っと追いかけてる奴は、民俗研究でもやってそうな学生以外、ほとんどいません。
大燈呂の奇観、鉾・松明のネイティブな民俗テイスト、そして巡幸先の観光的 or 渋いビジュアル。
いろんな風味を、ゆったりかつディープに味わえる、単独にはいい祭りではないでしょうか。

そんな、粟田神社の粟田祭・夜渡り神事。
好きな人と見たら、より夜渡りなんでしょう。
でも、ひとりで見ても、夜渡りです。

粟田神社の粟田祭・神幸祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。 (2012)

【客層】 (客層表記について)
カップル:0
女性グループ:0
男性グループ:0
混成グループ:0
修学旅行生:0
中高年夫婦:0
中高年女性グループ:0
中高年団体 or グループ:10
単身女性:若干
単身男性:若干
【ひとりに向いてる度】
★★★★★
プレッシャーの類は特になし。
客は地元民ばかりだが、アウェー感もさほど感じないだろう。
「奇祭」の雰囲気を、街の風情とともにいっぱい楽しめる。
特に深夜の古川町と白川あたりは、よろし。

【条件】
日曜 17:00~22:30

 

粟田神社
京都市東山区粟田口鍛冶町1
拝観自由

市営地下鉄 東山駅 or 蹴上駅下車 徒歩約7分
京都市バス 神宮道バス停下車 徒歩約5分
京阪電車 三条駅下車 徒歩約15分

粟田祭
体育の日前日 出御祭・夜渡り神事
体育の日 神幸祭・還幸祭
10月15日 例大祭

粟田神社 – 公式サイト

粟田神社 – Wikipedia