粟田神社の粟田祭・神幸祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2012年10月8日(月)


粟田神社の粟田祭・神幸祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

粟田祭は、面白い。
「面白い」 は 「funny」 と 「interesting」 、両方の意味で使われますが、
粟田祭は、その両方が習合したような、興味深さと爆笑誘引力を兼ね備えてる気がします。
何せトップ画像のような巨大物体・粟田大燈呂が闊歩するわけです。それはもう、笑えるわけです。
と同時に、こんな物体にも神仏習合が色濃く残るあたりが、興味深かったりもするわけです。
そもそもは祇園感神院 aka 八坂神社の新宮として、粟田口に創建された社、粟田神社。
言うまでもなく由緒正しき神社であり、その大祭・粟田祭もまた長い歴史を持つ、由緒正しき祭。
それもただ単に千年以上やってるというだけでなく、名物の剣鉾は祇園祭の山鉾の原型とも言われ、
戦乱などで祇園祭が催行不能に陥った際は代理も務めたほど、大御所な祭なのであります。
しかしそれでも、粟田祭は、面白い。現在進行形でかつ、怪しいまでに、面白い。
その怪しさを集中的に担うのはもちろん、京都造形芸大により近年復活した粟田大燈呂ですが、
こちらも本来は青森ねぶたのルーツである可能性も考えられるほど、歴史を持つ風流灯籠。
何も怪しくなく、何もおかしくないのです。しかし路上へ出た途端、爆笑が止まらない。
さらには、京都のネイティブな町並とのギャップ感 or サイズバランスが、どうにも面白過ぎる。
京都には他にも、怪しい案件が登場する祭や、奇景を呈する祭が存在しますが、
全体のスケールとバランス、そして何より 「これからどうなる」 「どこまで行く」 という点に於いて、
爆笑と教養、神と仏、そして歴史の継続と未来への挑戦が習合する粟田祭は、
現在の京都で最も目の離せない祭と言えるのではないでしょうか。いや、知らんけど。
そんな粟田祭、前年2011年は爆発的に怪しい夜渡り神事を中心に見物させてもらいましたが、
2012年度は、神幸祭で白昼の大燈呂+剣鉾+神輿をメインに追っかけてみました。
面白さがどこまで伝わるのか、あるいはこのトップ画像だけでもう充分なのか。
いろいろ不安ですが、とにかくお楽しみください。


平安神宮の近くを通って、12時頃に到着した粟田神社、二の鳥居前。
知ってる人は知ってるでしょうが、粟田神社は山というか、丘みたいなのの鎮座してます。
神輿は、鳥居奥の急な坂を下ることになるため、参道はそれ狙いのカメが既に大量スタンバイ中。
門前では、舁き手さん達も色々スタンバイ中。ついでに近くのグラウンドで、馬もスタンバイ中。


石段を登ると、境内は舁き手さん+その身内+行列奉仕の子供たちで、いっぱい。
奥の本殿前、神輿と十二燈の間で粟田祭名物の剣鉾が早くも立ち、鉾差しが行われてます。
全18基の剣鉾のうち、今年登場するのは三鈷鉾・葵鉾・松鉾・獅子牡丹鉾・垣夕顔鉾・桐鉾の6基。
私はどれがどれか、わかりませんけど。社務所でもらった 「大祭だより」 によると、そうです。


12:20頃、剣鉾台車や真榊台車など先之行列が、先行して順次出発。
剣鉾も境内を出ると、神輿は本殿と拝殿の間で差し上げ。次いで、出発のため、山下りへ。
急な石段を舁かれ下る、大きめの神輿。後には、転落防止のロープ付。まるで、ケーブルカーです。
ロープは一般の人も握ることが、可能。というか、むしろ積極的に握るよう、呼びかけてました。


神輿は三条通へ出て、神宮道→広道→都ホテル前という巡幸ルートを進行。
「大祭だより」 には、巡幸のルート図もついてました。もし追いかけるなら、もらっときましょう。
三条通へ出て東へ行くと、既にそのルートを通過したらしい先之行列が、もう一の鳥居前まで到達。
写真は、当家飾前を通過する、天狗。巡幸しない鉾などを飾る当家飾、あちこちで見かけます。


振舞のおばちゃんに呼び止められ、焼餅など頂いてるうちに、剣鉾も登場。
担いでの巡幸がメインと思ってましたが、結構な頻度でチリンチリンと鈴を鳴らし、差してます。
剣鉾はいずれも、かなりの高さ。風の影響を低減するため、飾りは空洞部分を多くしてるんだとか。
当然ながら電線にもぶつかりますが、避けるというより、先端をしならせて通過してました。


そして現れました、今や秋の粟田のストレンジな風物詩、粟田大燈呂。
スサノオを先頭にして、4m級の巨人な奴らが、狭くて人だらけの神宮道へ進撃してきます。
「もうちょっと右、そっちは左!」 などと、神輿顔負けの修羅の絶叫をあちこちで飛び交いさせながら、
芸大生たちが大燈呂を必死で制御してますが、余裕でバキバキと周囲の木の枝、折りまくり。


剣鉾は、神宮道へ入っても電線や木の枝をすり抜け、立て続けに鉾差し。
知恩院黒門前・瓜生石へ来ると、先乃行列が見守る中、石の周囲を回るように差しを決めます。
瓜生石は御存知、パワスポ石です。瓜が生える石です。本当かどうかは知りませんが、本当です。
二条城に続くトンネルの入り口という噂もあり、これも本当かどうかは知りませんが、本当です。


瓜生石には、大燈呂も進撃。巨大法然も、御廟である知恩院へ里帰り。
法然、去年より顔つきが精悍かも。後のえべっさんは、巨大鯛の上に騎乗する異貌ぶりです。
大燈呂は、全8基。新作の聖天・クシナダヒメ・山越阿弥陀含め、今年は全て3~5m級と、大きめ。
某奇行種みたいだった牛頭天王が拝めないのは惜しいですが、仏教色はより濃くなってます。


で、14:10、神宮道に神輿がやって来ました。神仏習合タイムの始まりです。
格式高き門跡寺院である青蓮院の四脚門の前へ進み、そのままの勢いで石段を登る、神輿。
中では、僧侶が神仏混合の祭礼を斉行します。普通の意味で、粟田祭最大の見所といえるでしょう。
石段がヤバい角度になってるためか、舁き手さん達、物凄い怒号を飛び交わせること、しきり。


神輿が中へ入ると、外からは何も見えません。読経の声が聞こえるのみ。
舁き手さん達は、石段で休憩。その間、見物人にはこの祭礼についての説明が行われます。
いわく、青蓮院は門跡寺院であり、四脚門は皇族とこの神輿にのみ開けられる門である件、など。
そんな四脚門前を、過剰な存在感を放ちながらスルーしていく、4m級の新作・クシナダヒメ。


祭礼はそれなりに時間がかかり、説明もかなり熱が入ってきます。
いわく、昔は神と仏はひとつだったのであり、その形を残すこの祭は一粒で二度美味しい件や、
二度美味しいので来年も是非来て欲しい件、ついでにお守り類も買っていって欲しい件、などなど。
そんな門前を、また過剰な存在感を放ちながらスルーしていく、4m級の新作・山越阿弥陀。


過剰な存在感を放つ大燈呂たちに、舁き手さん達はそれなりに受けてます。
「何じゃこれは」 と。確かに改めて見ると、やはり 「何じゃこれは」 としか言いようがありません。
神仏、そして聖俗が習合した、奇景。普通じゃない意味で、粟田祭最大の見せ場といえるでしょう。
そんな門前を、またまた過剰な存在感を放ちながらスルーしていく、5m級のヤマタノオロチ


14:30、門の奥で拍手が響き、祭礼を終えた神輿が出てきました。
参道を一気に降り、さっきの爪生石をぐるっと回ってから神宮道を北上、町の巡幸に戻ります。
どうでもいい事ですが、神輿の触れ太鼓、異常に上手し。普通のおっちゃん二人組ですが、上手し。
シャッフルビートをノンストップ&ハイテンションで、連打。ドラマーなんでしょうか、とにかく上手し。


神宮道を北上した先之行列は、三条通を出て、柳が枝垂れまくる白川へ進入。
もちろん大燈呂も続いて進撃し、観光テイスト爆発の風景の中で別の何かを爆発させてます。
写真は、マーロン・ブランドがかつて世界で一番美しいと語ったという古門付近で溜まる、大燈呂。
今年は皆巨大なため、神幸列と神輿が狭い古川町商店街を巡幸する間、ここで全基が待機。


もちろん剣鉾は、白川でも至るところで鉾差しを敢行します。
ここでの鉾差しは昔から有名だったようで、 『花洛細見図』 にもその様が描かれているとか。
かつては、差したまま行者橋も渡り、たまに落ちたりしたそうです。現在やったら、えらいことですが。
それにしても剣鉾、よく差します。見た感じ、行程の半分以上、差してるんじゃないでしょうか。


神宮道から三条通をまわってきた神輿は、白川へは舁かれて進入。
雅なる白川沿いで 「声出せえ!」 or 「川はめるで!!」 などのネイティブな発破、かけまくり。
御神酒の札が貼りまくってる街中も細かく回り、古川町商店街へ入れば、もちろん振り&差し上げ。
小回りの効かない大燈呂と別れた先乃行列もまた、実に小まめに渋い街を回って行きます。


狭い古川町から東大路へ出た神輿は、一澤信三郎帆布の前でも、差し上げ。
一澤信三郎帆布は、粟田祭の理事。大燈呂の基部の広告欄にも、大きく名前が出てました。
当然といえば当然ながら、店の前には振る舞い茶も用意。差し上げの方も、心なしか念入りです。
でも、お家騒動で分裂してた時は、どうしてたんでしょうか。両方でやってたんでしょうか。


先之行列は大将軍神社あたりも巡幸した後、古門を出た大燈呂と合流。
共に、古川町の超狭い通へ入ります。大燈呂、カッツカツ。これも粟田祭ならではの異景です。
剣鉾も当然、進入。鉾差しも当然、敢行。民宿古梅川手前にある駐車場で、集中的に差してました。
この辺、「年々賑やかになるなあ」 と出迎える人、多し。実に、ネイティブ。そして、やはり異景。


とか言ってるうちに、時間は16:45。神幸祭も終盤になりました。
三条神宮道の交差点で、深夜うどん店 「お福」 をバックに鉾差しを決める、剣鉾の皆さん。
左から、垣夕顔鉾・獅子牡丹鉾・松鉾・葵鉾・三鈷鉾になると思うんですが、私には自信がない・・・。
あと、粟田の鉾は 「曲差し」 なる特技があるそうですが、それが何なのかもわからない・・・。


そういえば、古川町の超狭い道は、神輿も巡行してました。
やはりカッツカツであの道を神宮道まで抜けた神輿は、平安神宮の大鳥居を背に、南下。
で、三条神宮道で差し上げ。もう、平安神宮の祭にしか見えません。間違える観光客、当然多出。
差し上げを終えると、神輿は粟田神社二の鳥居まで戻り、一旦休憩の後、いよいよ登坂です。


17:10過ぎ、舁かれた神輿は参道の登坂を開始。
転落防止ロープが、今度は前に付いてます。ロープの先、右奥に神輿が見えるでしょうか。
出発時と同様、ロープは一般人も握ることが可能。というか、積極的に握るよう呼びかけられます。
なので今度は、混じってみました。手を添えるだけかと思ったら、握ると結構、ずっしり重い。


山上の境内へ着いたら、神輿は本殿前で振り&差し上げ。
ふと、どこの神輿もリーダーの声は同じだなと思いました。実際に同じなのかも知れないけど。
差しが終われば、後は遷霊だけなので、ぼちぼち帰ります。面白さ、ちゃんと伝わったでしょうか。
あ、先之行列は、既に帰還済み。大燈呂は夕暮の三条通で、またもや異彩を放ってました。

客は基本、8割が地元民で、2割がカメラマンという感じ。
観光客のウェイトは、どの属性でも、どのポイントでも、極めて薄いです。
神宮道の青蓮院から瓜生石あたりは、それなりに普通の観光客がいることはいますが、
ふと足を止めて混雑で動けなくなった人か、渋好みっぽい人ばかり。
いわゆるベタでアホな観光客は、チラっと見て、そのまま通り過ぎるパターンが多し。
なんちゃって和装の奴は、たいてい 「何これ」 とか言って、スルー。クール、そしてフール。
で、まともに混むのは、このエリアだけ。他では、出る側の人による混雑の方が凄かったりします。
単独は、男は大半がカメ。女は、普通の一人旅行客風。
いろんな要素が習合した京都でしかありえない奇景を、いい空間と雰囲気で味わえる、
非常に面白い祭ではないでしょうか。

そんな粟田神社の粟田祭・神幸祭。
好きな人と行けば、より習合なんでしょう。
でも、ひとりで行っても、習合です。

粟田神社の粟田祭・夜渡り神事へ行きました。もちろん、ひとりで。(2011)

【客層】 (客層表記について)
カップル:若干
女性グループ:若干
男性グループ:0
混成グループ:0
子供:1
中高年夫婦:若干
中高年女性グループ:2
中高年団体 or グループ:5
単身女性:若干
単身男性:2

【ひとりに向いてる度】
★★★★★
ド派手かつインパクト激烈、
面白過ぎるビジュアルにも関わらず、
さほど人が殺到しない、不思議で面白い祭り。
色気のプレッシャーは、ほぼないだろう。
地元の熱気に、若干のアウェー感は感じるかもしれないが。
青蓮院近辺ももちろん、古川町近辺も、実に見所。

【条件】
祝日月曜 12:00~17:30


粟田神社
京都市東山区粟田口鍛冶町1
拝観自由

市営地下鉄 東山駅 or 蹴上駅下車 徒歩約7分
京都市バス 神宮道バス停下車 徒歩約5分
京阪電車 三条駅下車 徒歩約15分

粟田祭
体育の日前日 出御祭・夜渡り神事
体育の日 神幸祭・還幸祭
10月15日 例大祭

粟田神社 – 公式サイト

粟田神社 – Wikipedia