新旧・東海道を歩いて大乗寺へ酔芙蓉を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2017年9月29日(金)


新旧・東海道を歩いて大乗寺へ酔芙蓉を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

9月。それは、夏の終わりと秋の始まりが出会い、そして交錯する、季節の境目。
熱気を忘れるには未だ気怠く、狂騒へ酔うには余りにも切ない、いわば暑と涼の逢魔が時。
実に、境界的であります。寒季と暖季の狭間で桜が咲き狂う4月と同様、実に、境界的であります。
となれば、境界のアカデミックな探求を裏テーマとする当サイト 『ひとりでうろつく京都』 としては、
4月に桜を追いかけ右往左往するのと同様、9月にもまた、花を求めて右往左往すべきなんでしょう。
しかし、当サイトではこれまで、9月に花を追いかけるようなネタ展開は、全く行ってませんでした。
うち的には9月といえば、石清水祭なんですよね。地元・石清水八幡宮の、石清水祭なんですよね。
流民の子である私は別に何も関わってないんですけど、でも、積極的に推したくはあるですよね。
ただ、奇怪なコンセプトの孤独なチンピラサイトとはいえ、一応は京都サイトであると名乗ってる以上、
京都かどうかもよくわからんエリアの祭ばかり推しまくるのも、それはそれでどうかという話です。
境界の探求の面でも、9月に於ける境界的な花ネタ、もう少しやった方が良いのではないか。
そう考えた私は、今回、9月に咲く不思議な花・酔芙蓉を観に、大乗寺へ行くことにしたのでした。
大乗寺。法華宗・大乗寺。蹴上から東山を超えた山科区の日ノ岡の辺、旧東海道沿いにある寺です。
元は西ノ京あたりの本能寺末寺&尼寺だったそうですが、建物が傷んだ為、近年になって移転。
最近は、寄贈されたという酔芙蓉の生育が良く、 「酔芙蓉の寺」 としても知られるようになってます。
この酔芙蓉は、酒酔の如く朝から夕にかけて紅潮していく花。正に、境界を体現してる花でしょう。
そんな花を観に出掛け、どうせならと新旧・東海道の街道歩き+魔境・九条山の徒歩越境も敢行し、
夏と秋、素面と泥酔、新と旧、洛中と洛外、そして生と死の境界を、しかと見据えてみたのでした。
そう、これはあくまでも、新たな挑戦なのです。境界の探求を更に深化させる為の、挑戦なのです。
決して、9月のネタ採取を忘れ、月末になって慌てて適当に出掛けたわけでは、ありません。
断じて、花だけだとネタが足りんと思って街道歩きを足したわけでも、ありません。


三条通が東伸し、南下して再び東へ向く形の、東海道。ネタを足すべく、蹴上の辺から出発です。
東海道最初&最後の坂であり、旅人の為の茶店も並んだ、蹴上。しかし今は、浄水場があるばかり。
『再撰花洛名勝図会』 にも描かれた昔日の賑わいを、死人花 aka 白花曼珠沙華が道で偲んでます。
無論この辺は、刑場でも有名。茶屋で名物だったという清水が、血洗いにも便利だったそうですよ。


進むごとに、歩道は野生化。で、そのピークが、京都最東の境界にして魔の山たる、九条山。
此処で、罪人達は解体されまくったわけです。そして、ウェルカム晒首が旅人を出迎えたわけです。
現代も尚、京津電車解体刑が執行され、道横の崖上ではアクアパーク東山の野晒し刑が執行中。
あ、道の両側が崖なのは、道を掘り下げて坂を緩和したから。この辺は昔、激坂として有名でした。


九条山を抜けて日ノ岡・姥が懐へ入ると、激坂ゆえに装備されてた車石などのオブジェあり。
オブジェ、かなり死体化しております。電車の死体まで呼ぶ九条山の魔力が、作動したんでしょうか。
姥が懐は、残存する旧街道と新道の、分岐点。蹴上と同様に謎地名ですが、同様に昔は茶店も点在。
「日の岡に見送りてまづ盃を捧げ上げましよ」 と。朝鮮通信使の記録によると、女もいたそうですよ。


「姥が懐の茶店、熟専だったのか」 と阿呆なことを考えながら入った旧東海道は、基本、生活道。
ただ、新道より相当高い所を進むのは、面白い。石標の左の辺から、新道がチラ見出来たりします。
蹴上からこの辺まで、相当掘ったんですね。ゆえに九条山では、解体後の骨が相当出たらしいけど。
それら境界の霊も、境界的な花を拝むことで、供養させてもらいましょう。大乗寺、見えて来ました。


生活道を進み、光照寺をスルーした先にある、 「酔芙蓉の寺」 こと大乗寺。到着でございます。
元々、約300年前に七本松・内野にて建立された寺なんだとか。現在の中央図書館の辺でしょうか。
移転後は、草に覆われてた一帯を住職がツルハシ一本で復興。参道も自作したという話です。凄い。
確かに奥の参道・石段は、手作り感が溢れまくり。で、その上でウェルカム酔芙蓉、咲いてますね。


まるで酔っ払いの如く、朝は白、昼はピンク、そして夕方には赤と変化する花、酔芙蓉。
ウェルカム酔芙蓉は、素面の人と出来上がった人が入り混じった形で、出迎えてくれました。


で、手作り感が溢れてる石段を登ると出迎えてくれた、何かが溢れてる注意札。


で、登った先で出迎えてくれた、やはり手作り感が溢れてる山門と、酔芙蓉の庭の入口。


で、庭へ入って、やはり素面の人と出来上がった人が入り混じってる様を、拝む。


泥酔に向かってほんのり出来上がりつつある人を、拝む。


ほぼ出来上がってるけど、まだ酒を吸い続けてるような人を、拝む。


出来上がり過ぎて、地蔵化してしまった人を、拝む。


素面だけど、場の雰囲気に酔って何故か酔っ払った気になり騒いでる人を、拝む。


飲むものの、頭は酔わず腰だけ抜けた人を、拝む。


素面の振りしてるけど、実は耳がこっそりほんのりしてる人を、拝む。


ちょっとの酒で地蔵化してしまった未成年飲酒者を、拝む。


で、改めてがっつりと地蔵化した人を、拝む。こんな感じの酔芙蓉でありました。


で、帰ります。で、帰る際に視界に拡がった、山科の街と、それを眺める為の床机。


で、帰り際には、手作り感が溢れてる山門を潜って、手作り感が溢れてる本堂も、参拝。
300円志納し、九条山で解体された人や、解体されない遊園地の霊の分も、拝んどきました。


で、山門前に置いてあった鉢なんかも、帰る前に参拝。泥酔と素面の境界がテーマでしょうか。
そういえば、大乗寺が以前建ってたという七本松・内野もやはり、割と近所に刑場にあったんですよ。
御土居西端部の、西土手御仕置場。現在のオリエンタル京都朱雀邸あたり。いわば、西の境界です。
境界との縁深い、大乗寺。境界的な酔芙蓉が名物になるのも、こうした縁ゆえかも知れませんね。


と、適当なことを考えながら退寺して最寄駅へ向かいますが、その前にもう少しうつろきましょう。
街道を整備した木食聖人の亀水の先、凡庸な宅地が拡がり始める辺では、エグめの謎地名が出現。
近代に出来た九条山別荘地へ住む外人の内、輪投芸人が此処へ移住して付いた地名です。嘘です。
明治期の地図では 「放土原」 な、ホッパラ。昭和の宅地開発は、此処まで手を伸ばしたわけですよ。


旧東海道を更に東進すれば、坂が緩くなり、がっつり山科入り。味気ない宅地も、本格化します。
昭和の高度成長期、高速と新幹線が通って地価が高騰し、農地が売られ荒い開発が進んだ、山科。
とはいえ、元々はやはり東海道で栄えた街であり、現代でも交通とは縁が深い、という感じでしょうか。
また、荒い開発とはいえ、こうまで濃厚に昭和というのも、これはこれで最早貴重になってきました。


山科の貴重な近現代遺産といえば、何といっても猫、でなくて、猫が寝てる京津廃線跡でしょう。
乱開発は当然の如く車の大渋滞も発生させ、ちょこちょこ道路を走ってた京阪京津線は、邪魔者化。
同ルートを走る地下鉄東西線の開通によって、御覧の地上御陵駅あたりから西側が廃止されてます。
九条山の跡は道路化してましたが、この辺は歩道化。あ、御陵駅、 「ごりょう」 えきじゃないですよ。


御陵駅は、 「みささぎ」 駅。なので、由来となった天智天皇の御陵も、「やましなのみささぎ」 。
旧道と新道の合流点近くにあるこの 「みささぎ」 門を拝み、境界を巡る小さな旅、そろそろ終了です。
大乗寺の最寄駅は、 「みささぎ」 門から少し京都側にある現・御陵駅。此処から、地下鉄に乗ります。
京都側へ少し戻る際、三条を名乗る碑に 「君、緯度的には五条やろ」 と挨拶してから、帰りました。

大乗寺、この日の客は、3組ほど。
石段の途中で帰った老夫婦、何かの取材の女性、そしてカメ親父。
のんびりとしたものですが、寺の外はもちろんもっと、のんびりしてます。
街道ファンの方は、秋口の散歩に因ってみてはいかがでしょうか。

そんな大乗寺の、酔芙蓉。
好きな人と愛でれば、より境界なんでしょう。
でも、ひとりで愛でても、境界です。


 

【ひとりに向いてる度】
★★★
人圧などの観光問題は、現状、欠片もない。
ただ、よほど熱心な花好きでない限り、
積極的に行って面白いと思えるかも、割と微妙。
 

法華宗大乗寺
京都市山科区北花山大峰町38
拝観無料

市営地下鉄 御陵駅下車 徒歩約15分
京阪バス 日ノ岡下車 徒歩10分

京都山科酔芙蓉の寺 法華宗大乗寺 – 公式