長岡京ガラシャ祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
細川ガラシャ。京都府下に於いては、色々と町おこしのネタになってる人物です。
明智光秀の娘として生まれ、細川忠興へ嫁ぎ、キリシタンとなって最後は爆死した、ガラシャ。
京都府には、ガラシャが嫁入りした頃の細川家が領地としていた乙訓・長岡&丹後・宮津があり、
長岡は勝竜寺城での輿入れ、丹後は本能寺後の幽閉も行われてる為、ネタ化もまあ当然でしょう。
ただ、ガラシャが受洗を経ていわゆるガラシャとなったのは、御存知の通り、あくまで大坂での話。
幽閉経験が受洗に繋がった可能性はありますが、所詮はプレ話。爆死のインパクトには適いません。
というか、より率直に言えば、そんなに盛り上がるもんか、と。君ら、そんなにガラシャ好きか、と。
不埒とも言えるこの疑念、輿入れというハッピーな逸話だけが残る長岡では、より強くなります。
長岡時代は、忠興から 「靡くなよ我が姫垣の女郎花 男山より風は吹くとも」 と歌われた、ガラシャ。
性欲山・秀吉の淫風が心配になる、花のような新妻のガラシャ。ハッピーであります。が、好きか、と。
と、思うのです。で、この疑念に色んな意味で応えてくれるのが、長岡京ガラシャ祭なのです。
江戸初期の勝竜寺城廃城後、長らく単なる農村だった長岡は、現代・高度成長期に入り発展を開始。
京都&大阪の良きベッドタウンとなったことで人口が爆増し、1972年には長岡京市として市制導入。
良水が要る大手電子企業も続々進出したことで、拡大は続き、その勢いはバブル期まで継続。
その勢いの余波を受ける形で90年代、勝竜寺城の復活と、長岡京ガラシャ祭は開始されました。
この長岡京ガラシャ祭は、勝竜寺城でのガラシャの輿入れを再現し、華麗な時代行列を展開する祭。
といっても、歴史蘊蓄などは希薄で、基本はコスプレ&露店。で、これが盛り上がってるんですよ。
「ガラシャ+結婚」 というネタが、旧市民も新市民も利害なく等距離で関われる点がマッチしたのか、
まとまる材料皆無の急造ベッドタウンにあって、観光客よりもむしろ地元住民の盛り上がりを獲得。
長岡京市という街を凝縮すると共に、歴史系町おこしのひとつの在り方も示す祭となってます。
そんなガラシャ祭、男山山麓に住む八幡人として、風な気分で出かけてみました。
男山から風になって長岡京へ着いた、と言いたいですが、実際は阪急で到着。それも、遠回りで。
長岡京市があるのは、八幡市から淀川を挟んで少し北の辺。でも、直通の鉄道がないので、遠回り。
直線距離は近いですが。忠興は、勝竜寺城から肉眼で男山を見てたでしょう。で、性欲山にかけたと。
遠回りで着いた13時過ぎの長岡天神駅は、祭の気配ゼロ。ですが、駅の外へ出ると、太鼓の音あり。
長岡京ガラシャ祭、メイン会場は無論、勝竜寺城。で、勝竜寺城の最寄駅は、JRの長岡京駅。
ただ、別の所からパレードを正午過ぎより始め、市街を回って城へ入り、婚礼の儀をやるという流れ。
で、そのパレードが13時頃に阪急駅を通る為、そこから見ようと考えたわけです。が、遅れたようです。
眼前を通るのは、行列のほぼ最後尾である、長岡京音頭集団。見ながら、前方を追おうと思います。
パレードは、基本はもちろん、ガラシャ時代の時代行列。加えて、他にも色んなのが入ってます。
ガラシャの父に放火された小倉神社ゆかりの古市神輿会が、神輿を出してるので、眺める。
よさこい的な演舞をしながらアゼリア通りに進入する、長岡京なるこ踊りの大軍団も、眺める。
前方へ追いついて、現代の城主・村田タワーへ間違えて輿入れしかけてる行列を、眺める。
続々と進んで、村田タワーの前でくるっとUターンする、細川麝香などの時代行列。
引き返した後、フレンドマート長岡京市店に対する勝利を宣言する、何かしらの甲冑隊。
そして、沿道に微笑を投げかける、ガラシャ。ではなく、ここは史実に忠実に、お玉。
そんなお玉と共に、ガラシャ通りという名の単なる道などを進む、明智煕子などの行列。
で、行列はさらに進み、とんでもない大盛況になってる勝竜寺城へ着いたの図。
本当は単に道が狭いだけなんだけど、とにかく大盛況の中を進む清原マリアの図。
で、狭さが余りに辛かったので、混雑ポイントから離れて城の威容を拝むこと、しばし。
で、行列の終盤は混雑が緩和されたので、また戻って橘高ブラバンを迎えること、しばし。
で、行列の完着後は、狭くて石段の虎口でなくて、楽な通用口から入城すること、しばし。
そして、コスプレ撮影会みたいな雰囲気の城内で、婚礼の儀の開始を待つこと、しばし。
やがて、婚礼の儀が始まり、追尾では見切れなかった色んなコスプレを見るの図。
婚礼の儀が行われ、市長挨拶なども行われ、ガラシャ祭は恙なく終わったの図。
一方、そんな儀式と無関係にまだまだ盛り上がってる、城の横の露店+イベント会場。
ゆるキャラも大量動員されたイベントの中、細川家繋がりで顔を見せてた、某モン。
露店は、ガラシャグルメも、目白押し。私も、何がガラシャか不明のガラシャラーメンを、食す。
丹後に幽閉されたガラシャを偲んで、丹後からやって来た丹後の地醤油焼きそばも、食す。
自害を避け小笠原秀清に槍刺しにさせたガラシャを偲んで、槍刺しのアメリカンドッグも、食す。
そして、あくまでガラシャの死後に栄えた肥後細川家を偲んで、熊本名物のだご汁も、食す。
で、満腹になった頃、舞台では米が景品のじゃんけん大会が終了。祭、お開きみたいであります。
「お母さん、お米取ったあ」 という声を聞きながら、会場&暮れ始めた長岡の空を、眺める。
で、ぼちぼち帰ろうと思い、その前に改めて、城も眺める。模擬櫓だけながら、妙に立派ですね。
細川幽斎が整備した、勝竜寺城。舞鶴・田辺城がネタにしてた古今伝授を、幽斎が受けたのも、ここ。
あと、光秀が最後の夜を過ごしたのも、ここ。上司を助けてやれよ、幽斎。義父を助けてやれよ、忠興。
再建されたのは、先述通り、90年代。宅地化寸前の単なる空き地を、バブルの残り香で救ったとか。
諸行無常を感じたら、帰ります。が、歩いてると、神足神社あり。で、神社には、土塁跡もあり。
土塁跡は、勝竜寺城の前身である神足城のものでもあるとか。幽斎は、上書き再整備したんですね。
とか思いながら、ガラシャ通りという名の単なる道を歩き、村田タワーの付属物みたいな長岡京駅へ。
で、神足駅を諸行無常に上書きした駅から電車に乗り、また遠回りで八幡・男山へ帰りましたとさ。
長岡京ガラシャ祭、客層は地元の家族連れがメイン。
小さな子供をつれた家族連れが非常に多いですが、ただ年齢や種別的には烏合。
全体の雰囲気としては、移住系が多い関西住宅街のややアッパー寄りな感じというか。
ネイティブこってこて系は割と少なく、新興住宅地的な消費者丸出しの層も割と少なめです。
年齢層的にも、極めて烏合。子供から年寄りまで、万遍なく、幅広くいます。
20代から30代は少ないですが、出る側には多いので、若さに欠ける印象もありません。
単独は、近所の人以外は、極めて少なめ。観光系も、さほど見かけませんでした。
そんな、長岡京ガラシャ祭。
好きな人と行けば、よりガラシャなんでしょう。
でも、ひとりで行っても、ガラシャです。
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【客層】 (客層表記について) カップル:若干 女性グループ:若干 男性グループ:若干 混成グループ:若干 子供:1 中高年夫婦:2 中高年女性グループ:1 中高年団体 or グループ:5 単身女性:超微 単身男性:若干 |
【ひとりに向いてる度】 【条件】 |
長岡京ガラシャ祭
毎年11月第2日曜 開催
勝龍寺城公園
長岡京市勝龍寺13-1
JR東海道線 長岡京駅下車 徒歩約10分
阪急電車 長岡天神駅下車 徒歩約20分
長岡京ガラシャ祭 – 実行委員会公式
勝龍寺城公園 – 長岡京市観光協会