京丹波町・桧山の山下秀製菓へ丹波銘菓いが栗を買いに行きました。もちろん、ひとりで。

2020年10月20日(火)


京丹波町・桧山の山下秀製菓へ丹波銘菓いが栗を買いに行きました。もちろん、ひとりで。

山下秀製菓丹波銘菓いが栗、好きなんです。皆さんは御存知でしょうか、いが栗。
栗で知られる京丹波町にある、栗入りどら焼きで有名な菓子店の名物です。正しく、丹波銘菓。
となれば、栗が丸ごと入った野趣溢れる和菓子を連想されそうですが、そうではありません。
公式サイトのアドレスにさえなってる栗どらが、それこそ栗入りまくりの野趣全開仕様なのに対して、
いが栗は栗も入ってるけどココナッツも入ってて、また外観は完全にミニコロッケというお菓子。
素朴な秋の趣きだけを丹波に期待する方には、ちょっとニーズ違いのものに見えるかも知れません。
が、私は好きなんですよ、いが栗。好きなだけでなく、奥深い丹波らしさも感じるんですよ、いが栗。
そもそも丹波は、京都の辺境 or 食料庫としてのみ存在し続けて来たわけではありません。
日本の形さえ不確かだった古代には、文明の先端エリアたる日本海沿岸と一体で 「丹波」 を形成し、
ゆえに平安京を遙かに凌ぐ古さの渡来系伝承に事欠かない、開明的とも言える地であります。
また丹波の 「丹」 の字自体が、渡来した鉄鋼技術の色 = 赤を意味するという見方もあり、
「赤ワインで顔が紅潮した毛唐人」 を 「鬼」 と間違うような真っ赤な嘘が息づく地でもあります。
鉱物資源も実はかなり豊富であり、石油以前の生活必需品たる木材は当然のように産出されまくり。
渡来 or 交易といった観点は、丹波を考える上で、もっと重要視されていいかも知れません。
そんな丹波が持つ奥深さを、渡来系のココナッツによって表現してる気がしないでもない、いが栗。
私は、丹波マーケスにて初めて出会いました。大江山食品の佃煮を買いに寄った際、出会いました。
正直、土産品コーナーで失礼ながら冷やかし半分で買ったのですが、食べてみると美味しい。
食感も良く、何より食べてると不思議な多幸感が湧くのが好きで、箱でも買うようになったのでした。
このいが栗、秋も良いんですが、個人的には暑い夏に食べるとココナッツ感が実に心地良く、
また冬は白餡が美味しいんですが、それでも栗と言えば季節は秋で、秋と言えば京都は丹波。
どうせなら秋に本店で買ってみようと思い、京丹波町の桧山へ出かけてみたのです。


自前の車を持たない私は、例によって京都駅から公共交通機関だけ使って丹波へ向かいます。
JR山陰線で14時前に園部駅に到着し、その先は駅の東口で待ってたJR園福線のバスに乗り代え。
園部と福知山を結ぶ園福線、福知山行き便は少なく、この便も桧山止まりです。終点まで乗りますよ。
園部を出たバスは、客数人を乗せてR9を飛ばし、山陰線が避けた観音峠も軽々と越えて行きます。


明治に鉄道敷くの、確かに無理」 と体感できる傾斜の観音峠を越えると、京丹波町入りです。
鉄道がないので異常に車が多いのと、山や田んぼが多いのが特徴な町の中を、バスは疾走します。
町が山だらけということはないんですけどね。むしろ、平地。特に元々宿場町だったR9付近は、平地。
その中で、香川のおむすび山 or 炭鉱のボタ山みたいな山がポコっと生えてるのが、面白いという。


そのままバスは結構開けた旧瑞穂町エリアに入り、終点に着きました。JR桧山駅、到着です。
現在では珍しい、堂々たるバス駅であります。客も割といて、特に用もなさげな老人がだべってたり。
そんな様子を見てると、 「駅」 と大書されてることもあってか何か凄く鉄道駅みたいに見えてきました。
「観音峠を貫く形で山陰新線を敷く計画があり、此処はその名残」 などと妄想するのも、楽しいです。


もっとも、設備が駅として建設されたのは本当です。昭和初期、篠山発の軍用鉄道の駅として。
軍は、 「丹波の鬼」 こと篠山兵営から此処&マンガン採掘地の殿田を通って舞鶴へ通じる線を計画。
しかし戦局悪化で叶わず、先程の園部篠山短絡線で結び山陰線を活用するルートに変更します。
建設中に放棄された桧山駅は、戦後に省線バスの駅に転用されました、というのは真っ赤な嘘です。


この駅が整備されたのは、昭和42年。戦後も戦後の話です。ただ、その割には異様に広いけど。
敷地の巨大さから漂う不自然さ、否めません。大型駅 or 大型の廃駅跡が持つ雰囲気、否めません。
それも当然で、駅の敷地は元々、大阪・梅田と日本海を結ぶ日支露通運電鉄が確保した土地でした。
激しい山越に挑むための巨大な基地駅が此地に整備されるはずだった、というのも真っ赤な嘘です。


篠山や大阪との直結は真っ赤な嘘ですが、神戸・三ノ宮と今もバスで直結されてるのは本当です。
「瑞穂町」 なる名が付くほどの農耕地帯である此辺ですが、ゆえに農閑期は出稼ぎが一般的でした。
此辺の人々が働きに行ったのは、灘/西宮の酒蔵。そう、いわゆる日本三大杜氏の丹波杜氏として。
このコネクションは今も継承され、灘の隣の三ノ宮への直結も続いてる、というのも真っ赤な嘘です。


あ、此辺の三ノ宮は、桧山の北にある酒治志神社ですよ。桧山駅近くには、二ノ宮神社もあり。
いが栗が買えるよう、後の山ごと祈願します。因みに一ノ宮は、道の駅・味夢の里の辺の何鹿神社


山下秀製菓があるのは、二ノ宮神社の少し東のR9沿いです。道の花を愛でながら、歩きます。
工場とのギャップが、映えますね。水が良いためか、丹波は老舗和菓子屋の工場が多いんですよ。


って、全く菓子工場に見えない工場も建ってたりしますけど。これもまた京丹波町の光景です。
そういえば京丹波町は道路が異常に良い印象がありますが、工場の多さと関係してるんでしょうか。


などとどうでもいいことを考えながらR9方向へ歩いてると、山下秀製菓の本店に到着しました。
本店の他に支店があるかは知りませんが、マーケスでばかり買う私はとにかく来るのが初めてです。
二ノ宮神社の巨大な盛り砂みたいにも見える山を望み、栗を焼く香りを漂わせてる辺は、何とも丹波。
栗もちの案内板も出てますね。いが栗も買いますが、栗もちも買いたい。そして、栗どらも買いたい。


そんな購買意欲に満ち溢れながら店内に入ると、栗もちも、そして栗どらも、見事に売り切れ。
他の栗アイテムも、電車+バスで持ち運ぶと確実に崩れそうなマロンケーキ以外、見事に売り切れ。
しかし、いが栗は普通に販売してました。ので、8個入りの箱を購入。無事に本店で入手できましたよ。
二ノ宮神社の御神徳、効いたに違いありません。いが栗が単に日持するからでは、ないはずです。


買うもの買ったら帰るんですが、以仁王を祀る高倉神社が近くにあるので、ちょっと寄ります。
もちひと者のひとりとしては、以仁王、スルーできませんので。バスをスルーしながら、R9を北西へ。


バスをスルーしたのは歩いて体を温めようとしたからですが、実際歩くと、暑い。気温も22度。
海抜は200mくらいのはずですが、体感的にも京都市内と変わりません。日当たりが良過ぎるという。


半汗で歩いてると、縦貫道のICが見えました。此辺が今も街道の要衝であることを示すものです。
そう、ICが出来る遙か前から此辺は、古道の要衝&分岐点でした。すなわち、山陰道と綾部越道の。
山陰道は、鬼の住処・大江山を望む福知山へ。綾部越道は、まんま渡来系な地名の綾部 = 漢部へ。
滋賀から渡来した坊やも 「此処から丹波の渡来ゾーン」 と言ってます、というのは真っ赤な嘘です。


渡来坊やの少し西では、綾部越道が新山陰道のR9を潜ってました。高倉神社は、すぐ先です。
それこそ 「此処から綾部」 と言うような立地ですが、本来の漢部ゾーンはもう少し広かったりします。
先述通り、此辺の一ノ宮は何鹿神社。そして綾部エリアの旧名は、何鹿。無論、偶然ではありません。
つまり此地はそもそもが綾部 = 漢部の一部であり渡来ゾーンなのです、というのも真っ赤な嘘です。


イツシカとイカルガを意図的に間違えたことを、高倉神・以仁王に謝ります。もちろん、ひとりで。
そういえば、綾部の奥にも高倉神社はあります。以仁王信仰と共に 「天一さん」 信仰を持つ社として。
「天一さん」 は、鍛冶神にして忍海漢人とも繋がるとされる、天目一箇神。以仁王との混淆、謎ですね。
因みに 「天一」 で知られる天下一品はこの 「天一さん」 が名前の由来、というのも真っ赤な嘘です。


参拝した後は、ラーメン大学のラーメン食いたいとか思いながら、いよいよ桧山駅へ戻ります。
綾部越道の旧道を下り、山陰道との要衝ゆえ栄えたという宿場町の残り香を、沿道から感じながら。


桧山は、同じ京丹波町の元宿場町である須知と共に、明治期、鉄道の開通を拒んだそうです。
理由は、鉄道で通り過ぎるだけの町になることを危惧したから。本当なのかどうか、私は知りません。
後世の目で見ると観音峠越え or トンネル掘削がネックな気しかしないんですが、どうなんでしょうね。
いずれにせよ現在の京丹波町は、縦貫道によって別の形で通り過ぎるだけの町になってたりします。


それゆえ、縦貫道沿いの味夢の里をはじめとして道の駅をあちこちに乱立しまくってる京丹波町。
その第1号と言えそうな、輸入自由化で木材ラッシュが去り始めた頃に出来た、桧山駅。戻りました。
周囲には栗を焼く香りが漂い、福知山行きのバスに子供たちが乗り込んだり、それを老人が見てたり。
そんな風景を夕暮の中で見てると、何か途轍もなく贅沢な時間を過ごしてるような気がしてきました。


その文学的な気分のまま園部行きのバスで京丹波町を後にした、かといえばそうも行きません。
散策し過ぎて昼飯を食い損ねたので、八木の八光館の新店・八光亭に寄って、飯を食って行きます。
贅沢な時間をもっと過ごしたいので、注文は松茸入りのすき焼き御膳。松茸はもちろん、渡来系です。
味はもちろん、美味い。すき焼きも美味いですが、松茸の扱いが上手い松茸ご飯はもっと美味い。


渡来系の丹波の味覚を堪能した後は、大江山食品の佃煮などを買うためマーケスに寄ります。
縦貫道でなく一般道ばかり通る私は、贅沢したい今夜でも、寄るのは味夢の里でなくマーケスです。
ただこのマーケスで、山下秀製菓では買えなかった栗どらと栗赤飯が買えました。共に、最後の1個。
またもや二ノ宮神社の御神徳を感じながら、バスで園部まで戻り、後は電車で家に帰りましたとさ。


帰ったら、開封の儀です。いやその前に、陳列の儀です。まず、栗どら。


続いて、栗どらと一緒に御神徳で買えた、栗赤飯。


そして本丸、丹波銘菓いが栗。


本当の開封の儀は、いが栗から始めます。まず、個包装まで開封の儀。


続いて、本体を開封して、ミニコロッケ感全開の儀。


3つを並べて、コロッケ祭の儀。


などとしばし遊んだ後、食べます。いが栗、味はいわゆる和菓子とは異なり、独特な感じです。
表面の揚げココナッツの香ばしさが光っており、口に入れて最初に来る食感や歯ごたえもココナッツ。
その奥から、粉をまとめたようなホロホロ感で白餡&栗が現れるという。で、この食感がたまりません。
割って中を見るのが難しいくらい柔らかいんですが、上手く割るとルックが栗っぽい辺も、良い感じ。


いが栗を食べながら、強烈な勢いで香ばしい匂いが漂う栗どらも、開封。


餡の代わりに栗が入りまくりな栗どら本体を、実食。


続いて栗赤飯も、開封&実食。


栗どらも栗赤飯も、実に栗が立ってて美味いです。が、やっぱり私が一番好きなのは、いが栗。
味や食感の良さは無論なんですが、冒頭にも書いた通り、食べてると多幸感が湧いて来るんですよ。
ミニコロッケ全開なサイズ感がループの魔力も生んでるというか。 「もう一個」 が、割と止まりません。
「もう一個食べよかな」 「止めとこかな」 「やっぱり食べよかな」 と迷ってる時など、実に幸せです。

桧山と山下秀製菓、人はあまり見かけなかったので、客層などはパス。
といっても町中は、のんびりとほっつき歩くには微妙に人が多い、という感じでしょうか。
人によっては、歴史に想いを馳せながら散策してると不審に見えるかも知れません。

桧山、いが栗を買うために出かけるべき町かと言えば、割と微妙でしょう。
マーケスをはじめ道の駅でも簡単に買えると思うので、それで充分な気もします。
ただ、鉄道や縦貫道で通るだけではわからない丹波を感じられることは、間違いありません。
あとバス者の方であれば、桧山駅の巡礼だけでもお釣りが来る訪問にはなるでしょう。
巡礼の土産としては、本店で買う丹波銘菓、かなり良い感じだと思います。

そんな桧山・山下秀製菓の、丹波銘菓いが栗。
好きな人と食べたら、より丹波なんでしょう。
でも、ひとりで食べても、丹波です。


 
 
 
 
 
山下秀製菓
京都府船井郡京丹波町橋爪ハサマ4−3
7:00~19:00 元旦定休

JRバス園福線 桧山駅下車 徒歩約7分
同 常照寺下下車 徒歩約3分
 

山下秀製菓 – 公式サイト