ロームイルミネーションへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2015年12月20日(日)


ロームイルミネーションへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

北山ウェディングストリートのクリスマスイルミネーションに、特攻したことがあります。
京都・北山には、そんなストリートがあるんですよ。式場などが集中的に建てられてるという。
で、そこが12月になると、イルミネーションなどを展開するわけです。で、それに特攻したわけです。
無論このサイトの為であり、 「行かねばならぬ」 という義務感の下、無論ひとりで出かけたわけです。
ゴダイゴのスティーブ・フォックスがやたらオーバーに 「わたしは確信しますっ、この二人がっ」 と、
身内の式で絶叫してるのを聞いた教会へも、不審者丸出しの風体で再訪したりしたわけです。
この特攻、やらかしたのはネタ採取を始めた2010年でした。が、現在に至るも記事化はしてません。
何故か。一言で言えば、しょぼかったからです。電飾的にも色ボケ的にも、しょぼかったからです。
スポットが点在してて規模が小さい印象が拭えず、肝心の 「ストリート」 も電飾がなく単なる道状態、
ぱこぱこと交尾へ至る為に使おうと群がる色ボケ衆による淫猥&殺伐とした混雑も、全然なし。
これでは特攻したことにならん。相手にとって不足あり。と、孤高の士たる私は断定したのでした。
そもそも、ライトを一発当てるだけでもそこそこ絵になる寺社がそこら中に林立してる京都に於いて、
強引に名所を捏造するイルミネーションは必要なく、ゆえにさもしい電飾スポットも成立し得ない。
などと考え、しばらくはクリスマスイルミネーション特攻のネタ展開そのものを、忘れていたのでした。
しかし、そして無論、京都にはそんな臆見を許さない一大イルミネーションが、しっかり存在します。
そう、ローム株式会社がクリスマスの時期に行う 「ロームイルミネーション」 が、それであります。
学生起業の町工場から始まり、社名の由来たる抵抗器での成長を経て、半導体でその地位を確立、
現在は京セラ村田製作所などと共に 「京都ベンチャー」 という言葉を体現してる企業、ローム
ロームシアターのネーミングライツ購入など、文化事業に力を入れてるのもここの特徴ですが、
その一環なのか、クリスマス当日までの1ヶ月間、西大路五条の本社一帯へ大々的に電飾を展開。
何にもないからこそ建設が出来たのであろう大社屋の周辺を、一気に電飾名所へ変えてくれてます。
東日本大震災発生以降はしばし中止され、すっかりその存在を忘れてましたが、知らん間に復活。
その電飾数は80万球というから、ぱこぱこな輩が蛾の如く群集してること、間違いありません。
で、特攻してきました。相手にとって不足ない輝きと混雑に、私は出会えるでしょうか。

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城南宮へ七草粥を食べに行ってきました。もちろん、ひとりで。

2015年2月11日(水)


城南宮へ七草粥を食べに行ってきました。もちろん、ひとりで。

城南宮。その名の通り、平安京の王城南方を守護する、ロイヤルな社です。
平安遷都以前からこの地に存在したという、神功皇后八千矛神を祀る真幡寸神社に、
遷都に際して国土の安泰を願い、国常立尊を併祀したことで生まれたともされている、城南宮。
その創建の由緒からしてロイヤルですが、平安末期には周囲で白河上皇鳥羽離宮造営を開始し、
院政の舞台にして我が国最大の離宮の中心へ立つこととなった城南宮は、鎮守の地位を確立。
また、この地は羅城門から伸びる鳥羽作道と淀川河港が接続するジャンクション地帯でもある為、
方角の災いから身を守り旅の無事を祈る方違え = 方除のロイヤルな宿所としても、地位を確立。
多くのやんごとなき方々が熊野石清水春日詣に際し、この社を精進所として身を清めたのでした。
そんな城南宮、離宮と共に栄華を極めた後、南北朝時代にはやはり離宮と共に一旦、荒廃。
しかし江戸期に入り、皇室への崇敬が回復したことで再興が成され、方除の神威への信仰も復活。
幕末には、この社の参道に置かれた大砲から鳥羽・伏見の戦いが始まり大変な目に遭うものの、
皇女和宮の江戸下向に際して方除祈祷を奉仕し、 「方除の大社」 の名声が更に広く流布。
現代に至り高度成長期に入れば、直近で名神高速道路が開通し、京都南インターチェンジも誕生、
城南宮は改めて 「京都の南の出入り口」 としての顔を確立し、新たな顧客である自動車も獲得。
「車の方除 = 交通安全」 として、自動車特化型の祈祷殿が出来るほどその信仰は盛んとなり、
現代のサウス民にとって城南宮は、恐らく 「南インターとこの車の神社」 に違いないのであります。
その盛んさは、 「車祈祷で儲かるから、庭園も出来たんやろ」 と勘ぐる輩が出そうなほどですが、
そんな下衆の勘ぐりを払拭する為か、城南宮、正月の七草粥はロイヤルなる旧暦にて開催。
で、今回はそのロイヤルなる七草粥を、車ではなく電車と徒歩で、ロイヤルに食べに行ったわけです。
ただ、粥だけではネタが足りず、しかも庭園は曲水の宴の際に見たので、社周辺の徘徊も決行。
IC近くのラブホ街をうろついたり、鳥羽離宮跡をうろついたり、やたら餅を食ったりしてます。
サウスな社の、ロイヤルさとロイヤルでなさ、共に楽しんでもらえると幸いです。

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石清水八幡宮のエジソン生誕祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2015年2月11日(水)


石清水八幡宮のエジソン生誕祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

エジソンと、絵馬。食い合わせの悪さは、確かに否定出来ません。
しかし、 「1%のひらめきと99%の努力」 を 「1%のひらめきと99%の訴訟」 ともじられるほど、
訴訟に明け暮れた俗物として名高く、数多くの黒歴史エピソードも残したこの 「発明王」 が、
その一方で宗教、更には 「あっち」 方面にも強い関心と探究心を抱いていたことは、割と有名です。
あらゆる宗教書を読破すると共に、ブラヴァツキー夫人達が神智学協会を設立すると即入会、
晩年は 「魂というエネルギーは死後も存在する」 と言って、霊界通信機の開発に挑んだ、エジソン。
天才ゆえの奇人的側面と嗤うのも、老化でボケたと一蹴するのも、共に簡単な話ではあります。
が、この 「メンロパークの魔術師」 にとって電気は、単に 「科学」 の領域で完結するものではなく、
背後に神の領域、未知なるハイヤーパワーの領域が広がるものだったのではないでしょうか。
ロマンに湿る科学者の眼ではなく、新たな商圏を追い求めるゲス商人の眼を持っていたからこそ、
彼には神の領域、ハイヤーパワーの領域が、極めて具体的に 「見えていた」 のではないでしょうか。
「見えていた」 からこそ、 「自分は宇宙エネルギーの触媒」 的なことさえも語った、エジソン。
そんなハイヤーパワーの僕たるエジソンが、人類を 「光」 のネクストフェーズへ導こうとした瞬間、
神仏習合の神・石清水八幡宮の神威が、和洋も習合し働いたのは、ある意味、必然かも知れません。
電球のフィラメント開発にあたり、より長時間使用が可能な植物をエジソンが世界中で探した末、
ここ八幡の真竹が選ばれたという、凄いと言えば凄いけど、どうでもいいと言えばどうでもいい逸話。
しかし、我々が見据えるべきなのは、この逸話の背後に隠された神々のシンクロニシティであり、
シンクロニシティの根源たるハイヤーパワーだけが生み出し得る、人類の真なる 「未来」 なのです。
石清水八幡宮に於いて、エジソン誕生日に行われるエジソン生誕祭は、無論、その為の企て。
「和洋もひったくれもなく乗っかれるもんなら何でも乗っかってしまえ」 的イベントなどでは断じてなく、
また 「偉人との縁でちょっと高価めの絵馬を作り一儲け」 的な企画などでも、断じてありません。
我々は、 「未来」 を見るのです。エジソンの視界に同期し、エジソンが見た 「未来」 を見るのです。
私の地元である石清水の力を借りて、見るのです。ちょっと高価めの絵馬越しに、見るのです。
という感じで、エジソン生誕祭、地元の者として厳粛に紹介させて頂きます。

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2015年の節分をめぐってきました。もちろん、ひとりで。

2015年2月3日(火)


2015年の節分をめぐってきました。もちろん、ひとりで。

節分めぐり、もうめぐるべき所は大体めぐってしまったんですよね。
2011年よりやってるこのネタ、1年毎に数ヵ所を回る為か、正直、かなりネタ切れ気味です。
無論、細かい所を穿っていけば、まだまだ色んな地域で色んな行事が行われてはいるんでしょう。
深層意識の内で今なお旧暦のタイムテーブルが拘束力を保持し続けてる為なのか何なのか、
「これこそが本来の年越し」 とでも言わんばかりに、正月以上の盛り上がりを見せる、京都の節分。
比較的小規模な行事もフォローし始めた場合、底無し沼状態へ突入することも予測されます。
しかし、当サイトの趣旨はあくまで、超メジャースポットおよび超メジャーイベントの単独正面突破。
「見ぃつけた!」 と幼児性を意図的に偽装してるつもりで無自覚に無知・無神経を垂れ流す輩や、
自己愛+承認欲求+山師根性から観光資源の乱獲に励む輩などとは、一線を画さざるを得ません。
というわけで、メジャー級スポットで行ってない節分って何処かあったかなと、しばらく悩んでました。
が、ありましたよ。松尾大社ですよ。 「洛西の総氏神」 として信仰を集める、松尾大社ですよ。
平安遷都より以前の創建という猛烈に古い歴史を持ちながら、現役仕様のネイティブ信仰を集め、
京都市西側の大半が含まれる巨大な氏子域と、凄まじく盛り上がる大祭・松尾祭を誇る、松尾大社。
そんな松尾大社の節分では、祇園祭に於ける奉納で京都でも御馴染みの石見神楽を招聘。
八岐大蛇がとぐろを巻く神楽の奉納と共に、無茶苦茶恐ろしい造形の顔した鬼が 「鬼の舞」 も披露。
豆撒きも無論行われ、松尾っぽいワイルドな豆争奪戦が、豆撒き自体より楽しかったりします。
なので2015年の節分は、まずそちらへ御邪魔して、正しく乾の方角から現れた鬼&豆撒きを堪能し、
続いて京都ウェッサイ節分シーンに於けるコアたる壬生寺を改めて訪問し、節分狂言を再堪能。
壬生寺では、2012年訪問時に金をケチって宿題にしたほおらく奉納を、今度はしっかり行い、
ついでといっては何ですが、近くの神泉苑でも念仏狂言援助の意味でほおらくを奉納してきました。
例年に増してコンセプトも大義もなく、ただただ流れてるだけの適当過ぎる節分彷徨ですが、
故に溢れるユルくて妙に多幸的な気分、感じてもらえると幸いです。

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2015年への年越しを、八幡で迎えました。もちろん、ひとりで。

2015年1月1日(木)


2015年への年越しを、八幡で迎えました。もちろん、ひとりで。

年越し、当サイトでは年末年始もネタにすべく、何年にも渡り京都で続けてきました
しかし、考えてみれば私の地元・八幡での年越しを、まだちゃんとした形で記事化してません。
もちろん初詣の名所・石清水八幡宮 = 「八幡さん」 には、何度となく年始にお参りしてはいますが、
大抵はネタ徘徊を重ねた末、あたかも飲みの〆のラーメンの如き姿勢で赴いていたのであり、
「八幡」 ということにこだわって、全てを 「八幡」 に絞り込む年越しというのは、やってませんでした。
これは、いかん。これではまるで、地元へ帰らず京都に来て年を越す観光客みたいではないか。
地元へ帰れば自身のつまらぬ生まれに嫌気が差すのか、親不孝&罰当たりにも帰省せず、
といって海外へ出かける金も無いので、安上がりに京都へ来て、他人の家の伝統行事へ割り込み、
それを以て 「オトナの年越し」 とさえ言い出しそうな阿呆の観光客と、丸っきり同じではないか。
これは、いかん。正気で考えると、 「いかん」 と考える方がいかん気もするけど、これは、いかん。
安易な情報主義、安易な体験主義、双方の悪所を集めた安易なコミュニケーション至上主義を廃し、
「夢の島」 の如きネット空間にて血の通った表現の獲得を目指すことこそ、当サイトの真なる目的。
八幡という辺境から京都を見ることで生じるバイアスや異常性を、敢えて前面へ押し出すことで、
所与の重力と向き合い、共に踊り、そのグルーヴを以て何かを語ることこそ、当サイトの真なる目的。
となれば、生臭いエゴを膨脹させる阿呆な年越しに、これ以上荷担するわけには行きません。
というわけで、2015年の年越しは八幡から一歩も出ず、除夜の鐘から初詣までをこなしてみました。
除夜の鐘は、江戸時代・寛永年間のタイムカプセルの如き伽藍を誇る寺である正法寺にて撞き、
初詣は言うまでも無く石清水八幡宮にて行うという、八幡年越し黄金コースを敢行することで、
改めてこのサイトのコンセプト、あるいはスピリットのようなものを、再確認してみたのであります。
そう、これはあくまでも新たな挑戦なのです。当サイトが当サイトである為に必要な、挑戦なのです。
決して、寒い最中にあちこちをウロウロするのが、いい加減しんどくなったのでは、ありません。
断じて、昼寝してたら寝過ごし、近所で済ませざるを得なくなったのでも、ありません。

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ホテル洛西で聖夜を過ごしました。もちろん、ひとりで。 【後篇】

2014年12月24日(水)


大枝のラブホ街にあるホテル洛西にて過ごす聖夜、前篇に続き後篇です。

「大枝」 と聞いたら、京都府民の多くは脊髄反射で 「柿」 と連想するでしょう。
実際、大枝の富有柿は名物ではあります。が、その歴史は、さほど古いものではありません。
御存知の方も多いでしょうが、富有柿の原産地は岐阜。大枝での栽培が始まったのは、昭和以降。
というか、徹底的に農村化したのも実は明治以降と、中々に面白い歴史をこの地は持ってます。
桓武天皇生母・高野新笠の母方のルーツたる大江氏から 「大江郷」 の名称が付いたという、大枝。
平安遷都以前から秦氏などの豪族が住んだとされ、現在も残る古墳が山のように作られましたが、
遷都以降は、平安京と山陰を結ぶ山陰道に於ける関所 = 「境界」 としての存在感が前景化。
都から見ると北西 = 鬼の進入口・乾に位置する為、中世までは酒呑童子伝説の恰好の舞台となり、
中世以後も、足利尊氏明智光秀といった反逆者が、ここから鬼の如く都へ侵攻したのでした。
近世に入り、鬼の住処も丹後の大江山へ移動すると、大枝は山陰街道の峠町としての存在感を強化。
旅人相手の商いを専業にする家が増え、茶屋や旅籠屋、休憩所が並ぶ宿場町となったのです。
そう、ここは明治以前の時点で既に、農業中心ではなくて商品経済に馴染んだ町だったわけですね。
維新後は、新峠建設で老ノ坂の峠町が衰退、明治32年の鉄道開通では大枝全体の状況も一変。
今は嵯峨野トロッコ鉄道として走るあの汽車へ、丹波の貨物はごっそり移り、山陰街道は急に閑散化。
街道で食ってた大枝は打撃を受け、商業中心から農業中心へと転進せざるを得なくなりました。
そこで、 「柿」 なわけですね。 作物を色々試した後、この地に合ったのが 「柿」 だったわけですね。
「柿」 と全く不似合いなインパクトを誇る大枝のラブホ街ですが、街道筋としての歴史を考えると、
ある意味、かつての時代の生々しい息吹 or 残り香を、現代に伝えるものと言えるのかも知れません。
大枝の変化は 「柿」 以降も止まることが無く、戦後は宅地に困った京都市の開発の歯牙にかかり、
「柿」 を潰す勢いでニュータウン開発が進行、文化的&景観的にラブホ街もなぎ倒す勢いです。
が、とりあえず今回は、ホテル洛西であります。元ラブホにて、ひとりで過ごす聖夜、続きであります。
京都魔界シーンのラスボス・首塚大明神の参拝から、飯、そしてラブホ窓から朝日を見るまで、
「境界」 が孕む妖しき魔力を見据えんとする孤独な精神戦、お付き合い下さい。

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ホテル洛西で聖夜を過ごしました。もちろん、ひとりで。 【前篇】

2014年12月24日(水)


大枝・沓掛のホテル洛西で聖夜を過ごしました。もちろん、ひとりで。

メリークリスマス!!当サイト恒例の聖夜お泊まりネタ、2014年度版です。
異教の宗主生誕を姦淫&浪費で祝福する日本のクリスマスに、背を向け続けるこの阿呆企画、
プレハブ宿 or 寺の宿坊 or 町家宿一棟借りと、2010年より阿呆なお泊まりを延々続けてきましたが、
しかし2013年に至り、こんなアホ企画も何かしらテーマ的なものを孕むことになってしまいました。
2013年の聖夜を過ごしたのは、私の地元・八幡にある遊廓跡・橋本。そこの転業旅館・多津見旅館
京都と大阪の国境にして石清水八幡宮門前という、実に 「境界」 的な地で聖夜を過ごした結果、
私は、仇敵・クリスマスの本質の如きものとして、 「境界」 を意識することになってしまったのです。
本来の起源がローマの 「太陽神誕生祭」 = 冬至の日であるように、根元から様々な 「境界」 を孕み、
その 「境界」 性が、遊興や性的放埓へ人を駆り立てる魔力を発揮してると思われる、クリスマス。
そんな本質の如きものが、見えてしまった。単なる思いつきではあるものの、一応、見えてしまった。
見えてしまったのなら、追求すべきです。発端が思いつきであっても、テーマは追求すべきです。
というわけで、この適当テーマの深化を図り、2014年聖夜も 「境界」 にて過ごすことにしたのでした。
今回泊まったのは、ホテル洛西。西京区・大枝に建つ、ラブホが転業したホテルであります。
山陰道で京都から丹波へ抜ける老ノ坂の入口に位置し、古より国境として認識され続けてきた、大枝。
それ故に、都の北西 = 乾の方角より侵入するエイリアン = 鬼の住む地なる伝説も長く持つ、大枝。
現代にあっても、 「境界」 に多発しがちな心霊スポットを京都最強 or 最凶レベルで複数保持し、
これまた聖と聖が交錯する 「境界」 に多発しがちなエロゾーンも、現役ラブホ街としてしっかり保持。
郊外の開発で見え難くなった 「都の境」 を、ある意味、最も生々しく現在へ伝える場所なのです。
今回泊まったホテル洛西は、そんなラブホ街の一軒であり、一般ひとり客の宿泊も大丈夫なホテル。
「境界」 的な場所に建つゆえ、アクセスは若干不便ながら料金お手頃+部屋確保も楽とあって、
繁忙期に宿泊場所で困った観光客を中心として、色んな意味で色んな注目を集めてる宿であります。
そんな元ラブホでの聖夜お泊まり、件の心霊スポット訪問などと併せて、やらかしてみました。
クリスマスの本質は、 「境界」 が孕む魔力の本質は、見えるのでしょうか。

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妙満寺の釈尊成道会・大根だきへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2014年12月7日(日)


妙満寺の釈尊成道会・大根だきへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

当サイトは、10月を過ぎた頃から、一気にアクセス数が下がります。
理由は、明白です。稼ぎ頭である川床記事鱧記事への訪問客が、激減するからです。
その下がりっぷりは、 「見てて凹む」 などという段階を遙かに越え、もはや面白い程のレベルであり、
「人は所詮、食い物にしか興味を持たない」 という真実を思い知らされること、しきりであります。
が、そんな人の業を嘆き悲しんでいても、あるいはボヤき揶揄していても、仕方ありません。
それに、この業を逆に捉えるならば、アクセスを稼ぐ方法が眼前に示されてるとも言えるわけです。
そう、要は何か、食い物を扱えばいい。秋以降の京都に於ける食い物ネタを、何か扱えばいい。
湯気がぼわ~っと出てる美味げなもので、なおかつなるべく値が張らないものなら、尚のこと、いい。
そこで、大根だきですよ。冬の食い物ネタとして、大根だきですよ。何か仏罰必定な気もしますが。
鳴滝・了徳寺の大根焚きを筆頭に、あちこちで冬の風物詩として行われる、京都の大根だき。
当サイトでも、表の動機としては仏の御心に触れるべく、裏の動機としては冬の食い物ネタ採取として、
了徳寺千本釈迦堂などいくつか大根だきを食ってきましたが、今回出向いたのは、妙満寺です。
妙満寺。妙なことが満ち溢れてるというわけではない、顕本法華宗総本山、妙塔山妙満寺であります。
現在は岩倉にあるこちらの寺が、日什大正師により創建されたのは、1389年の六条坊門室町。
秀吉の時代には寺町二条へ移転し、以後400年に渡り 「寺町二条の妙満寺」 として知られますが、
現代に入ると都心部の喧噪が如何ともし難くなり、昭和43年に比叡山麓たる現在地へ移転。
移転はしたものの、 「成就院 雪月花の三名園」 と称された松永貞徳造営 「雪の庭」 は健在であり、
むしろ比叡の峰を借景に得たことで、冠雪の眺望がかつてよりも高い評判を呼んだりしてます。
そんな冬に絡んだ名声も高い妙満寺、駄目押しなのか、初冬には釈尊成道会として大根だきも開催。
で、その大根だきへ、妙なる動機に満ち溢れた精神をもって寄せて頂いたというわけです。
冬&アクセスを呼ぶであろう大根、 「雪の庭」 と共に堪能してきました。

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文の助茶屋へ寄ってから、八坂庚申堂の初庚申へ行きました。もちろん、ひとりで。

2014年2月18日(火)


文の助茶屋へ寄ってから、八坂庚申堂の初庚申へ行きました。もちろん、ひとりで。

八坂道は私にとって、迷うことが案外多い道だったりします。
えと、八坂通というのは、東山の八坂道のことです。八坂の塔へ続く、あの道のことです。
清水寺などと並ぶ超メジャー級京都観光アイコンである、あの塔が突っ立ってる道のことです。
「何をどう迷うのか」 と思われるかも知れませんが、正にあの八坂の塔があるが故に、迷うのです。
塔で視野狭窄になってる観光客を、疲労と徒労を回避すべく視界から省く癖がついてしまい、
そのうち八坂の塔そのものも見てるだけで疲れてくるので、知覚から削除する癖がついてしまい、
そのため土地鑑が歪に狂い、方向感覚が壊れ、何となく迷いがちになってしまったというか。
知覚と認識の遮断による、土地鑑と方向感覚の混乱。そんなのを、私は八坂通に感じるのです。
で、そんな感覚遮断を誘発させる八坂通に、 「見ざる聞かざる言わざる」 の八坂庚申堂があるのは、
当の八坂庚申堂からすると 「知るか」 という話でしょうが、私には腑に落ちることだったりします。
八坂庚申堂。正式名称、大黒山金剛寺延命院。ネイティブな通称は、単に 「庚申さん」 。
日本に於けるほぼあらゆる事象について、 「京都が一番」 「京都が最初」 を自称する京都ですが、
庚申信仰三猿についても無論 「日本最初」 を押さえてて、それがこちらの 「庚申さん」 です。
平安京構築への貢献で知られる秦氏が、本尊として中国より招来したとされる青面金剛を、
秦氏滅亡の後にこの地へ安置したのが始まりという、やはり極めて古い由緒を持つお堂であります。
で、そんな八坂庚申堂が旧暦最初の庚申日に行う初庚申へ、のこのこ出かけたわけですが、
「庚申さん」 、現在は観光地のど真ん中ながら実にネイティブなお堂で、初庚申もまたネイティブ。
基本、猿型の蒟蒻焚きを食う他には、特にすることがありません。ネタ的に正直、不安です。
というわけで、 「庚申さん」 の近くにあって実に観光地らしい佇まいの文の助茶屋にも立ち寄り、
早春を告げる和菓子であるわらび餅を食らってから出向く、という流れにしてみました。
猿と蒟蒻とわらび餅が錯綜する八坂の迷宮、迷ってみて下さい。

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バレンタイン・スイーツラリーをやらかしてみました。もちろん、ひとりで。 【後篇】

2014年2月14日(金)


バレンタイン・スイーツラリー、続きです。

前篇のイントロでは適当なことを大仰に書きましたが、
今回のネタをやる気になったのは、単にスイーツラリーをやりたかったからです。
で、今までバレンタインネタを全くやらなかったのは、単にネタを思いつかなかったからです。
何をやるか思いつかなかったというだけでなく、そもそも意識に上ることさえ全然なかったというか。
それくらい私は、バレンタインに縁がありません。ひがみも起こらないほど、縁がありません。
じゃあ毎年やってるクリスマスネタは多少なりとも縁があるのかといえば、やはり全然ないんですが、
ただ、クリスマスとバレンタインでは、プレッシャーの規模や圧みたいなのが、全然違います。
当日の1ヶ月以上前から、電力を浪費し倒すイルミネーションがそこら中で輝くクリスマスと比べたら、
節分以降になってようやく情宣が本格化し始めるバレンタインなど、敵ではありません。
それに、京都へ上手く絡めたバレンタインネタというのも、ちょっと思いつかないし。
どっかの和菓子屋が出してるゲテモノバレンタイン和菓子を買って食うだけだと、動きがないし。
と思ってたところに降って沸いたのが、嵐電の閑散期対策であるスイーツラリーでした。
沿線にある和洋スイーツ店と連携して、観光客&通学客が激減する時期を盛り上げようという、企画。
これとバレンタインを絡めたら、何とか京都ならではの独男バレンタインネタになるんじゃないか。
加えて、人気のスイーツ店を巡れば、堅気の人も間違って検索流入するんじゃないか。
実はそんな黒いことをたっぷりと考えて始めた、今回のバレンタイン・スイーツラリーであります。
5軒のスイーツ店をバレンタインデー1日で回り切ろうという、この下らないネタ、
前篇では、唐突な大雪が積もる嵐電沿線で、ひとりぼっちの市街戦を甘ったるく開始、
京都チョコ界の本丸・Dari Kバレンタイン弁当なる怪物を、嵐山決戦で撃破しましたが、
後篇はさらなる転戦、そして終盤になって現れた 「伏兵」 との攻防など、
それなりに手に汗握る展開となっていく、と思います、多分。

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バレンタイン・スイーツラリーをやらかしてみました。もちろん、ひとりで。 【前篇】

2014年2月14日(金)


バレンタイン・スイーツラリーをやらかしてみました。もちろん、ひとりで。

大切なのは、「動き」 を自分から起こすことです。
停滞している状況、逆風に煽られてる状況、そんな困難を打ち破るためには、
神風が吹くのを待つのではなく、自らが風となりフィールドへ駆け出すことが、何より大切です。
たとえそれが、消防署と放火魔を兼任するような、マッチポンプ的な行為であっても、です。
事件の少ない夏期、高校生に熱中死スレスレの野球大会をやらせる、どっかの新聞社のように。
紅葉直後&桜直前の閑散期に、電飾で無理矢理客を寄せ集める、どっかの古都のように。
そして、2月にチョコを売るべく、バレンタインなる愛欲祭日を捏造した、どっかの製菓業界のように。
誤解しないで下さい。私は彼等を 「インチキだ」 とキャンキャン批判したいのではありません。
彼等はいわば、猛者です。いずれも、自ら 「動き」 を作り出し、自らの苦境を克服した、猛者です。
そんな猛者の 「動き」 をもし批判したいと思うのなら、その 「動き」 へ充分敬意を払った上で、
自らフィールドへ駆け出し、新たな 「動き」 を作り出すことで、超克するべきなのです。
というわけで、私、2014年のバレンタインは、スイーツラリーをやってみました。
「何じゃそれは」 と言えば、嵐電がそんな企画をやってるんですよ。閑散期の 「動き」 として。
沿線の甘味処と提携し、店で幾らかの買い物でスタンプ&それ集めると景品、という。
このラリーを、バレンタインデーに回ろうというわけです。名付けて、バレンタイン・スイーツラリー。
嵐電スイーツラリー、別段バレンタイン限定ではなく、一日で回る必要も特にないんですが、
バレンタインの新たな過ごし方 for 独男を、積極的に提示したくて、やってみました。
奇しくも当日は、大雪。幾分早いものの、白銀の世界と冷んやりした空気感は、まるで、226。
鉄風味&蹶起風味という独男好みなテイストと共に巡る、過剰な甘味の連食が、
私たちの 「動き」 の蹶起となるのか、それとも単なる徒労&無駄遣いに終わるのか。
肉体的+精神的+金銭的にハードな戦いぶり、御覧下さい。

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大原・三千院の幸せを呼ぶ初午大根焚きへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2014年2月9日(日)


三千院の幸せを呼ぶ初午大根焚きへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

大根焚きは、12月にだけ行われるものではありません
2月でも、行われることがあります。何故なら、冬に食べる大根焚きは美味いからです。
まして、白い雪の中で白い湯気を立てながら熱々の大根を頂くとなれば、その美味さは尚更。
更に、その場所が風格ある門跡寺院なら、至福の喜びが五臓六腑に染み渡るというものでしょう。
そんなナイスなロケーションの大根焚きを2月に行うのが、洛北・大原の三千院であります。
三千院。もちろん 「きょ~と~、お~はらさ~んぜ~んい~~ん」 で知られる、あの三千院です。
最澄が開いた叡山・円融房に始まり、皇族の入寺により門跡化するも長きに渡り各地を転々、
明治初頭に至ってやっとこさ声明の聖地&念仏の里たる大原へ落ち着いた、門跡寺院・三千院。
そんな由緒や経緯より、昭和期に生まれた 「恋に疲れた女がひとりでやって来る」 というイメージや、
あるいはバリバリの観光寺院としての印象の方が強い気もしますが、とにかく偉い寺であります。
偉い寺ゆえか、観光寺院のイメージの割に客寄せイベントはさほど行わない三千院ですが、
たまに庶民テイストな行事もやってて、それが2月の初午に行われる 「幸せを呼ぶ初午大根焚き」
しば漬の産地として有名な大原の畑において、味がしみやすい大根を有機農法で栽培し、
特別祈祷した上で煮込んで冬空の下で頂くという、正に大原の地の利が生きた大根焚きです。
素晴らしい、実に素晴らしい。有り難い、実に有り難い。仏の御心が染み渡るというものであります。
あ、いや、仏の御心といっても、大根焚き、無料ではありませんよ。当然でしょう、門跡ですから。
拝観料、要ります。割引とかも、ありませんよ。通常料金です。当然でしょう、門跡ですから。
ただ、大根はおかわりし放題。何杯でも食えます。それこそが、仏の御心です。門跡の御心です。
そんな大根焚き、恋にも疲れたわけでもなく、女でもありませんが、出かけてみました。
出かけたのは奇しくも、大雪の次の日。幸せは、呼べるでしょうか。

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2014年の節分をめぐってきました。もちろん、ひとりで。 【後篇】

2014年2月3日(月)


2014年度の節分めぐり、後篇です。

『ウルトラマン』仮タイトルが 『ベムラー』 だったのは、有名な話です。
ベムラーとは、 『マン』 第1話で登場した怪獣の名前。ボツの後、転用されたわけですね。
企画初期の 『マン』 は、名前のみならずビジュアルも実にベムラー的というか、怪獣的であり、
シュルレアリストにより生み出された、極めて抽象度が高い 「正義」 の造形に慣れた我々の眼には、
そのビジュアルは、およそヒーローらしくない、あるいははっきりと 「悪」 に見えなくもありません。
『マン』 が現代的なヒーロー像を確立する以前の、 「悪より怖い神」 としてのヒーローの残滓、
それこそ 『ゴジラ』 の如き 「荒ぶる自然の神」 としてのヒーローの残滓、みたいな感じなんでしょうか。
しかしこの 「悪より怖い神」 、後年には人類を液状化させた 『エヴァ』 にて見事復活 (?) し、
やはり 「ヤヴァい神」 こそが日本の原初的ヒーロー像なのだと思ったもんですが、それはともかく。
「ヤヴァい神」 「悪より怖い神」 を守護神として祀るのは、寺社では現在でも普通のことです。
京都に話を限っても、祇園祭における荒ぶる神・牛頭天王の重要性など、枚挙に暇はありません。
季節の変わり目に生じた境界領域へ鬼が侵入するのを防ぐ節分においても、事情は全然同じ。
吉田の追儺式に現れる、鬼より怖い方相氏。あるいは平安神宮に現れる、鬼より不気味な方相氏
いずれも、不気味です。 「悪より怖い何かを神として崇拝する」 信仰を感じさせるものです。
真に節分の厄や邪気を祓いたいなら、より強く、より怖い神に祈るのが、道理ということなのでしょう。
というわけで2014年の節分めぐり、後半は厄除けを徹底するべく、怖い寺社ばかり回ります。
回るのは、京都最強&最凶の怨霊系神社×2と、大量のダルマがギョロ目で睨みを利かせる達磨寺
バキバキに効く、でも怒らせるとバキバキに怖い、そんな寺社を念入りにお参りすることで、
邪気を完全封鎖しようと思ったのかといえば、無論本当は思いつきでフラフラ動いただけですが、
とにかく一歩間違えるとこっちが邪気認定されそうなところばかり、何となくめぐってみました。
ユルくて怖い、ある意味で京都的とも言えるそんな節分めぐり、お楽しみ下さい。

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2014年の節分をめぐってきました。もちろん、ひとりで。【前篇】

2014年2月3日(月)


2014年の節分をめぐってきました。もちろん、ひとりで。

毎年恒例の節分めぐり、2014年度版でございます。
深層意識で今なお旧暦のタイムテーブルが稼働し続けているせいなのか何なのか、
「本来の年越し」 的な感じで、ある意味では正月以上の盛り上がりを見せる、京都の節分
市内の多くの寺社で2月3日を中心に各種祭典が行われ、大きな賑わいを呼んでいるのであり、
メジャーどころの単独正面突破を旨とするうちでも、毎年、めぐり特攻を繰り返してきました。
2011年は、本丸たる吉田神社の節分祭・追儺式に特攻して鬼が全然見えない玉砕から始め、
各地で鬼が暴れる様を追いかけ回した末、火炉祭を観に戻った吉田で今度は閉め出し食らったり。
2012年は、舞踊奉納や節分狂言、追儺狂言といった芸能を、あちこちでタダ見しまくった後、
須賀神社で独男に無縁な懸想文を購入し、悲願の吉田神社・火炉祭の炎では顔面を焼かれたり。
そして2013年は手抜きをしたくなったので、東山周辺の寺社の節分祭を極めて適当に巡り、
鬼の写真が全然撮れなかったので、 「無形の鬼を追い求める」 とか適当な屁理屈をこねてみたり。
といった感じで、熱狂と混雑の巷へ飛び込んでは、無意味な疲労を積み重ねて来たわけですが、
では今回の2014年度版はどうしたかといえば、2013年に引き続き、何というか、適当です。
今まで回れてないスポットを、ユル目のスケジュールでダラっと回り、すぐ帰った。そんな感じです。
2月って、寒いですしね。出歩くと、疲れますしね。それにこの時期、色々と金無いですしね。
いや、 「体も懐も寒いからこそ、景気良く盛り上がりたい」 という気持ちは、ないでもありません。
が、でもやっぱり2月って、寒いですしね。疲れますしね。この時期、色々と金無いですしね。
というわけで、前年以上に少ないスポット数を日和り気味で回る、今回の節分めぐりであります。
逆に言えば、堅気の人も実行可能であろう普通の街めぐり+寺社めぐり的なその様、
やはり適当に降りた京阪電車・三条駅から、スタートです。

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妙心寺塔頭・東林院の 「小豆粥で初春を祝う会」 へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2014年1月16日(木)


東林院の 「小豆粥で初春を祝う会」 へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

「関西の薄味は、味が薄いのではなく、色が薄いだけ」 。
某夜更かし発のそんな理解が広まりつつある、昨今の関西薄味事情であります。
否定は、しません。薄口醤油の塩分濃度など持ち出されずとも、我々は濃い味が大好きです。
京都にも、濃厚嗜好は歴然と存在します。特にラーメン領域では、それが露骨に顕在化。
脂を大量に投入する背脂系、炒飯まで真っ黒な新福・第一旭系、スープに箸が立つ天一などなど。
いずれも、病的です。異常です。薄味和食への欲求不満で発狂したかの如く、変態です。
が、その薄味和食にしても、出汁レベルでは塩分以上に濃厚だったりするのであり、
「ダシは張り込め」 を合言葉に、一般家庭でも案外と旨味に金と手間がかけられてたりします。
我々は濃い味が大好きです。単に醤油を煮詰めたような味は、やはり病的に嫌いですが。
とはいえ、本当に薄味を極め、素材の力を極限まで引き出す料理もまた京都には存在するのであり、
その典型が、寺院、特に禅宗寺院で食される精進料理であることは、言うまでもありません。
道元禅師の教えに従って、禅の思想を食でも実現し、後には和食の原点にもなった、精進料理。
もちろん現在でも寺で食され、京都でもいくつかの禅院では一般人も食することができます。
「沙羅双樹の寺」 こと妙心寺塔頭・東林院も、そんな精進料理が食せる寺のひとつ。
食せるのみならず、料理教室や宿坊でも知られる東林院ですが、様々な催しも行っていて、
「沙羅の花を愛でる会」 、そして1月中旬から月末まで開かれる 「小豆粥で初春を祝う会」 は、有名。
特に 「小豆粥で~」 は、精進料理のひとつとして禅宗で大切に継承されてきたという小豆粥を、
小正月に合わせていただき一年中の邪気を祓うという、精進度が高い感じの催しです。
ちなみに会費も精進度が高く、3700円。370円ではありません。3700円。
「何だそれは」 と、額に興味はあったものの、額ゆえに行く気は起きなかったんですが、
今年は奮発して、高価い小豆粥で一発、精進してみることにしました。
割高な精進に励む様から精進落としまで、お楽しみください。

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金札宮の寶恵駕籠巡行を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2014年1月11日(土)


金札宮の寶恵駕籠巡行を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

伏見城築城以前の伏見は、決して何も無かったわけではありません。
巨椋池に面した月見スポットとして、伏見殿など貴族の別荘が数多く建ってたのであり、
いわゆる城下町としてのイメージは、当然ながら伏見城が建った織豊期以降の代物であります。
また、寺田屋を始めとする河川交通のターミナルとしての顔は、伏見城廃城後の産物であり、
恐らく最もポピュラーなイメージである酒蔵に至っては、河川交通が駄目になった明治以降の産物。
京都の中心部と風土が異なる伏見ですが、伝統と刷新の歴史を持つことは変わらないわけです。
もちろん伏見城築城による 「刷新」 は、その影響が現在に残るほど大規模&決定的ですが、
「伏見城以前」 の痕跡もまた伏見には多く残ってるのであり、御香宮神社などはその代表格でしょう。
そして、その御香宮神社とミステリアスな関係があるとかないとか言われる金札宮もまた、
そんな1000年以上前から続く 「伏見城以前」 の伝統を、現在に伝えてくれる神社だったりします。
金札宮。きんさつぐう。観阿弥の 『金札』 、あるいは金絡みのパワスポとしても、有名かも知れません。
750年に天照大神が天太玉命を遣わせたとか、貞観年間に橘良基が阿波国から勧請したとか、
創建について幾つか説はあるものの、結局 「昔過ぎて詳細不明」 となってしまうほどの古社・金札宮。
そんな金札宮で年明けに行われるのが、末社である恵比須社絡みの寶恵駕籠巡行です。
寶恵駕籠。新字だと、宝恵駕籠。いわゆる 「えべっさん」 です。 「えべっさんのほえかご」 です。
近くに巨大な大手筋商店街があるためか、その賑わいは実にネイティブな 「笹持て来い」 感に溢れ、
同時に、長きにわたりこの社が集め続けるネイティブな信仰も感じさせるものになってます。
金札宮に恵比須社が遷座したのは明治以降らしいので、比較的新しい行事なのかも知れませんが、
ある意味、伝統と刷新を繰り返した歴史を持つこの町らしい催しとも言えるのではないでしょうか。
というわけで、そんな金札宮の寶恵駕籠巡行、伏見の町をうろつくように見物してみました。
明治以降に始まった行事かも知れないのなら、明治以降の酒蔵にも敬意を表すべきだろうと考え、
というのは完全に嘘ですが、とにかく寒かったので、酒粕スープの麺類もおまけで連食。
寒くて、でも熱い新春の伏見を、一緒にうろついてみませんか。

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2014年への年越しを、京都で迎えました。もちろん、ひとりで。

2014年1月1日(水)


2014年への年越しを、京都で迎えました。もちろん、ひとりで。

あなたは知ってるでしょうか。元旦の深夜は寒いということを。
元旦というのは、あの元旦のことです。1月1日とも呼ばれたりする、あの日のことです。
で、深夜というのは、遅い夜のことです。具体的には、22時から翌5時ぐらいの時間のことです。
元日のこの時間帯って、寒いんですよね。寒いって言葉では全然足りないくらい、寒いんですよね。
特に京都は、夏の頃は 「俺を殺す気か!!いやもういっそ殺せ!!」 って思うくらい暑いのに、
冬は死ぬほどというか、比喩ではなく明確かつ具体的に死の恐怖を感じるくらい、寒いんですよね。
あ、そんなことは知ってますか。百も承知ですか。それはまあ、そうですよね、安心しました。
じゃあ、いきなり本題に入りますが、京都で年越しなんてもう、やってられないんですよ。
2011年の時みたいに、時ならぬ大雪が降る大晦日の昼に円山公園&清水寺へ特攻かけたり
高台寺行って除夜の鐘撞き損ねたりとか、翌日も寝ずにうろついたりとか、やってられないんですよ。
また2012年の時みたいに、年始早々伏見稲荷の山を巡ったりとか、やってられないんですよ。
さらには2013年の時みたいに、真っ暗な嵯峨野で除夜の鐘難民化とか、やってられないんですよ。
と、こうやって過去の年越しネタを並べると、明らかにうろつくボリュームが年々減ってますが、
それくらいこのネタ、帰ってしばらくは頭痛や脚痛で動けなくなるくらい、体がガタガタになるんですよ。
というわけで2014年度の年越しネタ、前後編に分けることなく、1本の手抜きな内容です。
いや、誰に頼まれてやってるわけでもないので、そもそも手抜きもひったくれもない話なんですが、
とにかく己の体をいたわるべく、ゆっくりと、そしてのんびりと、浅~く浅~く、うろつきました。
うろついたのは、岡崎→黒谷→蹴上といったエリア。この選択にも、特に大した理由はありません
単なる気まぐれ+私がおけいはんの民ゆえ、不調の際は電車ですぐ帰れるよう、日和っただけです。
ただ、徒歩圏を適当な彷徨う仕様である分、気まぐれにうろつく 「普通の年越し」 的内容に、
真人間も参考に出来る 「普通の年越し」 的内容に、あるいはなってると言えるかも知れません。
「なるわけがない」 とも思いますが、とにかく孤独な年越し、行ってみましょう。

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橋本の多津美旅館で、聖夜を過ごしました。もちろん、ひとりで。 【3】

2013年12月24日(火)


橋本の多津美旅館で過ごす聖夜、ラストです。

ぶちまけるという、快楽。 「異界」 で無責任にぶちまけるという、快楽。
生殖と切断された形で、未来を踏みつけ吐き捨てるような形で、ぶちまけるという、快楽。
そうすることでしか味わえない、凄く性質の悪い、しかし抗いようがなく魅力的でもある、快楽。
そんな困った快楽を、売防法施行以前は遊廓が、そして現在は風俗が担ってるわけですが、
お役御免の遊廓に昨今、昔とは違う、でもある意味で似た欲望がぶちまけられるようになりました。
「残照」 やら 「郷愁」 やら 「幻影」 やら、あるいは 「レトロ」 やら 「裏」 やら 「ディープ」 やら、
また特殊な性癖としては 「日本文化の粋」 やら 「真の伝統」 やら 「聖なる空間」 やら。
様々な人の様々な立場からの様々な欲望が、遊廓 or 遊廓跡へぶちまけられるようになりました。
もう、ベットベトであります。バンバカバンバカぶっぱなされまくって、もう、ベットベトであります。
いや、別にそういう下衆な行為を批判したいのではありません。私が今してることも、基本、同じだし。
私も、好きなことを無責任にぶちまけてるだけです。何なら、もっと性質が悪いともいえるでしょう。
ただ、遊廓跡が地元というか近所にある人間としては、そのぶちまけぶりが妙に見えたり、
または滑稽に見えたり、あるいは特に理由は無いですが酷く醜悪に見える、というだけのことです。
で、その妙さ&滑稽さ&醜悪さは、姦淫を以て主の生誕を祝す類の輩へ対して抱く感情と、
日常が 「異界」 化した聖夜に欲望をぶちまける輩へ対して抱く感情と、奇妙なくらい似てたりします。
この感情は、いったい何なんでしょうか。こんな感情を抱く私は、いったい何なんでしょうか。
そして、こんな奇妙な欲望と性癖で右往左往する私たちは、いったい何なんでしょうか。
というわけで、境界が孕む魔力によりブーストされた遊びセックス祭としての日本のクリスマスを、
元・遊びセックス祭の場である国境の遊廓跡にて見据えるという2013年のクリスマスネタ、
【1】【2】 に続いて遂にラスト、孤独な夜を乗り越えるまでを、一気に突っ走ります。
私は、正気を保てるのか。そして、思いつき一発の問題提起に、それなりの決着はつくのか。
末尾のありきたりな町めぐりと共に、最後まで見届けてやって下さい。

【本記事の内容は、全て筆者個人の主観に基づくものです】

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橋本の多津美旅館で、聖夜を過ごしました。もちろん、ひとりで。 【2】

2013年12月24日(火)


橋本の多津美旅館で過ごす聖夜、続きです。

橋本遊廓ノ起源ヲ歴史に徴スルニ今ヨリ千二百餘年前即チ神龜元年中人皇第四十五代 聖武天皇
山崎ニ寺院ヲ建立シ給ヒ寶寺ト稱シテ勅願所トナシ毎年奈良ヨリ勅使ヲ差遣サレタリ 當時附近ノ川
ニ橋ナク不便ナルヨリ神龜三年行基菩薩ガ山崎ノ橋ヲ造ル其レヨリ此橋ノ東ノ袂ヲ橋本ノ津ト称シタ
リ / 程ナク此處ニ一軒ノ茶店建テラレテ通行人ノ休息所トナシ茶汲女ヲ置キテ之レガ接待ヲ爲サシ
メタル
(橋本貸座敷組合 『橋本遊廓沿革誌』 1937 以下、引用文中の改行は 「/」 で表記)

八幡町遊廓は京都府綴喜郡八幡町字橋本に在つて、京阪電鐵橋本醳以西が全部遊廓の許可地
に成つて居る。明治十年の創立で、歌舞伎で有名な 「引窓」 の 「橋本の里」 が今遊廓の在る所だ。
(中略) 女は主に中國、四國、九州方面が多い。店は陰店式で、娼妓は居稼ぎもやれば、又送り込
みもやつて居る。遊興は勿論時間花制又は通し花制で廻しは絶對に取らない。費用は一時間遊び
が一圓で、引過ぎからの一泊は五六圓だ。
日本遊覧社 『全国遊廓案内』 1930)

家を出ても、行くあてはなかったが、財布の底をはたいて 「橋本」 までの切符を買った。旧京阪電車
の橋本というところに、離れ島のような遊廓があると聞いていた。遊廓以外のところでは働く方法を知
らなかった。 (中略) もと住んでいた京都の廓とはくらべものにならないような片田舎であったが、此
処なら誰にも見つからず済むかも知れないと思った。
川野彰子 『廓育ち』 所収 『狂い咲き』 1964)

「来年の春には、ああいう町も無くなるんやろ。そしたら質屋さんも打撃を受けるね」 / 咲山は廓の
ことを、ああいう町とかあんな店といった。その言葉に心情を表しながら、一方では我が家の心配をし
ていた。
「あんな町、無くなったらいいんです」 / 三十三年四月一日からの売春防止法の施行
は、半年後に迫っていた。
(里人十枝子 『くるわの質屋』 所収 『廓の質屋』 1986)

という橋本の町。名湯・橋本湯へ行き、その帰りにちょっとブラブラしてみました。

【本記事の内容は、全て筆者個人の主観に基づくものです】

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橋本の多津美旅館で、聖夜を過ごしました。もちろん、ひとりで。 【1】

2013年12月24日(火)


橋本の多津美旅館で、聖夜を過ごしました。もちろん、ひとりで。

日本に於けるクリスマスは、何故、性の祝祭となり得たのでしょうか。
考えてみれば、不思議です。歳末の忙しい時期に、セックス祭。不思議というか、妙です。
バレンタインデーなら不思議はありません。というかむしろ、自然。なのに何故、クリスマスかと。
その理由は、クリスマスが孕む境界性にあるのではないかと、私は勝手に考えてます。
「今年と来年」 または 「平時と年末」 という、時期的な境界。 「西洋と東洋」 という、文化的な境界。
そして、帰省する者が現在より遙かに強く感じたであろう 「都市と地方」 という、地理的な境界。
本来の起源も 「太陽神の誕生祭」 = 冬至の日であるように、クリスマスは様々な境界を孕んでます。
境界 or アジールが、遊興や性的放埓へ人を駆り立てる魔力を持つことは、周知の事実。
その魔力が、バブル期日本の聖夜に於いてより強烈に作用したのではないかと、私は思うのです。
本気で思うのかといえばもちろん冗談ですが、しかし、聖夜の性祭化に謎があることは、確か。
そこで、聖夜に孤独な聖戦を繰り返して来た当サイトとしては、より敵の本質に肉迫すべく、
境界性がより露わとなるスポットで、2013年のクリスマス単独お泊まり企画を決行してみました。
泊まったのは、橋本の多津美旅館。橋本は、私の地元・八幡にあり、かつて遊廓のあったところです。
「天下分け目の天王山」 の山崎と、淀川を渡る橋で結ばれてたことにその名が由来する、橋本。
京都と大阪の国境+石清水八幡宮の門前にあって、淀川通運の宿場町+門前町として、
また昭和33年の売春防止法施行に至るまでは大きな廓町として、大いに賑わった町であります。
遊廓廃止後も街並がかなりそのままの形で残り、好事家の注目を集めるようになったため、
その手の書籍やサイトがお好きな方なら、町の名前を聞いたことがあるという方もきっと多いでしょう。
多津美旅館は、そんな橋本にあって、売防法施行後に遊廓から転業されたビジネス旅館。
建物は大半が改装されてますが、玄関には華やかなりし往時の面影が猛烈に残ってたりします。
八幡市民の私としては、ちょくちょく前を通るところであり、何か凄く気まずいんですが、
クリスマスと境界性の関係を見据えるにはこれ以上の場所はないと考えて、泊まってみました。
えと、題材が題材+地元の話ゆえ、今回ちょっと、重いです。と同時に、狂ってます。
色んな意味で真面目な方は、閲覧、御遠慮下さい。では、行きましょうか。

【本記事の内容は、全て筆者個人の主観に基づくものです】

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