京町家 『鈴 紫野』 を借り切って聖夜を過ごしました。もちろん、ひとりで。 【後篇】

2017年12月24日(日)


京町家 『鈴 紫野』 を借り切って過ごす聖夜、後篇です。

GHQ指導に因る財産税法制定まで、京都の町家は大半が借家だったといいます。
借家の大家を務めたのは、大きな商家など。住人の多くは、店子として町家に住んでたわけです。
祇園祭の運営に関する話とかで、よく耳にすることですね。 「店子は祭に参加出来ない」 的な。
そんなある種の階層社会の維持に励むと共に大家は、資産である町家の美観維持にも励んだとか。
資産というか、収入源ですし。こうした辺りからも、昔の町家の美しさは保たれてたそうであります。
が、財産税法制定の後、町家は、課税対象化。やがて大家の多くは、町家の借家維持が、困難化。
結果として、大家が店子に対して住んでる町家の購入を持ち掛けるケースが頻出したそうです。
恐らくは戦後に 「持ち家」 化し、家主により出鱈目な改装が施されたのであろう、昭和の町家の姿。
今なお街のあちこちで 「リアルな京都」 を感じさせてくれる、あの無秩序な看板建築町家の姿は、
実は、社会の激変に因るオーナー変更から生じた一過性の姿、と言い得るものなのかも知れません。
そう考えると、町家はそもそもが、流動性あるいは 「境界」 性を持つ建物とも思えてきます。
「継ぐべきもの」 として屹立し、愛着と共に疲労や悲しみを生むこともままある 「マイホーム」 ではなく、
大家は次の過客を呼び込むべく美観を整え、店子もまた各々の季節に伴って通り過ぎるという、
流動的でゆるやかで、ある種 「境界」 的である居住空間としての町家が、イメージ出来るというか。
いかにもな外観と単に暮らし易い中身を持つリノベ町家宿が、それらの直系とは言いませんが、
少なくとも、昭和後期に大量発生した生活感出し過ぎ改装の町家と同程度には高い一過性を持ち、
また、時代を生きる人々の 「何か」 も同程度に反映されたもの、とは言えるのではないでしょうか。
というわけで、そんな過剰なリノベによって何とも過ごし易い町家宿 『鈴 紫野』 での聖夜、後篇です。
後篇は、完備されたキッチンを駆使して京野菜を調理する晩餐、欠かせないクリスマスケーキ、
夜の精神戦を経て翌朝に不思議な音を耳にするまで、雪だるま君と一緒に一気に突っ走ります。
『鈴』 に相応しいジングルベルの音色は、果たして、鳴り響いてくれるのでしょうか。


家の中を喜んでうろうろしてたら、すっかり腹が減りました。そろそろ、晩餐にしようと思います。
『鈴 紫野』 、近所にラーメン 『なるかみ』 があるんですよね。背油系で唐辛子が効いた、美味い店。
ただ、丸大根は既に購入済みです。あれは是非とも今夜、食いたい。それに、キッチンも活用したい。
ので、改めて夜は自炊と決めました。というわけで、大根を活かせる他の具材を仕込むべく、外へ。


外は、雨。さっと走って上千本商店街へ入るも、日曜+夜の為か、開いてる店は少なめ。
かろうじて開いてた地元密着型のスーパーほていやへ寄って、目に付いた食材をあれこれと購入。
足りないと思った分は、少し北の対岸にある京都のスーパーチェーン・フレスコの鞍馬口店にて購入。
どちらも、客は少なめ。この辺の働く人達が、普通に買い物してるばかりです。私も、すぐ帰ります。


で、帰って戦果を開陳。ほていやで買ったのは、山賊焼と金時人参、そして巨大な海老芋。
山賊焼は、ローストチキン風のデコが付いた380円のもありましたが、余裕で無印な198円のを購入。
京野菜として買った金時人参と巨大海老芋は、金時人参の方は四国産、巨大海老芋の方は宮崎産。
しかも芋は、 『京芋』 とか名乗ってます。が、150円。許しましょう。白飯代わりには、なるはずです。


フレスコで買ったのは、刻みネギパックと見切り品の豚肉、そして石野の白味噌とシャンメリー。
買った野菜を白味噌出汁で煮て、上にネギでも振ったら、簡単に調理が済むと踏んだわけですね。
この場合、肉は鶏の方が良いんですが、鶏の山賊焼を買ってるので、安かった栃木産の豚肉を購入。
芋がゲル化した豚汁風の野菜煮込みを、山賊焼と共に食い、聖夜気分を盛り上げようと思います。


で、調理を開始。調理といっても、材料をぶった斬って鍋へ放り込み、煮るだけですけどね。
キッチンには、包丁&俎板もあり。包丁はなまくらですが、ぶった斬るだけなので、問題はありません。
それにしても 『京芋』 、大きい。海老芋と違う芋に見えるくらい、大きい。あるいは、本当に違う芋かも。
と、不審に思いながら、ゲル汁用に半分を細かく斬り、残りはざく切り。他の具も全部、ざく切りです。


で、煮ること、しばし。キッチン、鍋もあります。小さいけど。そのせいか、芋の火の通りが、遅い。
里芋より火の通りが遅い海老芋ですが、それにしても、遅い。下拵えを全部サボったとはいえ、遅い。
待ちきれずに味噌を入れてしまった後も、芋だけ煮えず。で、風味が命の白味噌を、ぐつぐつ煮まくり。
おかしいな。本当に芋だけ火が通らないので、人参と大根を取り出してさらに煮たり。おかしいな。


と、悪戦苦闘の末に出来た、謎料理。 「豚と京野菜の白味噌芋汁煮込み」 と呼びましょうか。
量に合う皿がないので平皿へ盛り、残り汁は丼へ入れました。雪だるま君、笑顔が引き攣ってます。


具材と水気のバランスが完全に崩壊した謎料理、味の方は、焼け焦げた味噌と繊維質の味。
ネギを盛ると多少マシになりましたが、食うことは基本、苦行。活かせなかった大根に、謝罪します。


山賊焼は、水焼きした大根の葉を添えて、大皿に盛ってみました。シャンメリーと共に、食す。
ぱっと見、片栗衣付き煮込み鶏でしかない山賊焼。味の方は、本当に単なる片栗衣付き煮込み鶏。


本当に単なる片栗衣付き煮込み鶏という感じなんですが、でも山賊焼、美味い。凄く、美味い。
というか、本当は山賊焼が美味いのではなくて、自分の料理が、不味い。余りにも、不味い。悲しい。


余りにも悲しいので、食後、テーブルで落ち込むこと、しばし。雪だるま君が、慰めてくれます。
「お兄さん、落ち込まないで。自分はこんな所まで来て一体何をやってるのかと、考えたりしないで」


「お兄さん、落ち込まないで。寝転びたいからってわざわざみせの間まで来て、落ち込まないで」
「寝ながら調べて、 『京芋』 は海老芋と全然違う宮崎の芋と知ったからって、さらに落ち込まないで」


そうなんですよ。 『京芋』 、全然煮崩れしないそうですよ。と感心しながら、雪だるま君と洗い物。
洗う義務はないですが、洗います。 「お兄さんは、朝に洗い物が残ってると死にたくなる人なんだよ」


洗い物の後は、入浴。入浴の時間制限もないですが、隣家が近いので深夜前に入っときます。
風呂は、実に普通。シャワーの出ぶりも恐ろしく良好で、ボディソープ類も充実。余りにも普通です。


で、入浴後、クリスマスケーキを買ってないことに気付きました。ので、ケーキ購入の為に外出。
外は、夕食買い出しの時と同様、雨。その為か、近隣に出歩く人は少なく、普通に住宅地の夜状態。
クリスマスイブであり、また日曜の夜でもあるんですが、騒いでる阿呆や輩などは全然見かけません。
あ、ケーキは、バス停のすぐ傍に100均ローソンがあったので、即入店&即購入。で、すぐ帰ります。


100均ローソンで買って来たのは、20円引きのカップスイーツレアチーズと20円引きのクレープ。
共に、 「賞味期限 17.12.25」 の表記が輝いてます。雪だるま君も、何だか瞳がとても羨ましそうです。
京都人の日曜深夜のしきたりとして、KBS京都 『大林幸二のきょうの夜』 を観ながら食うこと、しばし。
カップスイーツレアチーズとクレープ、味はもちろん、80円の味。100円の味ではなくて、80円の味。


80円の味を堪能した後も、雪だるま君と一緒に大林幸二の熱唱ぶりを観たりすること、しばし。
「でもお兄さんは、音を消してるよ。この家は吹き抜けになってるから、とんでもなく音が響くんだよ」
そう、響くんですよ。もちろん雨音も、無茶苦茶響いてます。まるで、夏の豪雨のように聞こえるくらい。
で、この音で心が萎え、外出する気がしません。近くの名所への夜散歩、したかったんですけどね。


『鈴 紫野』 は、金閣寺北野天満宮へも徒歩10数分。夜散歩で行きたかったんですけどね。
で、ダラダラしてる内に 『明石家サンタ』 が始まったので、もう寝るかと思い、寝室がある厨子2階へ。
で、寝ようとした瞬間、 「もっと全部の部屋を楽しまねば」 と貧乏性に駆られ、色々と遊んでみるの図。
無の間から、ゴロンボを借景として 『明石家サンタ』 を観る、雪だるま君。楽しいなあ。幸せだなあ。


で、貧乏性の発作が収まったら、今度は急に激しい徒労に駆られたので、今度は本当に就寝。
圧迫感溢れる寝室、ベッド・布団はこれまでの聖夜泊でぶっちぎりに、最高。特に掛け布団が、最高。
いや、 「これまで」 が異常な所が多いというだけの話ではあるんですけど。とにかく、一瞬で落ちそう。
枕元で雪だるま君に見守られながら、もう寝ます。鈴の音はまだ聞いてないけど、おやすみなさい。


いや、やっぱり鈴の音、聞きたいな。明日の朝は、鈴の音で目が覚めたりしたら、いいな。
前回の町家泊の際みたいに、寺の朝行の太鼓で起こされるのではなく。ゑんま堂、やらんだろうな。
などと危惧し、半分以上頭が落ちてる状態で携帯のアラーム音を 「ringing alarm」 に、頑張ってセット。
で、2時頃、完全に爆睡。おやすみなさい。そして、全ての孤独な聖戦士達に、メリー・クリスマス。


で、翌7時、鈴にセットしたつもりが間違えてたらしく、デフォの変な曲に叩き起こされて、起床。
寝てる間、寒さを感じることは、なし。トイレで下へ降りる際も、なし。これまでで、最高の寝心地です。
いや、 「これまで」 が異常な所が多いというだけの話ではあるんですけど。とにかく、よく寝れました。
雪だるま君は、虫籠窓の代わりに付けられた窓の前で、鍾馗さんのように外を見張ってたようです。


で、起きたら、朝食。面倒なので、今回は白味噌雑煮などは作らず、パンで済ませますよ。
完全に普通の町の朝、という感じの町を歩き、またもや100均ローソンへ行き、100均のパンを購入。
そう、買ったのは100円のパンです。20円引きでなく、100円のパンです。5年経ち、私も成長しました。
が、貧乏性の発作には相変わらず駆られ、みせの間を何とかもう少し使おうと思い、和室にて食す。


と、頑張って貧乏性に駆られてみても、ひとりで本当の一軒家はやはり広過ぎたと反省しながら、
朝食の後始末&帰り支度をぼちぼちと始めた頃、玄関先から 「ホーさん」 が 「ほー」 と唸る声あり。
「ホーさん」 = 禅宗の雲水さんが行う托鉢、家の写真を撮るのさえ難しい小路も小まめに回ってます。
大覚寺から来てるんでしょうか。お布施は出しませんが、鈴の代わりに有難く聴かせて頂きました。


余りの過ごし易さで、京都にいることも忘れてましたが、 「ほー」 で何かを取り戻した気がします。
と、感じた所で、そろそろチェックアウト。ほぼ飯作って寝ただけですが、ありがとう、町家。元気でな。
前篇で触れた通り、レセプションへ戻る必要はなし。このまま乾隆校前からバスで帰って構いません。
が、昨夜にしようと思ってた近隣名所への散歩、距離感の確認も兼ね、帰る前にやっときましょう。


宿の前の小路を出て、誰もが忙しそうに東へ向かい走ってる寺之内通に入り、逆方向の西へ。
機織の音が微かに響く中を歩き、天神川を越え西大路通へ入って、少し北上したら、金閣寺に到着。
所要時間は、約15分。確かに充分、徒歩圏です。理屈ではわかってたけど、感覚的には正直、意外。
クリスマスの金閣寺周辺は、欧米系の観光客が普通に、多し。少し、京都へ戻った気になりました。


お次は、西大路を南下して、平野神社で東へ入り、北野天満宮へ。所要時間は、また約15分。
『鈴 紫野』 から直行したなら、10分もかからないかも。因みに、この日の北野天満宮は、終い天神。
露店で賑やかですが、私が食べるのは天神堂の焼き餅です。で、食ったら、今度は本当に帰ります。
天神さん帰りらしき老人が多いバスに揺られること、しばし。かなり、京都へ戻った気になりました。

『鈴 紫野』 、1~3泊程度の生活をする分には何の問題もないクオリティを誇ります。
特にトイレ・風呂・ベッドなどがしっかりしており、誰もが安心して泊まれるポイントになるでしょう。
近隣への迷惑を配慮したルール各種が設定されてはいますが、どれも常識の範囲内であり、
常識外れのひとり者でも、一般教養として常識を持っていれば、不自由さは感じないはずです。
キッチン関係も、本気のがっつり料理は難しいかも知れませんが、そこそこ行ける感じ。
あと先述通り、空調の必要を全然感じなかった点は、大きいかと。

周囲の店は、こちらも先述通り、早く閉まる所が多し。
足を伸ばせば幾らでも店はありますが、それだと此処へ泊まる楽しみが減る気もしますし。
あと、これまた先述通りですが、やはりひとり泊まりの宿としては、広過ぎ。
懐古庵の際と同様、ほぼ籠りっきりでしたが、それでも楽しむには時間が全然足りません。
「清掃、大変だろうな」 ということばかり私は考えてしまい、妙に気疲れしてました。

そんな 『鈴 紫野』 での、聖夜。
好きな人と泊まれば、より町家なんでしょう。
でも、ひとりで泊まっても、町家です。

京町家 『鈴 紫野』 を借り切って聖夜を過ごしました。もちろん、ひとりで。 【前篇】


 
 
【ひとりに向いてる度】
★★★★
金額に見合った、あるいはそれ以上の町家宿。
ただ、当然ながらひとりには、広過ぎ。
コスパは、その人が何に価値を置くかによると思う。
 
 

鈴 紫野
京都市北区紫野中柏野町10

京都市バス 乾隆校前下車 徒歩約3分
嵐電 北野白梅町駅下車 徒歩約20分

紫野|町家の宿 「鈴」 – 公式