円福寺の春季萬人講へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2016年4月20日(水)


円福寺の春季萬人講へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

「ホーさん」 の記憶というのが、辺境の地・八幡に生まれ育った私にもあります。
ディティール以上にその温度感で京都の恐怖を精緻に描いた入江敦彦 『怖いこわい京都』 で、
女学生の心へ謎の追跡恐怖を植え付ける 「怖いこわい人間」 として登場した、 「ホーさん」 。
その正体はといえば、単に禅宗の雲水さんが 「ほー」 と言いながら托鉢に出てるだけなんですが、
ただ、人間の声とも動物の声とも違う、そしてあらゆる自然の音とも違うあの声は、確かに、不気味。
「ほー」 と言いながら追いかけてくる恐怖をトラウマレベルで抱くことも、ない話ではないでしょう。
いや、僧侶や家元といったいわゆる 「白足袋族」 が社会ヒエラルキーの最上位を占める洛中では、
坊さん達のあの声は別の意味でホラーだったりするのかも知れませんが、その辺はまあともかく。
そんな洛中とは全然関係無い八幡の私が、何故この 「ホーさん」 の記憶を持つのかといえば、
八幡に禅宗の専門道場が存在し、そこの 「ホーさん」 が 「ほー」 と言いながら歩いてたからです。
その道場の名は、円福寺。正式名称、圓福寺。別名、達磨堂 or 江湖道場。山号は、なし。
筒井順慶の日和見で有名な洞ヶ峠の近くに立つ、臨済宗妙心寺派の最初の専門道場であります。
1783年、白隠の高弟&妙心寺塔頭・海福院第6世の斯経慧梁は、この地に道場建立を発願し、
聖徳太子自作と伝わる達磨尊像&寺号なども、地元の石清水八幡宮別当家・田中家からゲット。
かくして江湖道場が完成し、以後現在に至るまで雲水さんが托鉢などの修行に励んでるわけです。
大村しげの著作を読む方なら、文中に時折この寺名が登場するのを御記憶かも知れませんし、
山城地域の方には、毎冬 「ダイコンの木」 ニュースで登場する寺、として御馴染みかも知れません。
そんな円福寺、 「ホーさん」 の方は河岸を変えたのか、私はあまりその声を聞かなくなりましたが、
斯経禅師の遺命で始められた春&秋の萬人講 = 祈祷&お斎付き一般公開は、現在も盛況。
特に春季萬人講は、八幡名物・筍を主役にした精進料理を味わえる、いい機会にもなってます。
というわけで、精進ではなく精進料理を求め、近所の道場へ出かけてみました。


萬人講当日の11:50、円福寺行きの専用のシャトルバスが出る京阪電車・樟葉駅へ到着。
樟葉駅があるのは、大阪府枚方市。京都府でさえないですが、円福寺の最寄駅はここであります。
バスロータリーの一角に 「のりば」 立て看が出てて、近くには職員も立ってましたが、時刻表はなし。
で、50分に着いた瞬間、 「直行」 と前面に札を貼ったシャトルバスが、ロータリーを出て行きました。


しばらく待つか。とか思ってると、すぐ次の 「直行」 バスが到着。便数、多いみたいですね。
バスは寺までノンストップで、運賃は200円ちょっと。ICカードが使えるので、私はそっちで払います。
樟葉を走り抜けたバスは、R1へ進入し、枚方と八幡の境界 = 大阪と京都の境界である洞ヶ峠を登坂。
現在は、完全に単なる道路となり果ててしまってる、洞ヶ峠。バスは、あっという間に通り過ぎました。


で、洞ヶ峠を越えた辺でバスは右折し、寺の門前近くへ停車。達磨堂円福禅寺、到着です。
普段は道場ゆえ非公開の円福寺ですが、萬人講の今日は 「しぼ丸」 など老人好みな露店が林立。
門前に屯してるのは、無論全員が、老人。あ、バスに乗ってた10人くらいの客も、無論全員が、老人。
また、タクシーが次々と門前にやって来ては客を降ろしていきますが、その客も無論全員が、老人。


「ほたもち食べてって、ぼ━━━━━た━━━━━━も━━━━━━ち━━━━━━」 と、
名物・巨大ぼたもちを売り込む洞ヶ峠茶屋の露店のおばちゃんの声を、背中で聞きながら、参道へ。
江戸期の八幡に存在した南山焼の創始者・浅井周斎より、土地の寄進を受けたという、円福寺境内。
門前の賑わいとは異なり、ひんやりとして澄んだ空気が漂ってます。流石は、禅寺。流石は、道場。


とか思いながら、少し登ったり下がったりして参道を進むと、またも老人好みな露店が登場。
漬物・小魚・茶・包丁と、まるで冗談かネタかの如くナチュラルレトロなラインナップ、揃い踏みです。
しかしその先には、いかにも禅風味の伽藍が屹立。 「洛南の一大禅道場」 へ着いたわけであります。
坐禅・作務・托鉢に精進する雲水さん、即ちあの 「ホーさん」 が、沢山いる場所なわけであります。


露店を前景に配してもなお、その渋さと威厳がひしひしと伝わってくる山門を、正面から拝む。
参道&客層の渋さ加減から、年季の入りまくった建築と思われそうですが、実は案外、新しめです。
建ってる建物や庭、それに木など、境内は全体的に新しい感じであり、こちらの山門も1991年の再建。
もっとも前面の 「江湖道場」 と書かれた木額は、この寺を中興した海門禅師の筆だそうであります。


で、もう少し山門に近付き、その 「場道湖江」 の木額を、地球に優しい気分でしみじみ拝見。
円福寺、本堂・庫裡も2003年、京セラの寄進で再建。禅堂・達磨堂も、布施によって2012年に再建。
建物の雰囲気、新しい筈です。流石は 「算盤面」 の妙心寺派、算盤勘定も修行の内なんでしょうか。
そういえば、 「しぼ丸」 などの露店が並ぶ門前のすぐ横手には、盛況そうな墓地が拡がってました。


で、その盛況な円福寺の萬人講、ぼちぼち入りましょう。お代は、 「算盤面」 価格な2000円。
山門では、算盤勘定の修行中かどうかは不明の坊さん、そして奉仕らしき人達が受付をやってて、
そこで2000円の特別参拝券を買い、山門を潜ったすぐ先の受付で見せると、お食事券がもらえます。
お食事券には、御祈祷券が付いてました。いや、訂正。御祈祷券には、お食事券が付いてました。


境内、山門の前でも太鼓の音や読経の声が盛大に聞こえてましたが、中は無論、もっと盛大。
新築感溢れる禅堂の前では水子供養や回向も行われ、堂内では坊さんによる肩揉みなども展開。
『禅語くじ』 なんてのもあり、NOT 「算盤面」 価格の100円だったので、引いてみました。出目は、吉。
頂いた開運禅語・格言は 「莫見平穏」 、更なる開運の一手は 「カーテンを開けること」 である、と。


その禅堂を横から出て、伽藍の裏をつたうようにして移動し、次は靴を脱いで上がる本堂へ。
靴を入れた袋を持ち、よっこいしょと上がり込むと、奉仕の人に白い券を持ってるかと訊かれました。
持ってる券で、黄色い券は、参拝券。白い券は、御祈祷券付きお食事券 or お食事券付き御祈祷券。
というわけで食事券を差し出すと、奉仕の人はチェックスタンプを捺印。で、祈祷をひとり分書け、と。


言われるまま本堂隅の祈祷コーナーへ行き、簡素な祈祷札に祈祷を記入させてもらいます。
机には、健康祈願や恋愛成就など多彩な御利益プリセット表、あり。オールラウンドな達磨ですね。
私は、達磨に頼むなら勝負だろうと考え、 「心願成就」 で当サイトの圧倒的勝利を祈っておきました。
本堂内では、坊さん達が祈祷しまくり中。ゆえに、日本最古という達磨像にはあまり近付けません。


元々は大和王寺・達磨寺に奉安されていた達磨像を、室町期に再刻したものという、達磨像。
寺が燃え守護家が保護→その家が一家離散→流浪の同家人が八幡へ漂着→像を田中家に委託→
田中家の火事もサヴァイヴ→その霊験を買われ当寺に安置と、正しく七転八起な経歴を持つ像です。
ただ、遠目から見るだけの達磨さんは、その経歴を反映した表情なのかどうか、全然わかりません。


達磨グッズや達磨くじ、祈祷箸などを授与してる本堂の脇を抜け、今度はお料理引換所へ。
精進料理は、いわゆる弁当の形で渡されます。10cm四方程度の枡を2つ重ねた弁当、という感じ。
で、この弁当を、御札と共に渡されました。で、弁当形式を予想してなかったので、少し戸惑いました。
これを、何処で食うのか。持って帰って食うのか。というか、靴袋と弁当袋で塞がった両手が、辛い。


と、不審者感全開でオロオロしてると、坊さんが親切に 「御殿へどうぞ」 と教えてくれました。
で、引換所を辞して本堂を抜け、張り紙に従って渡り廊下を歩き、汁物の接待が頂けるという御殿へ。
御殿は、有栖川宮家にあった建物が下賜されたというもの。寄っとかないと、勿体無いというもんです。
で、大量のおばさん達と団子になり、寺内を移動。やはり、靴袋と弁当袋で塞がった両手が、辛い。


3万坪あるという、円福寺。広いのは墓地だけかと思ってたら、伽藍が点在する境内も、広し。
おばさん達が廊下で休み込むくらい御殿は遠く、また途中には御覧の様な登り坂もあったりします。
何かもう、禅のアトラクション状態。建物&外の新緑は実に美しく、目は飽きませんが、でも、広過ぎ。
この距離だけでも重荷を持ち、多少なりとも苦行を積むことが、きっと接待の必須要件なんでしょう。


延々と渡り廊下を歩いた末に見えてきた、やんごとなき由緒を誇る御殿。その名を、伏虎窟。
円福寺14世にして大徳寺5代管長を務めた宗般玄芳は、有栖川宮威仁親王の帰依を受けたとか。
後、威仁親王の薨去により、同宮家は断絶。帰依の縁で、東京からその御殿が移築されたそうです。
実にやんごとないですね。新緑に包まれたやんごとなさをじっくり堪能してから、中へ入りましょう。


更にやんごとなさを吸い込もうと思いながら、殿内へ入ろうとすると、坊さんに止められました。
不審者感全開の風体だったからではありません。坊さん、客毎に配置を考え、案内してるそうです。
しばし待った後、妙に客商売慣れした感じで坊さんに案内されて、着席。御札&弁当もやっと、着席。
そう、こんな御札が付いてるんですよ。火盗潜消に除魔疾病と、オールラウンドに功徳があります。


やんごとないというよりは普通の和風大バコ風な感じがする御殿内を、ジロジロ見渡してると、
坊さん、やはり妙に客商売慣れした感じでまずはお茶を入れ、続いて汁物を持ってきてくれました。
勢揃いした食い物のラインナップは、飯+おかずの弁当が2枡、今さっき運ばれた汁物、そしてお茶。
ここは八幡ゆえ、松花堂形式に並べてしばし拝んだ後、 「達磨堂」 のネーム入り箸で、頂きます。


まずは、汁物。八幡名物である筍をメインとして、アクセントにワカメが入った、吸い物です。
かのエジソンが電球実用化の際に使った、八幡の竹。その竹林より生え出た筍であります、多分。
筍の味は、何とも筍っぽい味。筍本来のテイストを嘘くさく消してない辺が、八幡の筍っぽいというか。
出汁はきっと、昆布出汁。精進料理以外の何物でもない、実に精進な気持ちをさせられる、出汁。


弁当の枡、飯の方は、筍御飯。細めに切り込まれた筍が入る、淡泊な味つけの御飯です。
隅っこに添えられてるのは無論、たくあん。 「ダイコンの木」 から出来たたくあんであります、多分。
漬け込む前に境内の大樹で天日干しする様が、樹に大根が成ったようで面白い、 「ダイコンの木」 。
山城地方では毎冬ニュースに登場する 「木」 、その 「木」 より出来たたくあん、味は無論、美味。


弁当のおかず枡には、煮物を中心とした、というか煮物オンリーな精進なものが、ぎっしり。
筍の煮物、里芋の煮物、椎茸の煮物、飛竜頭の煮物、何らかの煮物、他の何らかの煮物などなど。
味は、筍御飯や吸い物よりも更に塩気が少なくて、精進度が高し。筍は、やはり八幡の筍っぽい感じ。
仄かなレア感が残るこの感じでないと、筍を食った気がしないのは、私が八幡人だからでしょうか。


とか言ってる内に、精進料理、全部食い切りました。食後、窓に溢れる新緑を、しばし眺める。
緑、本当に窓枠から溢れまくり。まるで、緑の照明を横から浴びてるようです。白物には、緑が被る。
いや、単に外の方が明るいだけなんですが、この感じこそ近代のやんごとない感な気も、少しします。
あ、テーブルには何か張り紙、あり。狩野探幽の掛軸を見れる茶席があるとか。行ってみましょうか。


先刻歩いた廊下を逆に進むと、先刻は気付かなかった枝道があり、その先に茶室、あり。
江戸幕府の御用絵師となって、奥絵師四家のひとつ・鍛冶橋狩野家を開いた、狩野探幽 aka 守信。
その探幽作で初公開という 『豊千図』 『竹林七賢図』 三幅を拝み、お茶を嗜み500円、でございます。
茶菓子は、小っこい羊羹。抹茶と共に、丸飲みしました。掛軸の方は実に、探にして幽、狩にして野。


というわけで、食うもんをたらふく食い、見るもんも大体見たので、ぼちぼち帰らせて頂きます。
あ、大村しげの本にこの寺が出て来るのは、読んだ方なら御存知でしょうが、親族の墓があるから。
幅広い縁を持ってますね、円福寺。やんごとなき御殿や京セラ寄進の本堂、さっき見た狩野も、そう。
「流石は妙心寺派最初の専門道場」 と、わかるようなわからんようなことを思いながら、退寺。合掌。


終了の14時半が近い為か、来た時よりかなり人が減ってる門前を抜け、ちょっと寄り道です。
円福寺は、R1の洞ヶ峠近くにありますが、八幡と高野山を結ぶ東高野街道沿いにあるとも言えます。
で、この辺のR1は、現代に出来たバイパス。東高野街道の方が、本来のアクセスルートなんでしょう。
というわけで、その東高野街道を少し散歩。沿道の竹林では、筍が狂ったように生えまくってました。


筍の生命力を堪能しまくった後、バス乗り場へ戻ると、洞ヶ峠茶屋の巨大ぼたもちの露店、
「ぼ━━━━━た━━━━━━も━━━━━━ち━━━━━━」 とまだ叫び続けてたので、購入。
ぼたもちは、2個で450円。1個8cm程のサイズで、中身の餅米の量が多く、しかもその餅米が美味い。
もらってきた 「達磨堂」 箸で頂き、その餅米の美味さに、 「ほー」 と感嘆の声を上げてみましたとさ。

客層は、文中で何度も書いてるように、9割9分が老人。
中高年というよりもはっきり老人で、そのほとんどの人が地元 or 近隣系です。
観光テイストや遠来系な人はほぼおらず、ツアー客や団体客の姿も特に見られません。
とはいえ、ネイティブ感全開のベッタベタなアーシーテイストとも、ちょっと違うというか。
2000円の壁なのか何なのか、ディープサウスなディープなテイストはさほどなく、
のんびりとした、そこそこな生活レベルの郊外の雰囲気みたいなのが、漂ってます。
カップルは、全くいません。というか若者自体が、絶対的にいません。
単独も、男女共ほぼ皆無。好き者系の姿も、絶無でした。

そんな円福寺の、春季萬人講。
好きな人と行けば、より 「ホーさん」 なんでしょう。
でも、ひとりで行っても、 「ホーさん」 です。

【客層】 (客層表記について)
カップル:0
女性グループ:0
男性グループ:0
混成グループ:0
子供:0
中高年夫婦:2
中高年女性グループ:4
中高年団体 or グループ:4
単身女性:0
単身男性:私だけ
【ひとりに向いてる度】
★★★★
色気や人圧などのプレッシャーは、全然ない。
ただ、単独でそこそこ若いと、まず間違いなく、浮く。
アウェー感は、私自身が地元民なので、もうよくわからない。
京都というより、京阪間の文化の匂いを感じるとは思う。

【条件】
平日水曜 12:20~13:50


 
 
 
萬人講
毎年4月20日&10月20日 円福寺にて開催
 

円福寺
八幡市八幡福禄谷153
萬人講の時以外、基本非公開

京阪バス 枚方ハイツ下車 徒歩約3分
萬人講の際、樟葉駅より直通バスあり
 

京都八幡 達磨堂圓福寺 – 公式

萬人講 – 円福寺公式