節分の大江山へ行ってきました。もちろん、ひとりで。 【後篇】 元伊勢神宮内宮・外宮・天岩戸神社

2018年2月3日(土)


節分の日に鬼を求めて出かけた大江山の徘徊、前篇の続きです。

「七つまでは神のうち」 あるいは 「七つ前は神の子」 といった表現が示すように、
子供は、 「境界」 的な存在であるゆえに、その立ち位置が神の領域に近いと考えられてます。
子供と限りませんが、 「童子」 と呼ばれるもまた、しかり。神との共通項は、割と多い存在です。
最大の共通点は、 「おぬ」 ことでしょうか。不可視性によって、その存在が認識されるという。
時を経て人々の意識が変化する中、ビジュアライズ化やノベライズ化やコミカライズ化が進みまくり、
疱瘡患者だの鉱山労働者だの赤ワインが好きな外人だのと、その 「実体」 比定もされてる鬼ですが、
そもそもは 「キ」 違いの 「気」 みたいな存在であり、妖しき気配こそが 「鬼」 と呼称されてたとか。
また神の方は神の方で、顕在化せず常に 「おぬ」 ままかといえば、これも案外、そうでもありません。
というか、鬼が具現化する一方で神は、むしろその 「おぬ」 こと自体を喧宣するようになります。
最初はやんごとなき方々のみ参拝する社だった伊勢神宮が、やがて庶民の信仰に活路を見出し、
近世に至れば旅行代理店の原型・御師によりお蔭参りのムーブメントまで生み出したように。
神への信仰と 「異界」 への恐怖、そして物見遊山の誘惑は、常に近い場所にあるのではないか。
むしろ、 「異界」 への物見遊山欲を駆り立てる場所でこそ、強い信仰は生まれるのではないか。
「鬼の里」 の近くに建つ元伊勢内宮外宮天岩戸神社を巡ってる際に、そんなことを考えてました。
丹後の超古代、いや日本そのものの根源にも到達しかねないロマンを駆り立てる、元伊勢三社。
実際の三社は、そんな妄想を裏切らないシチュエーションを誇ります。が、ある意味、裏切らなさ過ぎ。
何か、見えやすいんですよね。神が見えやすいのではなく、見えないことが見えやすいんですよね。
有体に言うと、雰囲気がバッチリ過ぎるという。余りに、出来過ぎてるように見えてしまうという。
で、そんな神々の裏切らなさ加減が、私には、鬼オブジェと同様の過剰な顕在化に見えたのです。
と同時にその顕在化は、単なる人為でなく、この地の磁力が誘発するものにも見えたのです。
大江山の節分、後篇は、神巡りであります。 「おぬ」 ことを、見つめていきます。


鬼が出ると聞きやってきた、元伊勢内宮。賑やかでも侘でもない、不思議な雰囲気であります。
「伊勢信仰の秘密が此処に!!」 と盛り上がれるような感じでもなければ、ベタな混雑もないという。
かつての節分では、丹後&丹波中から人が集まる隆盛を誇ったそうですけど。裸参りもあったりして。
杖レンタルは、そうした賑わいの名残でしょうか。あるいは、今も何かが続いてたりするんでしょうか。


その辺を拝ませてもらうべく、中々にキツい坂が中々に続く参道の石段を、よっこいしょと登坂。
昔は多くの家が宿もやってたという門前町の、単なる集落と少し異なる雰囲気も、拝んだりしながら。
と、呑気に登ってると、元気な子供達が参道を駆け下りて来ました。鬼行事、終わったみたいですね。
鬼が出るのは、14時とか。現在、14時半。まあ、しょうがありません。が、参拝はさせてもらいますよ。


で、着きました、元伊勢内宮・本殿。天照サインたる神明鳥居が、雪化粧で清廉さを増してます。
元伊勢内宮こと、皇大神社。伊勢へ落ち着く以前、天照大神が4年間鎮座した与謝宮の、旧跡です。
より善き地を求めた神は、90年に亘り日本各地でお試し遷座を敢行。で、そのうちのひとつが、此地。
此地へ遷座したのは、何故か。そして、遷座が意味するのは、何か。妄想、止まる所を知りません。


が、今は神より鬼が大事。なんですけど、境内には神事がはねた後の雰囲気が、漲りまくり。
何処ともなく移動を始める親子連れや、次の行先の相談をするカメ爺達などが、のんびりしてます。
客数自体も割と多くて、甘酒の接待などもあり。笹を出したりしてる授与所も、繁昌しているようです。
14時の鬼神事は、鬼3匹が神の力で善鬼へ転生するというドラマチックなものとか。見たかったな。


しかし、間に合わなかったものは、しょうがありません。私も、奥宮の天岩戸神社へ移動します。
と思ってたら、何か赤いものが見えました。で、よく見たら、鬼でした。ので、見ることしばし。


望遠でさらによく見ると、善鬼へ転生した印象があんまりない顔してる鬼を、見ることしばし。


人だかりを賑やかした後、笹を持った人達を連れて雪の中を移動する鬼を、見ることしばし。


移動先の祠で、何かの神事に参列するトリオ・ザ・タイツ、ではなく鬼3匹を、見ることしばし。


祠で行われるのは、盃割厄除神事だとか。鬼大暴れ、みたいなのは期待できなさそうですね。
そもそも、皇祖神の境内ですし。顔を見れたことで満足し、改めて天岩戸神社へ向かうことにします。
あの3匹、麻呂子親王征伐された鬼集団の首領トリオの英胡・軽足・土熊を、表してるんでしょうか。
この辺では酒呑童子よりも根強く残るという、麻呂子親王伝説。内宮も無論、その重要スポットです。


英胡・軽足・土熊ら鬼賊を征伐すべく、此地へと遣わされた、聖徳太子の異母弟・麻呂子親王。
内宮は、 「征伐達成を神に感謝する親王が、此地に天照を召喚し創建した」 という伝承もあります。
で、その伝承にて召喚ポートとされてるのが、天岩戸への途中に拝める、日室山。説得力、あり過ぎ。
余りに見事なピラミッド振りに、目が離せません。で、離せなさ過ぎて、道横の崖下へ落ちかけたり。


で、天岩戸神社へ到着。実に、天岩戸であります。麻呂子親王と鬼賊の決戦の地でもあるとか。
思いっきり谷底に向かい 「↓」 と看板が出てて恐いですが、でも降りて、参拝しますよ。


でも降りてみたら、思いっきり鎖付きの崖に建ってたので、日和って望遠で拝む、本殿。


登崖サボって安全を図っても、足元には薄く氷を張り、来世との距離が近過ぎる、谷底。


で、こんな人外魔境なのに社務所はあって人もいて、おみくじを引いたら何故か、大吉。


と、恐ろしくも神々しい、神々しいからこそ恐いとも言える、実に天岩戸な天岩戸神社でした。
で、神を感じた後は、川沿いの道を下って戻ります。途中、山から何度か太陽が現れて、谷を照射。
これでもかとばかりに、神々しい光景です。太陽神から直接 「我を信じよ」 と言われるかのようです。
余りにバッチリ過ぎというか、期待を裏切らなさ過ぎというか、見えないことが見えやすい光景です。


大和朝廷による丹後勢力の服属を読み取る見方もある、元伊勢 or 麻呂子親王の伝説。
しかし、太陽神の折伏を直で受けた後では、此地の信仰は自然に生まれたものと思えてなりません。
無論、逆も考えられますが。天照の物語をコンパクトに示すのに、あんな良い場所はそうないでしょう。
と妄想してるうちに、マルシェな門前町へ帰還。神々しさをコンパクトに堪能できる内宮でありました。


神は、常に人によって捏造されるのか。あるいは、捏造への渇望自体が、神の計らいなのか。
などとまた妄想しながら、言われてみれば宿っぽい建物が多い気もする門前町を抜けて、バス停へ。
移動中、鬼嶽稲荷の遥拝祠を見かけました。ので、 「酒呑童子の里」 でブッチした分、こちらで参拝。
またもや、出来過ぎたビジュアルです。この顕在化こそ、鬼嶽稲荷で見える何かだったんでしょうか。


と、舐め腐ったことを考えてると、天罰なのか雹が降りまくって来たので、慌ててバス停へ移動。
またまた乗車したマイクロバスで次に行くのは、元伊勢外宮です。順番、逆になってしまいましたが。
元伊勢外宮こと、豊受大神社。天照の御饌都神を祀る、元伊勢伝承地では割と少ない社であります。
で、外宮バス停で下車。触れるの忘れてましたが、マイクロバス、色々とペイントされてて、可愛い。


で、またも杖を貸す店があり、その先にあるややキツい階段を登り、元伊勢外宮、到着しました。
まず参るのは、本殿の豊受姫命。旅好きの天照と違い、此処から伊勢へほぼ直行したとか。


本殿参拝後は、あちこち拝ませてもらいます。お蔭参りか何かの額が多数並ぶ、拝殿とか。


やたら多くてメカっぽいルックが渋い、摂社も。何れも、御師的存在の社家が祀ってたとか。


そして帰り際、上から参道を見ると、思ってたより坂が強烈で、登った自分に驚いたりとか。
という感じの外宮でした。元伊勢三社、以上で参拝完了。思ったより、手早く回れるもんですね。


参拝完了した時点で、時間は16時半。雪を照らしてる陽も、山の彼方へと隠れ始めました。
「異界」 への興味を満たすこのお出かけも、そろそろ締めとなりそうです。さて、最後はどう締めるか。
そういえば、元伊勢は逆打ちになったな。となれば、伝承地も古い方へ遡る形で巡り、締めてみるか。
と思い、河守へ。河守は、大江最古の鬼伝説にて川を挟んだ激突が繰り広げられた地であります。


日子坐王伝説にて、陸耳御笠ら土蜘蛛から日子坐王の軍勢が川を守ったとされる地、河守。
行けば、丹後制圧の秘史に繋がる何か、または日本の秘史に繋がる何かが、見えるのではないか。
という深遠なる考えに基づき、河守へと移動。断じて、単に大江駅が河守にあるからではありません。
バスがないので歩いてると、 「鬼そば」 の幟を出してる食堂がありました。腹減ったので、寄ります。


食堂は、その名も 『大江山』 。漫画を大量に置いてる、昭和の街道沿い食堂な雰囲気です。
頼んだのはもちろん、鬼そば。神事の盃のように巨大な赤椀に、澄んだ出汁と黒蕎麦が入ってます。
蕎麦は、色こそ真っ黒ですがゴツい風味や食感は特になく、ごく普通の味わい。出汁も、至って普通。
むしろ、一緒に頼んだ恵方巻が、美味。食ってる間、地元の人が恵方巻をまとめ買いに来てました。


というわけで、秘史に繋がる何かを黒蕎麦と恵方巻の中に見てたら、辺りはすっかり日没状態。
いよいよ本格的に帰ります。河守の丹鉄・大江駅へ17時半に戻り、また紙切符を買って、ホームへ。
また阿呆客満載だと、嫌だな。と思いながら待ってると、来たのは普通車輛で、車内は地元客ばかり。
車輛は夕陽へ向かって走り、真っ暗になる頃、福知山駅へ到着。後は、普通にJRで帰りましたとさ。


いや、物見遊山で 「異界」へ行った以上、手ぶらで帰るわけありません。お土産、買いましたよ。
お蔭参りから広まったという習慣、お土産。元伊勢で物見遊山の根源を見た以上、欠かせませんよ。
贈る相手が自分でも、買いました。鬼瓦に睨まれてた大江駅の観光案内所&売店にて、買いました。
買ったのは、無茶苦茶な巨大さで有名な大江山の名物饅頭 『鬼饅頭』 、そして最中 『笑鬼』 です。


ダンボールの箱に入ってる 『鬼饅頭』 、サイズは硬球かそれ以上。背丈も、雪だるま君以上。
で、その大部分が、餡。餡の固まりの上に、薄皮饅頭のような皮が申し訳程度に付いてる感じです。
味は、普通。ですが、サイズがその普通感を完全に麻痺させるという。切らずに食うと、楽しいですよ。
『笑鬼』 は、液体感の強い餡子が妙に美味く、具の栗とのバランスも良い美味な最中でありました。

という感じで、節分の日の大江山巡り、以上でございます。
客層については、元伊勢内宮以外はほとんど無人だったので、基本、省略。
元伊勢内宮の客層については、若い親子連れと中高年が主体で、どちらも地元の方々。
内宮以外でも他の場所でも、観光客っぽい感じの人を見ることは、ほぼありませんでした。
「里」 のネタ感、内宮などのガチ信仰感、ハードかつ美しい自然と、魅力は多いんですけどね。
大江、確かに京都の都心部からは遠いですが、上手く乗れると市バスは案外と便利です。
また、少なくとも現在は阿呆の玩具になってないので、ひとり者でも楽しい場所だと思います。
また、私は酒が弱いのでパスしましたが、大江は何といってもどぶろくの名産地。
酒がお好きな方だと、★★★★★レベルで楽しい所になるかも知れません。

そんな大江山の、節分。
好きな人と行けば、よりなやらいなんでしょう。
でも、ひとりで行っても、なやらいです。

節分の大江山へ行ってきました。もちろん、ひとりで。 【前篇】

ひとりでなやらう京都の節分

皇大神社 (元伊勢内宮)
京都府福知山市大江町内宮字宮山217

福知山市バス大江山の家線
内宮上下車 徒歩約2分

皇大神社 (福知山市) – Wikipedia
 

天岩戸神社
福知山市大江町佛性寺字日浦ケ嶽206-1

福知山市バス大江山の家線
内宮上下車 徒歩約20分

天岩戸神社 (福知山市) – Wikipedia
 

豊受大神社 (元伊勢外宮)
京都府福知山市大江町天田内60

福知山市バス大江山の家線 外宮下車すぐ

豊受大神社 – Wikipedia
 

食堂 大江山
京都府福知山市大江町河守1956

京都丹後鉄道宮福線 大江駅下車 徒歩約7分

御食事・仕出し・旅館 大江山 – 公式