一休寺の一休善哉を食べに行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年1月30日(日)


一休寺の一休善哉の日へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

一休さん、一休和尚、一休禅師、一休宗純
呼び方は何でもいいですが、とにかく超知名度の高い禅僧であります。
アニメ 『一休さん』 の 「気にしない、気にしない。一休み、一休み」 でも有名ですが、
そのはるか以前、それこそ本人存命中の室町時代から、民衆の支持が極めて厚い僧でした。
といってもその人気は、頓知の明晰さや徳の高さといったノーマルな敬意というより、
一休さんがやらかしまくった、およそ名僧らしからぬアブノーマルな奇行に由来するもののようです。
後小松天皇の落胤として生まれ、6歳で仏門へ入った頃こそ正常な天才少年でしたが、
17歳で宗純と改名してからは、自殺未遂をやらかす、カラスの鳴き声で悟りを開く、
大事な文書を平気で燃やす、木刀を差して街をうろつく、他所の寺の仏像を枕にして寝るなどなど、
御落胤でなければ只事では済まないであろう無茶な風狂の限りを尽くしました。
また、パーソナルライフの方も負けず劣らず無茶苦茶であり、
酒は飲むわ、肉は食うわ、女は犯すわ、男も犯すわと、異常なフリーダム状態で異常に長生き。
最後は50歳下の女と愛欲の限りを尽くし、「死にとうない」 と悟りの欠片もない言葉を残し、
老衰でも腎虚でもなくマラリアで死去。凄い、とにかく凄過ぎる。
京田辺市の一休寺は、そんな無茶苦茶な一休さんが無茶苦茶な晩年を過ごした寺。
毎年1月最終日曜日には 「一休善哉の日」 として、善哉を接待してくれたりもします。
で、それに行ってきました。あ、接待といっても、有料ですけどね。
奉納料、1000円なり。何か割高ですが、気にしない、気にしない。一休み、一休み。


一休寺、本名・酬恩庵は、京田辺市の薪にあります。
京田辺市、元はただの「田辺町」。市制移行の際、頭に「京」をつけました。頑張りました。
「薪」の地名は、元々石清水八幡宮の薪座に由来。でも最近は、薪能との関係を推してるようです。
それを松本清張が 『京都の旅』 で揶揄してますが、人の頑張りを悪く言うのは、よくありません。


総門に貼られた、「善哉善哉 (よきかなよきかな)」のポスター。
「慌てない慌てない」「一休み一休み」の反復を想起させるこのポスター、よく見かけました。
清張は「観光バスのこない寺として、いつまでも一休禅師をしずかに眠らせて」と書いてましたが、
その願い空しく、受付ではツアコン男性が拝観料をまとめて支払中。私も千円払って、中へ。


で、静かに眠れない、一休さんの墓。
「天皇の落胤」云々は、よくあるガセ話ではなくマジであり、この墓も宮内庁が管理。
門にはしっかりと、菊紋の透かし彫り。陵墓であり、一般の立ち入りはできません。この日も、駄目。
隣には、約50歳の年齢差を越え一休さんと森女が愛欲の限りを尽くした茶室・虎丘庵あり。


府指定文化財の中門をくぐり、「しだれ松」を眺めながら、
重要文化財に指定されてる庫裏、そして国の名勝である方丈庭園へと向かいます。
「なるほど、庭を眺めながら善哉を頂ける趣向ですか」と思ったあなた、甘い。善哉よりも、甘い。
ここで行うのは、絵馬への誓い記入、そしていわゆる普通の拝観だけです。


絵馬は、受付でもらった「一休寺善哉」セット一式の中に入ってます。
セットの内容は、拝観券・善哉券・絵馬・絵葉書。これで、千円。バラ売りは、あるんでしょうか。
部屋に正座して、誓いを立てることしばし。精力絶倫でも誓おうかと思いましたが、やめときました。
縁側では、一休さんが此処から大徳寺までの移動に使った輿などが展示中。


一休さんが輿を使ったのは、高齢だったから。当時の御年、80歳。
その歳で大徳寺を任され、ここから片道30キロ弱の距離を通ってたとか。無茶苦茶です。
が、この時期の一休さんは、愛欲の絶頂期でもあります。ちょっと、人間の枠の外へ出てたのかも。
そんなことを思いながら眺める、方丈南庭と、仲良く並ぶ一休墓&愛欲茶室・虎丘庵。


方丈庭園・南庭は、禅風味が全開な枯山水。
写真がヘボくて恐縮ですが、刈り込みやソテツの妙味が利いた、端正な庭です。
方丈では、団体客相手の法要中。「どうぞ」と呼ばれたので、私もありがたく紛れていきました。
中にはこれまた凄まじい、一休さんの頭髪とヒゲが移植された重文の木像が鎮座。


さらに写真がヘボくて恐縮ですが、北庭・蓬莱庭園。
方丈庭園は、石川丈山松花堂昭乗+佐川田喜六が合同で作庭したといわれてます。
石川丈山は、詩仙堂の人。松花堂昭乗は、松花堂の人。佐川田喜六は、薪の武士歌人とか。
東庭・十六羅漢の庭の写真は、露出に完全失敗したため、省略です。


方丈内にあった、景観保護張り紙。
ここの庭、借景のウェイトが大きいんですよね。私の写真じゃ全然わかりませんが。
「京」を頭につけ、他所から来た人たちに大人気となった、京田辺。開発は、かなり激しいようです。
このあと、日本唯一という重文指定の便所を見てから、やっとこさ本堂へ。


一休寺は、一休さんが本尊というわけではありません。
境内奥には、くじ引き将軍・足利義教が建立した本堂があり、釈迦如来を祀ってます。
その傍の開山堂には、一休さんが尊敬していた大応国師の木像を師の 「恩に酬いる」 ため、安置。
煩悩全開の一休さんにも純粋な頃はあった、いやあり続けた、と思わせるエピソードです。


愛らしい子供一休から一転して、アダルトな一休像。
「純粋な頃があり続けた」とは全く思えない、アダルトな迫力が漂ってます。
体つきはこじんまりとした作りなんですが、全身から放ってる妙な絶倫感が凄い、とでもいうか。
心なしか目が左右別のところを見てる気がするのも、「迷いこそ悟り」ってなもんです。


こちらは、わかりやすくワイルドな一休像。
奉納させてもらう絵馬には、実にふてぶてしい面構えの一休さんが描かれてます。
ワイルドだけど実は筋が良さそうな感じがするのが、数多の一休伝説にフィットしてるというか。
さて、見るべきものは全部見て、納めるもんも納めました。あとはいよいよ、善哉です。


善哉が出されるのは、待月軒なる接待所。
設置されたテーブルに座ると、アルバイトか奉仕らしき女の子が配膳してくれます。
「気の利いた頓知を一発披露しないと食わせてくれない」などということは、もちろんありません。
ちなみに右下の豆は、一休寺納豆。大徳寺納豆と同じく、一休さん伝来の寺納豆です。


一休善哉、アップ。
一休さんが小豆汁を 「善哉(よきかな)」 と食ったことから、善哉の名がついたんだとか。
アンコも餅も、かなりボリュームあります。普通といえば、凄く普通とも言えますが。
味の方も、実に普通に美味しゅうございました。よきかな、よきかな。マナカナ、マナカナ。


一休寺納豆、アップ。
大徳寺納豆と同じもののはずですが、こっちの方が何か、濃い。それも、凄まじく。
齧っただけで、昆布と梅干と田舎っぽい何かを超超超超圧縮したような味が、口の中で爆発します。
冗談ではなく、一粒でご飯3杯くらいいけそう。ごちそうさまでした。

中高年団体とぶつかったため、通常の客層の雰囲気はよくわかりません。
団体以外は、人、少ないです。20人いるかいないか。基本は、中高年および家族連れ。
あちこちに告知ポスターが貼られてたわりには、近所の知り合いが多い感じ。
カップルは、ゼロ。興味本位の若者や、好き者系のひとり者も、あまり見かけませんでした。

そんな一休寺の一休善哉。
好きな人と食べたら、より一休なんでしょう。
でも、ひとりで食べても、一休です。

【客層】 (客層表記について)
カップル:0
女性グループ:0
男性グループ:0.5
混成グループ:0
修学旅行生:0
中高年夫婦:0
中高年女性グループ:0
中高年団体 or グループ:9
単身女性:0.5(妙齢)
単身男性:0
【ひとりに向いてる度】
★★★★
プレッシャーの類は、特になし。
かなり厳しめなアクセシビリティと、
いきなり千円払わされるのが、多分一番の壁。

【条件】
日曜 14:45~16:20

 

酬恩庵一休寺
京都府京田辺市薪里ノ内102
9:00~17:00

京阪バス 一休寺道下車 徒歩約5分
JR奈良線 京田辺駅下車 徒歩約15分
近鉄電車 新田辺駅下車 徒歩約20分

酬恩庵一休寺 – 公式

酬恩庵 – Wikipedia