大覚寺の宵弘法へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2012年8月20日(月)


大覚寺の宵弘法へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

京都で送り火といえば、普通は、五山の送り火です。
盆の終わりに、帰ってきた精霊をあの世へ送り返すため行われる、炎のページェント。
現在でこそ、コンプを求め自転車やバイクで爆走する輩や、盆地性暑気にヤラれた観光客など、
「おしょらいさん」 と共にあの世へ送られそうな奴が多発する 「火祭り」 と化してはいますが、
それでも夏の京都を代表するメジャーな行事であることは、疑う余地がありません。
が、送り火は、他のところでもやってます。その多くは、より本来の目的に近い形で、やってます。
あちこちの寺でやってる万灯会もそうですし、遥か洛北の各地で行う松上げもまたしかり。
そして、「嵯峨の送り火」 なる通称を持つ大覚寺宵弘法もまた、そんな送り火のひとつでしょう。
大覚寺嵯峨天皇が造営した離宮を発端とする、いわずと知れた嵯峨の名刹です。
再建ものとはいえ雅な雰囲気を放つ伽藍が、元離宮の由来を感じさせること甚だしい寺ですが、
中でも日本最古の人工林泉・大沢池は、平安時代の名残をそのまま残すと言われてます。
宵弘法は、この大沢池に於いて、弘法大師・空海の月命日前夜に営まれる、法会。
もちろん 「宵弘法」 という名前の通り、法会のコンセプトは空海へ報恩の誠を捧げることですが、
雅な池のど真ん中で焚かれる火が、あの世へ帰っていく先祖の魂にも見えたのか、
近隣の住人が灯篭流して追福菩提 or 家族多幸などを祈念する送り火行事としても、定着。
普段はそれこそ雅な茶道関係者や、雅なフリをした観光客の姿が多い大覚寺も、
この夜ばかりは、ネイティブな信仰が嵯峨独特の濃い空気と溶け合う姿を見せてくれます。
供養の収入でペイできるからかどうかは知りませんが、普段はいる拝観料も、無料。
というわけで、雅でもネイティブでもない私ですが、行ってみました。


嵯峨嵐山駅からテクテク歩いてやってきた、19時頃の大覚寺、門前。
途中、同好らしき人に会うことは、なし。ですが、ここまで来ると、それなりに賑わってます。
帰る人が妙に多いですが、18時からあったという北嵯峨高校の吹奏楽コンサートの客でしょうか。
駐車場には、自転車専用ゾーンあり。不法駐輪の回収みたく、ギュウギュウ詰め状態です。


嵯峨祭と大晦日と今夜だけ、皇族以外にも開けられる、唐門 = 勅使門。
庶民テイストな提灯の下を歩き、ほんのりとライトアップされた門をくぐり、タダで境内へ。
そういえば門前で、「クジ引はどこでやってますか」 と訊かれました。クジ引というか、福引ですが。
警備の人も、子供と 「福引、どうやった?」 と話してたり。地元に券でも配ってるんでしょうか。


唐門のみならず、境内の伽藍もさりげなくライトアップされてます。
外から見るだけでなく、宸殿+御影堂+安井堂+五大堂は、中に上がることも可能です。
宸殿では、襖絵も公開中。この時間は、人が五大堂と大沢池に集まってるためか、空いてました。
送り火の点火まで他所者は暇なので、この時間にゆっくり見ていくのもいいでしょう。


善男善女でごった返し、経文が延々と響き渡る、五大堂。
中では、献灯奉納500円也や護摩祈願お守り付奉納1000円也などの申込を、受付中。
で、金払った人は、お堂から池に向かって張り出した濡縁 = 観月台から送り火を眺められる、と。
いや、タダでも見れたかな。いや、やっぱり金いるかな。あ、私はもちろん、地べたで見ます。


地べたから見るべく向かった、大沢池・池岸。灯篭、既に流されてます。
特設祭壇を中心に、ゆっくりと水上を進む小舟から、優雅に流されたのであろう、灯籠。
しかし風が強いためか、多くの灯篭は手前の岸に密着中。あまり雅な光景では、ございませんな。
あと、岸の目ぼしいポイントには人間が密着中。これも、あまり雅な光景では、ございませんな。


岸へ密着し、さらには互いに寄り添い密集する、灯篭。
その様は、珍事の枠を通り越して、まるで霊が抱く現世への未練を表してるかのようです。
まだ、あっち側へは、帰りたくない。もう少し、こっち側にいたい。こっち側で、皆と一緒にいたい。
そう言ってるように見えませんか。全然、見えませんか。実は私も、全然、見えません。


池のちょっと奥にある五大明神では、ちょっとした縁日を開催してます。
福引の交換所があるのは、ここ。「何年生?」 とか訊きながら福引をする音が聞こえたり。
他にも、かき氷 or うどん or すじカレーなどの販売や、スーパーボール釣りなどがありました。
さらにその奥は、クローズ。心経宝塔などは、真っ暗になってて全然見えません。


そうこうするうちに、19:50頃、五大堂で動きあり。
ずっとお堂の中で送り火法要の経を読み続けてた坊さん達が、池への移動を始めます。
「僧侶が通りますので、道を空けてください」 という声で作られた道を、行列組んで歩く坊さん達。
そのまま、池にかかる桟橋の先端に作られた祭壇へ向かい、施餓鬼供養を行うわけです。


御影堂前の石舞台と同じくサイズで作られた舞台に集まる、坊さん達。
真っ暗な周囲の中、その姿が水面に映るビジュアルは、なかなかにスピリチュアルです。
が、そんなスピリチュアルさを吹っ飛ばすように、坊さん達、奉納者の名を超高速で読み上げ開始。
全員がおのおの札を取っては 「○○家先祖代々後代~」 と、猛烈な速さで消化していきます。


魚市場のセリのようにも見えるスピード感満点の供養消化が終わる頃、
5メートルくらいありそうな棒を持った小さな舟が、桟橋舞台の横へつけられました。
舟は、送り火への点火役。棒の先の大松明へ祭壇から点火され、池中央の送り火へ向かう、と。
御覧のような火を掲げ、舟は手漕ぎで、真っ暗な池の奥へゆ~らゆらと進んでいきます。


ゆ~らゆらと。


ゆ~らゆらと。


で、送り火に点火。
が、風が強くてなかなか火が着きませんが、何とか、着火。


そして、炎上。


炎上中。


炎上中。坊さんは、般若心経中。


炎上中。


炎上中。


炎上中。そして、まだまだあの世へ帰りたがらない灯篭。
般若心経のロングバージョンをこなしてた坊さん達は、点火から20分くらいで、退場。
送り火の粉は浄土へ帰る先祖の魂だそうですが、あとは自己責任でよろしくというところでしょうか。
「もうええわ、撮るだけ撮ったし」 と、帰り支度を始める人、多し。私もボチボチ、帰ります。


伽藍を改めて見て行こうと思ったら、こっちももう、仕舞い支度中。
「今日はぎょうさん来たな」 とか言いながら、坊さんや奉仕のおばさんたちが走り回ってます。
で、その慌しい足の動きにより、お堂を結ぶ 「村雨の廊下」 が何ともいえない特殊な音を出しまくり。
やんごとなき由緒と理由を持つ鴬張りが 「ドキュドキュドキュ」 と、DQNに鳴いてました。


そんな慌しさも構わず、とりあえず見るものは見ていこう。
と、襖絵を見に宸殿へ行ったら、おばさんが 「もう閉めましょ」 とか言いながら、クローズ。
「いや、まだ人ちょくちょく来るから」 とか言いながらも、坊さんもまた、閉める気全開で片付け中。
しょうがないので、御影堂の裏や心経堂などをチャッチャと見てから、とっとと退出。


帰るわい帰るわいと、唐門を出ようとしたら、ここもまたクローズ。
文字通り閉められて、「ここからもう出られません」 と。文字通りの 「おなごりの門」 です。
他に出られるところがないので、もう一度池側まで遠回りしたぞの図。あ、でも灯篭が、流れてる。
風向が変わったようです。灯篭らしい光景が見れたので、儲けもんとしときましょうか。

客層は、大半が地元&近隣系です。
多くが家族連れ・夫婦・近所ぐるみで、1000円払って供養してもらう人たち。
あとは信心深そうな遠来観光客といったラインがメインでしょうか。
そこに学生風カップルや女性グループ、外人グループ、ベタな観光客風、好き者が混ざる感じ。
プレッシャーは、さほど感じられません。ただ、観覧エリアが狭いので、人圧は高め。
単独はもちろん、カメラマン。おばはん素人カメラマン、何故か多し。

そんな、大覚寺の宵弘法。
好きな人と行けば、より送り火なんでしょう。
でも、ひとりで行っても、送り火です。

【客層】 (客層表記について)
カップル:1
女性グループ:1
男性グループ:1
混成グループ:1
子供:0
中高年夫婦:1
中高年女性グループ:1
中高年団体 or グループ:3
単身女性:若干
単身男性:1

【ひとりに向いてる度】
★★★
アウェー感のある客層だが、さほど場違い感はない。
暗いので、いろんなことが気にならないとも言える。
その分、池にはまらないよう、注意。(実際、落ちる奴がいる)。

【条件】
平日月曜 19:00~20:45


大覚寺
京都府京都市右京区嵯峨大沢町4
通常拝観 9:00~17:00
宵弘法 毎年8月20日 厳修

JR嵯峨野線 嵯峨嵐山駅下車 徒歩約17分
嵐電 嵐電嵯峨駅下車 徒歩約20分
京都市バス or 京都バス 大覚寺下車 すぐ

旧嵯峨御所 大覚寺 門跡 – 公式

大覚寺 – Wikipedia

宵弘法 – 旧嵯峨御所 大覚寺 門跡