早朝 - ひとりでうろつく京都 (β版)

早朝の嵐山へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年4月14日(木)

嵐山の桜と一の井堰
早朝の嵐山へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

早朝の嵐山が好きです。
何故好きかと言えば、港町の空気の匂いがするからです。
港町、あるいは海沿いの地方都市を旅した時に感じる、独特の空気。
日常の中で、生活の糧として、水と関わる人々が放つ、独特の張った感じの空気。
そんな空気の匂いが、早朝の嵐山にはちょっとだけ残ってる気がします。
昼間になって人が増え、場の雰囲気が観光丸出しテイストになると、もう何もわかりませんが、
ほとんどの人が仕事で渡月橋を走ってる早朝だと、港町にいる気分がちょっと、味わえます。
鎌倉時代に後嵯峨天皇が大和吉野山から多くの桜を移植し、桜の名所になった、嵐山。
もちろんそれより前の平安時代から、貴族の別荘地であった、嵐山。
しかし、そんな華やかな側面と同時に、丹波の材木の集積地としての顔も、嵐山は持ってました。
平安京建都以前に秦氏が一の井堰を建築した頃から、角倉了以による保津川開発を経て、
実に昭和へ至るまで、嵐山は「仕事」の場でもありました。
そんな時代の残り香と桜の香りが混ざり合う、春の嵐山、早朝。
その匂いは、水上交通をフルに活用していた時代の、本当の京都の匂いなのかも知れません。

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クリスマス早朝の清水寺へ行きました。もちろん、ひとりで。

2010年12月25日(土)

早朝の清水寺・舞台から京都タワーを望む
クリスマス早朝の清水寺へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

 亡き母からのご縁がふかく、私は三十余年の間、毎朝お参りをさせて頂いております。朝早よう起
きて、祇園さんから二年坂、三年坂、その角の七味屋さんのとこの石段あがって、まだ起きといやし
まへん土産もんのお店のならぶ清水坂をのぼりきると、清水さんの大石段、楼門に、三重の塔を霧
の中に見上げますともう、心のふるさとにきた思いです。音羽の滝のお不動さんに、手をあわして拝
がみ、お水を杓でいただき口に含むときのさわやかさ、いっぺんにゆんべからの気しょくの悪かった
ことも拭うて下さるようにすうっと消え、しゃんとなって八十三段の石段をのぼり、観音さまへ、きんの
(昨日)一日の御礼を申し、今日もまた無事なように願う心のあたたかさは、いいようのない嬉しいも
のでございます。お堂の前の舞台にでますと、晴れた日の春は、紫のうす霧に、西の本願寺さんの
屋根が、浄土にわたる舟のように浮んで見えまして思わず手を合わします。
(古寺巡礼 京都 月報24 清水寺 淡交社 1978 「清水さん」 増田好)

30年以上前の小冊子に描かれた、信仰の対象としての清水寺。
この30年の間にあったバブルや世界遺産認定などが、清水寺とその周辺をどう変えたのか。
生活レベルの信仰はどう変わったのか、あるいは変わってないのか。
そのあたりを確かめるため早朝の参拝を敢行した、というのは、嘘です。
イブに泊まった宿があまりに寒過ぎて寝てられず、運動のために外出しただけです。
が、そこで目にした光景は引用文まんまの世界、清水寺のもうひとつ顔、あるいは真の顔でした。

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