涌出宮の居籠祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年2月19日(土)


涌出宮の居籠祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

涌出宮の居籠祭。
読みは、「わきでのみや」 の 「いごもりまつり」 。
京都府南部も南部、もう奈良の方が近い木津川市山城町にある神社・涌出宮の、
平安時代や奈良時代はおろか、縄文レベルの伝統を継承してると考えられている神事です。
奈良時代に伊勢から天乃夫岐賣命が飛んできて創建されたという涌出宮ですが、
近年の発掘調査では、境内から縄文 & 弥生時代の生活 & 祭祀を示す遺物が多数、出土。
いにしえより何らかの生活と、祝祭が行われていたことが明らかとなり、
居籠祭は、古代日本の神祭りが天然記念物的に残ったものと見なされるようになりました。
その内容は、神様を迎え豊作を予祝するという、実に日本の魂を感じさせるテイスト。
「いごもり」 という不思議な名前は、深夜に行われる 「神迎えの森まわし」 などの際に、
氏子たちが家に籠もり、神を見ることを厳重に禁じられていることに由来します。
音を立てることもまた厳重に禁じられるため 「音無しの祭」 という別名までついてますが、
とにかくハードな潔斎と物忌みを現代へ伝える、とんでもない祭りなわけです。
で、そんな祭りへ興味本位でノコノコ出かけ、見てはならぬものを見ちゃったのかといえば、
もちろん、そんなことはありません。そもそも、見たら 「目がつぶれる」 らしいし。
居籠祭は3日間に斎行され、私が見物させてもらったのは2日夜の 「門の儀」 と 「松明の儀」 。
前者は迎えた神を宮座が饗応する儀式、後者は神火で旧年の穢れを祓う儀式であり、
もちろん 「いごもる」 わけではなく、松明が大炎上のなかなかなお祭り状態です。
それに、出かけてきました。ほとんど火を見に行っただけの感じですが。


涌出宮の最寄り駅は、JR奈良線の棚倉駅。
駅を出て徒歩30秒のところに、一の鳥居と 「縁喜式社」 の石碑が建ってます。
正に 「どうやったら迷うんだ」 というくらいの、抜群のアクセサビリティの良さを誇りますが、
ただ、奈良線自体の停車本数は少なめです。快速も停まらないし。


「森まわし」 の際に御幣を置く塚があるという森を通り、本殿へ。
「涌出」 というインパクトある名前は、この森が 「湧き出」 たことに由来してるそうです。
かなり賑わってる露店の列を抜け、総門へ着くと 「御鎮座壹千貳百年」 と書かれた石碑あり。
1200年。でも、居籠祭は農耕の開始期には始まってたとか、もっと凄いこと言われてます。


社務所の前には、ドドーンと巨大な松明が寝転んで点火待ち。
樫の木12本と芝61束を蔓で縛って作られ、絵馬などと一緒に燃やすという、大松明。
現場で見ると、よりデカいです。というより、置かれてる場所が、狭い。社務所と本殿のあいだ。
火事大丈夫かと思ってる横では、地元の人が開催日の曜日変更についてあれこれ話し中。


社務所では、巫女さんが鈴祓い&絵馬などを授与中。
その傍らでは、神事に出るらしき地元少年たちが友達と談笑しています。
あ、ここでは巫女さんを 「そのいち」 と呼ぶそうですが、巫女さん全員がそうなのかは、知らん。
あ、それと曜日変更云々は、開催日を固定から第三土曜+日曜に変更したんだとか。


頂いた接待の飴湯(?)を飲んでると、19時半、 「門の儀」 が始まりました。
本殿には、マスコミ、そして府の文化関係者らしき人間が、大量に集結。異常に多いです。
この居籠祭、1983年にはその民俗学的価値から京都府指定文化財の第1号指定を受けており、
1986年には国の重要無形文化財にも指定。そりゃ、取材も多いわなと。


神主による祝詞奏上に続き、「そのいち」 が神楽を奉納。
「そのいち」 は、拝殿に座る宮座の衆にも何かしらのことをします。何してるかはよく見えんけど。
もちろんこの時は音を出さずに 「いごもる」 わけではなく、雅楽や太鼓もガンガンと鳴りまくり。
ついでに、バシャバシャバシャなるシャッター連鎖音も、儀式の神聖さに華を添えてます。


何かしらの葉を持った人が、座衆たちに何かしらのことをしています。
饗応は 「いたもと」 なる、これまた不思議な名前の役の人が受け持つそうですが、
何かしらの葉を持った人が 「いたもと」 なんでしょうか。私にはちょっと、いや、全然わかりません。
座衆には 「おかぎ」 という榊が授与されるそうですが、あの葉がそうなのかも、わかりません。


文化財もええけど、祭りゆうたら火ぃや、火ぃ。
と思ってるのかどうかは知りませんが、 地元の人は大半が松明周辺へ集結中。
饗応終了後の20時10分、山城印の火消し衆が取り囲む中、いよいよ大松明が点火されます。
「ブシュー」という恐ろしい音と共に煙が鋭く噴き出して、 「松明の儀」 、開始。


元気の余った地元中学生が「ファイヤー!!!!」と叫ぶと同時に、大炎上。
こんなに木造建築が密集してた隙間で、こんな大火を起こして本当に大丈夫なんでしょうか。


ある程度燃えたところで、松明を斜めに寝かせてた支えを、解体。
火の塊が、しばしその辺を転げまわります。正に 「火消衆」 の腕の見せ所。燃えろ、燃えろ。


燃えろ、燃えろ。


火消衆、火の目の前で、木を切って燃えやすくします。燃えろ、燃えろ。


燃えろ、燃えろ。


燃えろ、燃えろ。


ある程度燃え切った頃になると、神主が登場。
何かをしています。何かはよく見えませんが、何かをしています。
「ゴマイサンマイ」 という、玄米・白米・金紙を火へ投げ込む儀式だそうですが、よく見えません。
で、松明から榊みたいなのに火をもらい、そのまま門へ爆走。本当に爆走します。


火と共に、見物人も一斉に門へ向かい、爆走。
私もあわてて爆走しましたが、門へ着いた時には既に、御覧の有様です。
多分ここでも 「ゴマイサンマイ」 の儀式が行われてるんでしょうが、当然、何も見えません。
外へ改めて松明を持って行くのは、森の野塚で神事を行ってた名残かも知れないとか。


何かしらのことが終了し、見物人もすっかりはけた門前。
火消衆たちが火の後始末を行いながら、残り火に吸い寄せられる子供に写真を撮らせてました。
このあと、野塚に農具を納めるという他見禁止の野塚神事が三日連続で深夜に斎行され、
翌日は稲作の所作を演じるお田植え祭りがあるわけですが、私はここらで退散します。


何故か大判焼きにだけ長蛇の列が出来ている露店の並びを抜け、
わきで消防車がしっかり待機してる鳥居をくぐり、アクセス30秒の棚倉駅へ戻ります。
棚倉駅、奈良行きの電車を待つ人はかなり多かったですが、京都行きのホームは人、少なし。
木津、あるいは奈良から来る人が多いんでしょうか。

客層は、完全に地元民中心。
マスコミなどを除けば、ほぼ地元民オンリーといってもいいかも知れません。
小中学生率、極めて高し。そこら中を走り回ってます。若い子連れ+家族連れも、非常に多し。
観光客風の人間は、極めて少なめ。というか、全然見当たりません。カップルも、極めて少なめ。
人は、多いです。狭いのもあり、かなり混みます。ただ、身動きとれないほどではありません。
混雑の醍醐味もあり、自由に身動きもとれる。ある意味、理想的な混み度合かも。

そんな、涌出宮の居籠祭。
好きな人と来たら、よりいごもりなんでしょう。
でも、ひとりで来ても、いごもりです。

【客層】 (客層表記について)
カップル:0.5
女性グループ:0.5 (小中高生を除く)
男性グループ:若干
混成グループ:若干
小中高生:4
中高年夫婦:1
中高年女性グループ:若干
中高年団体 or グループ:3 (家族連れ)
単身女性:若干
単身男性:若干 (おっさんカメラマン)
【ひとりに向いてる度】
★★★
色気などのプレッシャーはないが、
ほとんどが家族連れ+子供+ネイティブ全開のため、
浮くといえば、割と浮くかも。

【条件】
土曜 18:40~21:00

 

涌出宮 (和伎座天乃夫岐賣神社)
木津川市山城町平尾里屋敷54
拝観自由

JR奈良線 棚倉駅下車 徒歩約2分

涌出宮 – 木津川市観光ガイド