安楽寺の鹿ヶ谷カボチャ供養へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2013年7月25日(木)


安楽寺の鹿ヶ谷カボチャ供養へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

京野菜の多くは、その原産地が京都ではありません。
代表格とも言える聖護院大根を筆頭に、大半が外から持ち込まれた外来種です。
いや、「だから偽物だ、ブランディングという名の詐欺だ」 みたいな話がしたいのではありません。
そもそも日本の野菜自体、大半が、外来種。和食に使われる野菜も、実は大半が、外来種。
京野菜も、事情は同じです。違う点があるとすれば、この地に持ち込まれて以降の変化でしょう。
京都に移り住んだ人間が、この地が持つ妖しき霊気によってどんどんと精神を浸食され、
やがて根性が腐り魂が歪み、何の根拠もなく 「京都が一番」 と盲信する京都人へ化けるのにも似て、
この地へ持ち込まれた野菜の幾つかは、パッと見レベルでさえそれとわかる変化を被りました。
全く大根に見えない先述の聖護院大根、海老というより何かの幼虫っぽい海老芋と並び、
そんな変態京野菜の典型が、何をどう見ても瓢箪にしか見えない鹿ヶ谷カボチャではないでしょうか。
江戸後期、津軽より種が持ち込まれ、鹿ヶ谷に於いて栽培が始まったという、鹿ヶ谷カボチャ。
元々はノーマルな見た目だったそうですが、陰謀と縁深い土地で連作を重ねたためか、形状が変化。
かなり最近に至るまで 「ひょうたんなんきん」 と呼ばれていたことが即座に納得できるくらい、
実に瓢箪テイスト満開、いや、もう瓢箪でなければ何だというくらいのビジュアルを持つに至ってます。
そんな 「ひょうたんなんきん」 、明治の中頃までは鹿ヶ谷でよく栽培されてそうですが、
それ以降は新品種 = 現在の菊座型である普通のカボチャに押され、絶滅寸前にまで衰退。
かろうじてその命脈を繋ぎとどめたのは、鹿ケ谷の安楽寺で毎年夏に行われるカボチャ供養でした。
いわゆる 「建永の法難」 で知られる安楽寺と、カボチャ。どう繋がるのかは、知りません。
多分、単に近所の誼なんでしょうが、とにかくそれで鹿ケ谷カボチャは生き残ったのであります。
カボチャ供養はもちろん現在も行われていて、中風除けの御利益で人気も結構、高し。
私も、現在のところは大丈夫ですが、いつ中風になってもおかしくない体質なので、
健康体へ変態する陰謀を胸に秘めつつ、鹿ケ谷へ向かったのでした。


安楽寺は、法然院の少し南、徒歩だと3分ほどの所にある、浄土宗の寺です。
というわけで、銀閣寺参道脇の入り口から哲学の道へ入り、疎水のそばを歩くこと、しばし。
暇そうなショップの店員が、やる気なさげに客引きしたり、ただ虚空を眺めてたりするのを見ながら、
死ぬほど暑いため人もまばらな道を歩いてると、疎水橋の脇にカボチャ供養の看板、あり。


導かれるままに疎水の一筋東側へ入ると、御覧の幟が、林立。盛り上がってますね。
安楽寺、開山は安楽住蓮後鳥羽上皇女臣・松虫&鈴虫を出家させ斬首された僧達です。
最初は、この辺の1km東に、念仏道場として創建。斬首後、2人の師・法然が菩提を弔うべく、再建。
その後、天文年間に現在地でまた再建。あ、右の花は、安楽寺の車用門付近に咲いてた、花。


人間用の門へ回るると、普段拝観できない寺とは思えない、賑わいぶりです。
基本的に公開は、春と秋のみの、安楽寺。しかし、カボチャ供養が行われる今日は当然、開門。
のみならず、門前には各種露店も出店。高校生の姿が見えますが、ボランティアか何かでしょうか。
露店はかなりの八百屋状態になってますが、目玉商品はもちろん、鹿ヶ谷カボチャであります。


出ました、鹿ヶ谷カボチャ。写真に写ってるのは、ディスプレイ用ですけど。
実に戦後に至るまで 「ひょうたんなんきん」 と呼ばれてたのが頷ける、実に瓢箪なルックスです。
果皮色は濃緑色ですが、表面は無数の粒状の瘤起で覆われ、白い粉を吹いてるようにも見えます。
値段は、1000~1500円。10分の1の値の通常カボチャを常食してる私には、手が出ません。


で、改めて、安楽寺・山門。紅葉時の真っ赤なビジュアルが有名な門でございます。
が、夏の真っ盛りでも、なお、渋い。建立は明治25年と割に最近だったりしますが、なお、渋い。
下で瓢箪みたいなカボチャを売ってても、なお、渋い。中でそのカボチャを食わしてても、なお、渋い。
本堂+書院と共に余裕で国の文化財であるビジュアルを堪能しながら、石段を登り、境内へ。


カボチャ供養の受付は、山門横に設けられた小屋みたいなとこにあります。
500円払うと、寺パンフとカボチャ引き替え券、そしてカボチャ供養限定の護符をもらいました。
さて、カボチャはどこで食べられるのかな。そう思って境内をうろついてると、食堂っぽい建物、あり。
ここかなと思って写真を撮り、中へ入ろうとすると奉仕の人に止められ 「ここは調理場ですよ」 。


「すんません。で、あの、カボチャって、どこで食べられるんですか」 という、
恐らく生涯で再びすることはない質問を奉仕の人にして、教えてもらった本堂へやって来ました。
カボチャは、本堂の奥にある書院でサーブされます。というわけで、まずは本堂をしっかりと、参拝。
あと、ついでといっては何ですが、虫干しを兼ねて特別公開されてる寺宝も、見ていきましょう。


本堂へ上がり込み、最初に本尊である阿弥陀如来像へ、深々と拝礼。
次いで、向かって左側に鎮座される法然上人張子像と、小さな親鸞像&笠にも、深々と拝礼。
それからやっとこさ、向かって右側に鎮座される安楽房遵西&住蓮の両上人像にも、深々と拝礼。
そして、両上人像とレット・イット・ビー形式で配置された鈴虫&松虫両姫像にも、深々と拝礼。


いずれの像にも、鹿ヶ谷カボチャが供されてました。あと、青果業者からの奉納品も、多し。
レトルト京野菜スープや万願寺唐辛子などなど。豊作や商売繁盛の御利益もあるんでしょうか。
横では寺のお坊さんが、いわゆる絵解きではないですが、寺宝などの解説を定期的にされてます。
話ではカボチャ供養、昔はさほど人気が無く、檀家の婆ちゃんがカボチャを売りに出てたとか。


本堂壁面では、両上人&両姫の悲劇にまつわる寺宝の絵画も、展示中。
修行でやつれた姿ながら、何となく 「チョイ悪エロ坊主」 的に描かれてる気がする、両上人図。
そして、そんな 「チョイ悪エロ坊主」 に惚れ込んで出家に及んだ姫二人の、剃髪ビフォアアフター図。
いずれも、江戸時代の作。どこかエロティックに見えるのは、私が単に変態だからでしょうか。


「ミカドの女に手を出した」 ということになってしまった両上人は、
当然ながら後鳥羽上皇の逆鱗に触れ、安楽は六条河原にて、住蓮は郷里の近江にて、斬首。
師匠である法然、そして別に関係ないけど親鸞まで、念仏弾圧の勢いで京都から追い出されました。
この 「建永の法難」 を描いたのが、安楽寺縁起絵。コマ割が漫画っぽくて、かなり面白いです。


そして出ました、九相図であります。かの小野小町の九相図であります。
絶世の美女が、死肉や臓器を犬や鳥に食い散らかされ骨になる様を、丹念に描いております。
何でこれがここにあるかは知りませんが、いいぞ。特に食い散らし感爆裂の 「瞰食相」 は、いいぞ。
『エヴァ』 旧劇の2号機寄ってたかってグチャグチャみたいな変態感が溢れてて、凄く、いいぞ。


と、死肉食いまくりで変態的に盛り上がったあとは、変態カボチャ食いまくりです。
持ち帰り用カボチャの販売もやってた本堂を出て、中庭を見つつ、カボチャサーブ場たる書院へ。
中庭、御覧のように、立派。なので足を停める人が多く、狭い堂内は人数の割にやたら混んでます。
片隅では、何かの販売もしてるし。 「ノエビア」 とか言ってたあそこは、何を売ってたんでしょう。


で、やって来た、書院。庭園を見ながらカボチャが頂けるという、ナイスな趣向です。
が、クーラーがないので、暑い・・・。団扇が用意されてますが、クーラーがないので、暑い・・・。
それでも空いてる所へ適当に座ると、やはり高校生っぽい子が、カボチャ券を取りに来てくれました。
あとは、庭もロクに見ず、団扇で自分を必死に扇ぎながら、カボチャが来るのを待つことしばし。


で、ネーム入りオリジナル湯飲みに入ったお茶と共にやって来た、鹿ヶ谷カボチャ。
底辺が8cmくらいの三角形にカットされた、実にオーソドックスなビジュアルである煮付けです。
パッと見、普通のカボチャの煮付けと変わりません。このルックで区別するのは、多分無理でしょう。
「伝来した頃は、普通のカボチャの形をしてた」 という話に、妙なリアリティを感じたりします。


で、ほぼ一瞬で食い切った、鹿ヶ谷カボチャ。ごちそうさまでございました。
味は、オーソドックスな煮付け。変態感、ありません。皮が少し柔らかいかなとは思いましたが。
しかし、味は普通ながらこのカボチャ、成人病を予防する成分は、普通のかぼちゃより実際に、豊富。
なので私もきっと、健康体へ変態できるはずです。健康な変態体に変態するかも知れないけど。


さて、食うもの食ったので、しばし境内をうろつきます。まず、中庭。


中庭の蹲。


外の庭に出て、佛足石。


その向こうの地蔵菩薩。


その近くの、縁。


そして、山門と本堂を結ぶ参道の間には、安楽&住蓮両上人の供養塔、あり。
両上人は、六時礼讃にメロディをつけ歌うように唱える 「礼賛声明」 の上手さでも、知られます。
「定まれる節拍子なく、をのをの哀歓悲喜の音曲を成す様、珍しく尊かりけれ」 ( 『四十八巻伝』 ) 。
聴く者の心を揺さぶるその響きが、やがて松虫姫&鈴虫姫をも引き寄せた、というわけです。


念仏が持つ音楽性は、声明や六歳念仏など、現代でも強い吸引力を誇ってます。
800年以上も前の世界であれば、その吸引力は遥かに強力 or 絶大だったかも知れません。
二人は、「チョイ悪エロ坊主」 を通り越し、ある種のスター・ミュージシャンのような存在だったのかも。
であれば、18歳や16歳の娘が身分を忘れ出家するのも、ない話ではないと思えてくるのです。


出家したその鈴虫&松虫両姫の供養塔もここにはあるので、行っときましょう。
両上人のより高い所にあるのが、「そりゃそうか」 と思うと同時に 「そりゃないぜ」 とも思えます。
両上人斬首後、両姫は瀬戸内海の生口島、タコとレモンが美味いあの島で、余生を送ったそうです。
念仏三昧に明け暮れ、松虫姫は35歳、鈴虫姫は45歳で、それぞれ往生を遂げたんだとか。


35歳と45歳が、往生を遂げるに相応しい歳なのかどうかは、よくわかりません。
というか、そもそも両上人と両姫の関係が実際にはどういうものだったのかも、よくわかりません。
ただ、安楽上人は六条河原での斬首刑に際し、羅切、すなわち陰茎が切断されたとも言われてます。
人間は、深い。念仏も、深い。カボチャも、深い。変態も、深い。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。


そんなとりとめのないことを考えながら、見るものも見たので、帰ります。
実は、とりとめのないことをのんびり考える余裕がないくらい、境内は混んでたりしたんですが。
確かカボチャ供養のクローズは15時だったと思いますが、14時半の段階でもまだ客は来てました。
カボチャ供養、やはりファン、多し。健康体に変態したいという陰謀を持つ人、多いんでしょうか。

客は前述の通り、多いです。
いや、人数自体は大したことないですが、寺が狭いので、体感混雑度は高いです。
客層は、基本、地元の中高年がメイン。家族連れや、老夫婦などが、多し。
観光ツアー風の団体がたまにいますが、全体の雰囲気が観光化されてる感じはありません。
カップルは、少ないです。興味本位系っぽいのが、ちょっとだけいる程度。
そもそも若者自体が少ないですが、好き者系や冷やかし系はちょこちょこ見かけます。
単独は、男女とも、ディープ系。全体比では、結構なパーセンテージを占めてました。

そんな安楽寺の、鹿ヶ谷カボチャ供養。
好きな人と行けば、より鹿ヶ谷なんでしょう。
でも、ひとりで行っても、鹿ケ谷です。

【客層】 (客層表記について)
カップル:1
女性グループ:0
男性グループ:微
混成グループ:0
子供:0
中高年夫婦:1
中高年女性グループ:1
中高年団体 or グループ:5
単身女性:1
単身男性:1

【ひとりに向いてる度】
★★★
客層はネイティブ寄りだが、特に他所者のアウェー感はない。
人圧的にも色気的にも、プレッシャーは極めて希薄。
ただし、堂内は非常に狭く、物凄く暑い。

【条件】
平日木曜 13:40~14:50


鹿ヶ谷カボチャ供養
毎年7月25日 安楽寺にて開催

安楽寺
京都市左京区鹿ヶ谷御所ノ段町21
春と秋の一般公開日のみ拝観可

京都市バス 真如堂前下車 徒歩約10分

ANRAKUJI // 京都住蓮山安楽寺 – 公式

安楽寺 (京都市) – Wikipedia