京都・東山花灯路2014へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2014年3月16日(日)


京都・東山花灯路2014へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

人は何故、光を求めるのか。何故、闇の中に光を求めるのか。
「暗いから」 「暗いと何も見えへんから」 「何も見えへんと不便やから」 と答える輩には、
「暗くなったら寝え。日照時間だけ起きとけ」 としか返し様のない、深淵なる問いであります。
本能の名残なのか何なのかは知りませんが、人は実用的な理由が無くとも光を求めるものです。
震災以降も多発するライトアップ or イルミネーションの人気は、その証明に違いありません。
「いや、それは交尾へのステップという極めて実用的な理由があるんだよ」 という下衆の輩には、
交尾へ全く繋がらないのに、こうして2014年も花灯路へ特攻する私の動機を説明できないでしょう。
正直、私は東山花灯路に、ある種、大きな声では言えない類の魅力を感じ始めてます。
光を求める人間の根源的なオブセッションと、それを垂れ流しで露出する快感を感じ始めてます。
そんなことを、震災関係の展示が激減した今回の春の花灯路で、自覚させられたのです。
閑散期における純然たる電飾客寄せイベントとして始まり、今やすっかり定着した、京都花灯路。
勝手ながら私にとっては、初めてまともに特攻したのが震災直後の2011年春であったため、
「光とは何か」 or 「灯とは何か」 みたいなことを、考えさせられるイベントだったりします。
同時に、 「その影に生じる闇とは何か」 みたいなこともまた、考えさせられるイベントだったりします。
電力不足による終了フラグをひりひりと感じさせられた前回前々回前々々回とは異なり、
震災の事を忘れたかの如く展開された今回の東山花灯路でも、その印象は特に変わりません。
いや、むしろそれ故に、光へのオブセッション&その影に生じる闇を、強く感じさせられたのでした。
人は何故、闇の中に光を求めるのか。正確に言えば、何故、わざわざ闇の中で求めるのか。
凡庸な客寄せイベントだからこそ、そんな問いを丸出しで転がしてる東山花灯路2014、
例年よりやや暗めの写真で、影&闇の魔力と共にお楽しみ下さい。


「いきなり明るいやないかい」 と言われても、18時なんだからしょうがありません。
東山花灯路は、日没直後の18時スタート。で、18時に三条神宮道から侵攻を開始してみました。
既に車両通行止めとなった道を、時々やってくるツアー団体をかわしながらダラダラ歩くこと、しばし。
棒を撮ってると、ボランティアの人に 「何か面白いものありますか」 と訊かれました。いや、別に。


で、あとは例によって、手抜きの写真羅列でお楽しみ下さい。
「花灯路文人回廊」 なる名前の単なるパネル展示を、興味も無く見ること、しばし。


例年通り800円の夜間拝観をやってる青蓮院前の行灯を見ること、しばし。


円山公園へ入り、電飾に照らされた枯木 aka 枝垂れ桜を、ただただ眺める。


「サクハナ行灯」 の受付が枝垂桜横にあったが、書くのは面倒なので、ただ眺める。


今回も出張してる、以前より幾分男子向けな作り粟田大燈呂を、眺める。


ロープなどで自分で目や羽根を動かせたりもする粟田大燈呂を、眺める。


京都水族館の 「オオさんとショウさん」 が、記念撮影を押し売りしてるのを、
「暗い中に黒い体で、保護色状態」 「ウルトラマンのミイラ男みたい」 とか思いながら、眺める。


で、花灯路名物・ダイナマイト原も、眺める。


八坂神社の舞殿で舞踊を奉納するのは、お馴染みの舞妓はん。


一日3ステージの舞踊奉納、この日の担当は、宮川町の舞妓はん。


カメが血走り走り回る中で、あくまでも優雅に舞う、舞妓はん。


円山公園へ戻り、例年通り 「真ん中をお通り下さい」 などのアナウンス連呼が、
そしてそこら中に潜んでいるカメも全然幽玄じゃない、竹灯り・幽玄の川を渡るの図。


今回はちょっと大人しめだがスタイリッシュなものは多い、いけばな展を見るの図。


とんこつたこ焼き屋など、いくつか出てる露店は、概ね客数の割に暇そうの図。


で、芸大の何ちゃらかんちゃらは、例年通りな感じだったの図。


20時前になって、キツネの嫁入りを見るために知恩院前へ行きました。
プロジェクションマッピング、今年もやってますが行列は短め。でも並ぶのは嫌なので、スルー。


嫁入りするキツネ、20時ジャストに人力車に揺られて出発していきました。
知恩院前、甘酒などに加え、完全に関西弁の売り子が石巻牛タンつくね串などを販売中。


「横断は歩道をお通り下さい」 と叫び続けるスタッフの声を聞きながら道を渡り、
その先の売店で買った石巻牛タンつくね串のレモン塩風味200円なりの味は、かなり普通。


牛タンつくね串・味噌風味の方はどんな味だったんだろうと思いながら、
食い気の勢いが付いてしまい思わず買った鯨まん300円なりの味は、こちらもかなり普通。


例年通りホットワインと、アップルパイなども売ってた長楽館前を、通り過ぎるの図。


キツネを追っかけて入ったら、例年より人が少ない気がしないでもないねねの道の図。


珍しく開門してて、庭も何げにライトアップしてた、わらびもち屋の近くの高台寺塔頭。


庭のライトアップに加え、大根焚きとかも食える休憩所になってた、別の高台寺塔頭。


震災関係のものがなくなり、過去の行灯とかを展示してたが、
清酒の試飲が終わってたためか、誰も足を止めることがない、高台寺公園。


寺公園から上の駐車場へ上がり、キツネが高台寺へ嫁入りするのを眺める。


キツネの嫁が、 「●●●●ちゃん、おめでとう」 と本名で祝福されるのも眺める。


高台寺を出て、相変わらずの通勤ラッシュ状態な産寧坂を登ること、しばし。


閉門直前ゆえ、すっかり人の減った清水寺の前面だけ見て引き返すこと、しばし。


21時を過ぎたせいか、人がかなり少なめになった産寧坂を下ること、しばし。


人が少ないので、完全に冷やかしで奥丹の豆腐饅頭を食ってみたら、
生地も庵も意外と美味かったので、食いもせず侮っていた己の不明を恥じること、しばし。


で、暗闇の中でうっすらと光る八坂の塔を最後に眺めてから、とっとと帰ります。
光を求める人間のオブセッションと、その光の影が生む闇の深さ、共に感じてもらえたでしょうか。
写真がどれも暗めだったのは、実は、この闇の深さを描く為のコンセプチュアルな処置などではなく、
単に 「シャッター速度を稼ぐ設定にしたら、真っ黒になった」 だけなことは、ここだけの秘密です。

2014年の東山花灯路、客層は例年通りの花灯路客です。
例年通り、カップル主体で若者多し。男性グループも混成グループも、例年通りにアホ満開。
ただほんのちょっと、外来系の若者が減り、代わりにツアー系の中高年が増えた気はしましたけど。
誤差の範疇でしょうが、でも花灯路、若者には飽きられ中高年には浸透し始めたのかな、と。
あと、これもやはり誤差・誤視・誤認の範疇ではあるでしょうが、地元系の客が増えた気がしました。
自転車で来る冷やかしアホ学生も、超微量ではありますが、例年以上に見かけたような。
ただし、あくまで8~9割は近隣客 or 観光客であり、全体的なマナーの悪さも相変わらずです。
外人は少なめ。中国人が当然のようにやや多いですが、こちらも例年ほどではなし。
単独は、女はほぼ皆無&男はカメばっかりと、こちらは例年通り。

そんな京都・東山花灯路2014。
好きな人と歩いたら、より集客策なんでしょう。
でも、ひとりで歩いても、集客策です。

京都・東山花灯路2011へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
京都・東山花灯路2012へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
東山花灯路2013と清水寺特別夜間拝観へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

【客層】 (客層表記について)
カップル:3
女性グループ:1
男性グループ:1
混成グループ:1
修学旅行生:0
中高年夫婦:1
中高年女性グループ:若干
中高年団体 or グループ:2
単身女性:超微
単身男性:若干

【ひとりに向いてる度】

例年通り、あらゆることが基本、地獄。
ある種の修行 or ある種のプレイと思える心を持たないと、
まともに歩くことさえ困難が生じるかも知れない。
「撮影です」 と自分にも他人にも言い聞かせるカメラ武装は、
やはり例年通り、おすすめ。

【条件】
日曜+会期2日目 18:00~21:00


京都・花灯路
「東山花灯路」 を毎年3月中旬に、
「嵐山花灯路」 を毎年12月上旬に、開催
 

京都・花灯路 – 公式

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