中書島・長建寺の辨天祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2015年7月26日(日)


長建寺の辨天祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

この廓が世に知られたのは前にもふれたように淀川筋の船客を誘うたからであり、都名所図会拾遺
にも紹介されているとおり、 『旅客の船をとゞめ楊柳の蔭に盃をめぐらし』 という水郷的な趣きのせい
だった。 (中略) で、いつの頃からか廓の顔役達は弁天寺と結託して、毎年七月二十二日の夜に行
われるこの寺の夏祭を、船を主とした華麗な水上の祭として伏見名物の一つに仕上げていたのだ。
けだし中書島という廓の客引と宣伝をかねた最上の催しには違いなかった。
西口克己 『廓』

辨天祭 or 弁天祭、中書島長建寺にて7月下旬に行われている祭です。
中書島は、巨椋池宇治川に面した京都の港・伏見にあって、かつて遊廓が存在した街。
淀川水運と高瀬川の発着点に集まる旅人目当ての遊里として、江戸時代の創設以来大いに栄え、
近代に入り交通が陸路へシフトすると、今度は客を運ぶ市電京阪が開通してこれまた大いに栄え、
1958年に売春防止法が施行されるまで、 「楊柳の蔭に盃をめぐらし」 続けた街なのであります。
長建寺 aka 弁天寺は、そんな中書島に於ける 「島の弁天さん」 として、妓からも信仰を集めた寺。
夏祭にあたる弁天祭は、遊廓が健在だった頃には信仰&算盤勘定の両面から街全体が盛り上がり、
多くの船が河川交通技術をダイナミックに活かして、大阪・天神祭の如き饗宴を夜の水上で展開。
その様は 「洛南の三大奇祭」 のひとつとして広く知られ、大量の見物客≒遊客を街へと誘ったとか。
しかし売防法施行後の中書島は、風俗街へ転換するでもなく、他の産業へ転換するわけでもなく、
普通の飲み屋街&住宅街として現在に至り、廓と共生関係にあった弁天祭は規模を圧倒的に縮小。
「弁天さん柴おくれ、柴がいやなら銭おくれ」 と地元の子供が唱う弁天囃子の奉納も近年は絶え、
現在の祭は、山伏たちによる伏見の巡行、そして大柴灯護摩法要が夜空を焦がすのみとなってます。
では、弁天祭が単に衰退した祭かといえば、そうでもないんですよね。妙に、面白いんですよね。
衰退してるが故に、活性化の試みは色々と行われてるようで、この年も妙な女性団体の来客があり。
それが何か、面白かったんですよね。あと、山伏が伏見を歩くビジュアルも、それだけで面白いし。
というわけで今回は、その妙味を味わうと共に、街も散策。祭の現在の姿を見て来ました。
「洛南の奇祭」 は、果たして現在、どんな具合に 「奇祭」 なんでしょうか。


当日の17時、最寄り駅である京阪電車・中書島駅から、祭開始の18時半までうろつき開始。
中書島駅、長建寺の最寄り駅ではありますが、龍馬で御馴染みな寺田屋の最寄り駅でもあります。
あと、伏見港も近し。故に、駅前では酒樽&龍馬がお出迎え。水上交通の要衝時代の残り香ですね。
もっとも中書島、現代も乗換駅として要衝ですが。案内板がある辺は、市電の駅もあったんですよ。


「中書島」 の地名の通り、元々ここは、島。 「中書」 は、織豊時代脇坂中務小輔に由来。
島を開拓して屋敷を建てた脇坂中務は 「中書はん」 と呼ばれ、故に島は 「中書島」 になったとか。
元禄年間になると、伏見奉行・建部内匠頭は要衝たるこの地に着目、東柳町&西柳町として花街化。
もっとも御覧の辺は、電車で栄えた南新地ですが。沿道の銭湯・新地湯の前には、柳の看板、あり。


「琴三弦の音は月のゆふべに絶間なし ( 『拾遺都名所図会』 ) 」 だったという、中書島。
売防法施行後は、非転業派と学生下宿街を目指す派が揉めた後、両方が衰退し、飲み屋が増殖。
明るい内から、濃厚な風味を感じる街並となってます。これはこれで、遊廓跡の典型とも言えますが。
店内でどんなマリリンが出て来るか、それはシークレット。 「人類の敵」 みたいなのが現れたりして。


橋本と違い、現在も往来が活発な中書島だからこそ、昔の街並は全滅した感じでしょうか。
とはいえ、宅地化が著しい東柳町&西柳町でも、残り香程度に昔の建物が残ってなくもありません。
あと、往時の祭の舞台であり、現在も街を囲むように流れる宇治川派流 = 濠川は、風情豊かに整備。
橋の欄干には、弁天のマークも見かけたり。長建寺が建つのは、この辨天橋が架かる辨天浜の前。


で、長建寺。正式名称、東光山長建寺。本尊が弁財天という、珍しい寺であります。
寺号の由来は、中書島を花街化した建部内匠頭の長命息災を祈るということから、 「長」 & 「建」 。
深紅色の土塀&竜宮城の門の如くエキゾチックでオリエンタルな山門が、実に廓の寺という感じです。
中からは、住職らしき爺さんがマイクで話す声、あり。まだ17時半ですが、祭、もう始まったのかな。


現世利益&芸事上達という廓特化型の信仰と共に、廻船の守護神としても敬われた、長建寺。
門をくぐった先にはその信仰を示すかのように、船乗りへ朝夕の時報を知らせた鐘のレプリカ、あり。
住職は、団体客を相手に話してました。境内自体に混雑は、なし。先に本尊の参拝を済ませときます。
平安後期製という本尊・八臂弁財天を祀るのは、右奥の本堂。開帳されるのは、正月のみですが。


見えない本尊にお参りしてから、奉納所で護摩木の奉納もしておきました。1本、300円。
何を祈願するかで迷い、何となく 「祈願成就」 で。女でもなく、また偽名で、祈りは届くのでしょうか。
住職は未だ、話し中。相手の団体客は、東京から来たとか言ってた妙齢女性ばかりが集まった団体。
「何か、思ってたのと違う」 という感じの雰囲気をプンプン出しながら、話を聞くでもなく聞いてます。


私も話を聞くでもなく聞きながら、不動明王や水天を祀る護摩場にて護摩を拝むこと、しばし。
長建寺、真言宗醍醐派修験道場だそうですよ。三宝院から支援され、桜の銘木も移されたとか。
そのうち住職の話は終わり、次いで、25年前からこの寺へ通ってるというおばはんが喋り始めました。
このおばはんがボスで、他はその眷族&業者風。で、おばはん以外の全員が 「何か、違う」 状態。


とりあえず、あのおばはんが喋ってる間は何も始まらないと踏み、また周囲をうろつきます。
寺の前を流れる濠川では、地元有志らしき方たちが篝火&十石舟の夜間運行の準備をしてました。
酒蔵とのペア景観が売りの濠川、昔はもっと川幅が広く、多くの船&荷&酒&客が行き交ってたとか。
故に、廓のみならず舟宿も多く、寺田屋もその一軒。龍馬も滞在の際、登楼したりしたんでしょうか。


おばはんのマイク声が聞こえる範囲でうろつき続け、廓の北限だった蓬莱橋まで徘徊。
そういえば宮崎学『突破者』 で、 「1961年に、中書島一番の料亭で筆下ろしした」 と書いていて、
何時頃まではそんなことが可能だったのかな、などと考えながら歩いてると突然、法螺貝の音、あり。
おばはん声と、同時に聞こえます。山伏、おばはんに痺れを切らし、練習でも始めたんでしょうか。


とか思って寺へ戻ると、山伏が法螺貝を鳴らしながら巡行を開始してたの図。


数十人で行列を組む山伏、弁天橋で濠川を渡るの図。


濠川を渡って伏見の街へ入り、伏見名物の酒蔵の前を進む、山伏。


山伏を見て、 「何やってんの?」 状態の人がいっぱいの、大手筋商店街


大手筋から、酒蔵が並ぶ街中の竜馬通り商店街を歩く、山伏。


竜馬通りから中書島の飲み屋街へ入った山伏、駅前でUターンするの図。


で、飲み屋街から東柳町をグルグル回った山伏、寺へ帰ってきたの図。


寺へ帰ると、一気に増えた見物人の中で大柴灯護摩法要に取りかかる、山伏。
そして、 「山伏の偉業が見れるのは、そうあるもんではない」 と言われ、目が死ぬ女性団体。


どんどん目が死んで行く女性団体の前で、鍬を振る、山伏。


どんどん目が死んで行く女性団体の前で、四方に矢を射る、山伏。


儀式の途中、何となく見つめた、ジュディ・オング倩玉さんの言葉。


どんどん目が死んで行く女性団体の前で、剣を振る、山伏。


で、読経&不動明王などへの祈祷から、護摩へ点火。


燃えまくる、護摩。


燃やしまくられる、護摩木。


更に燃やしまくられる、護摩木。


で、護摩が燃えるだけ燃えた後、住職が大声で終了を宣言。辨天祭、以上であります。
そう、以上であります。あっさりしつつも、奇妙な来客の妙味が効いた 「洛南の奇祭」 でありました。
あ、 「洛南の三大奇祭」 というのは、この辨天祭と宇治・縣神社の縣祭り、あと藤森神社の駆馬神事
何となく、艶っぽい順で逆風を受けてるよう見えるのは、やはり時代の流れというものなんでしょうか。


寺を出ると、いつの間にか夜間運行を終えたらしき十石舟が、濠川の辨天浜で停泊中。
かつては、ここ→宇治川→今は埋められた派流→蓬莱橋を回る船渡御が行われていた、辨天祭。
中書島遊廓を描いた西口克己 『廓』 でも、その頃の様が生々しく書かれてました。今は昔の話です。
もっとも渡御中止の理由は、廓消滅だけでなく、宇治川の河川改修などの都合もあるそうですけど。


『廓』 の主人公・貫太が、 「沁みるように明るかった」 と感じた、辨天祭の夜の賑わい。
そんな昔とは異なる、ようでいて実は案外似てるかも知れない飲み屋街の賑わいを抜け、帰ります。
帰り際、この街の至宝たる中華屋の揚子江へ寄ろうと思ったら、貸切。あの団体が借り切ったのかな。
もっとも揚子江、あの人数が入り切るような店ではありません。となれば、山伏が借り切ったのかな。

客は、トータル100人程度で、その約半分が先述の団体。
団体は、ほぼ全員が 「微妙・・・」 なオーラを強烈に出し、そのオーラが境内に充満してました。
それ以外の客は、地元の妙齢女性、多し。観光ハイは無論なく、といってネイティブ感もありません。
後は、地元の家族連れがいる程度。カップルは全然おらず、そもそも若者も好き者系以外はおらず。
酒蔵をうろつく観光客がたまに混ざって来ますが、その手の連中はすぐに飽きて退散します。
単独は、先述の地元妙齢女性と、地元の普通の男と物好きの男とカメ男。

そんな長建寺の、辨天祭。
好きな人と行けば、より弁天なんでしょう。
でも、ひとりで行っても、弁天です。

【客層】 (客層表記について)
カップル:微
女性グループ:微
男性グループ:0
混成グループ:微
子供:若干
中高年夫婦:微
中高年女性グループ:6
中高年団体 or グループ:1
単身女性:2
単身男性:1
【ひとりに向いてる度】
★★★
女性が多いが、色気のプレッシャーはなし。
あと地元民も多いが、これも特にアウェー感はなし。
ただ、街並と比べると、祭自体はさほど面白いもんではない。

【条件】
日曜 17:20~20:00


辨天祭
毎年7月第4日曜 長建寺にて開催

長建寺
京都市伏見区東柳町511
通常拝観 9:00~16:00

京阪電車 中書島駅下車 徒歩約3分 
京都市バス 中書島下車 徒歩約3分
 

長建寺 (京都市) – wikipedia

辨財天長建寺(島の弁天さん) – 京都観光Navi