高瀬川・木屋町通へ夜桜を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2016年4月2日(土)


高瀬川・木屋町通へ夜桜を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

木屋町通は電気の道だ」 みたいなことを、ふと、何となく、思ったりします。
エロき照明が夜な夜な輝いてるからではありません。歴史的経緯から、そう思ったりします。
いや、無論ここは、運河・高瀬川の開削によって材木商が集結し、その名が付けられた町&道。
そして高瀬川も無論、電気の無い時代に活躍し、電気の時代の到来と共に本来の役目を終えた川。
後はせいぜい、幕末に新時代を目指して京へ集った武者が、次々とブチ殺された地、というくらい。
一見、電気は関係無さそうです。歴史的経緯は、電気の無い時代に全てが仕上がってそうです。
が、京都の電化についてもこの道は割と大きな役割を果たし、その影響は現在も残ってるんですよ。
高瀬川を船が往来してた 「現役」 時代の木屋町通は、現在より遙かに幅が狭い道だったとか。
また、その名が端的に示す通り、沿道に建つのは材木などの蔵が多く、飲食店は少なかったとか。
多少なりとも幅がある現在の木屋町通が出来たのは、ここへ電車が走るようになった明治後期。
日本初の営業電車を走らせた京都電気鉄道は、2号線・木屋町線の用地として高瀬川沿いを選択。
クラシックな電車が走るスペースを確保すべく、木屋町通は現在のように拡張されたのでした。
更には、京都初の電力会社・京都電燈株式会社が、明治22年に本社&発電所を作ったのも、ここ。
京都電燈、開業日には沿道に電飾を灯しまくり、現代と同様な不夜城の世界を現出させたとか。
電車によって道の現在形が築かれ、最初期のライトアップが行われた地かも知れない、木屋町通。
こうなると、何となくどころか明確に 「電気の道」 だと思うと思うんですが、あなたどう思いますか。
そんな 「電気」 な経緯に因むのか、高瀬川沿いにて咲く桜を電飾で照らす毎年春のライトアップは、
かつて京電・木屋町線の電車が駆け抜けた木屋町二条から木屋町五条の間にて、主に実施。
エロき照明が特に輝く三条~四条の辺は、中に入れば色々ふんだくられそうな店が並んでますが、
しかし、歩くだけならタダなので、タダが好きそうな方々が市境も府境も国境も越えて、集まってます。
ならば、行かねばならぬ。その手の混雑への特攻が趣旨の当サイトとしては、行かねばならぬ。
と考え、桜が爆裂してる 「電気の道」 に、「電気の武者修行」 な気分で突っ込んでみました。
夜の高瀬川に、マンボ・サンは輝くのでしょうか。ゴングは鳴るのでしょうか。


岡崎での第4回内勧博の為に開業した京電・木屋町線は、二条から木屋町通へ進入してました。
というわけで、高瀬川の起点&角倉家屋敷もあった木屋町二条の一之舟入へ、18時半に来たの図。
エレクトリックに修行する今宵は、GS蓄電池の祖・島津製作所創業地とも言っておくべきでしょうか。
この辺はまだライトアップの範囲ではないみたいですが、ライトは一応点いてるので、ここから出発。


で、エレクトイジェクトをアシストした高等内侍が出入りした辺とも言っておくべき辺を南下、
特にエレクトリックでも何でもない真っ暗な桜に、多国籍の人間達がいきなり群れまくってるの図。


どんどん南下して御池通を渡った先で、未だエレクトリックな輝きを見せない桜を観るの図。


電車に変わって木屋町通を駆け抜ける車が、ブレーキを踏む度に紅く染まる桜を観るの図。


で、三条へ近付くと遂に現れた、思わず電気の武者震いを感じてしまう、ライトアップ桜。


「商売繁盛で桜もってこい」 と言いたくなるような賑わいを見せる、三条のライトアップ桜。


でも昔は材木が多く並び、肥問屋もあったという三条下ルの川辺で光る、ライトアップ桜。


材木の陰では 「材木」 なる呼称の女性が仕事をしてたという川辺で光る、ライトアップ桜。


耳に入るほぼ全ての音が中国語になった西木屋町通開始地点あたりの桜を眺める。


耳に入る全ての音が本当に全て中国語になった西木屋町通のどっかの桜を眺める。


中国語の騒ぎ声の中、ビバップ・ムーンが見えないほどに空を覆い尽くす桜を眺める。


中国語の騒ぎ声の中、マンボ・サンに代わり輝こうとしてるようにも見える桜を眺める。


で、やってきた、京都電燈本社&発電所跡地 aka 元・立誠小学校。京都の電気の故郷です。
京都電燈は明治22年、ここで火力発電を開始。蹴上発電所の稼働開始よりも、少し前になります。
ここで発電したのは、高瀬川が燃料の運搬に便利だった為。エロゾーンが近いからではありません。
当時の廓は、電燈を美的&商売的に嫌ったそうですよ。一般の料亭などが、主な顧客だったとか。


立誠小がこの地へ来たのは、昭和初期。その前は、京都電燈。その前は、土佐藩邸でした。
いや、土佐藩邸のすぐ後には、京都近代化の父・明石博高が 「京華温泉」 なる施設を開いてます。
断じて、特殊浴場などの類ではありません。だからなのか何なのか、すぐにぶっ潰れたそうですけど。
藩邸以前は、備前から来た高瀬舟の船頭が住んでたとか。なのでこの辺、土佐だけど、備前島町。


「そんなこと全く興味ない」 という感じの中国人撮影隊+そのライトで光る桜を眺める。


南下すると更に中国人が増え、割り込みや体当たりを食らいながら近くで桜を眺める。


耳に入る全ての音がずっと中国語のままの四条手前辺で、焼肉と桜の天井を眺める。


耳に入る全ての音がずっと中国語のままの四条手前辺で、焼酎と桜の天井を眺める。


みつらん鉄道ソワレの隣のビルへ移転してきた四条木屋町手前での、ライトアップ桜。


みつらん鉄道とは何なのか、という問いとあまり関係がなさそうな人達と、ライトアップ桜。


みつらん鉄道と関係ある人もない人も共に群れ集う喫煙パーティションと、ライトアップ桜。


みつらん鉄道に乗った人がいなさそうで、案外いるかも知れない群衆と、ライトアップ桜。


更に南下して下木屋町へ入ると、ライトアップに加えて床らしき物を川の中へ置いてたの図。


白っぽく光るエレクトリックな桜と、この辺は確かに電車道っぽく見える木屋町通を観るの図。


更に南下して、エレクトイジェクトをアシストした雇仲居の根拠地だった辺の桜を観るの図。


で、京電が木屋町通から河原町通へ曲がった五条小橋前で、ライトアップはおしまいの図。
「電気の武者修行」 も、ここでおしまいです。凄く、疲れました。何か、欲望に凄く、疲れました。


物流の新時代を開き、新時代を求める武者が各地から集い、そして京都を電化した町、木屋町。
その歴史を思えば、性や観光の欲求が国境を越え集約されるのもまた、道理なのかも知れません。
マンボ・サンとは、あの桜の輝きのことだったのかも。ゴングとは、中国人の嬌声のことだったのかも。
とか思いつつ五条大橋トイレへ寄り、修行の〆として、誰かのゴモクをゴミ箱に捨てときましたとさ。

客は、6割くらいが中国人。外国人の6割ではなく、全体の6割が、中国人。
カップルと団体がメインの中国人が溢れ、ここが日本ではないかのような状態になってます。
割り込み、体当たり、横でフラッシュ焚くなどは、基本。特に、餓鬼連れのおっさんほど酷いです。
4割程度しかいない日本人は、地元勢と観光客が半々くらいというバランスでしょうか。
カップルは、それなりに多し。ただ他の属性も多い為、さほど色気のプレッシャーはありません。
というか、何よりまず木屋町のエロき香りが、戯けた色ボケを相当量ふっとばしてくれてます。
若者全般についても、烏合感が強し。その雑多さが、アウェー感を若干薄めてくれてるというか。
中国人が多過ぎるだけのことかも知れませんが、場所が場所ながらDQN感はかなり希薄。
それでも無論、馬鹿騒ぎする連中は、後を絶ちません。日中問わず、後を絶ちません。
中高年は、全体の半分くらいでしょうか。層は、こちらもやはり烏合で、地元:観比も半々程度。
単独は、普通の観光客がぱらぱらといる程度。カメも特に多くなく、9割が普通の男です。

そんな高瀬川・木屋町通の、夜桜。
好きな人と観たら、よりエレクトリックなんでしょう。
でも、ひとりで観ても、エレクトリックです。

【客層】 (客層表記について)
カップル 2
女性グループ 若干
男性グループ 若干
混成グループ 2
子供 微
中高年カップル 2
中高年女性グループ 若干
中高年その他 3
単独女性 超微
単独男性 微

【ひとりに向いてる度】

基本、地獄。というか、ここはもう、日本ではない。
プレッシャーは案外希薄だが、情緒は面白いくらいに絶無。
ただ、その辺を面白がる根性があれば、逆に楽しいかも。
人間がいなければ、桜そのものは極めて素晴らしい。

【条件】
土曜+桜ピーク 18:30~22:00


高瀬川・木屋町通
毎年の桜シーズン、何か光ってる

京阪電車
三条 or 祇園四条 or 清水五条下車 徒歩約2分
京都市バス
京都市役所前 or 河原町三条 or
四条河原町 or 河原町松原 or
河原町五条下車 徒歩約2分
阪急電車 河原町下車 徒歩約2分
 

高瀬川保勝会

木屋町会WEBサイト