川端四条の一平茶屋へ、かぶら蒸しを食べに行きました。もちろん、ひとりで。

2019年12月6日(金)


川端四条の一平茶屋へ、かぶら蒸しを食べに行きました。もちろん、ひとりで。

私は、京都の冬の風物詩であるかぶら蒸しを家庭料理として食したことが、ありません。
摺り下ろしたかぶらを卵白&具材と共に蒸し上げ、蕩みの利いた出汁をかけ食す、かぶら蒸し。
京野菜の恵みと丁寧な仕事が活きる、そして冬の底冷えも救う、実に京都らしい一品ではあります。
が、偽京都人 or おけいはんの民の私としては、かぶら蒸し、親が作ってくれた記憶はありません。
自分で作ろうと試みたことはありますが、面倒臭さに完敗しました。手がかかるんですよ、あれ。
結果として爆誕した謎のかぶら天つゆを啜り、己の身体的・生活的教養の欠如を痛感したものです。
正に、偽京都人。私のような 「外」 の人間は、家庭でかぶら蒸しを食うのが相応しくないのでしょう。
では、私や、あるいは私と同様 「外」 の存在たる人類の大半が、京都の冬の底冷えに遭遇し、
「かぶら蒸し食いたい」 と切に願ったのならば、食うのに相応しい場所とはいったい何処になるのか。
その適格地は川端四条であると、私は考えます。かの南座が建つ川端四条であると、考えます。
元来は、鴨川を隔てた洛の 「外」 であり、祇園神が洛中へ入る際の入口とされた、川端四条。
近世へ近づくに連れ妖しき傾奇者が集うようになり、やがて歌舞伎発祥の地となった、川端四条。
そして現代は、京阪で京郊の砂利が闖入し続ける、川端四条。正に 「外」 たる存在のアジールです。
「外」 の者が京都の冬の味覚を堪能するのに、ある意味、此処ほど相応しい地もないでしょう。
また何より此地には、かぶら蒸しの専門店とも言い得るような店も、存在してます。一平茶屋です。
かぶら蒸し定食が4000円超という値の張る店であり、ゆえに私は店の前を通り過ぎるばかりでしたが、
今回は意を決して、やはり冬の京都の代名詞である南座の顔見世真っ只中である12月に訪問。
家庭とは全く逆の、しかしアジールの人間らしい温もりを感じながら、かぶら蒸しを食したのでした。
そう、これはあくまでも新たな挑戦なのです。当サイトが当サイトであるために必要な挑戦なのです。
決して、冬場のアクセス数を確保すべく、食い物ネタを増やそうと考えたわけでは、ありません。
断じて、歌舞伎とかぶら蒸しをカブ繋がりでカブらせようと考えたわけでも、ありません。


普段通りに混む地下の京阪・祇園四条駅を13時に出て、そのまま直結された地上の南座前へ。
南座前も普段通りに混んでますが、客層は普段通りの祇園客。顔見世客は、小屋の中なんでしょう。
外で見かけるのは、名物・まねき看板を見上げたり撮ったりする人ばかり。あとは、券相談の人くらい。
あ、そのまねき看板の下では、 「上七軒御連中」 の立て看板あり。芸舞妓はん、観てはるようです。


私も観たいですが、興味が金額に勝てません。ので、歌舞伎発祥地の碑に挨拶だけしときます。
碑は、出雲阿国がどうこう、というもの。妖しき傾奇者が集う場で生まれた異性装の舞、という奴です。
尤も阿国は此辺ではあまり踊らず、御連中中の上七軒の総締・北野社が定舞台だったそうですけど。
挨拶が済んだら、一平茶屋へ向かいます。松葉の晦日蕎麦の張紙などを見てから、川端通を南へ。


一平茶屋があるのは、南へ進み、周囲は近所の生活者か大型バスを待つ観光客ばかりな場所。
南座前よりは人は少ないものの、まだまだ全くひっそりしてない場所なのに、この佇まい。実に渋い。
幼少時から 「京都 = 四条」 なおけいはんの民たる私は、前だけは5億回以上通ってる店であります。
しかし、中は一度も入ったことがない店であります。ので、入ろうと思うと妙に緊張するのであります。


一度も入ったことがない理由は、先述通り、値段。かぶら蒸し定食4400円也は、メニュー中、最安。
家庭料理とは違う迫力、ヒリヒリと感じます。が、興味に食欲を足せば、勝てない金額でもありません。
また、 「外」 たる者が家庭料理とは違う形でかぶら蒸しと向き合うには、絶好の環境にはなるでしょう。
と、恐怖と期待に震えながら、中へ。あ、でも顔見世の2部を待つ客が大量にいたりしたら、どうしよう。


しかし暖簾を潜ると、先客は1組。安心し、 「ひとりなんですけど」 と言いながら、中へ入りました。
外観通りに渋い店内は、道側に座敷席があって、他にはテーブル席が3組ほど。実に良い感じです。
座敷席を薦められましたが、椅子の方が楽なので、テーブル席へ。そして、かぶら蒸し定食を即注文。
隣の厨房から響いてくる、かぶらを擦ってるらしき音を聞きながら、渋き味わいを楽しむこと、しばし。


料理はまず、長いも豆腐の小鉢。生麩と蟹の身も乗ってて、美味し。


次は、ミニ鯖寿司を軸とする八寸。かまぼこの田楽もあって、美味し。


続く刺身は、あたご(?)、鯛、ひらまさ。あと、何かの煮こごり。美味し。


そして遂に来ました、かぶら蒸し。直径30cmくらいの、ビッグサイズな丼です。
蓋がしてあり、見えませんが高台に山葵が格納されてます。早速、開けてみましょう。


開けると、かぶら+出汁という、パッと見的には極めてシンプルなかぶら蒸し。
文字通り擦り下ろし蒸し上げられたかぶらに、餡掛け出汁がたっぷりとかかってます。


見た目はシンプルなかぶら蒸し、食い進めると中から色々な具が出てきます。
かしわグジ、そして鰻まで奥から登場。また餡掛け出汁にも、椎茸などの具が潜伏。


かぶらは、卵白などのつなぎ感は極めて稀薄。味付も、風味を生かす薄味系。
ナチュラルな辛味とふんわりした食感が良く、山葵を使わず全部食ってしまいました。


で、〆は山椒ちりめん御飯。あ、奥に立ってるの、徳利じゃないですよ。


で、食い終わったら、酒呑んでるわけでもないので、すぐ帰ります。勘定は、表のメニュー通り。
家庭料理とは違う、でもそれでいて温もりもある、此地らしいハレな味わいのかぶら蒸しでありました。
店を出た後は、顔見世観るわけでもないのですぐ退散しますが、腹ごなしを兼ね此地をもう少し徘徊。
川端通を挟んだ真向かいから、師走になっても残る紅葉の色越しに、渋い店構えを拝んでみたり。


店の真向かい = 鴨川沿岸は丁度、祇園祭・神輿洗の際に清めの水の桶が置かれる場所。
正に、神輿のスピリチュアルキーが発行される場です。平安から続く霊的DMZです。アジールです。
近世以降の盛り場化や歌舞伎発生も、こうした地力がOSとなって起こったという妄想、止まりません。
京阪地下化以降に整備されたであろう、超最近な沿岸の紅葉にさえ、霊的説得力を感じるというか。


近世・近代・現代のテクノロジーと親和性を持ち、そのことでアジール化を進めてきた、川端四条。
そう思うと、かぶら蒸しの如き形をした謎のカブり者が客引きをしてるのも、此地らしい光景なのかも。
家庭とは違う、アジールゆえに生じ得る人間的な温もり。そんな温もりに触れて、私も何か和みます。
そしてそんな 「外」 な私の傍では、カブいた出立の出雲阿国像が、急にハレた冬空を仰いでました。

この日の一平茶屋、他の客は中高年男女が1組。ゆえに、客層云々は省略。
賑やかなエリアにあって、静かで渋く、そして味わい雰囲気は、至福に近いものがありました。
顔見世で来た大量の人達とバッティングする可能性は、かなり想定し得る場所ですが、
料理の渋さと値段から考えるなら、少なくとも砂利と衝突する可能性は少ないとも思えます。
南座へ出かける方は、ふらりと立ち寄ってみるのも、いいのではないでしょうか。

そんな一平茶屋の、かぶら蒸し。
好きな人と食べたら、より歌舞伎なんでしょう。
でも、ひとりで食べても、歌舞伎です。


 
 
 
 
 
一平茶屋
京都市東山区宮川筋1丁目219
12:00~21:00 木曜定休

京阪電車 祇園四条駅下車 徒歩約2分
阪急電車 京都河原町駅下車 徒歩約5分
京都市バス 四条京阪前下車 徒歩約2分
 

一平茶屋 – 公式