正月の石清水八幡宮へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2012年1月5日(木)


正月の石清水八幡宮へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

八幡の八幡さん(やわたのはちまんさん)、地元ゆえ再び初詣です。
元旦には、今イチながらも初日の出まで拝ませてもらった石清水八幡宮ですが、
昼間の混み加減も一応チェックしておきたくなって、改めて参拝させていただきました。
混雑度を見るなら何といっても元日、せめて三が日の間に行っとくべきなのですが、
諸般の事情で4日まで身動きとれず、5日に至ってのデータ取得となってます。ご了承下さいませ。
「世は変われども、神は変わらず」というキャッチコピーの通り、
例年と特に変わるところのない、賑やかかつ穏やかな八幡の八幡さんの正月ではあるのですが、
去年の年末にはこの石清水八幡宮、国史跡に指定されるというトピックがありました。
それも本殿のみならず、明治以前の神仏習合の遺跡を含めての指定。
ちょっと前には松花堂昭乗の滝本坊跡で「空中茶席」なるものの遺構が発見されるなど、
静かに盛り上がりを見せていた八幡さんの発掘ですが、この指定でより拍車がかかることでしょう。
八幡さんの参道の横にずらっと並ぶ、石垣。あれ、遺構なんですよ。かつて林立していた宿坊の。
でも、参拝される方の多くは登ることに必死で、全然そんなことに気にしてくれません。
ので、ちょっとその辺にも触れながらの初詣記事にしてみます。興味を持ってもらえたら、幸いです。
あ、トップの龍は、本殿にいる奴。辰年ということで、フィーチャアしてみました。


今日はケーブルに乗らず、徒歩で山上へ向かいます。
鳩字の「八」とリアル鳩が仲良く並ぶ一の鳥居をくぐり、頓宮を過ぎ、傾斜が緩い表参道へ。
山麓の参道、屋台類はほとんどありません。一軒のフランクフルト屋と、大量のゴミ袋があるのみ。
私がこの辺に住んでた頃は、もうちょっと長くやってた気がするんですが。


七曲がりの石段を越えると、一段と傾斜が緩い坂道が現われます。
ここの石垣が、かつての泉坊跡。明治維新の廃仏毀釈で破却された男山四十八坊のひとつです。
以降、山上に到達するまでこんな調子で石垣が断続的に出てきます。
あ、ちなみに石垣の上には、何もありません。ほぼ、野生状態。掘れば、何か出てくるでしょうけど。


単に安全のためか、あるいは宗教上の理由なのか、
とにかく正月期間は立入禁止になってる石清水社への分岐点近くにある、松花堂跡。
破却を免れるため、建物は現在の松花堂庭園へ移築されましたが、元々はここに建ってました。
木をぶった切れば、京を見渡す景観が得られるはずです。京滋バイパスが邪魔ですが。


石段ゴール手前にある、豊蔵坊跡。
徳川家の祈願所であり、「坊主丸儲け」を地で行った宿坊の中でも一番潤ってた坊です。
等持院で歴代足利将軍に混ざって安置されてる42歳の家康公木像は、元々はここにありました。
厄年を迎えた家康自身が奉納したものとか。坊は徹底的に破壊され、現在は石垣が残るのみ。


豊蔵坊跡をちょっと登ったところに、鳩茶屋あり。
大正期の観光案内に、「石清水には湯豆腐が名物の茶屋がある」とか書かれてましたが、
現在はここが正月などに営業してるのみ。甘酒350円を、オーダー。50円のゆで卵は、売り切れ。
座ると猫が現われ、おかきを持ってる他の客のとこへ向かい、可愛がられてました。


石段を登り切り、三の鳥居直下のパワーストーンを拝む。
「一ッ石」「勝負石」などと呼ばれるこの石、かつて行われてた走馬の出発点になってたんだとか。
そういえば、この背後には神馬舎がありました。いや、今もあるけど、馬がいるかは知らん。
死んだような眼で100円のにんじんを食ってたあの白馬、どこへ行ったんでしょうか。


本殿へ向かい、いよいよ参拝です。
といってもこないだ来たばかりなので、さっさと済ませます。
スーツ姿の団体や素性の知れぬ団体の参拝、多し。不穏な社会情勢を反映してるんでしょうか。
授与所では、パワスポ商戦へ本格的に参入するつもりなのか、天然石の数珠とかを売ってました。


破邪顕正&一発必中の霊験あらたかな御神矢、絶賛授与中。
5日とあって申し込む人はまばらでしたが、巫女さんは律儀に舞い、祈祷をしてました。
若宮社前にある厄除祈祷所も、客は少なめ。奉納された黄色のタスキが、風に揺れてます。
厄除申し込みの記入例、サンプル氏名はもちろん「八幡太郎」


天気が良いので、展望台にも寄っていきました。
ウチから見れば鬼門そのものにあたる京都の街を、一望しておきます。
見晴らしが良いことこの上なしですが、その分、吹きさらしの風が寒い。シャッターを押す手が、凍る。


展望台には、牧野の中学生が先生に率いられて来てました。
牧野というのは、大阪府枚方市の牧野のこと。枚方から見れば、八幡さんは鬼門封じになります。
彼方の京都タワーを、牧野とはいえ「ヤンプラ」なんか知らなさそうな中学生が眺めるの図。
ヤンプラというのは、ヤングプラザのこと。知らない方は、知らないままで構いません。


帰りは、裏参道を下ります。
歩き始めてすぐに現われるのが、護国寺跡。石清水八幡宮を実質管理していた寺です。
「残ってたら、国宝」と言われる宝塔もあったんだとか。いずれも現在は、跡形もなし。諸行無常。
あ、ここから少し下ったところに、正月は入れない石清水社、空中茶室の遺構があります。


裏参道、別名・太子坂をひたすら下るの図。
「太子坂」の名は、明治維新まで聖徳太子像を祀る太子堂があったことに因みます。
傾斜が強い分、横にそびえる宿坊跡の石垣も高くなり、ちょっとした城テイスト。


で、山麓に下りたら、駅前の朝日屋で鯖寿司と八幡巻きを食す。
八幡巻き、確か普段は要予約だったと思うんですが、正月は普通メニューとして出してるんでしょうか。
一応、ここ八幡が発祥の地。でも、まともに提供してる店は何故かほとんどありません。
吉兆・松花堂店の弁当に入ってるくらい。八幡って、不思議なとこ。

客は普通に多いですが、混雑というほどではありません。
層は基本、中高年メインの家族連れ。40前後のおっさんが、子や老親を引っ張ってるパターン。
何故かサバサバした空気が漂い、ほのぼのした感じがないので、単独のアウェー感は希薄かなと。
カップルは少なく、女性グループも皆無に近し。色気のプレッシャーは、果てしなくありません。
若者グループも基本、中学生まで。一番色気づく高校生から30前くらいまでの層が抜けてる感じ。
人が減ってるせいもあるが、DQNテイストもさほど濃くはありませんでした。

そんな正月の石清水八幡宮。
好きな人と参れば、より八幡大菩薩なんでしょう。
でも、ひとりで参っても、八幡大菩薩です。


【客層】 (客層表記について)
カップル:1
女性グループ:若干(子供)
男性グループ:1
混成グループ:若干(子供)
修学旅行生:若干
中高年夫婦:2
中高年女性グループ:0
中高年団体 or グループ:6
  (家族連れ各種、老若問わず)
単身女性:0
単身男性:若干

【ひとりに向いてる度】
★★★
色気のプレッシャーは皆無。
ディープサウス&大阪風味も、
5日にもなれば落ち着いてるだろう。
ただし、再生産系のプレッシャーはかなり、濃い。

【条件】
正月5日木曜 12:10~15:50

石清水八幡宮
京都府八幡市八幡高坊30
通常拝観 だいたい6:00~18:00

京阪電車八幡市駅下車 男山ケーブル乗り換え
男山山上駅下車 徒歩約5分
ひたすら階段の場合は、徒歩約20分

石清水八幡宮 – 公式

石清水八幡宮 – wikipedia