鞍馬寺の竹伐り会式へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2014年6月20日(金)


鞍馬寺の竹伐り会式へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

「金星」 「650万年前」 「宇宙エネルギー」 「サマートクマラ」 などなど、
ややアストラルな検索ワードでうちへ飛んでくる方も多い、京都パワスポ界の雄・鞍馬寺
実際、それこそ金星人やアセンションといった 「あっち」 な話題の多いスポットではありますが、
現世に於いても千年を超す古刹として、もうちょっと 「こっち」 な由緒もまたこの寺院は持ってます。
平安遷都以前の770年、鑑真和上の高弟・鑑禎がこの地にて毘沙門天像を祀ったことに始まり、
遷都後には造東寺長官・藤原伊勢人が、千手観世音を追加で祀ると共に、堂塔伽藍を建立。
平安中期には東寺の高僧・峯延が根本別当に就任、後に中興の祖と崇められる働きを見せたことで、
鞍馬寺は特に金星人の力を借りることも無く、洛北の名刹としての道を歩むようになったわけです。
ただこの峯延上人、東寺出身らしく呪術に長け、 「あっち」 的とも言える逸話もあったりします。
修行中の上人にある日、 「舌長きこと三尺ばかり、さながら火炎の如し」 という大蛇が襲来しますが、
上人はひるまず、当時恐らくバリバリだった東寺仕込みの真言を唱え、霊力のみで大蛇を呪殺。
朝廷より派遣された人夫50人で運んだ大蛇の死体は、刀でぶった切られ、崖へ捨てられたそうです。
「あっち的」 というよりは完全に 「あっち」 というか、とにかく色んな意味でパワフルな逸話ですが、
鞍馬寺ではこの逸話に因んだ儀式を今も続けており、それこそが今回訪れた竹伐り会式であります。
鞍馬寺の門前組織・七仲間の最有力集団であり、 「鞍馬の火祭」 でも活躍する大惣法師仲間が、
大蛇に見立てた竹を往時の僧兵の如き姿で勇ましく叩き割る、毎年6月20日開催の竹伐り会。
2つの座がその年の豊作を賭け速さを競い合うルールも手伝い、実にワイルドとなるその伐りの様は、
牛若丸&弁慶&天狗の伝説をも想起させる、鞍馬らしいロマンに溢れたものと言えるでしょう。
そんな竹伐り会式、6月の湿気に満ちた暑さの中、テクテクと徒歩で山を登り、出かけてきました。
「あっち」 と 「こっち」 が交錯するロマンと、 そのロマンに引き寄せられた大量の人民が、
山上の境内で汗まみれになって集結し入り乱れてる様、とくと御覧下さい。


満員の叡電 『きらら号』 に乗り、13時10分、鞍馬駅へ着いたの図。暑い、暑い。
8割ほどの客が岩倉を過ぎても乗り続けてたので、竹伐り会式ってこんなに混むのかと驚いてたら、
貴船口駅で男と女の和田ちゃんが、どっかの芸能人を連れてロケをしながら降りるのを見かけました。
それで混んでたのかな。とか思ったんですが、客自体は全然降りず、結局鞍馬までかなりの混雑。


鞍馬駅を出ると、駅前に 「くらまラーメン」 なる看板を上げてる店があるのを見かけ、
そういえば昔、鞍馬口通に食い逃げメニューのある 「ラーメンくらま」 があったなとか思いながら、
14時の竹伐りスタートに間に合うべく早速登山に取りかかりますが、その前に牛若餅で軽く腹拵え。
「竹伐り会やから仰山の人が登っていく」 と言う売店のおばちゃんから買った牛若餅、味は普通。


愛山料を払って仁王門をくぐり、緑濃き6月の鞍馬山を登り始めるの図。暑い、暑い。
もっとも、昔の竹伐り会は旧暦6月 = 現在の7月開催だったので、もっと暑かったんでしょうけど。
竹伐り会式、正式名称は 「蓮華会」 。蓮の季節に行われ、本殿金堂には蓮が沢山盛られてたとか。
しかしそれでも、現在も充分、暑い。そして、時折すれ違う機材抱えたカメ爺が、猛烈に汗臭い。


いや、もちろん中高年の多くは山登りなどせず、ケーブルに乗るんですけど。
鞍馬弘教初代管長・信楽香雲が昭和32年に開通した鞍馬山ケーブル、御覧の様に大混雑です。
香雲師の力により、鞍馬寺は天台宗から独立。何というかまあ、宇宙にいちばん近い寺となりました。
ケーブルの中で流される自動の寺案内でも、「宇宙エネルギー」 云々の話はしっかり聴けますよ。


でも私は、宇宙エネルギーの話を聞くことなく徒歩で登ること、しばし。


全身の水になるような汗をかきながら、さらに登ること、しばし。


脱水状態で山登りを終え、竹伐り会式会場の本殿金堂前へ着いたの図。しんど。
着いたのはいいですが、金堂左右の観覧スペースは御覧の通り、人間の海状態。倒れそうです。
あ、六芒星周辺はガラ空きですが、特に霊的な事情で開けてるのではなく、この辺は関係者用通路。
刀を持った人が通るためか、警備も 「ここ通路なんです」 をエンドレスで叫び、気合い入ってます。


左右の観覧許可スペースへ行き、金堂を見てみました。竹伐りステージは、画面中央奥。
会場を挟み、右側に近江座、左側に丹波座が陣取って、両座が竹伐りの速さを競うのであります。
が、ほぼ何も見えません。また、ステージ上にいる報道が立ったままなので、さらに何も見えません。
加えて、開始が近付くと脚立を立てるカメ爺がそこら中に沸いて出るので、もっと何も見えません。


何とか見えんかと思い、金堂の丹波座側真横に来てみたけど、やはり何も見えんの図。
手前の竹は無論、竹伐り会で伐る竹であります。奥に吊られてる短くて細いのは、伐りませんが。
細い竹は根が付いてて、雌蛇を表す 「雌竹」 なんだとか。対して伐る方は、太くて根無しの 「雄竹」 。
雄・雌・雄・雌の順で両座4本ずつ吊られ、根付きの 「雌竹」 は後で山に植え戻すんだそうです。


などと竹を熟視してると、ジャスト14時、金堂の辺りから山伏感溢れる法螺貝が鳴り、
金堂西側の本坊・金剛寿命院から、管長を筆頭とする一山大衆が雅楽の調べと共に現れました。
竹を伐る肝心の大惣仲間は、この大衆に気を取られてる間にこの逆側 = 石段を登り、境内へ登場。
一山大衆と大惣仲間は金堂前で合流し、共に内陣へ参進、竹伐り会前の儀式に取りかかります。


で、金堂内陣へ入った管長を少し外側から見守る、大惣仲間。その姿、正しく僧兵です。
内陣では、坊さんがお祓いか何かを行った後、稚児が挨拶か何かをする 「七度半の使」 を執行。
ディティールが全然わからんまま 「七度半の使」 が終わると、続いて僧兵たちは 「竹ならし」 を開始。
勝負がフェアになるよう、両方の座がそれぞれ伐る竹の本末を伐り落とし、「ならし」 て揃える、と。


で、竹ならし1回目に取りかかる、近江座の僧兵たち。


竹ならし1回目を行う、近江座の僧兵たち。


竹ならし1回目の竹を外す、丹波座の僧兵たち。


竹ならし1回目を行う、丹波座の僧兵たち。


竹ならし2回目にかかる、近江座の僧兵。


腰の南天が吹っ飛びそうな勢いで竹ならし2回目を行う、近江座の僧兵。


吊る縄をぶった切って竹ならし2回目の竹を外す、丹波座の僧兵たち。


竹ならし2回目で本番並みの勢いを見せる、丹波座の僧兵。


両座が2セットずつ竹を伐り、稚児による 「終わり」 的な宣言をすると、竹ならしは終了。
金堂脇に用済みらしき竹が置かれてたので、伐り口を見ると、半数以上がきれいに伐られてます。
竹ならしでは、大体3振り~4振りで竹の本末を、ブッタ切り。3振りで伐れると、喝采が沸くという感じ。
「ぇああああああああっ」 という絶叫と共に山刀を振りかざす僧兵の姿は、本番並みでありました。


あまりに本番並みの迫力だったためか、終わったと勘違いして帰る人も発生する中、
ステージ上では散乱した竹をざっと掃除してからマットらしきものが敷かれ、舞の奉納がスタート。
舞の間、内陣では竹伐り会の秘法なるものが厳修されます。秘法ですよ、秘法。鞍馬っぽいですね。
秘法といえば、竹伐り会にはかつて 「夜の修法」 なる秘法中の秘法なんてのもあったそうですが。


かつては竹伐り会が終わった後の戌の刻に行われていたという 「夜の修法」 なるもの、
竹伐りにヘマった僧を他の僧が祈り殺し、続いて祈り生き返らせるという、壮絶なものだったとか。
何だそれはという話ですが、修験の験競的なエッセンスもまた竹伐り会式にはあった感じでしょうか。
写真は、そんなこととは関係なく踊り続ける、舞人。踊る時間も長いですが、面のアゴもまた長い。


そのうち、通路の人払いが再度本格化し始め、舞も厳かに終了。秘法も多分、終了。
ステージに再び僧兵が現れました。さあ、いよいよ竹伐り会の本番、勝負伐りの始まりであります。
勝負伐りのキューを出すのは、管長。内陣から下陣に出て、静かに檜扇を開いて三度上下するとか。
で、三度目の瞬間、 「ほうー」 の声と共に勝負が始まるそうです。ここからは何も見えませんけど。


で、細かいことがわからないまま、勝負伐り、恐らくスタート。


カメの壁が発生し、何が何だかよくわからない、勝負伐り。


とか思ってると、僧兵のひとりがすぐ、山刀振りかざして爆走開始。


僧兵は金堂を飛び出し、割った竹を持ちながら人払いされた通路を爆走。


で、爆走した僧兵が 金剛寿命院へ駆け込むと、勝負は終了。そう、終了です。
所要時間は、トータル数10秒という感じでしょうか。とにかく、超短。正しく、瞬く間の出来事でした。
勝ったのは丹波座らしいですが、見えないので詳細は不明。多分、どちらかの座が勝ったんでしょう。
爆走し損ねた残りの僧兵が何かの儀式をした後、全員が退場。竹伐り会式、おしまいであります。


竹を抱えて帰る、僧兵。登場時と違い、帰る時は大衆と共に金剛寿命院へ向かうようです。
竹の伐り口が、ならしの時と競べると圧倒的に、荒し。速度を競って伐られたことが、感じられます。
いや、上手い人は逆に、スパっと行くんでしょうか。でも、さっき爆走してた僧兵の竹も、荒かったしな。
と、いつか必ず役に立つ竹の伐り方について考えながら、今日初めて至近距離で僧兵の姿を拝む。


関係者が捌けた後、金堂舞台はざっと後片づけが行われてから、一般に開放。
開放された瞬間、見物客は殺到し、片付けられてもなお残る竹の破片を我先にと拾いまくります。
竹伐り会式の竹の破片は、魔除けの御利益があるんだとか。私も慌てて登りましたが、時既に遅し。
床はきれいになってたので、掃除してた方がチリトリの中の破片を配ってたのをもらいましたとさ。


で、観るもん観て、もらうもんももらえたので、帰ります。が、この頃から鞍馬は、雨。
まだ16時前にも関わらず、帰りの参道は御覧のような真っ暗状態。 山舐めんな、という感じです。
木陰を伝うように参道を降りてると、竹伐り会のために出動してたらしきパトカーが抜いて行きました。
特に火を扱う儀式ではなかったので、やっぱり山刀がヤバいということでの出動なんでしょうか。


だましだまし歩いたものの、途中で本降りとなり、大きめの木陰で雨宿りすること、しばし。
そういえば竹伐り会は、鞍馬の水神である閼伽井護法善神に感謝する儀式でもあるそうですよ。
大蛇を退治した峯延上人の元には、後に雌の蛇もやってきたとか。しかし雌蛇の方は、上人に恭順。
上人により雌蛇は、水神となったそうです。この雨はもしや、水神による竹伐りへのお礼なのかも。


金堂横に吊られていた、伐りを逃れた細い 「雌竹」 は、水神化した雌蛇を現したもの。
元の場所に戻れるのだから、 「雌竹」 の感謝の念、深いのかも知れません。雨、実によく降ります。
鞍馬は水が豊かな所ではないそうですが、水神の感謝故か、今まで断水したことは一度も無いとか。
情が深いのは結構だけど、早く止んでくれ。とか思いつつ、もうしばらく足止めを食らいましたとさ。

客層は、中高年寄りの烏合の衆という感じ。
ベタな観光客、地元系、好き者系などが入り交じってます。で、年齢層は高めという。
竹伐り会式があるとはっきり認識して来てる人はかなり多く、
知らずに来てるのは、観光系の若い奴がちょっとだけという感じでした。
カップルは、大抵が学生系の観光系アホカップル。女性および混成グループも、基本はこの線。
混成グループは中国人含め外人率が高く、ある意味、普通のベタスポットよりもチャラめです。
中高年は、地元系・近隣系も多いが、旗を持ったガイドに連れられた団体も多し。
登山で疲れるためかハイ状態の輩はあまりいませんが、ディープなネイティブテイストもまた希薄。
単独は、男は大半がカメ爺。汗臭く、乱暴で、そこら中で脚立を立て、走り回る連中です。
加齢臭と登山でかいたらしき汗を混ぜ、蒸し暑さで発酵させた匂いを周囲へ撒き散らしながら、
そこら中を走り回り、脚立を立てては、警備に 「降りろ」 と言われ続けてました。
他は、同志っぽい奴がチラホラいる程度。女は、超微量で、好き者系の若いのがいる程度。

そんな鞍馬寺の、竹伐り会式。
好きな人と行けば、より竹伐りなんでしょう。
でも、ひとりで行っても、竹伐りです。

【客層】 (客層表記について)
カップル:1
女性グループ:1
男性グループ:若干
混成グループ:1
子供:若干
中高年夫婦:1
中高年女性グループ:1
中高年団体 or グループ:4
単身女性:微
単身男性:1
【ひとりに向いてる度】
★★★
色気・人圧のプレッシャーは、
無くはないが、大したことがないとも言える。
ただ、それらの苦痛と登山の疲労と、そして交通費が、
コンテンツの内容と見合うかどうかは、人による。
普通に参拝に行って、偶然遭遇するくらいが、ベストかも。

【条件】
平日金曜 13:10~16:00


竹伐り会式
毎年6月20日 鞍馬寺にて開催

鞍馬寺
京都市左京区鞍馬本町1074
通常拝観 9:00~16:30

叡山電車 鞍馬駅下車 徒歩約5分
京都バス 鞍馬下車 徒歩約2分
 

総本山 鞍馬寺 – 公式

鞍馬寺 – Wikipedia