祇園祭・後祭の山鉾曳初めへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2014年7月20日(日)


祇園祭・後祭の山鉾曳初めへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

曳初め。読みは、ひきぞめ。いわゆる、山鉾の試し曳きのことです。
巡行の一週間あたり前から始まる鉾建て&山建てにより路上へ姿を現わした山鉾は、
問題なく運行が出来るかどうかをチェックする試運転が行われますが、これこそが、曳初め。
本番の巡行では、屈強なるボランティアや学生で構成される曳き手がエンジンを担うわけですが、
曳初めに於いて縄を引っ張るのは、その場に居合わせた、年齢も性別も不問の一般人大勢。
つまり、誰もが鉾を曳く体験が出来るわけであり、故に本番とは違う熱気に溢れる行事となることは、
うちでも2012年の長刀鉾・函谷鉾・菊水鉾・鶏鉾・月鉾の曳初め記事にてお伝えしてる通りです。
で、その曳初めへ再び特攻してみたわけですが、今回は2012年と事情が大きく異なります。
山鉾巡行の本義は、17日神幸24日還幸で巡幸する八坂神社の神輿の露払いにこそあるので、
17日は前祭として、24日は後祭として、週またぎで2回開催するのが、正しいフォーマット。
しかし高度成長期の1966年、渋滞の緩和や観光客の集客、また日常業務のストップを回避すべく、
後祭の山を前祭の後尾につける17日の合同巡行が始まり、それが半世紀近く続いてました。
そんな後祭が、2014年、復活。で、今回出かけたのは、その復活した後祭の曳初めであります。
実に49年ぶりの、後祭の曳初めであります。後祭 「列」 の曳初めでなく、後祭の曳初めであります。
また今回は、150年ぶりに復活する大船鉾の路上走行デビューも、大きなトピックでしょう。
蛤御門の変の際に焼失して以来、100年以上に渡り居祭りを続けてきた四条町の大船鉾ですが、
90年代以降の囃子方の復活+無形文化遺産登録+ヨドバシでの何ちゃらかんちゃらに加え、
京都青年会議所+京都ライオンズクラブ+一般寄付もあり、超ド級の鉾の再建をこの時代に実現。
バブル期でさえ絶対無理と思えた難事業を成し遂げ、めでたく 「出港」 の日を迎えたわけです。
その威容を一目見たいと集まった群集が形成する人間の海へ、堂々と 「出港」 する様を、
私もまた人間の海の一部となって拝み、歴史の一証人となったのでした。


13時頃に四条烏丸へ着いたら大雨が降り始め、大混雑の地下でしばし雨宿りした後、
どうせ混んでるであろう四条通側を避け南側から新町通へ入り、 「物忌」 の札で立ち止まるの図。
この日に曳初めが行われるのは、大船鉾と、北観音山南観音山。全て、この新町通の山鉾です。
で、まず向かうのは無論、今年復活する大船鉾。ただ曳初め、雨で遅延したりしないんでしょうか。


とか思いつつ北上すると、後祭復活のポスターが貼られた町家の先に、大船鉾の姿あり。
あ、この町家は、矢尾定何年か前に出した食事処。大船鉾の二階囃子も、ここでやってました。
大船鉾の復活は、囃子方の先行復活も、きっかけのひとつだとか。後継者問題が解決出来たという。
雨除けはかかってますが、大船鉾、普通に準備中。やるみたいです。もっと近寄ってみましょうか。


もう少し近くで見た、大船鉾。早くも、人間の海へどっぷり進水した状態となっております。
「帰陣の船鉾」 として、後祭最後尾を務めるに足る威容です。あ、 「出陣の船鉾」 は、前祭の船鉾。
こちらの御神体は 「帰陣」 ゆえ、武装を解いて合掌してるそうです。混雑で、何も確認出来ませんが。
あと、分類的にはこの鉾、 「屋台」 に入るとか。確かに上部の屋台、屋台的といえば実に屋台的。


後からばかり見ててもしょうがないので、前側 = 北側へ回ろうとするも混雑で動けず、
やむなく遠回りして神田明神の路地を抜け四条通へ出ると、もっと混んでて近寄ることさえ出来ず、
やむなく四条通を越え南観音山の辺まで北上、そこから人間の海へ漕ぎ出す大船鉾を眺めるの図。
え。縄を曳こうと特攻しないのかって。無理ですよ。縄がどこにあるのかも、最早全くわからないし。


さすが150年ぶりの復活、と感心してる間に曳初め、始まりました。
ただ詳細はやはりよくわからんので、写真の羅列で現場の感じだけ御堪能下さい。


パッツンパッツンの状態で新町通を進む、大船鉾。


錦まで上るはずが坂で手こずり、四条通手前でスイッチバックする、大船鉾。


四条通で停められた車と人間を後にして、会所へ帰陣する大船鉾。


また遠回りして、南側から眺めた、会所へ帰陣する大船鉾。


「大船鉾の曳き初め、これで終わりです」 と警官が叫ぶ中、去って行った、大船鉾。
縄を持つどころか、何が何だかよくわからんうちに、150年ぶりの曳初め、終わってしまいました。
警官は 「次は北観音山です」 とも言ってくれてるので、誘導通り、次は南北の観音山へ向かいます。
延々と停められっ放しで気の毒な車の列を見たりしながら、四条通を渡り、新町通をしばし北上。


南北の観音山は、人は無論多いものの、大船鉾ほど無茶苦茶な状態ではありません。
また客層も、町自体がそうですが、よりネイティブな感じでしょうか。当然、観光客も多いですけど。
同じ新町通で南北に隣り合う山の為、曳き手がぶつかりそうになるほど接近したりするのも、味です。
あ、鉾にしか見えない両観音山ですが、あくまで山。そんな山、また写真の羅列で御堪能下さい。


大勢の人達に曳かれ、マンションからも声援を受ける、北観音山。


綱を持とうとしても、既に空きがない、南観音山。


北観音山の足下から、もう南観音山が見えてるの図。


北観音山の先頭が南観音山に、やばしやばしと合図を出してるの図。


北上する北観音山のすぐ後に、やはり北上する南観音山が見えるの図。


過加速防止の人が、鉾、じゃなくて山のバックにスタンバる、南観音山。


綱を持とうとしても、またもや既に空きがない、南観音山。


鉾と間違うのに正当性があるとも思えてくる、北観音山の勇姿。


南か北かはわからないけど、とにかくスイッチバックで上げられてる、縄。


北観音山&南観音山の曳初め、こんな感じで南北に何度か往復して、16時前に終了。
移動と避難に気を取られ過ぎ、今回は結局一度も綱を持って曳くことは出来ませんでした。無念。
どうでもいいことですが、交通整理が割と出たとこ任せな感じだったので、長時間待たされる車、多し。
「何で後祭なんかやるねん」 という声も、聞きました。復活初年度ゆえの光景というところでしょうか。


で、もう曳初めをやることはないので帰るんですが、
大船鉾の混雑が収まってるかもと思い寄ってみたら、まだまだ御覧の有様だよ・・・。


曳初めは終わりましたが、鉾の一般参拝をやってるようです。
詰めかけた人間の海が、濁流となって鉾内部へ飲み込まれて行きました。帰りますか・・・。


で、帰る前に一応、他の後祭の山建ても見て回りました。
まずは、提灯も出来上がってる鯉山と、ベアボーンな姿が凜々しい八幡山


名物の桜も美しい黒主山と、ソリッドなベアボーン姿に提灯が映える浄妙山


ベアボーンで烏丸通に屹立する鈴鹿山と、山建ては明日かなの役行者山


そして、こちらも山建ては明日かなの橋弁慶山。以上であります。

客層は、観光客メインの烏合の衆。中高年寄りですが、基本は烏合。
平日開催の時に感じられた地元の和みテイストのようなものは、感じられません。
連休の中日とあって、全体の7割ほどが観光客という感じです。観光浴衣の人間、多し。
何となく流れてきたというより、明確に意図して追っかけてる中高年夫婦、多し。
あと、『和楽』 読んでそうな 「雑誌の世界」 な人、多し。で、この手の人は前方不注意なこと、多し。
実際に曳いてる人が同じテイストなのかは、混雑で近付くことも出来ないので、よくわかりません。
カップルはいなくもないですが、ただ単に山鉾町をウロウロしてるうちに流れついた奴が大半。
女性グループや他の属性も含めて、若者は大抵このタイプ。烏合の衆です。
単独は、男はカメ、女は地元系の普通の人というところでしょうか。

そんな祇園祭・後祭の曳初め。
好きな人と行ったら、より祇園会なんでしょう。
でも、ひとりで行っても祇園会です。

【客層】 (客層表記について)
カップル:1
女性グループ:1
男性グループ:若干
混成グループ:若干
子供:1(幼稚園児)
中高年夫婦:2
中高年女性グループ:1
中高年団体 or グループ:3
単身女性:若干
単身男性:1
【ひとりに向いてる度】
★★
連休中日+大船鉾復活で、この日はほぼ、地獄。
観光客メインの客層もしんどいが、とにかく混雑が酷過ぎ。
色気のプレッシャーやアウェー感などは、感じてる暇が無い。
ただ、平日開催時がどうなるかは、不明。

【条件】
日曜+連休中日 13:55~17:10


祇園祭・後祭 曳き初め
毎年7月20日 多分14:00より

市営地下鉄四条駅 or 烏丸御池駅
あるいは阪急烏丸駅下車
人が多いほうへ流されていけば、
そのうち何かに辿り着く。
 

祇園祭 – 祇園祭山鉾連合会

京都・祇園祭「大船鉾」 – 大船鉾保存会公式

北観音山 – 公式

南観音山 – 祇園祭山鉾連合会