飛び込み - ひとりでうろつく京都 (β版) - Page 2

柳家本店へ鱧を食べに行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年7月10日(日)


柳家本店へ鱧を食べに行ってきました。もちろん、ひとりで。

京都の夏といえば、鱧。
ですが、偽京都人の私には夏に鱧を食う習性などありません。
あ、いや、ちょっとだけ思い出はあります。幼少時、母が作ってくれた鱧の吸い物。
安物の骨だらけな鱧を、インスタントの出汁に放り込んだだけの代物。これがまあ、不味かった。
鱧大好きという関東の知人にこの話をすると
「それ!そういうのがいいんですよ」とか喜びましたが、実物を食えば閉口すること間違いなし。
本当に泣くほど不味く、それから私は鱧が嫌いになりました。
嫌いになればなるほど懐には優しい食材なので、特に困ることなく今まで生きて来ましたが、
しかし、京都の夏といえばやはり、鱧。
京都ベタスポットの単独正面突破を身上とするうちとしては、逃げるわけにはいきません。
本当にベタな老舗にはとても入れませんが、比較的庶民派な店でも美味しい鱧はあるはず。
そんな店を渡り歩く、夏季限定シリーズ 『ひとりで食べる鱧』。
予算は、5000円以内。金が続く限り続けます。次回か、下手すると今回で終了かも知れませんが。

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貴船の川床カフェへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年6月3日(金)


貴船の川床カフェへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

貴船の川床は、大正の頃、茶屋が川の中へ床机を置いたのが始まりだそうです。
桃山時代に始まった鴨川の川床に比べると随分のちの時代の話ですが、
現在のような形で料理を出すようになったのはさらに時代が下って、実に戦後。
貴船神社や鞍馬寺は平安遷都の頃から存在し、
参拝客は数多く存在したであろうにも関わらず、遅いスタートなのであります。
何でこんなに遅いかといえば、多分、水害が怖かったんでしょうね。
昔の鴨川もいい加減恐ろしい荒くれ川でしたが、貴船川は川幅が狭い分、鉄砲水が怖い。
水の神様・貴船神社が、現在の奥社から本社の位置まで流されたくらい、その威力は強烈。
昭和に入ってからも鳥居や料理旅館が流されてるそうですから、たまったもんじゃありません。
鴨川のように川沿いに床が立つのならまだしも、川の上以外に立てる場所がない貴船では、
治水がある程度何とかならない限り、夏の風物詩もひったくれもなかったんでしょう。
と、勝手に考えてるんですが、実際は単に川床を思いつかなかっただけなら、すんません。
川の中の床机で、水に足をつけてお茶など飲むだけだったという、黎明期の貴船の川床。
その頃を彷彿させるかどうかは一切不明ですが、料理屋街を歩いてると目についたのが、川床カフェ。
昼と夜のハーフタイムの川床を、簡単にお茶を出して稼動させる試みです。
安い値段で川床に入れるのが嬉しいので、ひろ文の帰り、思わず2軒、寄ってみました。
そして、ついでというと神罰が下りそうですが、貴船神社と奥社の参拝も。

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貴船・ひろ文で、川床を楽しんできました。もちろん、ひとりで。

2011年6月3日(金)

そうめんフロアから見た貴船川
貴船・ひろ文で、川床料理を楽しんできました。もちろん、ひとりで。

川床って、もともとは涼を取るためのもんだったんですよ。
だって、京都の夏は暑いから。暑さから逃れるために、川に床を敷いたんですよ、昔の人は。
あ、御存知ですか。で、今もそうだろって。そんなわけないでしょ。今はクーラーがあるんだから。
風というより熱気がまとわり付いてくる夏の京都の川べり vs クーラーが効いた部屋。
どっちが涼しいと思いますか。幻想や痩せ我慢を取り去れば、答えは明らかです。
というわけで、現代の川床は実際的な納涼から開放され、風情こそを楽しむものとなりました。
おかげで、営業形態は年々多様化。期間も夏に限定されず、果てしなく長期化。
明らかに寒いと思える5月も営業し、むしろその寒さを利用して真夏では不可能な昼床が増殖中。
何でもありであります。
が、何でもありだからこそ、貧乏で孤独な我々が川床を楽しむチャンスも生まれるわけであります。
今回訪れたひろ文は、市内中心部より気温が数度低い、京都の奥座敷・貴船の料理旅館。
1200円で川床気分が味わえる流しそうめんで有名な店ですが、
6月いっぱいまでは3500円の清涼膳なる平日限定昼メニューを設定。で、それを食いにいった、と。
あ、為念で言っときますが、貴船の川床は「かわゆか」ではなく「かわどこ」です。
「かわゆか」は鴨川みたいな川沿いの床、貴船は川を覆う床ゆえ「かわどこ」だそうです。

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祇園へ都をどりを観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年4月8日(金)

祇園甲部歌舞練場玄関
祇園甲部歌舞練場へ都をどりを観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

都をどり。
言うまでもなく毎年4月に開催される祇園甲部の舞踊公演であり、
多々ある「をどり」の中で、恐らくは最もメジャーな「をどり」であります。
発端は、明治。東京遷都により凋落の危機に立った京都は、産業振興策として博覧会を開催。
都をどりは、その付博覧、いわば余興として生まれました。
明治5年の第1回は新橋小堀の貸し席で、翌年以降に新設された祇園甲部歌舞練場で、毎年開催。
京都の新たな春の風物詩として定着し、現在に至るも高い人気を誇り続けてるというわけです。
もちろんチケットの入手は、その困難さそのものがネタになるくらい、困難。
「男ひとりでフラフラ行って、当日飛び込みで観た」なんて話、あまり聞いたことがありません。
というかそれ以前に、私、「都をどりを観る」という発想さえ、持ったことありません。
しかし、震災を受けて現在の京都は観光客、減少中。特に外人は、激減。
「ひょっとしたら、いけるんじゃないか?」「こんな今だからこそ、行くべきか?」と思い立ち、
普段はせいぜい前を通るだけの歌舞練場へ、正面から客として入ってみたというわけです。

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