祇園祭・後祭の宵山へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2015年7月23日(木)


祇園祭・後祭の宵山へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

祇園祭・宵山への単独特攻、2011年の敢行以来、4年振りの復活でございます。
といっても今回特攻をかけたのは、7月16日の宵山ではなく、7月23日の宵山の方ですけど。
そう、山鉾巡行・後祭巡行の復活に伴い、こちらも復活成った 「あとのまつり」 の宵山であります。
山鉾巡行の本義は元来、祇園祭の神輿巡幸路に散在する疫神を掃除機の如く吸引し、浄めること。
神輿は、17日に八坂神社→御旅所の神幸24日に御旅所→八坂神社の還幸が行われるので、
山鉾巡行も当然ながら両日に行う必要がある、というか実際、ずっとそういう形で行われて来ました。
が、時代が昭和の高度成長期に至り、交通麻痺緩和&観光客の集中的集客を考えた京都市は、
山鉾巡行の前祭巡行&後祭巡行の統合、即ち、昭和モードとして認識されている合同巡行を提起。
1966年に山鉾巡行の17日一本化は開始され、前夜の宵山もまた16日へ一本化されたのであります。
以降、山鉾巡行の観光化は果てしなく進み、それと同時 or それ以上の勢いで宵山もまた、観光化。
浴衣コスプレの観光客&近隣エリアのDQNが10万単位で大量に集結する馬鹿騒ぎと成り果て、
あらゆる独な者にとって鬼門たる行事となっていたのは、2011年の特攻記事でも触れてる通りです。
しかし、祭を本来の形へ戻したいという山鉾町の願いは強く、21世紀以降は旧儀復活が本格化、
2014年には大船鉾と共に24日の後祭巡行が復活し、それに併せて23日の宵山も復活したのでした。
実に目出度い目出度いという話ですが、しかし約半世紀という長きブランクを挟んでの復活に際し、
後祭巡行は 「復活というより新設に等しい」 とも言われ、その辺の事情は後祭宵山もまた同じ。
その辺、どうなるかという話であります。外野の人間としては、実に無責任な興味が涌く点であります。
「宵山」 と聞けば蛾の如く集まる観光客&DQNにより、馬鹿騒ぎの日が増えるだけになるのか。
あるいは逆に、知名度が全然浸透せず、混雑が発生するほどの人出もない地味なものになるのか。
その辺を確認し、そして 「新設」 の雰囲気がどんなものなのかを、ざっくり拝ませてもらいました。
加えて、宵山の重要行事である日和神楽&南観音山の 「謎」 な風習・あばれ観音も、目撃。
「最新型」 の宵山は、独な者でも楽しみ方が見い出せるものになってるでしょうか。


で、23日の19:20、四条堀川より特攻しようとしたら、あまりに普段通りで拍子抜けするの図。
16日宵山なら、ここは歩行者天国の西端。警察車輌や市バスが、壁の如く並んでるのが常態です。
が、後祭では歩行者天国は、なし。それ故に、当然そんな阿呆なハイを呼ぶ光景は見当たりません。
それどころか混雑の気配さえなく、歩道が混んでるということもなし。宵山、本当にやってるのかな。


四条堀川の交差点を東へ渡り、四条通をしばらく歩いても、宵山的な雰囲気はあまりなし。
当然ノー規制の車道は、車が普通に流れてて、御覧のようにバスもバンバカと走行中。普通です。
歩道はさすがに観光客が若干増えますが、これも普段通りといえば普段通りで、祭感は依然、希薄。
仕事帰りのリーマンが 「宵山、行ってみよか」 とか言ってるのを聞いて、やっと宵山の実在を確認。


で、もう少し歩いて西洞院を越し、相生餅本店の辺まで来ると、外人観光客が増えました。
中国人だらけというわけでもなく、各国多彩に多し。あと、東南アジア系や有色西欧系が妙に多し。
あ、前祭・宵山だと沿道の店は臨時休業に入る所が多いですが、後祭では通常営業してる店が多し。
あと夜なので、普通に営業終了してる店も多し。露店類の姿は、この時点では全く見かけません。


新町通の辺から、御覧の 「歩行者天国はありません」 看板を掲げるボランティアの姿あり。
あと、 「露店はありません」 & 「歩道を歩いて下さい」 のアナウンスも、エンドレスで聞こえます。
この辺まで来ると、人間は決定的に増加し、本当に宵山が行われてると確信することができました。
この時点での混雑度は、人より車が気になる感じ。ではとりあえず、大船鉾へ行ってみましょうか。


で、大船鉾へ行こうと新町通を南下したら、 「左側通行でお願いします」 と係員が連呼してて、
でも鉾の左側は完全に人間がスタックしてて、これはやってられんと神田明神前の抜け道へ回り、
アジア系若者のアホグループがガラガラで石畳を破壊しまくる抜け道を出て、鉾の南側へ回ったら、
ガードマンに南行一方通行で止められ、止められた先では鉾拝観の行列が延々と続いてたの図。


「大船鉾へは四条通から回って下さい」 というエンドレスで響くアナウンスを聞きながら、
まるで人間の海に今にも沈みそうな勢いの大船鉾を、呆然と、そして望遠で、しばし眺めるの図。
昨日の宵々山は 「昨年の4分の1くらいの人出」 とか言ってたので、 「余裕で見れるかな」 とか思い、
また 「余裕で乗れるかな」 とも思ったんですが、150年ぶりの復活の熱、収まる気配は全然なし。


しょうがないので、隣の室町通を北上して、先に他の山を見て回りましょうか。
パッと見は歩行者天国ですが、ここも普通道路。 「歩道を歩いて下さい」 アナウンス、響いてます。
「露店はありません」 声も健在で、実際に露店はなし。ただ呉服店などは、例年通りセールを実施中。
あと、自店の前で飲料などを売る所はあり、美しいノートの店の前では美しいビールを叩き売り中。


そういえば、明倫小では京都市が 「エコ屋台村」 なるイベントをやってました。
中へ入ってるみと、前日までの大雨で泥沼なグランドに、シートと何らかの砂を撒いて、強行状態。
老舗の面白い出店があれば食うかと思いましたが、出てた屋台は最近のバル寄りで一般的なもの。
ネタレベルの混雑もないので、ざっと回って、校舎でやってたアート何ちゃらもスルーして、退散。


では山、見ていきます。まずは会所前が大賑わいの、橋弁慶山


辺り一帯の風情が風流な、浄妙山


こちらも会所前が風情豊かな、鯉山


で、ぐるっと回って居祭をしてる休み山・鷹山の前を通ると、囃子が聞こえて来たので、
「鷹山の囃子が今年復活する」 という話を思い出しましたが、居祭の会所には演奏してる姿はなく、
何処でやってるのかと音の鳴る方へ近づくと、会所の西側に建つマンションの前にスペースが組まれ、
そこで囃子が演奏されてるけど、凄い人だかりが出来てて、頭の隙間からやっと何かが見えたの図。


で、黒主山では 「写真撮るなら団扇買うて」 と子供達が言ってたので、思わず買ったの図。
幾つかの山では、子供が 「買うて」 と連呼する粽販売を実施。団扇などグッズ類を売る山もあり。
いずれの山も混雑の程度は、そこそこ。山のサイズに合った規模で、それなりに混んでるという感じ。
16日の宵山のように身動きが取れないとことはないですが、ゆっくり穏やかに歩けるわけでもなし。


で、Cafe レジェーロではない、鈴鹿山


懸想品の展示を行う会所が奥行き深い、役行者山


いつ見ても前面の鳥居が立派な、八幡山


囃子が始まる所に出くわした、巨大な分だけ混んでる北観音山


こっちも混んでる、南観音山。という感じで、21時、一通り回り切りましたよ。


一通り回り切り、時間もいい感じで更けて来たので、改めて大船鉾へ行ってみました。
まだ全然混んでましたが、先刻のようにスタックはしてないので、鉾の左側の通行スペースへ突入。
牛歩より少し速い速度で近付き、 「近くで見ると、やはり案外小さいな」 とか思いながら、勇姿を謁見。
鉾へ上がる客は当然まだ、長蛇の列。鉾の前では、粽の他に漬物類、また丹山酒造も何か販売中。


で、鉾の南側へ抜け、まだまだ 「四条通へお回りください」 を連呼するガードマンを見たり、
南側に延々続く鉾拝観の待ち列を見たりしてると、囃子方が現れ、日和神楽の行進を始めました。
翌日の山鉾巡行が良天に恵まれるよう、囃子を奏でながら四条御旅所へ祈願に向かう、日和神楽。
南行して来たので、綾小路通でも東進するのかと思ったら、Uターン&北上。どこを通るんでしょう。


ルートが気になりますが、一般見物客は北上が禁止の為、追尾することは出来ず。
しょうがないので、御旅所での奉納だけでも見ようかと思い、綾小路通を東進して御旅所へ先回り。
中国人を始め外人が妙に多い御旅所前で、歩道拡張工事で出来た妙な物体などを見てたりすると、
どこをどう通って来たのか、大船鉾の日和神楽が囃子を奏でながら、寺町通を南下してきました。


普通に車が流れてる四条通を横断し、御旅所の前へやって来た大船鉾の日和神楽は、
四条センター aka Otabi Kyoto に安座してる3基の神輿の前にて囃子を奉納するのかと思ったら、
何故かそちらはスルーして、その西隣にある八坂神社御旅所の本体へ参拝の後、囃子奉納を開始。
奉納が始まると、御覧のように見物人の数は一気に増加。で、日本人率も、何故か一気に増加。


奉納を終えた大船鉾の日和神楽は、町へ帰還。もと来た寺町通を、北上して行きました。
どういうルートを辿るのか気になるので、大量にくっついて行く烏合の衆の一部となり、しばし追尾。
日和神楽は時折、頼まれたらしき店の前で止まり囃子を演奏。近所の人が見物に出てきたりします。
で、そんな様を眺めてると、北から北観音山の日和神楽が南行して来て、北上する大船鉾と離合。


大船鉾のルートも気になりますが、北観音山の奉納も気になるので、追尾を乗り換え。
四条通を渡り御旅所へやって来た北観音山、こちらは御旅所本体ではなく神輿前で囃子を奉納。
この違いは一体、何なんだろう。という疑問が解けない間に奉納は終了、北観音山はホームへ帰還。
帰る様を見物したいですが、そろそろ南観音山・あばれ観音の時間なので、最短距離で新町通へ。


ジャスト23時、南観音山へ着くと、あばれ観音目当ての見物人で新町通がびっしり大混雑。
あばれ観音、南観音山にて宵山に行われる 「謎」 の行事です。後祭復活で23日開催に戻りました。
やることは、本尊の楊柳観音を布で包んで輦台で担ぎ上げ、走って揺らして 「あばれ」 る、という感じ。
「謎」 が好きな好き者だらけの世界になってるかと思いきや、案外とネイティブで地元の人が多し。


で、北観音山の日和神楽が帰ってきた頃、担ぎ担当の人達が山の方へ向かい、
その数分後、かけ声と共に大根の上部のような形状の何かが立ち上がり、あばれ、開始。


観音、通りを一気に北上し、北観音山との境界前で、あばれまくり。


凄い勢いで走って南下し、山の前でも、あばれまくり。


こんな感じのアクションを繰り返して、あばれまくり。


で、10分程度あばれまくった後、あばれ観音、終了。実に 「謎」 な、あばれまくりでした。
時刻は、23時半。客はもちろん、一気に帰り始めます。というわけで、人間の川となる新町通の図。
ただ沿道のくろちくは、 「まだ営業してます」 と客引き中。和雑貨、祭でそんなに売れるんでしょうか。
この時間、他の山は仕舞 or 仕舞準備中。何せ明日は、山鉾巡行ですからね。忘れそうですけど。


しかし、巡行がない休み山・布袋山の前を通ると、まだやってたの図。


で、巡行がありまくる大船鉾は、先刻の混雑が嘘のように仕舞済みになってたの図。
後祭宵山特攻、以上であります。 「特攻」 という言葉が似合わない、ユルめの散策になりましたが。
独な者にとって鬼門かといえば、御覧になって感じられたかも知れませんが、特にそんなことはなし。
混む所は混みますが、基本、淡々と山鉾が賑わう様が印象的な、そんな 「最新型」 の宵山でした。

客層は、中年主体の烏合の衆です。
中高年ではなく中年主体であり、老人は少なめ。中年夫婦、特に多し。
中高年のグループは、せいぜい地元の家族連れで、女性グループも少なめ。
観光ハイの馬鹿騒ぎは希薄で、うるさ型な観光客がくっちゃべってるという感じも、少なめ。
観光:地元比は、5:5、あるいは4:6くらい。場所にもよりますが、偏りはあまり感じません。
カップルは、それなりにいますが、割と少なめ。カップル以外の若者も、割と少なめ。
近隣系DQNの姿は全くなく、学生の姿もなく、騒いでるのは中国人のアホグループくらい。
グループは、中国人を初めとする外人ばかりで、日本人の団体の姿はあまりなし。
マナーは、日本人は観光客込みでさほど悪くなく、外人は中国人のみならず割と荒めです。
単独は、男はカメ爺と若い変人が各々少量、女は地元系とおひとりさま風が超微量いる程度。
雰囲気的には、荒んだ感じも和んだ感じもなく、ネイティブのアウェー感も希薄でした。

そんな祇園祭・後祭の、宵山。
好きな人と行けば、より祇園会なんでしょう。
でも、ひとりで行っても、祇園会です。

【客層】 (客層表記について)
カップル:1
女性グループ:1
男性グループ:微
混成グループ:2
子供:0
中高年夫婦:2
中高年女性グループ:1
中高年団体 or グループ:2
単身女性:微
単身男性:若干
【ひとりに向いてる度】
★★★
色気のプレッシャーやアウェー感は、さほどない。
場所にもよるが、混雑の人圧もさほど問題にはならない。
「ひとりでも充分、のんびりできる」 とまでは保証できないが、
比較的落ち着いた宵山を楽しめるとは思う。
ただ、今度どうなるかは、知らん。

【条件】
平日木曜+後祭宵山 19:10~23:40


祇園祭 後祭宵山
毎年 7月23日 開催

市営地下鉄四条駅 or 烏丸御池駅
or 京都市役所前駅 下車
あるいは阪急烏丸駅 or 河原町駅 下車
もしくは京阪祇園四条駅 下車

人間だらけで近づけそうにないところへ、
無理矢理押し込んでいけば、
たぶん何かに辿り着く
 

祇園祭 – 祇園祭山鉾連合会 公式

山鉾案内マップ 後祭 – 京都新聞