京都文化博物館へ映画 『祇園祭』 を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2015年7月24日(金)


京都文化博物館へ映画 『祇園祭』 を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

映画 『祇園祭』 。1968年に公開された、その名の通り祇園祭の映画です。
といっても、ドキュメンタリーや記録映画などの類ではありません。完全な劇映画であります。
時代劇の大スターである中村 aka 萬屋錦之助が代表を務める日本映画復興協会の制作により、
当時の京都府知事・蜷川虎三の全面支援も受け、独立系作品として撮られた映画であります。
主演は無論、錦之助。ヒロインは、岩下志麻。脇には、田村高廣三船敏郎志村喬渥美清など。
更には高倉健や美空ひばりまで特別出演と、五社協定の枠を超えるそのキャスティングは、超豪華。
しかし、監督・伊藤大輔の降板や黒幕・竹中労の離脱など、製作中から泥沼の如く問題が多発し、
またキャストが豪華過ぎて権利関係まで泥沼化したのか、現在に至るもあらゆる形でソフトは、未発。
基本、リアル祇園祭の時期に京都文化博物館 aka 文博にて行われる上映しか拝む機会がない為、
言葉通り 「幻の映画」 or 「幻の超大作」 となってしまっている、極めてレアな作品なのです。
では 『祇園祭』 、レアさ加減に見合う面白さを誇る映画かといえば、ぶっちゃけ、そうでもありません。
さほど面白くなく、ネタになるほど酷くもなく、やたら散漫で混乱してて、そしてひたすら長いという。
「そんな映画、祭の最中に観る意義、あるのか」 という話ですが、しかし私は意義、あると思います。
最大の意義は何といっても、当時の祇園祭を巡る時代の空気のようなものが、匂える点でしょう。
1968年という年は、山鉾巡行の17日一本化 = 前祭・後祭合同巡行が開始された1966年の、2年後。
そして、いわゆる造反有理な 「60年代」 の真っ只中でもあり、京都的には革新府政も真っ只中。
この映画にも、「町衆が権力に屈さず立ち上がり、差別を含む旧弊・信仰の呪縛から自立を果たす」
「全ての人が17日の新たな祭へ自主的に集う」 的な、合同巡行肯定&時代の左臭が漂ってます。
半世紀を経て、 「新たな祭」 たる合同巡行が生んだ観光の馬鹿騒ぎは何よりも古臭い風物詩となり、
2014年の後祭復活により、合同巡行そのものまでが過去の遺物となったのは、御存知の通り。
しかしそれ故、混乱&暑苦しさと共に当時の空気を伝えるこの映画の存在は、貴重に思えるのです。
祇園祭を巡る思念・執念・妄想・思い込みなどの中で、何が残り、何が古くなり、何が消えるのか。
そして祇園祭では、どんな想いが仮託することを許され、どんな想いが弾き飛ばされるのか。
その辺を知るべく、後祭当日、本物の祭を尻目に文博へ行ってきました。


文博へ行く前、後祭 = 還幸祭が始まった四条寺町の御旅所前へ寄ってみたの図。
何度も書いてますが、祇園祭の主役はあくまでも、神輿。で、その神輿が安座するのが、御旅所。
17日の神幸祭八坂神社からここへ来訪し、今日の還幸祭でここから八坂神社へ帰還するのです。
神輿は、3基の内の1基が四条通へ出た頃でしょうか。周囲は御覧の通り、身動きできない大混雑。


大混雑、神輿の舁き手や地元の人も無論多いですが、外人の観光客もまた、異常に多し。
「神輿こそが祭の真髄」 的な感じで紹介されたんでしょうか。あるいは単に、興味深いんでしょうか。
山鉾が主役化する室町期以前は、この日の神輿巡幸こそが 「祇園会」 と呼ばれてたという、還幸祭。
後祭復活の勢いを追い風にして、かつての権威が復活するなんて展開も、ひょっとしたらあるかも。


と、適当なことを考えながら四条寺町を抜け、18時前、三条高倉近くの文博に着いたの図。
京都文化博物館・別館旧・日本銀行京都支店にして旧・平安博物館という、立派な近代建築です。
明治以降に建てられた洋風建築が多く残る三条通ですが、その中でもインパクトの強さは、ブチ抜き。
ここで映画を観れるなんて、有り難い。といっても、フィルムシアターがあるのは新築の本館ですが。


入口には、そのフィルムシアターの案内あり。 「特別上映」 ですよ。 「幻の超大作」 ですよ。
60年代初頭、 林屋辰三郎らが作った左傾紙芝居 『祇園祭』 の映画化を、伊藤大輔監督は計画。
資金難で断念するも、後に黒幕・竹中労が参画&錦之助がスポンサーを集め、1968年に撮影を開始。
で、現場は監督が降板するほど、混乱。完成後も混乱は続き、作品は現在も 「幻」 扱いのまま、と。


もっとも 『祇園祭』 、著作権を持ってるのは、京都府。 なら、府がソフト化しろという話ですけど。
利益が出る形での公開が、マズいのかな。図書館視聴専用のDVDとかなら、出ててもいいのにな。
あ、今日の文博、クールスポットで入場無料だそうですよ。といっても、通常料金も500円程度ですが。
なので、 「特別上映」 で儲けたいからソフト化はしない、なんてケチ臭い話ではないのです、多分。


私もケチ臭くないので、館内の前田珈琲にて浮いた入館料でアイスコーヒーを飲むぜの図。
別館と本館の間に設けられたテリア席へ、優雅に座ってやりましたよ。あ、もちろん店内にも席あり。
まゆまろ&その横に座り込んで煙草を吸う中国人を眺めながら、コーヒータイムを楽しむこと、しばし。
文博、人は少なめ。入場無料の割に、少なめ。祭の真っ最中なので、当然といえば当然でしょうが。


コーヒーを飲んでから本館へ入り、山鉾の懸想品などが毎年展示される総合展示をチラ見し、
更に横山大観の何ちゃらと東寺百合文書の何ちゃらもチラ見してから、3階のフィルムシアターへ。
シアター、リニューアル以後は随分と映画館っぽくなりました。ポスターに、若干の偏向は感じますが。
場内は、シネコンから目先の豪華さを省き音の良さを足した感じ。キャパは200程度で、入りは半々。


で、18時半、胴懸の模様を背景にクレジットが流れ、映画 『祇園祭』 、始まりました。
舞台は、応仁の乱により荒れ果てた、京都。冒頭は、一揆衆の襲撃から六角堂を守る町衆の戦い。
正調祇園囃子を知る祖父が一揆で深手を負い、笛を託されることになった藍染職人の主役・錦之助。
祖父はその後、死亡。跡など継げぬと錦之助は固辞するも、三位さんに諭されて、その手は笛へ。


その頃、通りに念仏踊りが到来。 「一揆の化けた姿」 と見た町衆は、木戸を固く閉鎖。
揉めた後、遂に両者は衝突。町衆は侍へ通報しようと走るも、そこへ笛を吹きながら志麻が登場。
錦之助に顔をチラ見させる、志麻。錦之助は、笛および志麻本体に、発情。で、立ち去る志麻を追尾。
別方向からリアル一揆が襲来し、志村喬の采配下で町は防戦体制に入るも、お構いなしに、追尾。


一揆を助ける馬借衆をかわしながら、破れお堂にて志麻に笛を教えてくれと頼む、錦之助。
志麻は、百姓の窮状を語り、町衆の錦之助を嘲罵。錦之助が 「そなたは美しい」 とかいうと、爆笑。
で、 「私の素性を知れば、そんなことは言えないだろう。でも構わない、所詮ゆきずり」 と、急に抱擁。
ツンデレ大爆発状態で展開される、唇舐め&耳舐め大会。町を燃やす炎と重なり躍る、情熱の炎。


と、最初の30~40分は、こんな感じ。この辺は割と、絵的に良いシーンが多いんですよね。
特に、三位さんの家の中とか、錦之助の志麻追尾とか。伊藤監督の降板前に撮られたんでしょうか。
名作の匂い、します。もっとも追尾は、シナリオを渡されなかった伊藤監督が適当に撮ったらしいけど。
そんなことが可能なのかという話ですが、それだけスタッフ間の不和が凄かったという話であります。


で、情熱の炎を燃やした錦之助が家へ帰ると、待っていたのは母親の死体&妹の糾弾。
死人を出さぬよう敢えて木戸を開けた為、激怒した侍に殺された、母。妹から詰られ倒す、錦之助。
しかし町衆はあくまで一揆に怒り、幕府はそれを利用して、一揆衆が住む山科を襲撃するよう、命令。
キナ臭いと訝り、逆に軍師に推される、志村喬。 「皆の衆!!」 と襲撃の士気を煽る、田村高廣。


結局、町衆は大人数での出撃を決め、キナ臭く発注済みの弓矢を取りに、弦召の元へ。
炎熱が立ち込める中、半裸で作業する弦召たち。町衆が頭を呼び出すと、現れたのは、渥美清。
渥美は部下に指示、部下は弓矢50丁を錦之助の足元へ投捨。それでも、弓の出来に感心する町衆。
「旦那、気をつけやし。侍は人を殺すのを何とも思っちゃいない」 と、錦之助を見据えて語る、渥美。


守札をもらいに祇園社へ出向いた錦之助は、志麻の側にいた田中邦衛を発見&追尾。
で、追尾先の川にて、志麻も発見。逃げる、志麻。追う、錦之助。そして現れた志麻の父、善阿弥
銀閣の庭を造ったのは私の祖父と言う善阿弥の前で、錦之助は再び、志麻に笛を教えてくれと懇願。
志麻、またも爆笑してから 「お前たちは戦の方が好きだろう」 「血の匂い。真っ赤な血の」 と絶叫。


と、中盤辺りまではこんな感じなんですが、それにしても岩下志麻の美しさ・可愛さは、異常。
台詞の半分以上が激怒&絶叫、ツンデレ比99:1、怪鳥の如き爆笑も連発という無茶苦茶さですが、
アニメコスの如き姿で狂気のヤンデレ大会を展開する様は、むしろ、現代的と言えるかも知れません。
あと、片足設定の邦衛が、志麻の生足を川で洗う際に見せる変態丸出し感も、その筋の方は必見。


で、町衆は山科一揆衆の家を襲撃。しかし家の中は、空。で、入った途端に外から包囲。
一揆衆が家へ雪崩れ込み、後は殺し殺されの大乱闘。戦下手同士の、グダグダで不毛な大乱闘。
60年代後半~70年代感溢れる朱色の血が飛び散るスプラッター状態となって、錦之助も百姓を惨殺。
意味不明なまでに超低画質&超ラフアングル&超スロー&おまけに無音で死に様を見せる、百姓。


ズタボロとなり退却する町衆は、その途中で今度は三船率いる馬脚衆に遭遇、交戦状態へ。
この戦闘で負傷した志村喬は、錦之助の笛を聴き 「山鉾渡しが目に浮かぶ」 と言いながら、死亡。
更にズタボロで退却する町衆は、捕らえられ命乞いで念仏を唱える百姓を、侍が虐殺する様を目撃。
惨劇の最中、田村高廣は 「子供が殺されるのだけは見たくない」 と泣きながら、百姓の子を救出。


侍に不信感を抱いた町衆は、納税ストへ突入。対して侍側は、米の関税を上げ、兵糧攻め。
町から米が絶え、救出した子の為に米を盗む、田村高廣の嫁。 「皆の衆!!」 と謝る、田村高廣。
窮状の中で抜け駆けが出るも、止めた町衆を侍が袋叩きにした為、抜け駆け組は改めてストに団結。
そして、「もっと儂たちらしいやり方」 でこの事態を打破すべく、祇園会の再興を提議する、錦之助。


と、物語は佳境へ入りましたが、それと同時に何か、映画のルックが荒れてくるんですよね。
特に、映画大斜陽期を反映した戦闘シーンのチープさと、その中で三船の浮いてる様が、印象的。
大時代的な合唱声+ファズギターという音楽の混乱ぶりもまた、この荒れ加減を加速してるというか。
あと全くどうでもいいことですが、台詞のアクセントも京言葉と標準語が雑に入り混ざってて、混乱。


で、祇園会再興が決定し、錦之助は志麻に笛を教えてもらえ喜ぶも、米は未だ兵糧攻め中。
「馬借衆に頭を下げろ」 と志麻に言われ、錦之助は丹波屋と共に、かつて交戦した馬借衆の元へ。
頭の三船は、激怒。錦之助のアジも丹波屋の金話も却下、2人の首を米運搬の必須条件として要求。
そこへ志麻が現れ 「錦之助と二世を誓った」 として、自ら人質に。馬脚衆が届けた米に、涌く町衆。


祭の準備は進み、 「7月17日!」 と当時は絶対に言ってない筈の日程を連呼する、錦之助。
しかし祭直前、幕府は祇園社へ圧力をかけ、神事中止 or やるなら御所再建の費用を出せと脅迫。
錦之助は、 「神事なくとも山鉾は出す」 と主張、自主的な祭として 「祇園会ではなく祇園祭」 を提案。
総代は、 「お前ひとりでやれ」 と反対。しかし、祭に賛意を示すべく上がる、藍で染まった多くの手。


「祇園祭」 の開催が決まり、準備は着々と進行。山鉾も立ち上がり、いよいよ祭当日。
曳き手たる弦召が身を清める横に志麻が現れ、笛を構えた次の瞬間、鳴り始める山鉾の祇園囃子。
当時あったか不明の注連縄切りで巡行が開始され、当時あったか不明の稚児人形は稚児舞を披露。
撮影時は工事中だった新丸太町通にて作られたセットを、恐らくは西方向に向かって進む、山鉾。


「八坂の塔は大覚寺の塔に色を塗ったのか?」 とか、 「奥の方、単なる書割か?」 とか、
「祇園社の屋根から何か出てるけど、あれ電線か?」 とか、色々思わせる光景の中を進む、山鉾。
そこへ、祇園社の前で巡行を止めるべく、侍が乱入。で、侍を止めるべく、三船率いる馬脚衆も乱入。
混乱の中、山鉾は押し通るように巡行を続行。しかし侍の矢が、音頭取を担う錦之助の胸に命中。


胸に矢が刺さっただけで何故かザンバラ髪となり、メイクも突如ゾンビ化した錦之助は、
山鉾の道を血で汚さぬよう報復を止め、自身の矢も抜かず、戸板に乗せられての巡行続行を哀願。
渥美清の合図で再起動する、山鉾。ゾンビ顔で侍をビビらせ前進しながら、錦之助、天を仰いで死亡。
その仰ぎから、鉾頭へパン。で、終わりかと思ったら、五山の送り火にて供養する志麻で、 「完」 。


というわけで、恋と革命に満ち満ちた映画 『祇園祭』 でした。筋、全部書いてすんませんね。
「ネタ的に面白がって紹介してるだろ」 と思った貴方、現物確認を是非。現物の方が、凄まじいから。
あと、制作揉め事関係は 『京都戦後史学史研究会研究成果報告書』 を是非。映画より、面白いから。
で、21時半、本館玄関から退出。すると三条通の方から、警笛の音。後祭の神輿、来てるのかな。


洋風建築が並ぶ三条通は、祇園祭の神輿巡幸ルートでもあります。って、順序が逆ですけど。
文博別館の洋風玄関も、神輿を待つネイティブ見物人が座り込み、よい見物椅子になってました。
映画の中では、旧弊の如く描かれた、神事。そして公開当時、その神事から分離された、山鉾巡行。
で、半世紀後、山鉾巡行は元来のフォーマットへ戻り、神輿は変わらぬ人気を集めてるわけです。


三条寺町へ行くと、人間で埋め尽くされた寺町通を、四若の舁く東御座が南行してました。
様々な想いが祇園祭に乗ったり乗らなかったりする間も、神輿は神だけを乗せ続けてきたわけです。
今後社会が激変し、 「町衆」 あるいは 「市民」 までが消滅しようとも、この様は変わらないんでしょう。
そしてその変わらなさこそが、映画 『祇園祭』 の存在意義を、未来に向かって高めてくれる筈です。

客は、大半が中高年。どの属性であっても、大半が中高年。
恐らく、ほとんどが地元系。何度も観てるリピーターも多そうに見えました。
カップルなどの姿は、全然なし。そもそも若者は、どの属性でも非常に少なめです。
単独は、普通の映画程度に多いものの、いわゆる独というより普通に近所・地元の人。
上映中のリアクションは、これといって特になし。笑いもなく、感動ももちろんなし。
差別系の台詞が出ると、いちいちヒソヒソ話が沸く程度でしょうか。

そんな、京都文化博物館での映画 『祇園祭』 。
好きな人と観たら、より革新府政なんでしょう。
でも、ひとりで観ても、革新府政です。

【客層】 (客層表記について)
カップル:0
女性グループ:0
男性グループ:0
混成グループ:0
子供:0
中高年夫婦:2
中高年女性グループ:1
中高年団体 or グループ:3
単身女性:1
単身男性:3
【ひとりに向いてる度】
★★★
昭和の巡行が過去化しつつあることを考えれば、
その頃の雰囲気を楽しめる点で、観る意義はあると思う。
ただ、本気で 「幻の超大作」 を期待すると、肩透かしを食らう。
「山鉾巡行と神輿巡幸の間の暇つぶし」 程度の意気込みで、
13時からの回を観るのが、いいかも知れない。

【条件】
平日金曜+後祭当日 17:30~21:30


京都文化博物館
京都市中京区東片町623-1
総合展示 10:00~19:30

阪急電車 烏丸駅下車 徒歩約7分
市営地下鉄 烏丸御池駅下車 徒歩約7分
京阪電車 三条駅下車 徒歩約15分
 

祇園祭 (1968年の映画) – wikipedia

京都府京都文化博物館 – 公式

フィルムシアター – 京都文化博物館