夏越祓の茅の輪を求めて山科をうろつきました。もちろん、ひとりで。 【後篇】

2019年6月30日(日)


夏越祓の茅の輪めぐり@山科盆地・山裾、前篇に続いて後篇です。

子供の頃の私にとって、山科は、何だかとてもカオスな街に見えたものでした。
カオスな人達が住んでる街に見えたわけではありません。街の作りがカオスに見えたのです。
狭くて曲がりくねった道。見通しの利かない交差点、そこへ密集して建て込む家家家家家家家家。
さらには、生活するためだけに住む人が密集して住むことから生じる、濃過ぎるほどの生活感。
地元・八幡や、見慣れた京都市街とは異なるそんな景観を、親戚の家を訪れる際に車の窓から見て、
「こんな町、絶対に車で走りたくない」 と思うと同時に、わけのわからん異様さを感じたものでした。
車の普及をギリギリ想定し切れなかった頃の荒っぽい開発によって急激に都市化された山科が、
昭和の人口爆増&車爆増を経て、今もあちこちで渋滞を生む街となったのは、御存知の通り。
私が住む八幡はもうちょっと開発が後であり、京都市街は密住してても街が遥かに整然としてるため、
昭和丸出しの無秩序な増殖によって仕上がった山科のルックが、とても異様に見えたわけですね。
ただこの印象、今回の茅の輪めぐりを経て、理由は他にもあると思えるようになりました。
近隣の生活者にとって山科は、それこそ単に人口が増え過ぎたベッドタウンでしかないわけですが、
めぐりをすると、この街がとても芳醇な歴史&自然&オーラを持つエリアであることが、体感できます。
「知ることができた」 とかではなくて、体感です。山裾部の緑から得られる、生々しい体感です。
もっと厳密にいうなら、無秩序な排気ガスで汚された緑から得られる、霊気の生々しい体感です。
人間がいるからこそ成立する、神々しい自然。単なる自然ではそもそもありえない、神々しい自然。
そんな、逆説か順説かよくわからん本質みたいなものが、生々しい形で溢れてるように思えるのです。
そしてこの生々しさは、私が子供の頃感じた山科のカオスな印象に、不思議と似てたのでした。
人間と神と自然と車がカオスに密住しまくる山科での、雨に濡れながらの夏越祓の茅の輪めぐり、
後篇では、生々しい神と自然へもうちょっと寄った感じで、盆地山裾の社をめぐって行きます。
私が山科に感じたカオスの正体は、雨の彼方から姿を現してくれるでしょうか。


茅の輪めぐりの途中でファミレスに入るわけがありませんし、飯を食ったりするわけもありません。
ましてや、夏越 = 水無月という伝統の掟を破って、勢いでアイスまで食ったりするわけがありません。
「水無月みたいなデンプンの塊、本当は暑苦しい時に食いたくない」 とか、思ってるわけもありません。
で、飯とアイスで英気を充分養ったら、六所神社へ。六条山を攻めに向かうR1とおさらばして、左折。


小さな社を予想しながら行った六所神社、確かに小さめな社でした。が、茅の輪はありました。
上花山六所神社。山科郷士・比留田氏が江戸期に創建したとされる、名前の通り六神を祀る社です。
鳥居型のためメビウスまわりは難しいですが、くぐらせて頂きましょう。ちとせのいのちのぶというなり。
境内は、焚火跡があり、神事もやってたみたい。人の手が入っており、大事にされてるのを感じます。


本殿を参った後、改めて茅の輪を神目線で見て、飯を食ったファミレスを輪の彼方に拝む。
創建した比留田氏は、この辺に屋敷も構えてたそうですよ。こうして、山科を睥睨してたんでしょうか。
あとこの辺は、東山浄苑中央斎場が建つガチ霊峰・六条山 = むそやま = 墓所山の麓でもあります。
「六所」 は 「むそ」 から来た名で、祖霊信仰は太古からあったという見方もあるとか。面白いですね。


六所神社を出た後は、もうひとつある六所神社に向かいます。二所あるんですよ、六所神社。
R1に戻り、すぐ離れ、またも宅地と田んぼが交錯するガチンコ山科な光景を見ながら、今度は北上。
といっても真直ぐ北上なんか全然できず、やたら多い車と擦れ違いながら無計画な街を彷徨しまくり。
大石道へ何とか出ると、やっと神社が見えてきました。あ、この光景も割と山科的かも知れません。


北花山六所神社も、思ってたより全然しっかりとした社。平成になって大改築が行われたとか。
大切にされてる感じ、ここもします。やはり、祖霊信仰が生きてるんでしょうか。ただ、茅の輪はなし。
参拝だけさせて頂き、その後はしばし鉄鑑賞。JR・東山トンネル、この社の真下から始まるんですよ。
見てると何故か多幸感が湧く山科の鉄を、ぼ~っと鑑賞。このままずっと見てたい、とか思います。


しかし時間は、18時。なのに盆地めぐりは、半分も終わってません。ので、慌ててバスに乗車。
山科駅への東進ワープを図ったら、何故か南の川田へ出たので、すぐ山科駅行きに乗り換えます。
山科のバス、本数が多くて便利ですね。客もそれなりにいて、日常的な足として定着してる感が強し。
などと偉そうに感心しながら徒歩貫徹の掟を無視し、山科駅前からは旧東海道沿いの諸羽神社へ。


正確にいえば、旧東海道沿いというより一の鳥居だけが 「沿い」 にある諸羽神社、到着です。
もっと街な社かと思ってたら、全然 「杜」 でした。仄かに磐座感もあり、良い社。ただ、茅の輪はなし。
さて、次はどうするか。正直しんどい。茅の輪があるとわかってる岩屋神社だけ行き、もう終わりたい。
と思いましたが、白石神社だけは興味があるので、行ってみます。で、追分まで東進し、R1を跨線。


白石神社があるのは、盆地東側の小山。プレ清水寺である牛尾観音の参道口となるエリア。
茅の輪の有無は割と微妙ですが、名前からして生々しい磐座感は全開気味で堪能できるはずです。
そんなスピリチュアルな期待を抱きながら、磐座感ゼロの名神高架をくぐり小山に入ると、雨が激化。
やはり磐座感ゼロな宅地の坂道を、濡れながら登坂します。ひょっとしたらこの雨、清めの雨とか。


ズブ濡れ不審者として宅地を抜けかけた辺に、白石神社はありました。入ると、夏越行事中。
宅地ですが、いや宅地ゆえにか、行事は生きてるんですね。一旦出て、行事終了後に再び御邪魔。
巨大な御神体の岩を、有難く拝みます。茅の輪はなし。しかし磐座感は、期待を遥かに凌いで、強烈。
あと、霊気も凄い。身震いするくらい、凄い。退社して、名神高架まで戻る間も、震え、止まりません。


白石神社で震えた後に行くのは、茅の輪が確実にある先述の岩屋神社。そう、もう締めです。
場所は、盆地の4時方向。8時の山科神社から始めて、4時の岩屋神社で終わる。良い流れでしょう。
天理教は茅の輪あるのかとか思いながら、昭和から更新が止まったような名神沿いの下道を、南進。
やはり昭和的な鉄塔風景も見ながら、南進。雨で冷えた体を温めるべく、延々と歩きます。きつい。


昭和的な宅地も見ながら歩くうち、震えが止まったのでバスに乗ろうと思いましたが、便はなし。
先刻 「山科はバスが便利」 とかいいましたが、この辺のこの時間はあまり便利じゃないみたいです。
頭が暇なので 「東海道旧線跡って、名神じゃなくこの下道じゃないのか」 とか思いながら、また南進。
で、 「岩屋神社」 標識の交差点を左折し、また名神をくぐり、最終ゲートらしき石段を登段。きつい。


登った先には宅地がありましたが、その先には立派な楼門あり。岩屋神社、到着しました。
創建は仁徳天皇31年と伝わり、こちらこそが山科の一之宮ともいわれる、正に山科最大の古社です。
門、街灯が点いてるだけなのに、緑のライトアップをしてるように見えなくもありません。ちょっと、感動。
そして鳥居奥には、楼門に括り付けられる形で、茅の輪あり。早く来いとばかりに、私を待ってます。


茅の輪は、大きめ。余裕のメビウスくぐりでくぐらせて頂きます。ちとせのいのちのぶというなり。
やりました。めぐり、完結しました。よくわからんけど、結願しました。流石は一之宮。やった、やった。
というか、ここが一之宮なら、二之宮 = 山科神社三之宮 = 三之宮四宮 = 諸羽となるんでしょうか。
となれば、私は全てコンプしたことになります。ので、私もここを一之宮としときます。やった、やった。


と、狂気の結願ハイな私をよそに、境内は色々片付け中。水無月を振る舞う催しがあったとか。
寄りたかった。でも、スピリチュアルな当サイトが季節の和菓子に心揺らしてる場合ではありません。
岩屋神社といえば無論、磐座信仰。本社後の山に建つ、陰陽の巨岩を擁する奥之院こそ、本丸です。
疲れてますが、白石に続いて磐座をお参りし、山科の霊気の神髄、感じさせてもらうことにしましょう。


と思ったら、片付けしてる人が 「早よ帰れ」 オーラを爆発させてるのに気が付きました。
見渡すと、周囲に客はゼロ。催しの客出し、もう少しで完了みたいですね。すんません、すんません。
そそくさと参拝して、退社します。それにしても、こうして裏側から見るとこの茅の輪、異様に神々しい。
だけど、その輪の中の先に見える光景が、果てしなく普通かつ生活感に溢れてる辺が、何とも山科。


普通な宅地を抜けて、バス&地下鉄がまだ生きてる外環まで歩いたら、時間は21時過ぎ。
外環へ着いてすぐにバスが来たので乗り、帰ります。凄く疲れたけど、山科を堪能できた一日でした。
めぐりびとの罪と穢れも、雨と霊気で落とせたと思います。体温と正気も、多少落とした気がするけど。
あと、水無月を食い忘れたのは、無念。ファミレスのアイスを、氷の代理ということにしときましょうか。

山科盆地・山裾の茅の輪めぐり、客は基本、何処もいません。
いる場合もほんの少数であり、客層も個々の社で記した通り基本は近所の人達。
催しをやってる時間の岩屋神社にでも行かない限り、混雑に遭遇することはないでしょう。
街を歩いた印象としては、しつこく書いてる通り、本当に道が狭く車が多いのが印象的。
ただ、柄が悪かったり殺伐としてるような感じは、恐らくないと思います。
何より、雰囲気の良い社が多い。そして、山科の山の景観を楽しめる所も多い。
多少の体力と興味があれば、楽しいめぐりになるんじゃないでしょうか。
よって、おすすめ度は★★★★という感じ。

そんな山科での、夏越祓の茅の輪くぐりまくり。
好きな人とくぐれば、よりちとせのいのちのぶというなりなんでしょう。
でも、ひとりでくぐっても、ちとせのいのちのぶというなりです。

夏越祓の茅の輪をくぐりまくりました。もちろん、ひとりで。 (2011)
夏越祓の茅の輪をまたくぐりまくりました。もちろん、ひとりで。 (2012)
夏越祓の茅の輪をまたまたくぐりまくりました。もちろん、ひとりで。 (2013)
夏越祓の茅の輪をまたまたまたくぐりまくりました。もちろん、ひとりで。 (2014)
夏越祓の茅の輪をまたまたまたまたくぐりまくりました。もちろん、ひとりで。 (2015)
夏越祓の茅の輪を求めて乙訓をうろつきました。もちろん、ひとりで。 (2016)
夏越祓の茅の輪を求めて宇治をうろつきました。もちろん、ひとりで。 (2017)
夏越祓の茅の輪を石清水八幡宮だけでくぐってきました。もちろん、ひとりで。 (2018)


 
 
 
 
 
【茅の輪のあった神社のみ】
 

六所神社 (上花山六所神社)
京都市山科区上花山旭山町29
拝観自由

京阪バス 上花山久保町下車 徒歩約3分

六所神社 – 京都風光

岩屋神社
京都市山科区大宅中小路町67
拝観自由

京阪バス 岩屋神社下車 徒歩約5分

岩屋神社 – 公式