石清水八幡宮の石清水祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。 【2】 神幸の儀-絹屋殿の儀

2011年9月15日(木)


石清水祭は、大きく分けて以下の次第で行なわれます。

①神幸の儀 (AM2:00)
 御鳳輦(ごほうれん)に御神霊を乗せ、約500名の神職・楽人・神人と共に山をおりる祭儀。
②絹屋殿の儀 (AM3:40)
 下院頓宮前に設けられた絹屋殿にて、里神楽奉納、そして勅使が頓宮まで案内申し上げる祭儀。
③奉幣の儀 (AM5:30)
 頓宮へ奉遷された御神霊に、天皇陛下より賜る御幣物、そして神饌が奉献される古儀。
④放生会 (AM8:00)
 男山山麓を流れる放生川へ魚鳥を放つと共に、太鼓橋にて童による胡蝶の舞が奉納される祭儀。
⑤還幸の儀 (PM5:00)
 再び御鳳輦に遷された御神霊が、約500名のお供を連れて、山上本殿へ還幸になる祭儀。

このうちからはほぼ、ノンストップ。文字通りの、オールナイト状態。過酷であります。
ちなみに有料参列者しか見れないのは、および。情報が極端に少ないのも、ここです。
なお、今年はに比叡山延暦寺の僧職そして天台座主が出仕され、後に法華三昧法要も厳修。
あと、ハーフタイムとも言えるの間には、頓宮前舞台にて舞楽・演武奉納が行なわれます。

ついでに、聞きなれないかも知れない言葉があるので、そっちも説明しときますと、

頓宮 – 要するに、御旅所。天皇行幸時の仮の宮殿をこう呼ぶのに由来してる、と思う。
絹屋殿 – 二の鳥居前に立てられた臨時の建物。四方に白絹を張巡らせているから、絹屋殿。
放生会って「仏事」じゃないの? – 石清水八幡宮はかつて、神仏習合の宮寺でした。

神様が御旅所に来るとなると、一週間くらいは滞在されるのが普通ですが、
八幡大神はわずか半日のショートステイ。それだけ偉いということであります。いや、知らんけど。
とにかく石清水祭、本番スタートです。まずは上記から、ご覧下さい。


午前2時、フェリーの如き仮眠所で、フェリーの如き「起きんかいゴラァ」放送で叩き起こされ、
参列者集合時刻の2時半までうろついた、石清水八幡宮本殿前。
中では、外殿へ遷された三座の御神霊を、御鳳輦三基に奉遷する儀式が行なわれてます。
が、いきなり見れません。秘儀だそうです。こんなのばっかりです。


午前2時半、斎館ロビーで集合し、参列者全員で楼門前へ移動。
タダ見の方と同じ場所にてしばし待つうち、2時50分、ついに行列が動き始めました。
洛内から遠く離れるがゆえに残った、京都最後の秘祭・石清水祭、スタートです。


洗練と観光化で消毒消臭されたものではなく、極めて生々しく、そして極めて荒々しい形で、
王朝盛時における高尚典雅の風、正統的祭祀の姿を現代に伝えるその様は、正に、動く古典。
荒い写真ではございますが、闇の中で輝く生の「平安」、とくとご堪能あれ。


動く古典・・・。
御前神人、火長陣衆や火燈陣衆、それに御前払神人が歩いてる・・・のかも知れません。
御弓神人や御幡神人に御鉾神人、あるいは童子・童女が行進してる可能性も、あります。
御正印唐櫃神人に御神宝神人、御唐櫃神人とか御幣神人も、いたりして。


動く古典・・・。
神幸御幣神人も、金銀御幣神人も、御獅子神人も、駒形神人も、いると思えばいる気がする・・・。
御畳師神人とか八流旗神人、真榊神人の存在も、見える人には見えるはずです。


動く古典・・・。
神宝楽器唐櫃神人と揚提灯神人、神宝御剣神人も・・・あ、もういいですか。
本当に真っ暗なんですよ、ここ。神様が通るということで、街灯とか照明とか、基本、全部オフ。
フラッシュも一応、禁止。光ると、神職よりもコアな参拝者が「ゴラァ」と、ブチ切れたりします。


あと、行列の皆さん、歩くのがたいへん、速い。
葵祭などと同じく、いかにもド短期バイトが大活躍してそうな行列ですが、
実際には本物の神人の子孫の方々、そして國學院の学徒動員の方々が参加されてます。
しかも、学徒動員の方々は、バイトではなく研修名目で召集されてるって聞きました。
そりゃ、さっさと歩いて終わりたくなりますわな。おかげで写真、流れまくりです。


午前3時20分、遂に出ました、御鳳董。
あまりのスピリチュアル・パワーゆえ、光さえ吹き飛ばしてます。断じて、ピンボケではありません(嘘)。
通常の神輿よりちょっと小さめで、駕籠に近いルックスの、御鳳董。
鳥兜・裲襠・藁沓と、天皇行幸列の行粧に準じた行粧の駕興丁神人たちが、担ぎます。


かつては帯剣さえ許され、不届者は切り捨て御免だったという神人たちを従えて、
御鳳董は物凄いスピードで、山麓へ。小さめゆえか、本当に速い。15分もかからない感じでしょうか。
「雅」な巡幸をイメージしてると、ぼぉ~っとしてる間に全てが通り過ぎてしまいます。


御鳳董が坂の緩い表参堂を爆走し始めた頃、
参列者は坂のキツい裏参道を下り、山麓にある二の鳥居へショートカットします。
時ならぬスーツの軍団が、革靴で山中の急坂を下る、午前3時半の裏参道。別名・太子坂。
かつて聖徳太子像を祀る太子堂があったことに因みます。神社なのに仏堂ですが、それが何か。


転倒と落下と捻挫の恐怖に耐えて、山麓へ辿り着き、先回りに成功した我々参列者。
二の鳥居前、自称・頼朝手植の松に特設された参列席へ通され、到着する行列を迎えます。
目の前には、絹屋殿。あ、参列席といっても椅子はなく、全員立ち見です。


ちなみに、参議以下の供奉員を率いた上卿すなわち勅使は、
御鳳董が山上の本殿を出発した頃、斎館を出発。八幡市駅前の一ノ鳥居をくぐり、祓幄へ。
厳重な修祓を受けた後、式次第など確認してから、このあたりの絹屋殿前参道に現れます。
スピリチュアルパワーが満ちてきたのか、またも光が吹き飛ばされること、しきりです(嘘)。


やってきました、行列。不明瞭な写真で恐縮ですが、行列です。
目の前いるのは、霊元天皇御奉納の雅楽器を納めた唐櫃を担ぐ、神宝楽器唐櫃神人でしょうか。
どうでもいいことですが、隣ではコアなおっさんが「参道の電気が点いてた、けしからん」と、
ガイド役の神職の人に延々とキレていました。


三基の御鳳董も、無事に到着。で、絹屋殿にて一旦、安置。
午前4時に近い頃、行列の最後尾についていた神楽座が、御鳳董の前で里神楽を奉奏します。


神楽座は、宇佐宮より御供してきた「八幡大前の楽人」と呼ばれる古い神人。
といっても踊ってるのは多分、國學院の人だと思いますが。八幡の人だったら、ごめんなさい。
あ、他の神人は、八幡のみならず田辺や、大阪府の枚方や交野からも奉仕で来られてます。
公民館とか、山上のレストランとかで着替えて、行列に参加するわけです。


御鳳董一基ごとに歓迎を表すため、計三曲の神楽が奉奏されます。
奥にいるのは、楽人・神職・神人、そしてタダ見でやったきたギャラリー。
そう、この里神楽奉奏は、バンバン無料で拝観可能。五千円払った意義が見えなくなる瞬間です。


光源は薪と提灯だけというシチュエーションで奉奏される、幻想的な神楽。
おかげでまともに写真撮れんわ、フラッシュ焚いたら味気ないわですが、現場の雰囲気は上々です。
どうでもいいことですが、タダ見の場所の方が、何となくよく見えそうな気がしますね。


里神楽奉奏が終わると、いよいよ勅使による御神霊の奉迎です。
まず宮司による拝礼が行なわれ、続いて勅使以下が御神霊を奉迎した・・・んだそうです。
目の前で見てましたが、暗い中で黒い服を着た人が何かやってるので、正直、よく見えません。
とにかく、この勅使による奉迎以降、石清水祭は「私祭」から「官祭」となります。


夕刻の「還幸の儀」が終わるまで、この僻地の祭は「公の祭儀」と見なされるわけです。
といっても、一応そう言ってるだけですが。現行法では、もちろん政教分離の問題があるし。
勅使を担当されてる掌典職も、厳密には宮内庁の職員ではなく、いわば天皇家の私的使用人。
本当の「公の祭儀」なんてのは、現在ないわけです。が、でも気分はあくまで「官祭」であります。


そして午前4:20、勅使たちに導かれるように、御鳳董は頓宮へ向けて発御。
御綱曳神人に前後の朱綱を引かれながら、もとは山上本殿の南総門だった南門へ吸い込まれます。


で、ここから先は、真の有料ゾーン。いわば、石清水祭のコアです。
しかも、今ここで「金払う」と言っても、相手にしてもらえません、多分。
規定の段取り・規定の身なり・規定の金を払った者だけが入れる、ロイヤル祭祀場(アホか)。
参列者であることを示す花を「俺、VIPだし」とこれ見よがしに警備員にチラつかせながら、
石清水祭の真のコアへ、私も吸い込まれていきました。

石清水八幡宮・石清水祭 【3】 奉幣の儀 へ続く

石清水八幡宮の石清水祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。 【1】 イントロダクション
石清水八幡宮の石清水祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。 【2】 神幸の儀-絹屋殿の儀
石清水八幡宮の石清水祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。 【3】 奉幣の儀
石清水八幡宮の石清水祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。 【4】 放生会-法華三昧
石清水八幡宮の石清水祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。 【5】 還幸の儀

石清水八幡宮の石清水祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。【2012年度版・前篇】
石清水八幡宮の石清水祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。【2012年度版・後篇】