石清水八幡宮の石清水祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。 【4】 放生会-法華三昧

2011年9月15日(木)


石清水祭、遂に午前中の行事ラストの放生会でございます。

ご存知の方も多いかも知れませんが、石清水八幡宮はもともと神仏習合の宮寺でした。
もちろん、幕末までの大きな神社はどこもそんな感じではあり、
京都でも八坂神社がかつて「祇園感神院」と仏教丸出しの名前で呼ばれていたことは、有名です。
特に「仏教に帰依して、国家鎮護の神とならん」とか言ってしまう八幡神はその傾向が強かったようで、
京都の裏鬼門・男山に鎮座して以降、石清水八幡宮でも神と仏は濃厚に入り混じり続けました。
「男山四十八坊」と呼ばれた宿坊が山のそこら中に建ち、その寺には数百人の僧が住み、
神社の管理もまた僧が担当し、あげく名称も「石清水八幡宮寺」という思いっきり寺全開状態。
それが明治初頭の神仏分離により、寺はほぼ完全に破却、文化財は流出、僧はトンズラ。
現在の「山の頂上に本殿があり、あとは野生」という清々しい神社ができあがってしまいました。
当然、石清水祭も神仏分離の影響を蒙って、旧儀廃絶・名称変更・再興を繰り返してるわけですが、
現在に至るまで元通りに再興できなかったのが、かつて祭の名称であった、放生会。
「放生会」という仏教的な名のとおり、僧参列のもと執り行われるのが本来の姿だったそうですが、
明治維新以降は仏教色を排し、神道式による行事として今日まで斎行。
それを元の神仏混合に戻そうと、2004年には特別行事として比叡山の僧職と共に放生会を開催。
そしてついに今年、やはり比叡山の僧職に出仕を賜り、
石清水祭の当日に国家鎮護の神仏が相集う形で、めでたく放生会を行うことになりました。
実に140年ぶりのことであります。


放生会会場である放生川は、頓宮の東を流れる小さな川。
往時は放生会会場であるがゆえ、常時殺生禁断とされてたそうです。
が、私は子供の頃、ここで殺生しまくった思い出があります。ショックン爆破とか。亀解体とか。
悪事も働きました。川沿いの旅館に「そこ、裏のドブ川で釣った魚、食わしてるぞ!!」と絶叫したり。
罪深い。実に、罪深い。これはもう、放生をしっかりして、罪を購うしかありません。


放生川、若干寄りで。きれいな川でしょ。「全然」という人には、昔の姿を見せたい。
昔は放生会、頓宮北側の放生池でやってたんですよ。割と最近までそうだったと思います。
川が汚ないから池でやったのか、池でやるから川が汚くなったのかは知りませんが、
とにかく昔はこの川、汚かった。もう、細かいディティールが書けないくらい、汚かった。


参列者は東岸、タダ見の方々は西岸に陣取ったところで、放生会、スタートです。
あ、ちなみに、石清水祭といえば必ず出てくる「太鼓橋+蔵バックで、胡蝶の舞」の写真、
あれ、タダ見ゾーンでないと撮れません。そのことを、この写真を撮ってる瞬間に気づきました。
蔵 = 中村家住宅 (単なる個人宅であり、八幡宮とは関係なし)は、この写真の左奥の向こう。
ここからだと、男山の「男」な隆起がひたすら印象付けられるのみ。勅祭、恐るべし。


今年は神仏合同といっても、いきなり神職が経文を読んだりするわけではありません。
まずは大祓詞を奉唱、そして斎竹に隠れて何も見えませんが、放鳥が行なわれます。
写真の上側に飛んでるものが見えるでしょうか。これが、放生された鳩です。
鳩さん、焼鳥になって神饌にされずに済んで、よかったですね。


続いて、4名の童子が太鼓橋の上で「胡蝶の舞」を奉納。
定番の蔵バックが無理なので、止むを得ず大澤電機商会を借景として「動く古典」を撮ってみました。
全くどうでもいいことですが、ウチ、この店でステレオを買ったことがあると思います。
本当にどうでもいいことですね。


淡々と続けられる舞。淡々というか、やる気のなさが尋常ではありません。
ただ、一人、上手くてかつ熱心な子がいて、気迫さえ感じる舞を魅せてくれましたよ。
何でここに太鼓橋が架かるかというと、神社へ物資を搬入する舟が往来するためとも言われてます。
観光用では、ありません。私が子供の頃、まだここで放生会をやってなかった頃から、ありました。
といっても、その頃は「下で死体を見た」と誰かが定期的に騒ぎ出すようなボロさでしたが。


胡蝶の舞が終わると、魚の放生。参列者も放生をさせていただきます。
特設放生ステージの後に陣取るのは、比叡山延暦寺の坊さんたち。横には、神職。
読経の声が響く中、私も放生させていただきました。どっかで写真、撮られてるかも知れません。
放生する金魚、結構デカくて活きも良いので、手で押さえてないと地面に落ちてしまいます。
桶に手でフタをしてオロオロとしてる独男を見かけたら、それが私です。


参列者の放生が終わってもなお、比叡山の僧は念入りに経を唱え続けます。
宇佐八幡による大隈・隼人の殺戮を贖罪するため始まったという、八幡宮の放生会。
幼い頃の私がここで犯した小さな殺生の数々も、償われるのでしょうか。


鳩を放生してた太鼓橋の上から見ると、まだ読経してる坊さんたち。
いつまでやる気だと思ってたら、9時前に切り上げて橋を渡り、御神霊のおわす頓宮へ。
私も一緒に中へ入ります。いや、もちろん、こっちは回り道して裏門を通らされますよ。


またしても休憩なしで、次の神事、いや正真正銘の仏事「法華三昧法要」へ突入します。
天台座主・半田孝淳大僧正が、頓宮前の舞台へ参進。
神と仏、そして都の鬼門の守護と裏鬼門の守護が、ひとつになる瞬間です。


衆僧と共に法華三昧法要の開始です。神社のど真ん中で、経を読む坊さん達。
そういえば、比叡山は神輿かついだ強訴で有名ですが、石清水八幡宮も結構、やってます。
石清水祭が近づくと、特によくやったそうです。ワイルドなのは、もっぱら大山崎神人だそうですが。
もちろん、強訴仲間として出仕されてるわけではございません。あしからず。


法華三昧が無事に終わり、これにてひとまず行事は終了。解散となります。
終わった、やっと終わった。朝2時から10時まで、ノンストップで続いた祭が、やっと終わった。
これで、やっと寝れる。これで、やっと飯が食える。これで、やっと便所に行ける。
頓宮には供花神饌が飾られてて、心では見たいんですが、足が出口を目指して止まりません。
この場で舞楽奉納と演武奉納も始まりますが、ちょっともう、知らん。


例年は放生会のあとに直会が行なわれるそうですが、今年は法華三昧があったため、省略。
代わりに弁当をいただきました。袋の中には、弁当の他にもいろいろ入ってますよ。


帰ってから速攻で開けた、お土産袋の中身。
御神酒、放生会をモチーフにした皿2枚、秋田木で出来た菓子皿、そしてもちろんお弁当。
ちなみに御神酒は、にごり酒。なかなかに充実した内容でございますな。


弁当は何故か、京都駅前の萩の家が謹製されてました。
京都駅の駅弁から締め出されたと思ってたら、こういうところでも頑張ってるんですね。
京阪三条で買える御料理折詰500円の超ハイCPを知る方ならわかるであろう、クオリティの高さ。
特に白飯がね、柔らかくて美味いんですよ。12時間ほど何も食ってない身に、沁みるんですよ。
あっという間に食い切り、食ったら猛烈に眠くなったので、夕方の還幸の儀まで寝ます。
石清水祭、まだ、終わりません。

石清水八幡宮・石清水祭 【5】 還幸の儀 へ続く

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