御香宮神社へ旧暦タイムの夏越祓の茅の輪をくぐりに行きました。もちろん、ひとりで。

2024年7月31日(水)


御香宮神社へ旧暦タイムの夏越祓の茅の輪をくぐりに行きました。もちろん、ひとりで。

明治以降は基本全否定の呪術都市・京都を、現在も陰で拘束し続ける魔の掟、旧暦
真の正月たる節分を筆頭株として、当サイトでもその魔力には何度も触れてきました。
しかし、正月 ≒ 節分と双璧を成すはずの夏越は、旧暦でやる神社、意外と少ないんですよね。
「水無月」 という旧月名と梅雨ど真ん中という新暦タイミングが、極端なくらい不一致なのに。
和菓子の水無月も、メインシーズンは新暦の6月。7月には出さない店も、珍しくありません。
本来の夏越あるいは水無月は、それこそからっと晴れた夏真盛りの7月末こそが相応しいのであり、
京都が本当に 「明治以降は基本全否定の呪術都市」 なら旧暦のタイミングで行うべきなわけで、
夏越を歌う和歌の多くが秋の香りを織り込んでいることを考慮しても、新暦はタイミング違いでしょう。
しかし、気にしない。夏越は新暦で、構わない。梅雨に水無月を食っても、気にしない。何故か。
理由は、7月末はお盆が近いからだと思われます。呪術都市にとっては、死者の出迎えは何より大事。
「ではお盆自体を夏越にしろ」 とも言えますが、死者が帰ってくる時にお祓いするのも何か霊に悪いし。
現役の呪術都市だからこそ、生活レベルのしっくり感が呪術行事のスケジューリングにも影響する。
かくして京都の夏越は6月末の新暦タイムで行う神社が多く、茅の輪も6月30日に出るわけです。
「何となく」 が、掟と化す。これもまた、呪術都市が持つ病理のひとつと言えるのではないでしょうか。
・・・という冗談はともかく、実際には京都にも本来のタイミングで夏越を行う社が存在します。
今回茅の輪を求めて訪れた洛南の名社・御香宮神社も、旧暦で夏越を行う社のひとつです。
御香宮神社。酒処・伏見の産土にして、祭神・神功皇后ゆかりの安産信仰で知られる社であります。
その歴史は平安京をも遡るほど古く、太古の昔から現代に至るまで篤い信仰を集め続けてきました。
八幡人の私にとっても隣町の大社であり、以前は深夜に茅の輪神事を見たこともあったような。
現在の夏越は昼だけの仕様になってるようですが、でも旧暦タイムの実施はしっかり健在。
そんな御香宮の旧暦の夏越、時間の都合でさっと茅の輪をくぐりにだけ出かけました。



12時半過ぎ、京阪・伏見桃山駅から大手筋に入り、伏見城へ続く坂道を登って御香宮神社へ。
明治天皇の御陵が伏見城跡に出来たため、一気に駅が増えたこの界隈。京阪の狭さが、萌えます。
もちろん、御香宮門前としても近代以前から賑わい、幕末には鳥羽伏見の戦いで戦場にもなりました。
魚三楼に残る弾痕を拝んでから、食欲や酒欲を刺激する近鉄高架下を抜けると、神社はすぐそこ。


本当にすぐです。伏見の産土たる御香宮神社、その一の鳥居。高架を抜けて数秒で着きました。
厳密な創建年度は不明なほど古く、平安期に御香水が湧いたことでその名が付いたという、御香宮。
無論、祭神・神功皇后と 「香」 の字が示すとおり、筑前・香椎宮との縁も強く想起させる社であります。
それにしても鳥居、立派です。 「大手筋は御香宮神社の参道」 と言われても、納得しか出来ません。




表門も、伏見城の建築を移築したもの。大手筋と同じく、御香宮の所有物感、半端ありません。
もっとも秀吉は秀吉で、伏見城築城時にはこの社を城内に移転させる、なんてこともやらかしました。
神功皇后ゆかりの安産信仰を集める、御香宮。そして、子宝に執着した秀吉。そういうことでしょうか。
旧夏越の御香宮境内、目立って混んでいる感じはないですか、でも普段より確実に参拝客は多め。





伏見城廃城後に元の現在地へ戻った御香宮は、酒と港の町となる伏見を見守り続けます。
秀吉絡みのものを片端から抹消した徳川家も、この社は気に入ったのか何なのか、割と色々寄進。
伏見城時代の社へ秀吉が強引にぶっ込んだ能楽台も、この地へ帰還する際に再建したといいます。
豪壮華麗な拝殿も、徳川家の寄進。細か過ぎてよくわからん造形の中に、三つ葉葵も見えますね。


そして、その拝殿の奥にある本殿の前には、茅の輪がありました。よかった、よかった。
何か格好良いですね。ありがたく、くぐらせてもらいましょう。ちとせのいのちのぶというなり。



くぐったらそのまま帰ってもいいんですが、御香宮は有料とはいえ人型の奉納が可能です。
奉納すると、ミニ茅の輪がもらえるんですよ。夏越のお土産が欲しいと思ったので、奉納してみます。
受付で用紙と人型をもらって、記入して寸志と一緒に提出すると、ごく普通に茅の輪をいただけました。
安産に関係ない独男で恐縮ですが、応神天皇 = 八幡神に住む者として勘弁してもらいましょう。





人型の奉納が終わればいよいよ本当に帰るだけですが、少しだけ境内をうろついていきます。
御香宮の名前の由来となり、伏見城時代の徳川家も産湯に用いたとされる御香水は、現在も健在。
もちろん水は伏見の酒の生命線でもあるので、拝殿の隅の方には奉納酒樽 (?) みたいなのもあり。
日本酒だけでなく、かつて大陸で青島ビールも造ってた大日本麦酒の奉納碑があるのも、味です。




境内には、安産の御利益にあやかろうとするアイテムもあり、信仰の篤さをしみじみ感じます。
休憩所には、大陸方面で神功皇后にあやかろうとしたのか、大日本帝国陸軍の奉納額もありました。
あ、大陸入りは秀吉もやらかしてましたね。御香宮推しは、子種だけでなくそっちも理由だったのかも。
そう思うと、置き逃げ産廃状態の伏見城跡残石が大陸も子種も報われなかった秀吉のようで、無常。



御香宮推しが過ぎて秀吉が御香宮を伏見城に囲った頃、元の神地に入ったのは小早川 = 筑前
そのためなのか何なのか、御香宮の隣の地名は現在も 「筑前」 。香椎宮との奇縁も、想起させます。
黒田節の誕生地なる看板にも、後に筑前入りして香椎宮も支援した黒田氏との奇縁を感じるというか。
そろそろ、本当に本当に帰ります。秀吉の茶会に羊羹を出し伏見駿河屋で、水無月を買ってから。


と思ったら、伏見駿河屋、7月末には水無月をもう出してないそうですよ。どういうことだ。
御香宮が旧暦で水無月やってるのに、どういうことだ。と思いましたが、ないのはしょうがありません。
代わりに若鮎を買いました。火前国・松浦で鮎を釣り上げた、神功皇后。神功皇后といえば、鮎です。
味は、クレープ系の衣の品の良さが光る仕上がり。上質の鮎と同じく、飲むように食べてしまえます。


神功皇后を絡めて鮎アイテムを買ったのなら、鯛アイテムも外すわけにはいきません。
海に酒を注いで、酔っ払った大量の浮鯛を漁師に獲らせた、神功皇后。神功皇后といえば、鯛です。
買ったのは、おやつ村の鯛焼。中身は、神功皇后が応神天皇を産んだ地・糟屋郡に因み、カスタード。
あ、背後にある酒瓶は、松本酒造・桃の滴。自主的な御神酒として、帰りに大手筋で買い込みました。


鮎と鯛を食ったらミニ茅の輪を開封し、桃の滴を飲みながらその形状を見て悦に入ります。
いや。違う、そうじゃない。厳かに茅の輪を開封してから、御神酒たる桃の滴の酒香を神に捧げます。
御香宮の神威を感じながら飲む桃の滴は、桃の滴の味。酒感が濃いのに何故か飲みやすい酒です。
ラベルの桃が、白抜きだからか茅の輪みたいに見えるのも、ナイス。ちとせのいのちのぶというなり。

旧暦タイムの夏越の御香宮神社は、
拝殿には少数の参拝者が途切れなくやって来ますが、混雑には程遠い感じ。
大抵は、1~2人の妙齢女性で、15時からの神事を待つ感じの人もちらほらいます。
境内全体としては近所の人の烏合状態で、人数はやはり多くはありません。

ひとりに向いてるのかと言えば、とりあえずアウェー感は希薄ですが、
では楽しさや面白さが濃厚にあるのかと訊かれると、それはそれで微妙ではあります。
周囲の城跡や戦跡、酒関係では面白いものがあり過ぎるくらいあるので、
その辺の伏見の味わいと合わせて楽しむと、なかなか良い感じではないでしょうか。

そんな伏見・御香宮神社の旧暦の夏越。
好きな人と行けば、よりちとせのいのちのぶというなりなんでしょう
でも、ひとりで行っても、ちとせのいのちのぶというなりです。


 
夏越祓
毎年7月31日 開催

御香宮神社
京都市伏見区御香宮門前町174

近鉄電車 桃山御陵前駅下車 徒歩約2分
京阪電車 伏見桃山駅下車 徒歩約3分
JR奈良線 桃山駅下車 徒歩約5分

御香宮神社 安産・子育ての社 – 公式