2016年への年越しを、京都帝釈天で迎えました。もちろん、ひとりで。

2016年1月1日(金)


2016年への年越しを、京都帝釈天で迎えました。もちろん、ひとりで。

除夜の鐘を、108つ全部、撞きたい。そんな欲求に駆られるようになりました。
駆られるようになったのは、このサイトで阿呆な年越しネタをやらかすようになってからです。
あちこちの寺社へ忍び込み、鐘難民化したり撞けず終いに終わったりしてきた、当サイトの年越し。
そして、当然ながら地元の人に対して遠慮し、鐘の行列は最後の方へ並んできた、他所者の私。
毎年毎年、一歩も二歩も引いた状態で、こっそりと、ひっそりと、除夜の鐘を撞き続けてきたのでした。
2015年は遠慮不要であるはずの地元・八幡で年を越しましたが、しかし私はやはり、移民の子。
心の何処かで遠慮は、消えません。というか多分、行列がある限り遠慮する気持ちは、消えません。
こういう場に於いて独男というのは、本質的に気まずいものなのです。その気まずさは、忘れたくない。
しかし、それでも除夜の鐘は、撞きたい。いや、むしろ、何ならだからこそ、除夜の鐘は、撞きたい。
気兼ねなく鐘を撞いて、厄を祓いたい。108つの鐘を全て自分で撞いて、煩悩を全て吹き飛ばしたい。
阿呆な遠慮を延々と重ね続けた末に、私は、こんな阿呆な欲求に駆られるようになったのでした。
遠慮を大事にするあまりに正気を見失ったこの欲求、京都で実現する方法はいくつか考えられます。
ひとつは、寺の住職となり、鐘を独占すること。もうひとつは、自分の家に鐘を設置して、撞くこと。
そして、最も実現性が高くて尚且つ正気も保てる方法は、南丹市の京都帝釈天へ行くことです。
京都帝釈天。名が示す通り、京都の帝釈天でございます。立地的には 「府」 の帝釈天となりますが。
帝釈天というのは、言うまでもなく 「生まれも育ちも葛飾柴又」 というあれで有名な、あの帝釈天
京都にもあるんですよ、帝釈天。もちろん、庚申信仰もあるんですよ。更には、猿崇拝もあるんですよ。
780年に和気清麻呂によって丹波・紫雲山の中腹へ創建され、天長年間には空海が伽藍を整備、
中世は神護寺末の小倉寺として存続、近世以降は庚申信仰で庶民から慕われてるお堂であります。
そんな京都帝釈天、90年代に入ると、700mの坂道参道へ108つのミニ鐘 「願いの鐘」 を設置。
で、年越しの際は、夜通しでオープン。鐘を撞きながら参道を進み、お参りすることが出来るのです。
そう、除夜の鐘を全部、撞くことが出来るのです。108つを全部、自分で撞くことが出来るのです。
おまけに、迎える2016年は、サル年。猿崇拝もある庚申スポットとしては、正に当たり年となります。
ついでに、このお堂がある南丹市船枝は、私の本籍地の隣。いわば、真の地元であります。
これはもう、遠慮なく鐘を撞きまくれる。そう思い、南丹市まで行ってきました。


というわけで大晦日、プチ帰省する感じの多くの客と共にJR山陰線を降りて、園部駅へ到着。
京都帝釈天、最寄駅はこの園部駅のひとつ隣である吉富駅です。が、その辺には宿がありません。
私、宿が要るんですよ。山陰線、年越しの終夜運転がないので。で、私、車も単車も持ってないので。
あと、本籍地ながら家はないので。で、全てが昭和過ぎる園部ビューホテルに、5500円程で宿泊。


と思ったら、園部ビューホテル、本棟は古過ぎて泊まれず、マンション然とした別館へ宿泊。
本当は城下町の旅籠に泊まりたいんですが、夜中に動き易いのは絶対、こっち。止むを得ません。
旅情や年越し感が微塵もない、単なる普通の部屋で、出かける22時頃までボ~っとすること、しばし。
普通に関西圏全局が映るTVで、KBS京都が何故かやってる 『羅生門』 も観たりすること、しばし。


三船京マチ子への横恋慕を見届けた後、22時、園部駅を出発。隣の吉富駅へ向かいます。
出発が少し早めなのは、最寄駅とはいうものの、京都帝釈天までは徒歩40分以上かかるからです。
遠いんですよ、京都帝釈天。鉄道の方こそ、古代丹波国中心地の遥か西を走ってるとも言えますが。
この辺の鉄&R9東側には、国衙領を含む形で荘園が拡がってました。で、帝釈天があるのも、そこ。


で、すぐに吉富駅へ到着。割と新しい造りの駅ですが、切符は回収ボックスへ入れました。
吉田富吉さんが創業した老舗みたいな駅名は、この辺が荘園・吉富荘であったことに由来するもの。
横恋慕の末に出家した文覚が、神護寺再興の為に獲得した歴史があり、文覚伝説も多く残る地です。
ではここから、歩きます。バスなんか、乗りません。というか、ありません。タクシーも、ありません。


で、歩くこと、しばし。大晦日でもほぼ完全に真っ暗な農業地帯を、歩くこと、しばし。


文覚は水を引いたりもして熱心に開発したという、吉富荘の中を、歩くこと、しばし。


地名 「船枝」 の由来であろう、桂川 = 保津川 = 大堰川の橋上も、歩くこと、しばし。


水の良さから越してきたのであろう男前豆腐店の 「男」 も眺めつつ、歩くこと、しばし。


で、男前豆腐店の辺から鐘というより鉦という感じのピッチが高い鐘の音が聞こえ始め、
その鐘の乱打音を頼りに闇の中を彷徨い、農道を歩いた末に到着した、京都帝釈天の入口、多分。
近くには、帝釈天の管理を行う福寿寺があり、 「マイ撞木」 を売ってるそうですが、開いてる気配なし。
残念ですが、もう0時に近いので、確認してる暇はありません。さっさと入山して、鐘へ向かいます。


闇の中を更に進み、駐車場から来た正気の人たちと共に入った、参道坂道の入口、多分。
ここ、駐車場が結構広いんですよね。皆さんも、来るなら、車ですよ。歩いて来た私が、保証します。
で、またもや真っ暗ですが、由緒や庚申信仰、鐘の撞き方などが書かれた看板を横目に、入山開始。
さあ、鐘です。108つの、鐘です。正しくは左手でそっと撞くもんらしいですが、もう、我慢できません。


で、遠慮なしに、ゴ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ン。


立て続けに、ゴ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ン。


連打で、ゴ━━ンゴ━━ンゴ━━ンゴ━━ンゴ━━ンゴ━━ンゴ━━━━━━━━━ン。


全ての鐘の下に付いてる灯を見ながら、ゴ━━ンゴ━━ンゴ━━━━━━━━━━ン。


ちょっと手が疲れてきたけど、ゴ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ン。


たまに混ざる増長天持国天の金色鐘も、忘れず、ゴ━━━━━━━━━━━━ン。


雨+登坂の疲労がかなり体に沁みて来たけど、ゴ━━━━━━━━━━━━━━━ン。


疲労と同時に、正直飽きても来たけど、ゴ━ンゴ━ンゴ━ンゴ━ンゴ━ンゴ━ンゴ━ン。


途中にあった安産の鐘も、私には関係ないけど、ゴ━━━━━━━━━━━━━━━ン。


途中にあった寅さんの鐘も、京都には関係ないけど、ゴ━━━━━━━━━━━━ン。


地元らしき人はスルーしてたけど、数稼ぎらしき連荘ミニミニ鐘も、コココココココ━━━ン。


ラスト手前、疲れと飽きで 「もういい」 という言葉が頭に充満してるけど、ゴ━━━━ン。


「鐘撞きまくりたい」 という煩悩が蒸発し切った頃、ラストらしき鐘を、ゴ━━━━━━━ン。


そしてその鐘の後には、神護寺感溢れる山岳系激急階段が、バ━━━━━━━━━━━ン。


他の客が出す 「きついきついきつい」 「こわいこわいこわい」 という声を聞きながら、
重荷を背負って聖帝十字陵を登らされるような気分で激急階段を登った末、到着した、京都帝釈天。
正面に建つのは、園部藩主などの寄進により江戸期に再建された、京都府指定文化財の帝釈天堂。
そしてその前には、年越し限定という法輪の火の輪くぐり。横にある案内の通り、合掌して通ります。


輪を通って入った境内奥には、ラスボスらしき鐘楼、あり。無論、これも撞かねばなりません。
先客5~6人を待った後、志納してから、ゴ━━━━ン。終わりました。やり遂げました。疲れました。
こちらのラスボス鐘、鐘楼入口にあった案内によると 「よろこびの鐘」 なる名前が付いてるんだとか。
作ったのは、地元の人たち。 「帝釈天講」 があるそうです。108つのミニ鐘を作ったのも多分、講。


「除夜の鐘を全部撞きたい」 という煩悩を祓った所で、私も年越し完了。続いては、初詣です。
やはり地元の人たちが詰めてるというお堂へ戻り、横で行われてる祈祷の声を聞きながら、参拝。
33年に一度開帳されるという本尊秘仏・帝釈天と、増長天&毘沙門天に、サル年の平安を祈ります。
帝釈天は、南斗の聖帝ならぬ北斗の天帝。初詣もアリでしょう。授与所の人も、神職っぽい姿だし。


本尊前には、御覧のようなサルの木像、あり。授与所でも、各種サルアイテムが並んでます。
京都帝釈天 aka 小倉寺を末寺とした神護寺は、衰退の後、江戸期になってから僧正・晋海が復興。
晋海は、神護寺の重要な膝下荘園である吉富荘の経営安定の為か、小倉寺の再興も手がけたとか。
江戸期の流行神・庚申はその際、よりアーシーな信仰母体を構成すべくフィーチャーされたのかも。


と、そんな妄想はともかく、2016年はサル年。なので、ベロ酔いのサル絵馬を、奉納。


「志 ブレざるように 客足 去らざるように」 という、ザルなる願いを書き込んで、奉納。


鐘楼の手前には小さな売店が出てて、おっちゃんが善哉200円を売ってたので、食。


実に丹波的で大らかなノリのおっちゃんは、蕎麦400円も売ってたので、こちらも、食。


では、ぼちぼちと帰ります。が、その前に、右奥に見える八幡宮で神社な初詣もやっときます。
帝釈天、本堂の真横に八幡宮、あり。これぞ正しく、ゆく年くる年のワンストップ・ソリューションです。
流石は宇佐八幡絡みの和気清麻呂&八幡神を勧請した空海と縁を持つお堂、という感じでしょうか。
他にも讃岐金毘羅宮遥拝所など色々あるそうですが、正直もうしんどくて、見て回るのが面倒臭い。


また、腰の病に霊験あらたかとされる奥の院や、愛の親子地蔵尊に身代わり鶴の投げ所、
更には 「恋し」 の気持ちを赤い糸で結ぶ 「小石結び」 なんかもあるんですが、正直もう、面倒臭い。
「小石結び」 、文覚に倣って誰かの小石に横恋慕結びしようかとか思ってましたが、やめて帰ります。
神護寺感溢れる激急階段を降りて、退堂。雨が霙になり、階段、更に恐怖化。完全に、山岳状態。


ちょくちょく登って来る人はいるものの、基本的に終了モードの参道を降り、1時過ぎに下山。
全ての客が駐車場へ向かうのを横目に、私は 「船枝参り」 をした昔の人と同様、徒歩で帰ります。
帝釈天、かつては丹波一円に庚申講が存在し、徒歩で来る彼等の為の宿が参道入口にあったとか。
今もあれば、徒歩の私は助かったんですが。とか思いながら、闇の中へ足を踏み出すこと、しばし。


ただ、宿があってもこの辺、正月はバス、ないんですよね。結局、歩くことになるんですよね。
と、自分を何とか納得させてると、桂川沿いまで来た所で、ゴソゴソ音と共に白い何かが走りました。
そういえば帝釈天、熊が出たとか。この辺には白熊でもいるのかと思いながら、更に歩くこと、しばし。
男前豆腐店工場の灯&やたらよく見える星の光に、恐怖を緩和してもらいながら、歩くこと、しばし。


吉富駅に着いても電車はないので、更にR9を歩き、2時半にやっと園部ビューホテルへ帰還。
金爆のブレざる芸を見ながら、ベッドで電熱布団に包まってると、あっという間に寝落ちしましたとさ。
で、翌朝10時にホテルを出たら、丹波名物の霧が爆裂状態。霧の中を走るJRに乗り、帰りましたとさ。
それにしてもあの鐘、本当に108つあったのかな。面倒で、数えてないんですよね。どうなんでしょう。


というわけで後日、鐘が108つあるかどうかを確認しに行きました。ひとつずつ写真を撮って。
結論から言うと、本当に108つ、ありました。きっちりジャストで、108つ。ただ、他の鐘も案外、多し。
増長天とかの金色鐘、連荘のミニミニ鐘、安産の鐘、そしてラスボス鐘は、108つの内に入りません。
だから地元の人は、連荘鐘をスルーしてたんですね。で、私はここでもやはり、他所者なんですね。

客層は、徹底的にネイティブがメインです。
より正確に言うなら、ネイティブの家族連れがメイン。メインというより、大半がそう。
個別カップルに見えた連中も、家族連れの一部である可能性は否定できません。
年齢的には、体力が絶対的に要る為か、50代くらいまでの家族連れが多いと思います。
若年層は多いですが、冷やかし系や好き者系は見かけず、至って普通の若者ばかり。
カップルは、夫婦と見分けがつかないような連中が大半で、観光ハイや恋愛ハイは絶無。
DQN感は、ゼロではありませんが、限りなく低いです。

そんな京都帝釈天での、年越し。
好きな人と越せば、よりゆく年くる年なんでしょう。
でも、ひとりで越しても、ゆく年くる年です。

2015年への年越しを、八幡で迎えました。もちろん、ひとりで。

2014年への年越しを、京都で迎えました。もちろん、ひとりで。

2013年への年越しを、嵯峨嵐山で迎えました。もちろん、ひとりで。 【前篇】
2013年への年越しを、嵯峨嵐山で迎えました。もちろん、ひとりで。 【後篇】

2012年への年越しを、京都で迎えました。もちろん、ひとりで。 【1】
2012年への年越しを、京都で迎えました。もちろん、ひとりで。 【2】

2011年への年越しを、京都で迎えました。もちろん、ひとりで。 【1】
2011年への年越しを、京都で迎えました。もちろん、ひとりで。 【2】
2011年への年越しを、京都で迎えました。もちろん、ひとりで。 【3】

【客層】 (客層表記について)
カップル:1
女性グループ:0
男性グループ:1
混成グループ:1
子供:0
中高年夫婦:1
中高年女性グループ:1
中高年団体 or グループ:5
単身女性:0
単身男性:微
【ひとりに向いてる度】
★★★★
徹底的にネイティブメインゆえ、浮くどころの騒ぎではない。
「浮く」 のを遥かに通り越して、もうマレビト状態。
「除夜の鐘が全部自分で撞けるんです!!」 などと阿呆が騒ぎ、
大挙して押し寄せて来ない限りは、楽しい所だと思う。
ただ、何らかの交通手段を持ってないと、事実上、帰れない。
あと車で行くなら、霧が出る前に帰らないと、多分、死ぬ。

【条件】
大晦日+元旦 22:00~1:00


 
 
 
 
 
 
 
京都帝釈天
京都府南丹市八木町船枝

JR山陰本線 吉富駅下車 徒歩約50分

京都帝釈天 – 南丹市

福寿寺 – wikipedia