2015年の節分をめぐってきました。もちろん、ひとりで。

2015年2月3日(火)


2015年の節分をめぐってきました。もちろん、ひとりで。

節分めぐり、もうめぐるべき所は大体めぐってしまったんですよね。
2011年よりやってるこのネタ、1年毎に数ヵ所を回る為か、正直、かなりネタ切れ気味です。
無論、細かい所を穿っていけば、まだまだ色んな地域で色んな行事が行われてはいるんでしょう。
深層意識の内で今なお旧暦のタイムテーブルが拘束力を保持し続けてる為なのか何なのか、
「これこそが本来の年越し」 とでも言わんばかりに、正月以上の盛り上がりを見せる、京都の節分。
比較的小規模な行事もフォローし始めた場合、底無し沼状態へ突入することも予測されます。
しかし、当サイトの趣旨はあくまで、超メジャースポットおよび超メジャーイベントの単独正面突破。
「見ぃつけた!」 と幼児性を意図的に偽装してるつもりで無自覚に無知・無神経を垂れ流す輩や、
自己愛+承認欲求+山師根性から観光資源の乱獲に励む輩などとは、一線を画さざるを得ません。
というわけで、メジャー級スポットで行ってない節分って何処かあったかなと、しばらく悩んでました。
が、ありましたよ。松尾大社ですよ。 「洛西の総氏神」 として信仰を集める、松尾大社ですよ。
平安遷都より以前の創建という猛烈に古い歴史を持ちながら、現役仕様のネイティブ信仰を集め、
京都市西側の大半が含まれる巨大な氏子域と、凄まじく盛り上がる大祭・松尾祭を誇る、松尾大社。
そんな松尾大社の節分では、祇園祭に於ける奉納で京都でも御馴染みの石見神楽を招聘。
八岐大蛇がとぐろを巻く神楽の奉納と共に、無茶苦茶恐ろしい造形の顔した鬼が 「鬼の舞」 も披露。
豆撒きも無論行われ、松尾っぽいワイルドな豆争奪戦が、豆撒き自体より楽しかったりします。
なので2015年の節分は、まずそちらへ御邪魔して、正しく乾の方角から現れた鬼&豆撒きを堪能し、
続いて京都ウェッサイ節分シーンに於けるコアたる壬生寺を改めて訪問し、節分狂言を再堪能。
壬生寺では、2012年訪問時に金をケチって宿題にしたほおらく奉納を、今度はしっかり行い、
ついでといっては何ですが、近くの神泉苑でも念仏狂言援助の意味でほおらくを奉納してきました。
例年に増してコンセプトも大義もなく、ただただ流れてるだけの適当過ぎる節分彷徨ですが、
故に溢れるユルくて妙に多幸的な気分、感じてもらえると幸いです。

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壬生寺へ壬生狂言を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2013年4月23日(火)


壬生寺へ壬生狂言を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

壬生狂言。正しくは、壬生大念仏狂言。
京都にいくつか残る大念仏狂言の中でも、最も有名といえるものでしょう。
創始したのは、鎌倉時代に壬生寺を再興すべく、勧進聖として聴衆を集めた、円覚上人。
巧みな説法が庶民から支持され、「十万上人」 と呼ばれるほど圧倒的集客力を誇った上人は、
PAなどあるわけ無い時代に更なる大ハコ系法会を成立させるべく、持斎融通念仏を創始。
声を使わず身振り手振りを用いることで、スタジアム級の聴衆にも仏の教えを説くこの踊躍念仏は、
やがて大念仏会という名の法会となり、時を経て仏教無言仮面劇・壬生狂言となりました。
近世に入ると壬生狂言は、能や物語など同時代の芸能からもエッセンスを導入するようになり、
節分の炮烙奉納 & 『炮烙割』 のガッシャーンも定着するなど、娯楽や行事としても発展。
以後、現代に至るまで、アマチュアである地元の壬生大念仏講中の人たちによって公演が続けられ、
激レアな面&衣装と共に、 「壬生さんのカンデンデン」 の伝統は継承されてるわけです。
素晴らしい。実に、素晴らしい。しかし、今までうちでは壬生狂言、がっつりとは扱ってませんでした。
節分奉納にはチラッと触れてますが、メイン公演である春の公開は、ずっと未訪のままでした。
理由は、ふたつ。壬生狂言には、鑑賞料がかかるから。そして、撮影が禁止だから。
鑑賞料は、まあ、800円。それに撮影禁止なら、神泉宛狂言だって同じ。ですが、Wだと、な。
吝嗇+記事プランが立たんという知らんがな事情が重なり、ずっとスルーし続けてたのであります。
が、何度でも繰り返しますが、うちのサイトの趣旨は、メジャースポットの単独正面突破。
壬生狂言も当然、メジャーです。初日の 『炮烙割』 は京都新聞に絶対載るほど、メジャーです。
それに、他の念仏狂言は観といて、壬生だけ観ないのも、妙です。そして、不勉強です。
行かねばなるまい。下手すると全画像が漆黒の闇になっても、行かねばなるまい。
そんな狂った義務感と、狂言への興味も一応抱き、暮春の壬生へと出かけたのでした。
結果、やはり黒画像ばかりが延々続く無茶苦茶な内容の記事となりましたが、
想像力を働かせるのも無言劇らしいと考え、お楽しみくださいませ。

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2012年の節分をめぐってきました。もちろん、ひとりで。【1】

2012年2月2日(木)


2012年の節分をめぐってきました。もちろん、ひとりで。
2月2日と3日の両日を、暇丸出しでフルにうろつきまくってます。

【1】 八坂神社の芸舞妓舞踊奉納+豆まき壬生寺の節分狂言須賀神社で懸想文購入
【2】 北野天満宮の追儺狂言+芸舞妓舞踊奉納+豆まき千本釈迦堂のおかめ福節分
【3】 千本ゑんま堂の節分狂言吉田神社の火炉祭大炎上

の、まずは 【1】、八坂神社、壬生狂言、そして懸想文です。

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壬生寺の六斎念仏を観に行って来ました。もちろん、ひとりで。

2011年8月9日(火)


壬生寺の六斎念仏を観に行って来ました。もちろん、ひとりで。

壬生寺で民俗芸能といえば、真っ先に思い浮かぶのは、壬生狂言。
ですが、壬生狂言保存会とは別に、六斎念仏の保存会も存在し、活発に活動をしています。
もともとは六斎日に念仏を修する信仰行事だったものが、
町人文化の開花した江戸中期の京都に於いて急激に芸能化して現在の形になった、六斎念仏。
芸の基本こそ鉦と太鼓に置きながらも、先端の芸能が集約される京都にあっては、
当時流行していた長唄や地唄、歌舞伎の曲や振りなどに影響受けまくり&貪欲に取り入れまくり。
民衆の人気は果てしなくあがり、幕末の頃には狂言をとりこむ講中まで現われたといいます。
壬生狂言のホーム・壬生寺の壬生六斎も、狂言の『土蜘蛛』をしっかり六斎へ移入。
祇園祭の綾傘鉾に奉仕してきた伝統から、棒振も六斎化して「祇園囃子」の入れ事として導入。
また、「獅子舞を土蜘蛛と絡ませる」という、現在の六斎の王道展開は、
壬生六斎が伊勢太神楽から移入したのではないかとも言われてます。
そんな壬生六斎がホームグラウンドで奉納されるのが、万灯会の最初の夜・精霊迎え火。
ステージは、本堂前の特設舞台。バックには、千に近い数の壁のごとき行灯、そして千体仏塔。
ほとんど異次元状態の舞台を背に、圧巻のパフォーマンスが展開されました。

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