豊臣秀吉が死の直前に観たかも知れない名月を、伏見へ観に行きました。もちろん、ひとりで。

2024年9月17日(火)


豊臣秀吉が死の直前に観たかも知れない名月を、伏見へ観に行きました。もちろん、ひとりで。

豊臣秀吉が死んだのは、1598年8月18日です。死んだ場所は、伏見城です。
日付はもちろん、旧暦。ですので、中秋の名月 = 旧暦8月15日に近いことになります。
つまり秀吉は、伏見城内で中秋の名月を観てから数日後に死んだ、と言えるかも知れません。
月を愛し、此地の月を観るため指月城を築き、地震で潰れるとすぐ伏見城を建てた、秀吉。
「さらしなや 雄島の月も よそならん ただ伏見江の 秋の夕ぐれ」 なる歌も詠んだ、秀吉。
死の前は体も頭もボロボロだったらしいので、観る元気が残っていたかどうかはわかりません。
ただ単純に日付だけで考えると、満月前後の月を観て逝った可能性は充分あります。
というか、むしろ名月に呼ばれるように世を去った、そんな気さえするのです。
当サイトは先々月以来、御香宮高台寺と秀吉へフォーカスする記事を続けて展開してきました。
1番の理由は命日が近いからで、2番の理由はこれまで秀吉ネタを全くやって来なかったからですが、
何で今まで秀吉ネタをやってなかったのかと言えば、私が秀吉に興味も知識もなかったからです。
では、記事作成を通じて興味と知識が増したかと言えば、特にそんなこともなかったりするのですが、
ただ、以前から無知&門外漢なりに感じていたことを、改めてしみじみと感じるようにはなりました。
それは、この人はおかしいということ。 「おかしい人」 というより、存在がおかしいということ。
存在が、歪。時空が、変。 「月から来た人」 とでも言われた方が、まだしっくり来るかも。と。
そう思ったので、今回、 「月の人」 としての秀吉の最期を検証してみようと思うのです。
秀吉が末期の眼で眺めた月を同じ条件で観るべく、中秋の名月の夜、伏見へと趣いてみよう。
月を観る場所は、その名もずばりな観月橋、すぐに潰れたけどやはりその名もずばりな指月城跡、
秀吉が没した伏見城の跡地である桃山丘陵、あと伏見城を模した伏見桃山城キャッスルランド跡。
執念や体臭に続き、死という人間の有様に肉薄することで生身の秀吉にフォーカスしてみよう。
そして、そこから逆に、 「月の人」 としての異常性を浮かび上がらせようと思うのです。




秀吉が謳った 「伏見江」 が何処かと言えば、普通なら、宇治川巨椋池が溶解する辺でしょう。
では、伏見近辺で宇治川と巨椋池干拓跡を最もクリアに見える場所はと言えば、観月橋の辺りです。
観月は、まずはこの観月橋から近辺から始めようと思います。最寄り駅は、京阪宇治線の観月橋駅
京阪とR24外環が密集する忙しい場所ですが、高架橋の彼方には、月。何とも、実に、満月です。






橋そのものはコンクリ&高架で無粋ですが、月見の場所としてはその名の通り絶好な、観月橋。
かつてはこの橋が渡る宇治川にも、その先に広がる巨椋池にも、水面に月が写っていたといいます。
川沿いの桃山温泉・月見館は昭和初期に出来たので、ぎりぎりで池の月が観られたかも知れません。
望遠だと本当に月がよく見える、観月橋。もちろん秀吉が観月のために架橋した、というのは噓です。



秀吉は伏見城のため宇治川と巨椋池を改造しまくり、池を突っ切る堤 = 大和街道も作りました。
この堤と伏見とを繋ぐ橋が、観月橋 = 豊後橋。土建感の濃い由来を思えば、無粋な作りも納得です。
もっとも秀吉が此地の月を気に入ったのも確かで、最初の指月城は隠居屋敷として建て始めたとか。
次は、その指月城跡地へ向かおうと思います。上り坂に巨椋池畔の面影を感じながら、R24を北へ。




指月は、桃山丘陵南麓にあって巨椋池を一望でき、平安時代より観月の名所として有名な地。
御所や別荘で貴族達は、空の月に川&池&盃に映る月を加えた 「4つの月」 を楽しんだといいます。
秀吉は此地を散策した際に屋敷の建設を思い立ち、その屋敷が肥大して結果的に城郭と化しました。
指月、現在は団地や老人ホームが多いエリアです。でも、その合間から眺める月は、やはり美しい。




望遠ならそう絵面は変わらないはずなのに、指月だと美しく見える気がするのが不思議です。
秀吉もそう思って城を建てたわけですが、慶長の大地震ですぐに全壊。現在は、石垣だけ残るのみ。
跡地のマンションに案内板が出ていますが、愛の欠片もない存在感に諸行無常しか感じられません。
指月城の全壊後も秀吉は名月を求め、次は少し北の桃山丘陵自体に伏見城を作ることになります。




桃山丘陵は、伏見城築城前は木幡山と呼ばれ、山頂には桓武天皇の陵があったとされる地。
言うまでもなく後には明治天皇陵となり、多くの鉄道を呼ぶことで戦乱後の伏見の再生を導きました。
先述通り、秀吉が死んだのは伏見城。今際の際で月を観た場所は、此処の他には比定出来ません。
ので同じ月を観ようと御陵入口までやって来ましたが、考えたら此処、宮内庁管理地なんですよね。




宮内庁管理地でお月見。というかそもそも、お墓でお月見。神罰と不敬罪のWパンチ。う~む、と。
そう思い、近くで月が見えるポイントを探して山を徘徊してると、キャッスルランドの跡地に着きました。
キャッスルランド。正式名称、伏見桃山城キャッスルランド。伏見城のお花畑跡に出来た遊園地です。
遊園地は廃業しましたがグラウンドなどが夜も開いてるので、入っても不敬でも不審でもありません。




鉄筋コンクリで復元されたけど、耐震じゃないので近寄れない、ニセ伏見城 aka 伏見桃山城。
ポンコツさやハリボテさを漆黒で塗りつぶしたその模擬天守を、名月が雲間から時折照らしています。
その様子を見ていると、桃山御陵よりもこの模擬天守の方がむしろ秀吉っぽいという気がしてきました。
荒っぽい土建と、貴族の後追い。昭和的とも言える秀吉の感じが、この天守に凝縮されてるというか。



京都や伏見の名所にわけもわからず乗り込んでは、好き放題に傷つけ改造しまくった、秀吉。
でも月を観ながら伏見を歩くと、凡庸というか普通というか、単に現代的なだけな人に思えてきました。
凡庸 or 普通のやらかした規模こそ異常ですが、少なくとも 「月から来た人」 とかではないみたいです。
そして、街を好き放題に傷つけ改造して生きる我々もまた、間違いなく彼の末裔なのだと思いました。

中秋の満月の日の伏見徘徊、いるのは生活者ばかりなので、客層は省略。
楽しいかと言えば、普通でしょうか。歴史がお好きな方には、割と楽しいでしょう。
そこに月の妙味が相互作用で活きてくるかどうかについては、よくわかりません。
総合的に考えて、ひとりに向いてる度は、★★★くらいでしょうか。

あと、基本的に伏見桃山城へ向かって延々と上り坂が続くので、
中秋とは言うものの真夏状態で続く現代の9月に実行すると、なかなかキツい遊びではあります。
逆に伏見桃山城から観月橋に向かって歩けば、ずっと下り坂になるんですが、
伏見桃山城まで坂を上って行ってくれるバスとかって、ないんですよね。
桃山城近くの高級住宅地を歩いている時は、自分で自分の不審さを不審に感じました。

そんな伏見で観る、中秋の名月。
好きな人と観たら、より伏見江の秋の夕ぐれなんでしょう。
でも、ひとりで観ても、伏見江の秋の夕ぐれです。


 
 
 
観月橋/指月/伏見桃山城
概ね何処からでも満月は拝める
ただし、不審者と思われ通報されても知らん

京阪電車 観月橋駅下車 歩けばそのうち着く
京阪電車 伏見桃山駅下車 歩けばそのうち着く
近鉄電車 桃山御陵駅下車 歩けばそのうち着く
JR奈良線 桃山駅下車 歩けばそのうち着く