坂本龍馬の命日に、京都霊山護国神社と霊山歴史館へ行きました。もちろん、ひとりで。

坂本龍馬の命日に、京都霊山護国神社と霊山霊山歴史館へ行きました。もちろん、ひとりで。
随分前から自分の中で、龍馬成分ゼロ問題のようなものが存在し続けていました。
龍馬に興味が湧かないのです。どうしてこんなに人気があるのか、全然わからないのです。
早く死んだからかな。でもそれなら他にも早く死んだ志士はいるよな。いくらでもいるよな。
業績があるからかな。でも推してる連中の雰囲気や温度感からは、そういうの、あまり感じないな。
あの人達は、明らかに私には見えない何かを龍馬に見出し、好きになっている。そう感じるのです。
こういう謎を解消する場合、人気の源泉とされるコンテンツへアプローチするのが定石であり、
龍馬の場合は検証にうってつけのネタも 『竜馬がゆく』 『龍馬伝』 を筆頭に枚挙に暇がありません。
が、そういうものを見る気力も湧かないのです。見るべきと思った2秒後には忘れてるのです。
いわゆる逆張りの心が作動してるのではないと思います。ベタを避けたいのではないと思います。
当サイトはそもそも、京都のベタを写経するようなサイトです。ゆえに龍馬は本来、避けられません。
また、最近多いという 「龍馬、実は大したことしてない」 的な反感も、特にないと思います。
そもそも反感を持つほどよく知らないし。たとえ知ろうと思っても、意欲が秒レベルでしか保たないし。
アンチ/シンパ問わず発生する龍馬成分みたいなものが、どうやら私には欠けてるようなのです。
そんな塩梅なので私にとって龍馬という人は、空気のような人、ということになってしまいます。
業績はともかく、現在は後世の人の願望や夢想の風船と化した人、ということになってしまいます。
これは、いかん。流石に、いかん。京都観光に縁深き人物にこの扱いは、いくら何でもいかん。
そう思ったので今回、坂本龍馬の命日に京都霊山護国神社と霊山歴史館を訪れることにしました。
霊山護国神社は、言わずと知れた龍馬&中岡慎太郎を始めとする志士が眠る墓を守る社であり、
その向かいに昭和中期に出来た霊山歴史館は、昭和の龍馬ブームを体現する施設です。
龍馬の命日はもちろん神事や各種催しも行われているので、そのど真ん中を訪れることで、
龍馬のことと、龍馬に興味が湧かない自分のことを、わかろうとしてみたのでした。

霊山護国神社と霊山歴史館は高台寺の東奥にあるので、高台寺の鳥居から東奥へ向かいます。
鳥居前は、欧米系の異常増殖&修学旅行らしき姿がやたら多いこと以外はこれといった変化はなく、
また幼稚な観光ハイな風情は減ったものの別に程度が上がったわけでもなく、普段通りな景観です。
修学旅行生は、やはり霊山歴史館へ向かうんでしょうか。龍馬の命日は、やはり混むんでしょうか。

以前よくいた幼稚な中国人と全く同じ体の動かし方をする西欧系の餓鬼に何度か道を邪魔され
「阿呆は国境を越える」 「今では近隣系ヤンキーの方が行儀良い」 とか思いながら、頑張って登坂。
高台寺の表門には、霊山歴史館の看板が出てました。坂の上の雲ならぬ、坂の上の墓。しんどいな。
それにしても高台寺表門、こうして見るとまるで霊山護国神社の門のように見えますね。いいのか。

ねねの道と一年坂の交差点を過ぎて下河原駐車場の辺まで来ると、何となく車が激増。
この辺には広大な高台寺駐車場もあるので、車は多くて当たり前ですが、こう多いと何か笑えます。
坂の傾斜が強くなるためなのか何なのか、此処までは増える一方だった外人と着物人が一気に減り、
車、修学旅行生、何かしらの腐な方々、おっさん、そして単独の比率がどんどん高まってきました。

そんなややこしい連中とごちゃ混ぜで坂を登ってると、京都霊山護国神社の鳥居と石標に到着。
京都霊山護国神社。明治天皇の命を受けて靖国神社より早く創建された、日本最初の招魂社です。
維新に貢献した志士が眠る神葬墓地を管理することで知られ、一番人気の墓はもちろん、坂本龍馬。
鳥居前、やはり修学旅行生がたくさんいます。やはり、命日に合わせて行く子が多いみたいですね。

翠紅館跡の前に立つ、まるで廃仏毀釈遺跡みたいな石碑の寄せ集め。歴史を感じさせます。
が、江戸期には全てが終わっていた早期終末都市・京都に於いて、此処はさほど古い社にはあらず。
幕末志士の墓が出来たのは当然、幕末。霊山に神葬墓地自体が出来たのも、せいぜい江戸期中頃。
現在の神社の体裁が整ったのも昭和初期に入ってからであり、明確に近現代の社とは言えるだろう。

昭和初期に霊山護国神社が整備された理由は、言うまでもなく、大戦に向けた国威高揚だ。
一帯を英霊ゾーンとすべく、社の傍で高台寺の土地を使った京都忠霊塔の建設も計画されたという。
しかし戦後は全てが瓦解。空いた忠霊塔用地には、大戦犠牲者を慰霊する巨大な霊山観音が出現。
まるで高台寺駐車場の守護神のような霊山観音だが、そもそも出来た場所が高台寺ゆかりなのだ。

霊山護国神社の方は、招魂社ゆえ国民主権の戦後は懐が苦しくなり、霊山墓地も荒れ果てた。
その惨状を見かねた松下幸之助ら関西財界人は、高度成長の勢いも借りて霊山一帯を再整備した。
霊山歴史館とこの維新の道はその際新設されたもので、維新当時はこんな道なかったんじゃあああ。
・・・てなことを通りすがりのおっさんに絡まれて説教されたりするから、こういう所、来たくないんだよ。

もう帰ろうかと思いましたが、登坂したのが勿体ないので寄っていきます、霊山護国神社。
御覧の通り霊山歴史館とほぼ一体の社で、龍馬命日記念の催しに多くの人が集まってます。

龍馬像が迎えてくれた神社の境内は、高知を筆頭として龍馬ゆかりの地の物産展状態。
濃いめな方々は、当然多し。奥の方からは妙な絶叫も響いてます。妙な輩が暴れてるのかな。

絶叫に近付いてみると、龍馬名物・軍鶏鍋の呼び込みでした。鍋、もちろん私も食うぜよ。
志納制の軍鶏鍋は、味噌汁に鶏のつくねが入った感じ。美味いけど普通、普通だけど美味い。

食った後は、本殿も拝むぜよ。神前だからか、この辺はかなり清廉な雰囲気が漂ってます。
ちなみに昭和期の戦争碑の辺は、多くの人が地べたで軍鶏鍋食ったり酒呑んだりしてました。

食って拝めば、いよいよ龍馬の墓参りです。が、今から1時間後に墓前で神事をやるんだとか。
そっちの方が見たいと思うので、それまで神社の向かいの霊山歴史館で時間を潰そうかと思います。
霊山歴史館。正式名称、幕末維新ミュージアム 「霊山歴史館」 。名の通り、幕末維新の博物館です。
無論、暇つぶしだけで寄るのではでありません。此処の訪問も、今回の大事なミッションであります。

霊山一帯の歴史的風土を維持・保全すべく明治100年 = 1968年に創設された霊山顕彰会が、
志士の精神顕彰を通じて日本文化の振興&青少年の健全育成を果たさんと運営する、霊山歴史館。
軍鶏鍋食っても龍馬成分が全然湧かない私ですが、此処の展示を見れば龍馬に覚醒出来るでしょう。
入館料は、900円。だけど修学旅行生は、500円。なるほどね。館内、修学旅行生が大勢いるのかな。

受付で金を払い、 「またのお越しを待ってるぜよ!」 とか印字されたレシートをもらって、中へ。
入口近く、龍馬の暗殺に使われた剣だけ何故か撮影OKなので、記念撮影。小さいものなんですね。
館内はそれなりに客がいて、案内ツアーみたいなのもやってます。が、修学旅行生は全然いません。
というか、そもそも維新の道からこっち、見かけません。皆、あのおっさんに捕まってるんでしょうか。

展示は、普通。900円に見合うかはその人次第ですが、修学旅行で500円なら問題ないでしょう。
木製の砲とかは、割と楽しい。新選組の木刀とどっかの銃の重さを自分で確かめられるのも、ナイス。
なんですが、龍馬成分や血中幕末濃度みたいなのがゼロな私には、やはりどうにも楽しくありません。
「こういうの、お好きでしょ」 と言われても全く反応出来ないことが、何か段々申し訳なく思えてきます。

あまりに何も感じないので、その内、頭が関係あるようなないようなことを勝手に考え始めました。
現代に直結する本格的な龍馬ブームのきっかけは、司馬遼太郎 『竜馬がゆく』 と考えていいだろう。
『竜馬がゆく』 の時代がどういう時代かと言えば、高度成長の終焉と消費社会の成熟に向かう時代だ。
それは、ある種の未来が終わる時代でもある。少なくとも、あまり 「龍馬的」 ではない時代のはずだ。

未来が終わる時代は、来るべき未来よりも目の前の現在の方が遙かに楽しい時代、とも言える。
そんな安寧の中で、未来の狼煙を上げた龍馬。というより、架空の未来の旗印に担ぎ出された龍馬。
未来を絶たれたからこそ無限の未来を夢想させてくれる、龍馬。夢想としての未来を体現する、龍馬。
夢は終わらない。夢を見る寝床と暇がある間は。そして、夢の代金にされる本当の未来がある間は。

では翻って、直近の大きな波となった 『龍馬伝』 の2010年頃も、未来が終わる時代だったのか。
何らかの成長が達成され、爛熟し、代わりに未来を失ったのか。だからまた龍馬は注目されたのか。
いや違う。何をどう考えてもあの頃は、成長もなく失う未来もなかった。断言出来る。負の自信がある。
と思うが、ひょっとするとそれも間違いかも知れない。失うだけの何かは、実はあったかも知れない。

2010年頃、私達は幸せだったのかも知れない。認めたくはないが、幸せだったのかも知れない。
経済的には潤っていなかったが、情報社会の完成で何かが爛熟していたのかも知れない、あの頃。
震災とコロナで全てが吹っ飛んだ今となっては、それが何だったのか思い出すことさえ出来ないけど。
・・・てなことを考えながら展望窓から外を見ると、正気に戻りました。雲が出てきたから、もう帰るか。

いやその前に龍馬の墓に寄らなくてはいけません。もうすぐ神事が始まるという15時です。
神社に戻り、龍馬カードの切符を買い、自動改札みたいなゲートを通って霊山墓地に入ります。

で、墓まで近付くと既に濃いめの方々が集まってて、うわ~。

うわ~なので、高知を望むお二人さんだけ拝んで、すぐ退散。

拝んだら、今度は本当に帰ります。が、神社では龍馬命日祭をまだやってるみたい。

なので、軍鶏鍋、また食うぜよ。地べたで、食うぜよ。

先刻は御遠慮した酒も、今度は呑むぜよ。地べたで、呑むぜよ。

と、散々食って呑んで拝んで参っても、結局、龍馬的な何かを会得することは叶いませんでした。
やはり、私の中には血中龍馬成分のようなものが欠けてるようです。しょうがないので、もう帰ります。
が、そういえば維新の道で絡んで来たおっさんは、幕末志士埋葬の道についても色々と話してました。
幕末志士埋葬の道は、霊山のラスボス = 正法寺の参道 aka 霊山正法寺道のこと。一応寄っとくか。

現在はクローズド気味な正法寺、かつては東山一帯に多くの塔頭を構える時宗の大寺でした。
東山界隈で塔頭と言えば、これまた時宗の安養寺が展開した左阿弥などの遊興塔頭が有名ですが、
正法寺もかなり商売繁盛だったようで、志士が密談を交わした翠紅館も元々は正法寺の塔頭だとか。
生と性と聖と誠が入り交じるアジールとしての東山や霊山を、強く感じさせてくれる寺ではあります。

何でもあり状態な正法寺境内 = 霊山にて、江戸中期に神葬墓地を始めたのが、霊明神社です。
始めたけどあれがどうでこうで何代目がどうでこうでという話も、絡んできたおっさんは語ってました。
特別参拝をやってるので一応寄るかと思い、受付で呼びベルを押すも、中の人は出て来る気配なし。
中の人は何か異常に忙しそうで、私のことは全無視です。龍馬に全く興味ないのが、バレたのかな。

霊明神社が神道推しの長州とコネを持ってたためなのか、霊山で神葬されることになった龍馬。
数多の志士達と同じくその屍は、御覧の霊山正法寺道の坂を登り、神葬墓地へと運び込まれました。
それゆえ神道一直線な明治政府のお覚えもめでたく、遂には皇族の夢にも登場するに至るわけです。
死後とはいえ、偉い出世ですね。生きてる間に良い目を見たい私は、坂道を下り、現世へ帰ります。

坂道の途中には霊明神社の西奥都城があり、金ピカで新築感が全開な龍馬像が建ってました。
調べると、本当に数日前に出来たばかりとか。霊明神社が忙しそうだったの、それと関係あるのかな。
金ピカ龍馬像は、北向き。高知の方を向かせてやれよと思いましたが、それも違うのかも知れません。
未来を仮託される存在は、故郷に背を向け永遠に前進し続けるのが、正しい姿なのかも知れません。
京都霊山護国神社と霊山歴史館、客層は割と違います。
霊山護国神社は、単なる観光客も多いですが、半数以上は年齢不問で好き者らしき風情。
東山観光ついでに何となく立ち寄って軍鶏鍋を食ったりしてるような者が大半ですが、
茣蓙を敷いて座り込み、酒呑んでがっつり宴会状態の者達もいたりします。
座り込んで食ってる連中は男が中心で、いわゆる龍馬や軍が好きそうなタイプ。
女性も割といますが、概ね神社の写真撮ったりしてる人が多めです。
神葬墓地は、神社内とさほど変わりませんが、
意外にも好き者っぽい感じが減って、何というか、マジな感じな方が増えます。
一方、歴史館の客層は基本的に中高年の単独か小規模グループ。
おばさん2人組か夫婦ばかりで、後は案内を受けてる中高年団体。
単独は、枯れた腐女子風のおばさんとさほど枯れてない腐女子風の若い女、
男は単なるおっさんか基地外系という感じです。
そこに修学旅行生が入りますが、予想に反して子供は見かけませんでした。
龍馬の命日でどうこうという話は、特に聞かれません。
いずれも、龍馬 or 幕末 or 軍のファンでなければ面白い場所ではなく、
そもそも龍馬ファンが納得・満足出来るのかどうかも何かよくわかりません。
冷やかし気分で楽しむには、登坂で生じる肉体疲労が大き過ぎるし。
境内のフリマの雰囲気と軍鶏鍋の振る舞いの雰囲気は非常に良い感じですが、
誰にとっても好ましい雰囲気なのかどうかは、不明です。
よって、ひとりに向いてる度は★★★ということにしておきます。
そんな、京都霊山護国神社と霊山歴史館。
好きな人と行けば、より龍馬なんでしょう。
でも、ひとりで行っても、龍馬です。

京都霊山護國神社
京都市東山区清閑寺霊山町1
8:00~17:00 年中無休
京都市バス 清水道 or 東山安井下車 徒歩約10分
京都霊山護國神社 – 公式
霊山歴史館
京都市東山区清閑寺霊山町1
10:00~17:30 毎週月曜休館
京都市バス 清水道 or 東山安井下車 徒歩約7分
幕末維新ミュージアム「霊山歴史館」 – 公式

