墨染寺へ墨染桜を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。
墨染寺へ墨染桜を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。
墨染寺。通称、桜寺。
伏見区の墨染にある、桜で有名なお寺です。「ぼくせんじ」も「すみぞめでら」も、どっちもアリ。
風変わりな地名ですが、これは墨染寺名物である墨染桜に由来します。
891年、かつて深草の里と呼ばれ鶉が鳴く野辺だったこの地に、
太政大臣・藤原基経が葬られ、それを悲しんだ平安歌人・上野峯雄が詠んだ歌が
「深草の野辺の桜の心あれば 今年ばかりは墨染に咲け」。
その歌を聞き、当時この辺に生えてた桜は一斉に薄墨色に咲いたとか。それが、墨染桜。
何故か秀吉はこのエピソードが大層お気に入りだったそうで、墨染の地を何度も訪問。
のみならず、元は貞観寺という寺だった土地を日秀上人に与え、墨染桜寺として再興。
で、現在に至るかといえばそうでもなく、一時は多くの塔頭を抱えるほどの大寺に化けた墨染寺、
徳川期になると一気に凋落、縮小に移転を重ね塔頭のひとつに納まったのが、今の姿。
うっかりすると見落とすような商店街の一角で、桜目当ての客をひっそりと待ち受けてます。
夕刻、もはや花びらが舞い散りまくるその小さな境内へ、行ってみました。
墨染駅前商店街の並びの中に、ポツリとある墨染寺、山門。
かつてはこのあたり、京都・大津・宇治への街道の分岐点として人馬の往来が激しく、
宿場町が栄え、それに伴い芝居小屋や下級遊郭も賑わう一大繁華街を形成してたそうです。
かの大石内蔵助が実際に遊んだという撞木町の遊郭跡も、この近所。もっとも石碑しかありませんが。
墨染寺、境内と本堂。中に入ってみると、意外と広いです。
背後には、小野小町への百夜通いの途中で死んだ深草少将の邸宅跡・欣浄寺が建ってます。
本堂にかけられた、堂々たる「桜寺」の扁額。その下のガラス戸に映る、満開の桜。
我こそは桜寺だと。我以外は桜寺にあらずと。まるでそう言ってるみたいです。
「桜寺」と自称するのも納得させる、見事な桜。
その桜に「自重しろ」と言ってるのか「もっと咲け」と言ってるのかよくわからない、本堂前の日蓮像。
本堂の前には、二代目・中村歌右衛門寄進の「墨染井」と刻まれた御手水鉢があります。
墨染桜のエピソードや深草少将の悲恋話が歌舞伎芝居で大当たりしての寄進だとか。
肝心の墨染桜は、本堂向かって右側、境内の西側にあります。
墨染桜。多分。
全然黒くないですが、現物を生で見ると確かにうっすら黒い、気もします。
で、見るべきものは全部見て、夕方の花見、お終い。
賽銭と一緒に桜の花びらも集めてるタヌキに挨拶して、帰ります。
帰りには、琵琶湖疏水に立ち寄りました。こんなところも流れてるんですよ、疏水。
川沿いに植えられた桜が散り始め、花びらが絶妙な模様を水面に描き出してます。
この辺のもうちょっと下流には、疏水名物・インクラインもありました。墨染インクライン。
蹴上で線路や台車が残ってる、あれです。墨染のは跡形もなく消滅してますけど。
跡地はR24と化し、沿道では二郎系ラーメン「地球規模で考えろ」が行列を作ってます。知らんがな。
当たり前のように桜の下を自転車で通っていく人や、花びらを手で愛でる人とすれ違いながら、
しばし北へ歩き、このあたりは疏水と並走してる京阪の駅へ滑り込みました。
小さな幸せを感じる夕方というところでしょうか。
墨染寺の客層は、同類の写真撮ってる単独男がひとり、近所らしきおばちゃんがひとり、
帰り際にリーマン風のおっさんふたり、門を出た直後に単独ギャルひとり、以上。
今年はあちこちのメディアでこの寺が紹介されてるのを見かけましたが、
平日の夕方ならまだ、こんなもんです。
そんな墨染寺の桜。
好きな人と見たら、より墨染なんでしょう。
でも、ひとりで見ても、墨染です。
【ひとりに向いてる度】(客層表記について)
★★★★★
全くなし。
【条件】
平日水曜 16:50~18:00
墨染寺
京都市伏見区墨染町741
7:00~19:00
京阪電車墨染駅下車 徒歩3分
JR藤森駅下車 徒歩10分
近鉄伏見駅下車 徒歩15分