白川宵桜ライトアップへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年4月3日(日)

弁財天付近の宵桜
祇園の白川宵桜ライトアップへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

「かにかくに 祇園は恋し 寝るときも 枕の下を 水のながるる」。
言わずと知れた、歌人・吉井勇が祇園を詠んだ歌です。
祇園歌人として知られる吉井ですが、実はちょっとだけ八幡歌人でもあります。
と言い出すと、八幡市民による地元ゴリ押しと思われそうですが、実際そうです。すんません。
「かにかくに~」と詠んだ30年後、吉井は療養のために辺境の地・八幡へ転居します。
松花堂庭園の近くの寺・宝青庵へ寓居し、谷崎潤一郎や志賀直哉などの訪問を受けながら、
妻とのつつましい生活を『残夢』なる歌集にまとめたり、八幡音頭なるものを作詞したりしました。
文化的水準が極めて高い我々八幡市民は、そんな吉井勇を最大限にリスペクト。
新しく開発された地域を「男山吉井」と命名、彼の文学的功績を「生きた形」で讃え続けています。
では男山吉井はさぞ「かにかくに」な風流な花街かといえば、特にそういうこともなく、
どっちかと言えば「蟹角煮」な生活感の漂うちょっと良さげな住宅地だったりするんですが、
もちろんそんな狂った与太は全くどうでもよく、話はあくまでも白川のライトアップです。
「寝るときも 枕の下を 水のながるる」茶屋だったという「大友」など、
残っていたら値打ちものであったろう街並を、戦時疎開でぶっ潰して生まれた、白川南通。
その通をメインに、道沿いの桜をライトアップするのが、祇園白川宵桜ライトアップであります。

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東山祈りの灯りへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年3月17日(木)

東山祈りの灯り・幽玄の川
東山祈りの灯りへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

東山祈りの灯り。別名、元・京都花灯路。
東日本大震災の発生を受け、行灯の点灯自粛を決定した京都花灯路が、
被災者の哀悼の気持ちを込めて仕様を変更、開催期間の残り期間を消化するイベントです。
13日の時点では「送電は限界がある、節電するより客集めて募金したほうがいい」と、
行灯を点灯していた花灯路ですが、やはりというか何というか、結局は14日で通常開催を終了。
15日からこの東山祈りの灯りが始まりました。
変更点としては、とにかく派手なもんを慎む、追悼する、募金をする、という感じでしょうか。
花灯路の告知ブログには、批判のコメントとして
「今、強行する必要あるのか!コンビニの看板消してるんやぞ」などというものが残ってます。
私がこんな批判を言うとしたら、コンビニではなく自分の家の電気を消した時だと思いますし、
東京で停電を恐れる知人は「絶対にやめるべきではない」とさえ言ってます。
東山花灯路で使用する電気は確か、太陽光などのグリーン発電で作られてたと思うんですが、
それでも電気を使うことは悪ということなんでしょうか。よくわかりません。
もちろん、今、ギンギラギンな気分にはなれないというのはもっとも話ですし、
また、そんな時こそ大人はちゃんと遊んでお金を回さなくてはいけないんだとも思うんですが、
とにかく花灯路は祈りの灯りとなりました。その急過ぎる変わり身の妙、お楽しみ下さい。

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京都・東山花灯路2011へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年3月13日(日)

東山花灯路・二年坂
京都・東山花灯路2011へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

東日本大震災が発生した3/11から、2日目。
明治以来の観測史上最大、マグネチュード9という無茶苦茶な地震、
日本最高度の津波防災力を持ってたであろう三陸地方を一瞬で飲み込んだ津波、
そして天災によって引き起こされた人災である、原発の爆発事故。
阪神の時とは違い、いまだ災害の全容さえつかめないほど被災地は広範であり、
そして言うまでもなくそのほとんどの地域で電気を含むライフラインはストップしてます。
電力不足により、翌14日からは首都圏でも計画停電が行われることが、決定。
そんな状況の中、大量の行灯を点灯する閑散期集客行事・京都花灯路は、始まってしまいました。
ご存知のとおり、東日本と西日本では交流の周波数が異なるため、直接送電ができません。
周波数変換した上での送電量MAXは、100万キロワット。対して、不足は1000万キロワット。
どうにもならん、と。ならば敢えて開催し募金を集めようではないか、と考えての開催だそうです。
ただし、公式ブログでも翌日以降どうなるかわからんと明記されてますし、
現場で歩いてる時も「今日で終わりらしい」という声を何度も聞きました。
そんな花灯路、行ってきました。

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