下御霊神社の還幸祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年5月22日(日)

烏丸通を渡る御鳳簾
下御霊神社の還幸祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

下御霊神社。
京都御所の南東にあり、名前の通り御霊 = 怨霊を祀る神社です。
祭神は早良天皇を始め、この世に未練を残して非業の死を遂げた貴人の霊ばかり、八柱。
パッと見は、地元の人が梨木神社と同じ水源という名水を汲みに来る渋い神社ですが、
本当は極めてやんごとなき、そして恐るべきルーツを持つ社なのであります。
平安前期・貞観年間、都の人々は、都市化により熾烈を極めるようになった疫病に直面。
貴賎問わず襲い掛かるこの災厄を、人々は御霊によるものと考え、貴人の霊を慰める御霊会を開催。
怨念の直接的なターゲットであるため、ある意味民衆以上に怨霊にビビリまくっていた朝廷は、
この動きに呼応する形で神泉苑にてオフィシャルな御霊会を開催&年中行事化。
有名な祇園祭のルーツの話ですが、下御霊神社も同経緯で創始されたと考えられています。
例祭には、今宮のやすらい祭と同じく、いにしえの御霊会のテイストが色濃く残存。
神幸列のプレ祇園祭な剣鉾や山車が、平安期の祇園祭をイメージさせることも、多大です。
また興味深いのが、この神社の氏子区域。もともと上御霊神社と共に皇居の御産土神であり、
多くの御殿や公爵の邸宅が並んでたというこのエリアは、現在はバリバリの都心。
高層ビルと、昔のままの町家が入り混じる、京都ならではのオフィス街になってます。
そこを、平安装束の神職たちが鳳簾を押して歩く、シュールともいえる光景が展開されるのです。

川端三条の神輿列
13時頃に三条駅を出ると、川端通を曳かれた神輿が進むのが見えました。神輿写ってないけど。
馬が左折するのを、乗用車と警察と観光バスが見守ります。
下御霊の祭列は、午前中は区域の東側、午後は西側を巡幸。為念でいうと、ここは下御霊の東側。
神輿列のラストスパートに出くわした感じでしょうか。

孫橋通を進む神輿列
三条通の一筋上の孫橋通を進む神輿列。
町家とマンションと寺が入り混じる狭い路地をくねくねと進み、二条通へ出て、新洞小で休憩。
どうでもいいことですが、この先をくねっと行ったちょっと先に、柳湯という渋い銭湯があります。

下御霊神社前
神輿が休憩してる間に、寺町丸太町の下御霊神社の前までやってきました。
寺町通には露店がたくさん並び、その前では剣鉾が午後の部に備えスタンバってます。
剣鉾は神輿の露払い。本来は鉾差といって人が持って歩くもんですが、今日は山車に乗車。
当然神輿に先行して進みますが、両者のコースは結構バラバラで、奇怪です。

本殿+舞殿+大宮神輿
江戸時代に仮皇居の内侍所を下賜されたという本殿、その手前には大宮神輿が鎮座する舞殿。
神輿は、東山天皇より寄付されたものに修復を重ねた、京都金工の粋を集めたもの。
サイズも日本最大級。で、デカ過ぎて巡幸できず、奉安されるのみ。
境内にも屋台が並び、片隅に「アルバイト学生」と思いきり書かれた札が貼ってあったりします。

夷川通を西進する神幸列
14時、神幸列の午後の部が始まりました。
神社を出て寺町通を下り、家具屋が密集する夷川通を、剣鉾と鳳簾がひたすら西進していきます。

丸太町通を進む剣鉾
と思ってたらどっかでクイっと曲がり、見失なったかと思ったら丸太町通に出て来た行列。
右の森はもちろん、御所。カリブサンドが食いたくなる、雅な昼下がりです。
行列はまたすぐに左折、細かくクネクネと町内を回っていきます。

威儀組
巡幸は、ビジネス街のど真ん中、京都市の中で最も都市化されたエリアを進みますが、
歩く道自体はそこから一筋ずれた、氏子が待ち、昔の風情が濃厚に残る通がメインです。
町家の前を歩く、武者装束で固めた子供の威儀組。氏子学区の小学生の奉仕だとか。

猿田彦神輿
地元の人たちに出迎えられながら、細い通を進む猿田彦神輿。
この辺、家の前で神輿や行列が通るのを見るという、本来的な町衆の祭見物姿をよく見かけます。
追っかけて見物する人間はほぼ、皆無。というか、私と数人くらいでしょうか。

丸太町通を横断する神幸列
どこをどう進んでここに来たかは不明ですが、とにかく堀川近辺で丸太町通を横断する、神幸列。
ちなみに写真の右手には、京都のみならず日本中をそのネーミングセンスで震撼させた
「チャーミングチャーハン」 が控えてます。焼飯+チャーハンセット、健在です。

下立売通を横断する馬
下立売通を横断する馬。
ここをさらに先へ行った堀川通の西側に、驚異的なまでに値段相応の味で人々を震撼させた、
1個50円シュークリームの店 「マルノウチ洋菓子店」 が控えてます。適正価格、フォーエバー。

京都府庁前
やはりどこをどうやって来たのかわかりませんが、とにかくやってきた、京都府庁前。
相当大掛かりな行列なのに、どこへ行っても見物人は多くありません。
大きな道へ出るほど氏子らしき人が減るため、余計にその印象は強くなります。
露出が少ないためでしょうか。あるいは意図的に露出を避けてるんでしょうか。
確かに地の利は非常にエリアですから、観光化されると混雑が凄まじくなるとは思いますが。

寺町通へ帰ってきた神幸列
で、神社前の寺町通へ帰ってきた神幸列。
ここは人がいっぱい。といってももちろん、地元の人ばっかりです。
街のど真ん中でこれだけ地元密着テイストの祭りが行われてることも、凄くシュール。

室町竹屋町あたりの神輿
その頃、神幸列から1時間遅れて巡幸するという神輿は、どこかをどうにか進んで竹屋町通を東進、
室町あたりの「やまの」の前で、さし。女将さんたちが飲み物を差し入れしてました。

烏丸通を横断する神輿
で、神輿、烏丸通を横断。

ひたすら東進する神輿
神輿、馬、子供と並んで寺町通までひたすら東進し、

、差し上げされる若宮神輿
神社前と寺町丸太町交差点で、差し上げ。
差し上げが終わると天辺の鳳凰を外し、居祭りの大宮神輿の隣に鎮座して、終了でございます。

この祭、ルート図を手に入れて行列を追っかけるのもいいですが、偶然出会うとより面白いかも。
通の向こうをチラっと平安装束や馬が横切るのをチラ見するのは、実に味があります。
あえてルートを意識せず、ふらふらと町歩きをしながら、
新・旧そして日常・非日常が入り混じり、御霊ともそれとなく上手に付き合っていく京都のテイストを、
楽しむのも、よろしいんじゃないでしょうか。

客層は、何度も言ってるように、地元民ばっかりです。
多くが、家族連れ。ニューファミリー的なのはおらず、正に地元民という佇まいの人たち。
子供も多く、幼児から中学生ぐらいまでが、そこら中を走り回ってます。
見るからに観光客という人はほとんど見当たりません。
通りすがりで神輿などを見かけ寄ってる来る人はいますが、ついてくることはなし。
単独は、若干。男女とも、若干。カメラマンは、あまりいません。

そんな下御霊神社の還幸祭。
好きな人と行ったら、より御霊なんでしょう。
でも、ひとりで行っても、御霊です。

神饌
【客層】 (客層表記について)カップル:若干
女性グループ:0
男性グループ:0
混成グループ:0
小中学生:3
中高年夫婦:0
中高年女性グループ:0
中高年団体 or グループ:7(家族連れ、地元民)
単身女性:若干
単身男性:若干

【ひとりに向いてる度】
★★★
プレッシャーは特になし。
ただし、本当に観光客/他所者は少ないので、
アウェー感はかなり感じるかも。

【条件】
日曜 13:00~18:30

烏丸通を横断する馬
下御霊神社
京都府京都市中京区寺町通丸太町下る
授与所 9:00~17:00

市営地下鉄烏丸線 丸太町駅下車 徒歩7分
京都市バス 河原町丸太町下車 徒歩約2分
京阪電車 神宮丸太町駅下車 徒歩約5分

公式 下御霊神社

Wikipedia 下御霊神社