祇王寺へ紅葉を見に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年12月8日(木)


祇王寺へ紅葉を見に行ってきました。もちろん、ひとりで。

祇王寺
平家物語における白拍子祇王の悲恋伝説で有名な、奥嵯峨の寺です。
近江・野州で平家家人の娘に生まれるも、父が死に、母&妹と共に京都で白拍子となった、祇王。
その美しさと華麗な舞から、驕る平家全開&DQNモードの平清盛に寵愛され、
大金+名声+故郷の水不足を解決する祇王井川開削までゲットしますが、しかし、好事魔多し。
強硬に舞プレゼンを願う16歳の仏御前を、お情けで清盛にとりなしてやったら、
清盛一発で心変わり+祇王叩き出し+仏御前の余興のためだけに再度呼び出し&再度叩き出し。
「萌え出づるも 枯るるも同じ 野辺の草 いずれか秋に あわで果つべし」。
やっとられんわという思いでこのような歌を詠み、祇王&妹&母は洛外へ脱出+出家。
その出家の場所が、この祇王寺と言われてます。他にも諸説はありますが。
山里で念仏三昧の日々を送る尼母娘3人組には、祇王没落の原因となった仏御前も、のちに合流。
どうせ自分も、いずれ似た運命を辿るのだ。いずれか秋にあわで、果つるのだ。
愛欲の諸行無常を知る者同士で連携を深めた四人は、チームワークで念仏三昧へ没頭、
全員がめでたく往生を遂げたといいます。「われらも遂には仏なり」と。
愛欲の諸行無常にも、逆にDQN性質を発揮する権力・金力・精力にも無縁の独男には、
かなり関係のない寺ではありますが、とりあえず紅葉シーズンのラストですし、
一人で数時間座り込む女性がいるというディープさも面白そうなので、興味本位で出かけてみました。


自称門跡・壇林寺を華麗にスルーして、やってきた祇王寺参道。
当日は、雨。時雨。時雨の奥嵯峨は、渋過ぎるビジュアルを見せてくれます。
雨水滴る紅葉の向こうで、大覚寺との共通割引券の看板も侘な風情を見せること、甚だし。
祇王寺は現在、大覚寺の塔頭。なので、共通券も絶賛発売中。でも、両寺は結構、遠いですよ。


別に雨の日を狙ってやってきたわけでは、ありません。
興味本位と、ほとんど暇つぶしの気分で立ち寄ったんですが、それにしても雰囲気、あります。
暇つぶし気分で立ち寄ることができる値段の拝観料300円を払い、中へ。
あ、ちなみに共通券は大覚寺500円+祇王寺300円 = 800円が600円になり、もっとお気軽。


「時雨に煙る小倉山、特に祇王寺の時雨」。
そんなことが、受付でもらったパンフレットには書いてありました。素晴らしい、と。
時雨どころの騒ぎではない水びたし状態ではありますが、それでも確かに「ハズレ」な気は、しません。
人力車の兄ちゃんにガイドされた奥様方は、足元がかなり不安な感じでしたが。


「路に、庭に、草屋根に、そして竹藪にも、散り紅葉が重なって行く、音もなく」。
やはりパンフに書かれてます。この日の現場には、小降りの雨音がしとしとと響いていました。
ちなみに祇王寺、祇王が創建したわけではありません。祇王は、出家しただけ。
元々、通称です。そもそもこの地にあったのは、法然の門弟・良鎮が創建した、往生院という寺。


かつての往生院は、山上山下に広がる大きな寺だったそうです。
しかし、時を経るごとにどんどん衰退。祇王の伝説が残る尼寺だけが、かつての姿をとどめます。
が、その尼寺も明治初年には一旦、廃寺。残った墓と木像は、大覚寺に保管されました。
その縁で、明治中頃の復興の際、真言宗改宗&塔頭化&現在もお得な共通券が発売されてると。


明治中頃の復興では、当時の北垣国道知事が別荘の一棟を寄付。
かの富岡鉄斎、そして野州の人々も尽力したといわれ、寺名も正式に「祇王寺」となりました。
が、現代まで生きる「悲恋伝説の尼寺」としてのポジションを確固たるものにしたのは、
のちに庵主となった、元超売れっ子芸妓・高岡智照尼の存在が大きいのではないでしょうか。


「大きいのではないでしょうか」といっても、私、全然知らなかったんですけど。
ただ、「知らなかった」というのが当たり前というほど、昔の人というわけでもありません。
亡くなったのは、1994年。割と最近です。40前で出家され、半世紀に渡って祇王寺を再興。
「五十年の夢とりどりの落葉かな」。彼女が多く残した俳句のひとつです。


この高岡智照尼の出家までの人生が、まあ、凄い。
12歳で色街へ売られ、13歳で水揚げされ、14歳で三角関係のもつれから左小指を自ら切断。
東京・新橋へ移り「照葉」の名で芸妓デビューすると、赤坂の萬龍と名を競う超売れっ子に。
彼女を写した絵はがきは猛烈に売れまくり、今も残る現物が、当時の人気の勢いを伝えてくれます。


絵はがきに写る「照葉」は、確かに凄まじく魅力的です。
和ロリ全開で人形のような、美貌。そして、それとは正反対のハードコアな「事件」の噂。
究極とも言えるオッサンホイホイ属性であり、西園寺公望など政財界の好き者たちも、ホイホイ吸引。
18歳で政界フィクサーの愛人をやったりと、もう無茶苦茶です。


その後彼女は結婚、映画女優や文筆業にも手を広げ、
さらには旦那の不倫・自分も不倫・自分だけ同性愛・自分だけ自殺未遂などの末、離婚。
人生リセットを考え、出家。高岡智照尼と名を改め、昭和9年、薦められて祇王寺へやってきます。
当時の祇王寺は、建物こそ再建されたものの、人が住まない荒れ果てた寺だったとか。


時の権力者の寵愛を集める白拍子から、仏の道へ入った祇王。
そして、超売れっ子芸妓から仏の道へ入った高岡智照尼。どうにも、イメージが重なります。
ゆえに智照尼はちょっとしたスター庵主となり、「悲恋伝説の尼寺」祇王寺の認知度を高めました。
あ、こんな人ですから、もちろんかの瀬戸内寂聴も小説のモデルにしてます。『女徳』というの。


高岡智照尼、在命中は割と普通に訪問客とも会ってたそうです。
検索すると「会った」という話が散見され、中には祇王寺でサイン入りの著書を買ったという話も。
昭和の中頃、まだ「絵はがき」の記憶がある人が多かった時代には、
庵の奥に彼女の姿を求め、興味本位全開できょろきょろのぞく人の姿が絶えなかったとか。


智照尼が亡くなってから十数年経った現在では、
ここへやってくる興味本位男といえば、阿呆で暇な独男くらいでしょうか。
そういえば、一人で数時間座り込む女性なんて、いなかったな。そもそも雨で、座れないしな。
「お帰り口」の字が、凛として追い出しにかかってるように見えました。

客層は、中高年女性が大半。
人力車で来て、兄ちゃんに参道歩きを手伝ってもらい、境内もガイドしてもらう人、多し。
観光客ばかりですが、遠来ではなく、大阪など近隣圏のおばちゃんグループが多いかなと。
雨のせいか人出は全然ですが、それでも定期的にタクシーが停まる音が境内に響き、
その度に客がやってきます。少ないながら、途切れずに来る感じでしょうか。
おばさんたち、観光ハイはないですが、おばさんなので普通にうるさいです。
カップルは、いません。というか若い人間自体が、いません。
あとは、会社帰りではないでしょうが、でもそんな感じがするリーマン男と、
おしゃれでも金持ってそうでもないおひとりさま、そしてカメラマンと変人の単独男。

そんな晩秋 or 初冬の雨に濡れた祇王寺。
好きな人と行ったら、より諸行無常なんでしょう。
でも、ひとりで行っても、諸行無常です。

【客層】 (客層表記について)
カップル:0
女性グループ:0
男性グループ:0
混成グループ:0
修学旅行生:0
中高年夫婦:2
中高年女性グループ:7
中高年団体 or グループ:若干
単身女性:0.5
単身男性:0.5
【ひとりに向いてる度】
★★★
色気・人圧ともプレッシャーはないが、
浮いてる感は否めない。
天気が良い日はどうだか、知らない。

【条件】
平日木曜 15:10~16:20

 

祇王寺
京都市右京区嵯峨鳥居本小坂32
9:00~17:00

京都市バス or 京都バス
嵯峨釈迦堂前下車 徒歩約15分
嵐電 嵐山駅下車 徒歩約20分
JR嵯峨野線 嵯峨嵐山下車 徒歩約22分

祇王寺 – 公式

祇王寺 – Wikipedia