車折神社の三船祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2012年5月20日(日)


車折神社の三船祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

嵐山には、昭和の匂いが残っている。
時にそんなことを、私は感じます。率直に言えば、何かちょっと古いなと。
メジャーな観光地として、ソフト面もハード面もそれなりに更新は行われてるわけですが、
小手先のバージョンアップでは左右されない、土地固有のレベルで昭和感が残存してるというか。
貴族の遊興地としての歴史を持つと共に、丹波との水運の要所でもあり続けた嵐山が、
完全に庶民相手の観光オンリーで食っていくと腹を決めたのは、案外最近なのかも知れません。
それこそ、昭和の頃とか。なので、昭和テイストが何となく残ってるのかな、みたいな。
毎年秋に行われる 「嵐山もみじ祭」 の、40年ほどタイムスリップしたような昭和全開ぶりや、
バブルの頃に林立したタレントショップの唯一の生き残りが美空ひばり記念館だったことを思うと、
どうでもいい印象や思いつきに妙な確信を感じたりするんですが、あなたどう思いますか。
「もみじ祭」 とは逆に、春、五月第三日曜に開催される車折神社の例祭延長神事・三船祭もまた、
そんな 「昭和の観光」 の残り香のようなものを、ちょっとだけ感じさせてくれる神事です。
近年パワスポとして益々名が高い車折神社の御神霊を、新緑眩しい嵐山へ運び、
王朝絵巻さながら水上にて多種多様の芸能を奉納するという、嵯峨ならではの雅な祭。
しかし、始まったのが昭和初期のためか、どちらかといえば近過去寄りの観光モード感が漂い、
どちらかといえば中高年以上の世代が喜ぶコンテンツに満ちたイベントだったりします。
優雅と言えば、極めて優雅。かったるいと言えば、残念ながら、かなりかったるい。
そんな三船祭、混雑で日和気味ながら、行ってきました。昭和生まれの平安、ご堪能下さい。
あ、一応言っときますが、三船祭、三船敏郎とは何も関係ありません。


やって来ました、12時半の車折神社、の芸能神社
芸能人が奉納した玉垣が並ぶことで知られる、車折神社の最有名ポイントであります。
が、三船祭はあくまで、清原頼業を祀る車折神社本殿の祭。芸能神社のためではありません。
車折神社が立つ場所は、嵐山から1キロちょっと。行列は、ここから出発するわけです。


で、本殿では、出発のための 「お出ましの式」 を執行中。
神のように勉強が出来たという、平安末期の貴族にして儒学者の、祭神・清原頼業
その御神霊を牛車へ遷御するべく、神職のみならず舞人や稚児も参列して、神事が行われます。
時ならぬ雅な装束に、観光客は大喜び。それにしても狭い境内、人間だらけです。


神事が終わり、絹垣でガードされながら牛車へ向かう、御神霊。
勉強関係はもちろん、売掛回収や良縁成就にまで御利益のある、パワフルな神であります。
機嫌を損ねると大変ということで、敬意を表すべく本殿正面の中門を通るのは、この御神霊のみ。
他の者は一人残らず東側の手水所横から退出。それにしても狭い境内、人間だらけです。


第三鳥居の付近では、行列がセッティングしてます。
天皇が乗る牛車の轅を折り、「車折大明神」 の神号を下賜された神、牛車へ乗車。
牛車、飾られている花は実に美しいんですが、引っ張る牛の剥き出しな人形っぷりが、何か、怖い。
移御が済むと、行列は第二鳥居跡を通り、外へ。それにしても狭い境内、人間だらけです。


ジャスト13時、行列は巨大な一の鳥居をくぐり、出発。
鳥居前で待ち構える大勢の見物客の前を右折、そのまま三条通へなだれ込みます。
あ、写真に写ってるの、三条通です。人間で埋め尽くされてるため全然わかりませんが、路上です。
三条通へ入った行列は、二車線の片側を使用して、ひたすら西進、一キロ先の嵐山へ。


道が混み過ぎてるため、前へ回れず、後尾を尾け続けてるの図。
車折神社、三船祭を始める以前は、子供神輿などが出る普通の例祭をやってたそうで、
屋根の上から粽を撒いたり、神輿のルートも小まめだったりと、ローカルな風情があったようです。
とはいえ現在の行列も、この辺は追尾する人も地元の方が多く、雰囲気は割とネイティブ。


何とか行列前方へ出ようと迂回すると、結局桂川左岸へ出たの図。
観光客の車にガン見されたりしながら、平安装束の皆さん、普通に川端を歩いてます。
行列は、さらにこのまま真っ直ぐ西進、「桂川」 が 「大堰川」 になる渡月橋まで、ひたすら前進。
背景が真っ白に見えるのは、写真がヘボいからではなく、あなたの心がカラッポだからです。


増え始めた土産屋にたむろするベタな観光客たちに、
「今日来て、正解」 とナルシスティックな満足感の福音を授けながら、巡行する行列。
ちなみに車折神社の頓宮、この近くにあります。渡月橋北詰、桜餅の 「琴きき茶屋」 が、そう。
誰もが目にするポイントながら、何故か全然目立たない所。私も写真撮るの、忘れました。


その頓宮をスルーし、13時半、人間だらけの渡月橋を渡る行列。
橋の下の大堰川には、既に何隻もの奉納船が浮かんでるのが、見えるでしょうか。
ちなみに、三船祭が始まったばかりの昭和初期は、頓宮はおろか、祭の準備をするところもなく、
やむをえず嵐亭、当時はまだ川崎男爵の別邸だった家を借り、直会などもやってんだとか。


堰の手前にて、神のお越しをスタンバってる、奉納船。
写真に写ってるのは、扇流船でしょうか。足利尊氏の故事にちなんだ 「扇流し」 を行う船です。
奉納船のラインナップとしては、文字通り龍頭鷁首を演出する龍頭船&鷁首船、今様を行う今様船、
地唄や小唄を歌う小唄船に、祇園連船などなど、その数は実に20数隻にも及ぶんだとか。


行列は、渡月橋を渡った先の松風閣で準備して、右岸から船へ。
御神霊も、地元小学校から選ばれた舟人に先導されて、神の乗る船・御座船へ移御。
神主と舟人が共に乗り込んだ御座船は、奉納船が集う左岸へ進み、14時、三船祭は始まりました。
あ、御座船がどれか、わかりにくいですか。右の方の、屋根がやたら立派な船が、そうです。


わかりやすさを大事にするため、御座船、アップ。
船の前方、写真だと左側に、舟人役の子供二人が乗ってるのが、わかるでしょうか。
何で左岸へ行かず、わざわざ右岸から撮ってるのかといえば、逆光がしんどい+暑いからです。
この辺の大堰川は、真東へ流れてます。なので、左岸の日当たりは、良過ぎ状態。


龍頭船で舞が始まろうとしてる様を、望遠で撮るの図。
龍頭鷁首のうち、龍頭船は御覧のように舞、鷁首船は献茶船として茶を担当します。
茶道三千家のいずれかが、年毎の交替で奉仕するそうです。右岸からだと、全然見えませんが。
といって、あの大混雑+直射日光浴びまくりエリアへ行く気は、微塵も起きないし。


御座船前の奉納は、御座船そのものに隠れて全然見えんなとか、
他の船も何やってるのかさっぱりわからんなとか思ってるうちに、扇流し、始まりました。
足利尊氏が自ら建立した天龍寺へ参詣した際、お供の童子が誤って扇を川へ落としたものの、
川面を流れるその様がかえって風流だと喜んだ故事に因む、三船祭最大の売りです。


京都扇子団扇商工協同組合がバックアップについていて、
扇の提供のみならず、公募で選ばれた十二単や和服のきれいどころも多数招待します。
で、優雅に、扇流し。流された扇を拾うと、唄に舞踊、絵や習字など芸能各種が上達するんだとか。
扇が超簡易仕様なのは、尊氏の扇も超簡易仕様だったことに因む、というのは大嘘です。


もちろん、こんな感じのちゃんとした扇も、流されます。
風流です。それこそ間違って落とした扇にしか見えない気もしますが、風流です。
こんなもん大量に流して、ゴミ大丈夫かと思われるかも知れませんが、もちろん扇は環境対応。
でも、拾うボート客が大量にいるんで、下流にはあんまり流れなかったりするんですけど。


こんな、感じで。10個以上拾う人も、ザラです。
遠目からだと結構スタイリッシュに見えた扇、寄ると思いっきり、宣伝文句が書いてあります。
「やっぱり、京都のもんが、よろしいなあ」 by 京扇子。たくさん拾って、何に使う気なんでしょうか。
流す側の着物女性方も、調子に乗ってくると 「ほらよっ」 と、扇を投げたりしてました。


奉納船は、ずっと御座船のまわりにいるわけではありません。
しばらくすると、川のあちこちを優雅に移動し、右岸へ寄ってくれる船もあります。
舞担当の龍頭船も、御座船での奉納が一段落したのか、私のいるあたりへ来てくれました。
奉仕してるのは、原笙会の方々。多分。違ってたら、ごめん。子供、可愛い。


胡蝶の舞など永遠のヒットチューンを舞う、龍頭船。
どうでもいいことですが、三船祭、進行はかなりユルいです。というか、ほとんど無進行。
何せ雅さが売りですので、船が爆走するような派手はアクションは全くなく、全てがスローモード。
このユルい流れこそが、平安というより実に昭和というか、ナチュラルレトロというか。


女の子たち、船の中では和気藹々と子供らしい顔をしてるのに、
舞い始めた途端、一転してきりっとした表情になり、憂いさえ大人の顔になります。
よろしいなあ、とかとか思いながら見てましたが、そうこうするうち終了時刻が近づいてきました。
少しは左岸の様子も見ておきましょうか。日差しや混雑も和らいだでしょうし。


と思って左岸へ行くと、船遊、終了中でした。
上流の方でぐるっと周遊を楽しんだ御座船は、他の奉納船と共に左岸へ着岸。
またしても絹垣で厳重にガードされながら、御神霊は吉兆前の嵐山通船乗り場へ上陸されます。
これより弁慶やら嵐月の前を通って、琴きき茶屋横の頓宮へお入りになるわけです。


平安装束と、昭和的服装が多めの観光客が入り混じりながら
行列は大堰川沿いをしばし行進、16時半過ぎに無事頓宮へ入御されました。
中では終了式が斎行されてますが、完全クローズ。外からは何やってるのか、全然見えません。
なので、ひょっとして桜餅が奉納されてるのかどうかも、一切わかりません。


頓宮は、いわば神様の休憩所。いずれは、本社へ帰るわけです。
が、特にそれらしき動きはありません。が、しばらくすると、頓宮前に軽トラが停まりました。
荷台に剥き出しで載ってるのは、龍頭鷁首船の龍頭&鷁首。なるほど、神様も車で移動するのか。
やはり昭和だなあとか思ってると、軽トラ、どっか行きました。神様、どうやって帰るんでしょう。

客層は、基本的には普段通りの嵐山です。
貧乏な観光客の若者と中国人が多く、当然ながら、どいつもこいつも観光ハイ。
おまけに、祭に偶然出くわしたことでさらにハイになってる輩も、多数お見受けしました。
三船祭目当てで来てる感じの人間はあまりおらず、休日の嵐山としてごく普通に混んでる感じ。
観光ハイ+恋愛ハイのカップルはもちろんいますが、数的にはさほどでもありません。
むしろ、落ち着きのない消費者づらした中年夫婦多い感じでしょうか。その他の属性も、似た感じ。
人の迷惑を考えない体の動かし方をする方が多いので、歩いてて、結構疲れます。
単独は、男はカメと好き者、女はおひとりさま系がほんの少しいるくらいでしょうか。
車折神社境内は、おおむね同じノリで、中国人は思いっきり増やした感じ。

そんな車折神社の三船祭。
好きな人と行けば、より昭和なんでしょう。
でも、ひとりで行っても、昭和です。

【客層】 (客層表記について)
カップル:2
女性グループ:1
男性グループ:1
混成グループ:1
子供:0
中高年夫婦:1
中高年女性グループ:1
中高年団体 or グループ:2
単身女性:若干
単身男性:1

【ひとりに向いてる度】
★★
色気のプレッシャーはそこそこだが、
古典的な観光ハイが濃厚で、単純に疲れる。

【条件】
日曜 12:30~16:30


車折神社
京都市右京区嵯峨朝日町23
通常拝観 8:30~17:30
嵐電 車折神社駅下車すぐ
京都バス or 京都市バス 車折神社前下車すぐ

嵐山
京都府京都市右京区嵯峨
終日うろつき可能
阪急嵐山駅下車 徒歩約8分
嵐電嵐山駅下車 徒歩約5分
JR嵯峨野線嵯峨嵐山駅下車 徒歩約15分

金運・良縁・厄除け・学芸の京都【車折神社】
初詣/パワースポット
– 車折神社公式

車折神社 – Wikipedia