三栖神社の炬火祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2012年10月7日(日)


三栖神社の炬火祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

かつて京都の南には、巨大な池がありました。
その名を、巨椋池四神相応の朱雀にあたり、平安京の背山臨水を実現した池です。
実際にはあまりにも巨大過ぎ、池というより湖と呼んだ方が正確なサイズを誇ってましたが。
おまけに、桂川・宇治川・木津川の合流点+遊水池機能を持つため、そのサイズはかなり、可変。
池の周囲には、広範囲にわたって沼地や湿地帯ばかりが広がってたと伝えられてます。
現在は怖いダンプやトラックがバンバカ走りまくる伏見西部・横大路のあたりも、かつては、沼地。
「鳥や小動物が住む所」 という意味の 「栖」 の字を名前に含んだ中書島の西隣・三栖もまた、
巨椋池とほぼ同化した宇治川の氾濫に見舞われ、葦ばかり生える湿地帯だったとか。
それが、秀吉による伏見港開港+宇治川改修で、集落が発生+往来も活性化。
さらに時代が下ると、運河・高瀬川が開通。さらにさらに時代が下ると、巨椋池自体が干拓
さらにさらにさらに時代が下ると、既に方向幕も出来てたという地下鉄延伸の話はどうなったとか、
京阪も新駅開設とか言ってたあの話はどうなったとかいう話になるんですが、それはともかく。
とにかく、現在は普通の住宅地に時折古い町家が混じる、渋くていい町となってる、三栖。
そんな三栖にあって、「葦ばかり生える」 頃の名残を留めるのが、その名も三栖神社の炬火祭です。
あり余る葦で巨大松明を作り、それを燃やすという、シンプル&ストレートな火祭、炬火祭。
オーソドックスといえば実にオーソドックスな火祭ですが、市街地の路上で大炎上をやるため、
いろんな意味でワイルドかつショッキングなビジュアルが楽しめる祭であります。
そんな炬火祭、火傷しそうな勢いを感じながら、見てきました。


炬火祭会場の最寄駅は、京阪電車の中書島駅です。
中書島駅は、伏見の酒蔵寺田屋の最寄り駅でもあります。ゆえに駅前には、酒樽と龍馬。
ひと駅隣の伏見桃山では御香宮神社宮入をやってて、その見物を中座して、やってきました。
駅の改札を出たのは、19:54。炬火祭は、20時スタート。果たして、間に合うでしょうか。


とか言いながら2分後に到着した、炬火祭会場の三栖会館前。近い。
御香宮の祭に人が流れてるかと思いきや、全然そんなことなく、周囲はびっしり見物人だらけ。
辺りには、点火用の手炬火が燃えてるのか、気分を高揚させる火の匂いがうっすらと漂ってます。
東山普門太鼓が打ち鳴らすハードな祭り太鼓も、ワイルドな火祭気分を盛り上げまくり。


祭り太鼓の奥の方、ローソン前で点火をスタンバってる、巨大炬火。
見ての通り、デカいです。この狭い街中をどうやって運んだんだと思うくらい、デカいです。
点火を目前に控え、炎上防止用の水を延々とかけられ中。濡れるだろ or 湿るだろ、という勢いで。
あまりにあんまりな水の量が、却って凄まじい勢いの燃えっぷりを期待させてくれます。


20:02、炬火が横倒しにされ、先頭にお多福面がつけられました。
炬火、先頭は傘の方ではなく、茎の方のようです。つけるのが何故お多福なのかは、知らん。
とにかく神の依り代らしい顔が出来た炬火は、担ぎ手に曳かれ、いよいよ点火場所へ移動を開始。
あ、全く関係ないことですが、この辺にあった 「ラーメンひよこ」 、一体どうなったんでしょう。


20:06、炬火が道の真ん中まで出てきました。
「ラーメンひよこ」 がなくなった後に現れた 「つけ麺きらり」 の前で、点火体勢に入ります。
「きらり」 が修行で休店した時は、この辺のラーメン屋は 「三喜」 だけになると焦ったもんですが、
そんなどうでもいい懸念と関係なく、炬火はぐるっと回転し、祭り太鼓は盛り上がる一方。


で、ぐるっと回転した炬火の傘の方に、手炬火が点火。


炬火、一瞬で大炎上。


炬火、さらに大炎上。


炬火、さらにさらに大炎上。
火災級に燃え盛りながら、両サイドに木造家屋が多く建つ竹田街道を北上し始めました。
と同時に、後からは曳かれた神輿が、登場。三栖神社の祭神・天武天皇の魂を乗せた神輿です。
天武天皇とは、そう、壬申の乱とか、伊勢神宮とかの、あの天武天皇でございます。


後から見ると、自身が燃えているようにも見える、神輿。
何で三栖が天武天皇を祀るのかというと、壬申の乱の際、大海人皇子としてここを通ったとか。
大友皇子との決戦に臨む皇子を、当時の村人たちは篝火を焚き、暗夜を照らして歓迎したそうです。
炬火祭はそれが由緒、と。実際は、江戸期の伊勢講ブームから生まれたという話もありますが。


炬火と神輿には、もちろん大勢の見物人がゾロゾロと付いて行きます。
付いて行くのみならず、火除けの御利益があるという燃えカスを、皆がしゃがんで拾いまくり。
道路が埋まる大混雑の中、小さい子供も必死で拾ってるため、思わず踏みそうになること、しばし。
それにしても、この道は市電が最初に開通した道のはず。廃止前は、どうしてたんでしょうか。


炬火は、伏見土木の前まで来ると、一旦停止。
ぐるっと一回転して、火力調整の水を延々とかけられながらも、大炎上。


その場に立てられ、さらに大炎上。


炬火と別の方向からシューシューという音が聞こえたので、
どっかでまた炬火が燃えてるのかと思ったら、清掃車が早くも道路を水掃除してました。
あ、市電の廃止前はこの火祭、途絶してたそうです。戦後に一旦途絶し、復活したのは平成元年。
途絶する前の炬火ルートは、三栖神社御旅所→さっきの点火場所というものだったとか。


京橋上で、止まりそうにない勢いの燃えっぷりを見せてた炬火ですが、
隣の橋からその威容を眺めようと移動した途端、一気に水がかけられ、鎮火されました。
類焼時間は、約15分ほど。結構、あっけない。炬火の茎の部分は、まだまるまる燃え残ってます。
あんまり延々と路上炎上するわけにもいかんという話でしょうか。見物人もどんどん、退散。


道路上はあっという間に清掃され、現場には燃え尽きた後の片付け感が充満。
しかし、炬火祭自体は終ったものの、このあと、ちょっとだけさっきの神輿が巡幸します。
葦を活用した炬火は、元来、貧しい農村では神輿が作れないために生まれたものだそうですが、
氏子圏の宅地化が進んだためか何なのか、現在の神輿は御覧のように、かなり立派。


20:45頃、担がれた神輿は、天武天皇提灯に導かれ、巡幸スタート。
かつて炬火が練り歩いたという道を、三栖神社御旅所へ向けて、西進します。


2分ほど担がれては、10分ほど休憩する、神輿。
壕川のほとりにある御旅所の手前でも、御覧のように一旦、休憩。


で、21:05頃、御旅所へ進入する神輿。
あ、三栖神社の本社は、ここからさらに西へ行き、外環をちょっと進んだとこにあります。
「外環」 を正しく読むことが出来れば、あなたも本物の京都人です。いや、嘘です。


御旅所へ宮入して、差し上げも行われる、神輿。
こちらの御旅所、正式名称は金井戸神社というそうですが、境内にその名は見当たらず。
提灯には 「三栖宮」 の文字、鳥居の扁額には思いっきり 「三栖神社」 の文字。不思議であります。
こうして神幸も、終了。来週は、神獅子や稚児行列も加わって、還幸が行われるわけです。


帰り際、御旅所近くの渋いレンガ倉庫も見物しました。
詳しくは知りませんが、この倉庫、炬火用の葦を保管して、乾かすのに使ってるそうです。
いかにも昔の変電所っぽいルックスをしてますが、もとは京都電燈の送電所として建てられたとか。
さっきの竹田街道をかつて走った日本最古の営業電車にも、電気を送ってたんでしょうか。

客層のメインは、地元 or 近所風の烏合の衆です。
カップル・女性グループ・観光客風は、少なめ。というか、かなり、絶無。
コアな奴、ディープな奴は、さほどおらず。終わったあとに駅へ向かう人も、少なめ。
親子連れ、暇そうな若い男、どこまでもやってくる暇なカメラマン、そんな感じの客層でしょうか。
単独は、男はもちろん、カメ。女は、近所風以外は見かけません。

そんな三栖神社の、炬火祭。
好きな人と行ったら、より炎上なんでしょう。
でも、ひとりで行っても、炎上です。

【客層】 (客層表記について)
カップル:若干
女性グループ:微
男性グループ:1
 (地元風 or 近所の学生風)
混成グループ:微
子供:1
中高年夫婦:1
中高年女性グループ:微
中高年団体 or グループ:5
単身女性:0
単身男性:2

【ひとりに向いてる度】
★★★★
色気的にも人圧的にも、プレッシャーの類はない。
ディープだが、ディープな閉鎖感はない、伏見テイストの祭。
リアルに古い町並みの中で大火が燃え上がるという、
濃い目のビジュアルが、割と気楽に楽しめる。
ただ、本当にすぐ終わるので、あんまり期待すると、
拍子抜けするかも知れない。

【条件】
日曜 19:55~21:10


三栖神社 炬火祭
毎年10月第2日曜 開催

京阪電車 中書島駅下車 徒歩約2分
京都市バス 中書島下車すぐ

金井戸神社 (三栖神社御旅所) 
京都市伏見区三栖向町773-1
拝観自由

京阪電車 中書島駅下車 徒歩約6分
京都市バス 中書島下車 徒歩約6分

三栖神社とは – 三栖向町町内会

三栖の祭り情報 – 三栖神社祭礼実行委員会