六波羅蜜寺のかくれ念仏へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2012年12月13日(木)


六波羅蜜寺のかくれ念仏へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

かくれ念仏。正しくは、元かくれ念仏。
今は隠れてません。今も隠れてたら、見れませんから。
近年に公開されるまで、実に800年に渡り六波羅蜜寺で秘儀とされてきた、かくれ念仏。
その正式名称は、空也踊躍念仏。空也とはもちろん、口から小阿弥陀を吐いてる、あの空也です。
飢饉&疫病による放置死体がそこら中に転がっていた平安中期の京へ現れ、
仏の教えのみならず、火葬による防疫や架橋などの実用的な知恵も民に説いた、空也上人。
「阿弥陀聖」「市聖」「市上人」などの呼称で幅広い帰依者を得ましたが、
さらに念仏をわかりやすく伝えるため、上人は踊念仏を開発。それが、空也踊躍念仏の始まりと。
上人の建てた西光寺がルーツの六波羅蜜寺は、当然空也をモストリスペクトしており、
阿弥陀吐き空也像はもちろん、上人自刻という本尊十一面相観音像も1000年の永きにわたり保持。
さらには、鎌倉の念仏弾圧時代に入っても「上人の教えを捨てるわけにはいかぬ」と、
あの手この手を尽くして、こっそりと念仏をキープオン&キーピングオン。
まともに「南無阿弥陀仏」とやったら即座にとっ捕まるのため、言葉面を巧みに変容させ、
いつでも中断してトンズラできるよう構成にも工夫を凝らし、独特の踊り念仏を生み出しました。
以後、念仏弾圧の時代が過ぎても空也踊躍念仏は隠れ続け、そのまま現代へ至ります。
昭和53年、重要無形文化財に指定されたのをきっかけとして、
元来の「民と共にある念仏」の姿を取り戻そうと、一般公開が開始されました。
なので、元かくれ念仏。もちろん、こっそり行く必要もありません。
おまけに、念仏の拝観だけなら、無料です。


「轆轤町」などの地名が残る、元は葬地の六波羅
この地にあって、幾多の時代の変遷をかいくぐり生き残ってきた六波羅蜜寺は、
現在、六原小学校の建替工事をかいくぐり中。工事で寺宝の空也像が揺れると、揉めてました
そもそも小学校の土地は、明治の上地まで六波羅蜜寺の領地。諸行無常であります。


六波羅蜜寺は、かつては広大な境内で知られたそうです。
狭い敷地に本堂と宝物館がキチキチに詰まってる現在からは想像ができませんが、
しかし今のささやかな佇まいこそが、空也上人に西光寺として創建された時の姿に近いんだとか。
「そういうこっちゃ」と言わんばかりの顔で参拝客を出迎える、入口そばの弁財天堂・獅子。


同じく参拝客を出迎える、 十一面観音菩薩像。
本尊である十一面観音菩薩像を模して作られた銅像。模したものながら、照りが美し。
「民衆の寺」と名乗るだけあって、狭いながらも境内には様々なご利益アイテムが並んでます。
右は、いかめしい顔ながら愛嬌のある存在感を放っている、撫で牛。


六波羅といえばもちろん、平家
ドラッギーな表情が怖過ぎる寺宝の清盛像はあまりにも有名ですが、
境内にも清盛の塚なんてのがあったりします。隣には、阿古屋塚。その傍には、鎌倉時代の石仏。
あ、もちろん清盛像は撮影禁止なので、写真は玄関のポスターを撮ったものですよ。


かくれ念仏が始まるのは、薄暮である16時頃。
私が寺に着いたのは、14時頃。時間があるので、宝物館へ入ってみました。
弁天堂そばの土産販売所の受付でチケットを買い、本堂へ上がり、裏へ回り込みます。
六波羅蜜寺には何度となく来てますが、宝物館へ入るのは初めて。なので、道、間違えました。


受付のおっちゃんに半券をもぎってもらい、中へ。
まずは六波羅蜜寺名物・空也上人立像を、拝見。撮影禁止ゆえ、暗黒で失敬。
背後でモニタが説明映像を流してるんですが、そこに写る顔と表情が全然違うというか。
下から見上げると、上人の顔はまるで苦悶とエクスタシーの両方に満ちてるようにも見えます。


続いて、清盛像。至近距離で見ると、それほど怖くないなと。
それより鬘掛地蔵が、美しい。優美な造形と、手に持つ髪のギャップが、何かたまらん。
やっぱり、実物をちゃんと見なくちゃいかんな。有名だろうが何だろうが、見るとちゃんと発見あるな。
でも、この量で600円はちょっと高価いな、とか思いながら退出。


相当ゆっくり寺宝を見たつもりでも、時間はまだ14:45。
かくれ念仏にはまだまだ暇があるので、本堂向拝の彩画をわけもわからずしばし眺める。
小さい子供が「じんじゃー、じんじゃー」と叫んでました。確かに、そう見えるわな。


それでも時間がつぶれないので、近所をうろつきます。
フォント化してほしい「災害魔」の字や、「糞害に憤慨してます」の看板に感銘を受けたり、
昭和の匂いが残る階段を登ったりするうち、結局東山図書館へなだれ込む。
何故か内澤旬子のガンの本を読み、はまりかけた頃に15:40になったので、再び寺へ。


15:50の寺入口前。何じゃ、この人の多さは。
旗振ってるガイドに率いられて、中高年の団体さんが本堂へ入っていきます。
「うわあ」とか思いましたが、観光全開というより関西圏の信心深い人たちという感じでした。
例年なら、15:40分頃からぼちぼちと人が集まり始める感じでしょうか。


で、15:55ごろには100人ほどが集まる、みたいな。
かくれ念仏初日にあたるこの日は、150人から200人くらいの入りでしょうか。
会場である本堂は、最前列こそ埋まりますが、座る場所が確保できないということはないでしょう。
ただ、念仏を踊る内陣は低い場所なので、あんまり後とか横にいると見えませんよ。


16時前あたりから、住職の解説が始まります。
かくれ念仏に先立って、その由来、そして空也上人についての話をしばし。
天気が良いのでまだ外は明るいが本来は弾圧を避け薄暮の頃から始めるものの件、
創建当時は疫病で都が死々累々になった件、空也上人が火葬など防疫の技術を流布した件など。


弾圧回避のため念仏がいつでも中断できる構成になってる件、
今年は本尊開帳の年であり特製のお守りを作ってるのでそっちもよろしくの件なども話した後、
念仏の締めに連呼するフレーズの「モーダーナンマイトー」を、全員で練習。
「モーダー」とは念仏の変形ですが、空也上人が遊行の際に言った「詣で」の変形でもあるんだとか。


で、かくれ念仏、スタート。あ、本堂内は当然、撮影禁止です。
職衆4人と導師がキンキラキンの内陣へ入り、まずは普通のお勤めを開始。
般若心経を普通に詠んだり、導師が空中に梵字を書くような仕草をしたりするうちに、
全員によるオンアボギャーの光明真言連呼となり、雰囲気は徐々に「かくれ」な世界へ。


妙なる念仏と、六斎念仏的な歌と鋲が鳴り響きます。
二歩進んでは膝をかがめながら、台壇の周囲を左めぐりで行進する職衆たち。
そして法悦が充分に高まった頃を見計らい、「モーダーナンマイトー」と5拍子での連呼へ突入。
「モー」 「ダー」 「ナンマイ」 「トー」 を1拍ずつ頭を伏せて言い、ラスト1拍で頭を上げ鉦を打つ、と。


「モーダーナンマイトー」の途中、突然音が鳴り、終了。
瓢箪を割る音だそうですが、私のところからは音もビジュアルも確認できませんでした。
とにかく本当に途中で突然終わり、職衆は逃げるように内陣から退散。
最後に導師が客と共に「モーダーナンマイトー」を7回連呼して、かくれ念仏、終了でございます。


終わった後は、普段は入れない内陣でお参り。
3人ずつ並んで台壇の前に座り、焼香して、その横へ退出し御札がもらえる、という流れ。
結構、時間かかります。私が御札もらって外へ出たのは、ちょうど17時直前。
定時退寺したいのか、寺の人が門を閉め始めてました。

客層は、大半が中高年。
中高年の女性グループと各種グループが多く、若者は圧倒的に少ないです。
先述の通りツアー客もいますが、信心深そうな人が多いため観光テイストは割と薄め。
とはいえ、六道まいりのような地元メインのディープテイストも特にない感じ。
単独は、ディープ寄りな女性と、変な男が若干いたくらいでしょうか。

そんな、六波羅蜜寺のかくれ念仏。
好きな人と行ったら、よりモーダーナンマイトーなんでしょう。
でも、ひとりで行っても、モーダーナンマイトーです。

【客層】 (客層表記について)
カップル:微量
女性グループ:若干
男性グループ:0
混成グループ:0
修学旅行生:0
中高年夫婦:3
中高年女性グループ:3
中高年団体 or グループ:4
単身女性:微量
単身男性:微量
【ひとりに向いてる度】
★★★★
色気的にも人圧的にも、そして宗教的にも、
特にプレッシャーやアウェー感はなし。
ただ、六道まいりのような噎せるほどのディープさを期待すると、
肩透かしをくらうかも。

【条件】
平日木曜 14:00~16:50


六波羅蜜寺
京都市東山区五条通大和大路上ル東
通常拝観 8:00~17:00

京都市バス 清水道下車 徒歩約7分
京阪電車 清水五条駅下車 徒歩約7分
阪急電車 河原町駅下車 徒歩約15分

かくれ念仏 (空也踊躍念仏)
毎年12月13日から31日まで厳修
(但し、12月31日は非公開)

六波羅蜜寺 – 公式

六波羅蜜寺 – Wikipedia

六波羅蜜寺・空也踊躍念仏 – 京都新聞