平野神社の桜花祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2014年4月10日(木)


平野神社の桜花祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

平野神社の周囲はかつて、辺り一面が長閑な農地だったそうです。
住宅地&西大路通&そこを通る立命●●学生に囲まれる現在からは想像が困難ですが、
佐野藤右衛門分厚い桜本によると、実に昭和初期に至るまで農村の雰囲気は残ってたとか。
へ~、という話ではあります。ただ 「元農村」 が全く想像つかないかといえば、そうでもありません。
すぐ隣の北野天満宮には、道真以前から五穀豊穣を祈願する雷神信仰が存在したというし、
秋のずいき祭に登場するずいき神輿などは、正しくこの地の旧来の風土性を現在へ伝えるものです。
で、そんな 「農」 or 「土」 なこの地の歴史と性質を感じさせてくれるもう一つのエレメントこそ、
当の平野神社の名物 or アイデンティティ or レゾンデートルとして有名な、桜ではないでしょうか。
「平凡苗字神社」 と、当サイトで阿呆なタグをつけてるほど平凡な苗字の如きその名に反し、
桓武天皇によって平安遷都と同時に奈良から勧請された、極めてロイヤルな由緒を誇る、平野神社。
名物の桜もまた、花山天皇による手植えに始まるという、ロイヤルな由緒を誇るものであります。
応仁の乱の際には、西軍の拠点に近いため一度は社殿や領地ごとズタボロと化しましたが、
江戸期に至ると、宮司として社の再興を果たした西洞院時慶が、現在のベースとなる桜苑を整備。
さらに近くの西陣が織物で隆盛を誇り始めると、西陣に密着した桜の名所として、発展を果たしました。
故にというか何というか、私にはいかにも京都的な 「街中の桜」 に見える平野の桜ですが、
戦後すぐの頃は桜樹を取っ払って芋が植えられたというくらい、元来この土地は肥沃なのであり、
桜も芋も育んだその肥沃さは、農地に囲まれてたかつての時代に醸成されたものかも知れません。
そんな平野神社、桜シーズンの真っ只中に、祭を開催してます。その名もずばり、桜花祭。
花山天皇の時代に始まったとも言われてる祭礼を、大正期に復活させる形で開始されたこの祭は、
恐らく明治の上知以前の神領地だったエリアを、古式に則った祭礼列が回るというもの。
都市化された元の農地を、まるで桜を育んでくれた礼をするように、神が巡幸するわけです。
そんな桜花祭、ユルく追尾すると共に、桜苑もユルく鑑賞してきました。


西土居通 (?) を北上し、平野神社へ向かって 「さくら通学路」 を歩いてるの図。
向かって左が、平野神社境内。おこぼれ桜、という感じでしょうか。って、境内も入場無料ですが。
「さくら通学路」 、名前看板よりも 「桜樹保存と境内清浄化の為、犬の散歩すんなゴラァ」 の看板や、
写ってませんが 「マンション建てんなゴラァ」」 看板の方が強いインパクトを放ってる辺り、味。


で、12時半過ぎくらいに到着した、桜花祭開始直前の平野神社、鳥居のど真ん前。
桜が咲きまくる参道には行列待ちの人間が既に大勢並び、正に花道よろしく真ん中を空けてます。
アナウンスでは、行列の巡幸がすぐに始まるの件、この祭は由緒ある神社の由緒ある祭であるの件、
参道をもっと開けてくれの件がアナウンスされ、すんませんと脇に逸れて行列の背後から境内へ。


で、本殿前してる奉仕者が、役職ごとにコールされ 「おうっ」 とか答える声を聞いたり、
馬があるので鳥居近くでスタンバる武者に見物人が押しかけるのを見たりして、待つことしばし。


で、13時、行列が出発。


出発する行列を、石垣の上から撮ろうとして怒られたり。


鳥居前で撮ろうとしたら、中国人だらけで何も見えなかったり。


でも、武者は馬に乗ってるため、よく見えたり。
結局、中国人&枝垂れ桜でほとんど何も見えないまま、行列は出て行きました。


最初は追尾する気がなかったので、行列出発後、私は休憩所の桜湯で休憩。
桜湯、銭湯ではございません。味付けした桜の花びらを、湯へ投入したものです。一杯、100円。
花びら、カウンターに山盛り状態で置いてあり、それをおばちゃん達が一杯ずつ湯へ入れるのが、味。
桜型の干菓子150円と共に、味わうことしばし。桜湯の味は、うっすら塩味。無論、花びらも完食。


参道で行列を見送った人は、ほとんどが桜苑に直行します。
もちろん、私も桜苑へ。花吹雪が文字通り吹雪く中、タダ見桜を拝ませてもらいましょう。


花吹雪が吹雪く桜苑と、桜苑の謎の名物である熊。


花吹雪が吹雪く桜苑と、桜苑の謎の名物であるパンダ。


花吹雪が吹雪く桜苑と、桜苑の謎の名物である鹿。


と、もっぱら謎の動物メインで桜を見てると、外から太鼓の音が聞こえました。
近くを回ってるのかと思い、西大路通へ出て見ると、現代的なビルを借景として、行列。


平野神社の西門を借景として、鬼。


なか卯およびリカマンおよびきぬかけの道を借景として、行列。


再び西大路通を借景として、鳳輦。


神社裏で一旦休憩してから再出発した、行列。


またまた西大路通および犬を借景として、行列。


中央信用金庫およびわら天神前の標識を借景として、行列。


家の前で拝む人が増えた狭い道を借景として、行列。


公園および馬を眺める子ども達を借景として、武者。


千本通およびタクシーを借景として、鳳輦。


一番出迎えが多かった上七軒を借景として、行列。


北野天満宮東門前を借景として、駕籠。


そして16時前、行列は平野神社へ帰着。お疲れ様でした。
桜を育んだ農地の残り香、行列の借景から感じることはできたでしょうか。


で、帰りますが、その前にもう一度、花吹雪が吹雪く桜苑。


花吹雪が吹雪く桜苑と、桜苑の謎の名物である猪。


花吹雪が吹雪く桜苑と、桜苑の道を埋め尽くす花吹雪の花びら。


と、桜を見てると、雅楽が聞こえてきました。本殿へ行ってみると、遷霊中。
現場では普通の光景に見えましたが、写真だと妙に浮き世離れしたビジュアルであります。


と、遷霊ものぞき見したところで、いよいよ本当に退散します。
帰り際、休憩所を眺めると、桜湯が16時で終了済。夕方行く方は、気をつけましょう。

桜花祭、境内の客の大半は、ツアー客の中高年と中国人です。
どちらもいわゆるツアー客的なツアー客であり、特に中国人は異常なくらい多し。
また 「よかったね」 「正解だね」 といちいち選んだ自分を褒めたいタイプの奴が、非常に多し。
ネイティブテイストは、限りなくありません。地元の方もそれなりにいますが、影が薄いというか。
カップルもまた、ツアー客と中国人の影に隠れてしまってます。他の層も、概ねそんな感じ。
混成グループは、9割が中国人で、残りは西洋系。境内の中国語率と標準語率、異常に高し。
単独は、カメ。老若問わず、カメ。ただし、女性はかなり少なめでした。

そんな平野神社の、桜花祭
好きな人と行けば、より桜花なんでしょう。
でも、ひとりで行っても、桜花です。

平野神社の夜桜を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。 (2011)

【客層】 (客層表記について)
カップル:1
女性グループ:1
男性グループ:若干
混成グループ:2
子供:微(修学旅行生)
中高年夫婦:1
中高年女性グループ:1
中高年団体 or グループ:4
単身女性:微
単身男性:若干
【ひとりに向いてる度】
★★★
桜がもう少しショボければ、★★かなと。
今回がたまたまそうだった可能性も考えられるが、
ヌメっとしたいやらしい観光ハイが、狭さも相まってキツい。
色気とは違う傾向のプレッシャーで、何か、アウェー。

【条件】
平日木曜+桜盛り過ぎ 12:45~16:30


桜花祭
毎年4月10日 開催

平野神社
京都市北区平野宮本町1番地
通常拝観 6:00~17:00 夜桜は22時まで

京都市バス 衣笠校前下車すぐ
嵐電 北野白梅町駅下車 徒歩5分
 

桜の平野神社 – 公式

平野神社 – wikipedia