新熊野神社の神幸祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
「新」 と書いて、 「しん」 と読まずして、 「いま」 と読む。
「本当」 と書いて 「マジ」 と読む類の話ではありません。新熊野神社の話です。マジです。
平安末期、陰謀&戦乱で忙しい後白河法皇が、その忙しさへ追い打ちをかけて熊野信仰へハマり、
何十回と紀州熊野詣を行うも気が済まず、京都・若王子へ熊野神を勧請するもまだ気が済まず、
より 「なう」 感覚を導入するかの如く、院政の舞台・法住寺殿の鎮守として創建された、新熊野神社。
清盛らが担った造営に於いては、リアル熊野がある那智の砂が運び込まれたという説もあるなど、
後白河院個人のオブセッションを強く反映される形で創建された印象のある社ではあります。
が、後白河院亡き後もこの社は、現在では想像できない広大な社領&荘園を持つ社として、継続。
また、熊野は修験道の聖地でもある為、新熊野社に於いても多くの山伏が旺盛な活動を展開。
さらに室町時代に至ると、観阿弥&世阿弥親子による猿楽能を、足利義満がこの社で初めて見物し、
能が幕府の庇護を受けるきっかけとなった 「能楽発祥の地」 としてのエピソードも、有名でしょう。
応仁の乱の兵火で一時 「わず」 状態へ陥りますが、江戸期に入ると聖護院などの力を借りて、再興。
「いま」 は、すっかり宅地化した今熊野の氏神的存在として、ネイティブで強い信仰を集めてます。
そんな新熊野神社が毎年5月5日のこどもの日、年に一度の例大祭として執行する神幸祭は、
千年単位のロイヤルな由緒と、 「なう」 な現在進行形の信仰の両方を、垣間見させてくれる祭です。
子供の神輿&マーチングバンドが登場するあたりは、実に宅地のネイティブ祭という感じですが、
氏子域の巡行にあたって神が乗るのは、一般的な神輿ではなくクラシックな鳳輦と、極めてロイヤル。
また聖護院との深き縁に因むのか、山伏による神仏習合全開な行列同行+鳳輦への読経もあり、
さらには獅子舞の演舞も大々的にフィーチャーするなど、賑やかで面白い祭となってます。
そんな 「いま」 の神幸祭、のんびり拝ませて頂きました。
12:50、京阪東福寺駅からしばし歩き、鳳輦出立時刻前の新熊野神社前へ着いたの図。
周辺の新熊野ならぬ今熊野商店街から神社までは、露店がバンバカ出て、実に祭な賑わいです。
が、門前およびその境内は、それなりに賑わってはいますが、出立前の騒がしさが感じられません。
あっ、もう出たか。と思ったら、目前の道 = 東大路の右 = 北の方から、掛声が聞こえてきました。
で、声の方へ向かうと、東大路から醍醐道へ進入する子供神輿に遭遇。
というわけで、こちらも醍醐道へ入り、巡幸する鳳輦を拝ませてもらおうと思います。
と思ったら、醍醐道が狭過ぎて鳳輦が上手く拝めず、その先で山伏集団に遭遇。
さらにその先で、沿道にいる人をやたら積極的にお祓いする巫女集団にも遭遇。
で、狭い醍醐道を神人+見物客で埋め尽くしながら進む、鳳輦。
日吉町方面へのさらに狭い道へ入り、さらに埋め尽くしながら進む、鳳輦。
窯の多い日吉町を通り、山伏による読経ポイントへ入る、行列。
神仏習合全開で読経する山伏と、それを見守る風流全開な女官。
で、読経ポイントでは休憩が取られ、その間に演舞を行う獅子が登場。
獅子舞、近くの民家でも軽く門付をこなした後、3匹の獅子で演舞を開始。
道が狭いので車がバンバカ通る中、3匹は迫力ある演舞を展開。
睨み合う様に、子供から 「怖い」 という声が上がるほどの演舞を展開。
で、巡行が再開され、住宅地全開な氏子域を進む先導所役の図。
先導所役と共に進む、子供たちによる毛槍&挟み箱の図。
行列は剣神社へ到着、鳳輦はスロープのある横の鳥居から境内へ向かうの図。
で、子供神輿は手前で停まり、それ以外は正面鳥居から進入。また読経+休憩であります。
剣神社。今熊野の旧名とされる鳥戸野の鎮守社として、その中心を占めてきたとされる神社です。
新熊野よりも昔からこの地に鎮座する神である為、新熊野の神も挨拶で立ち寄る感じなんでしょうか。
現在の剣神社は、由緒は知りませんが、子供の神。ゆえに、門前も境内も子供で溢れ返ってます。
で、境内でも山伏は鳳輦に読経し、それを女官が見守るの図。
門前では、またも獅子舞が激しい演舞を展開するの図。
獅子舞、神社本殿の前でも演舞を奉納するの図。
スチールドラムの音が聞こえると思ったら、ここから子供マーチングバンドが同行。
行列は奉納を続ける獅子舞に構わず出発し、東大路へ直行し、一旦南下。
行列が進入した東大路の歩道は、露店と見物人で、大混雑。
泉涌寺道でUターンした行列、ここまで巡幸してる藤森神社の神輿と、ニアミス。
で、子供と露店でごった返してる新熊野神社へ帰還した、鳳輦。
鳳輦がまるごと本殿の中にまで入り込む形で遷霊に入る、神。
遷霊からしばらくの後、本殿前ではまたも獅子舞が奉納で、演舞。
神木+人間+露店でごった返す境内でも、獅子舞は激しく、演舞。
で、獅子舞奉納が終われば、祭は終了でございます。お疲れ様でございます。
新熊野神社、最近は 「能楽発祥の地」 を積極的にアピールすべく境内にあれこれ出来てるんで、
その辺も見て行こうかと思ってたんですが、周辺は露店と子供でまだまだごった返してるので、パス。
後白河法皇お手植えと伝わる樹齢900年の樟の木 = 樟大権現にお祈りだけして、帰りましたとさ。
新熊野神社の神幸祭、客層は徹底的に地元の身内関係がメイン。
祭日であることと、 「子供の神様」 こと剣神社が絡む為か、子供が非常に多し。
他は、親子連れと年寄りの見物人が、過半数。この3パターンが全てという感じです。
案外と新興住宅地になってる今熊野ですが、雰囲気はとことんネイティブ感が漂い、
同じ住宅地でも左京区あるいは伏見区のようなテイストは、希薄に感じました。
カップルの姿は、ほとんどなし。せいぜい若い夫婦風を散見する程度。
また巡行ルートの大半が普通の住宅地である為、通りかかりの若者層もほとんどなし。
単独は、カメ爺と物好き系の男が若干いる程度。女は、ほぼいません。
そんな新熊野神社の神幸祭。
好きな人と行けば、より 「なう」 なんでしょう。
でも、ひとりで行っても、 「なう」 です。
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【客層】 (客層表記について) カップル:微 女性グループ:若干 男性グループ:微 混成グループ:超微 子供:3 中高年夫婦:1 中高年女性グループ:1 中高年団体 or グループ:5 単身女性:0 単身男性:若干 |
【ひとりに向いてる度】 ★★★ 色気や人圧のプレッシャーは、ほぼ絶無。 雰囲気はかなりネイティブだが、アウェー感はさほどない。 ただ子供が多い為、不審者モード爆発状態になる可能性あり。 【条件】 |
新熊野神社 神幸祭
毎年 5月5日 開催
新熊野神社
京都市東山区今熊野椥ノ森町42
通常拝観 自由
京都市バス 今熊野下車 徒歩約2分
JR奈良線 or 京阪電車
東福寺駅下車 徒歩約8分
新熊野神社 – 公式
新熊野神社 – Wikipedia