中村軒で、栗を食べまくってきました。もちろん、ひとりで。

2016年10月21日(金)


中村軒で、栗を食べまくってきました。もちろん、ひとりで。

稲作が伝来する以前の縄文時代、日本人は、を主食として食ってたそうです。
収穫が比較的容易な場所に生え、イガを除けば採集も比較的容易な形で落ちてくれる、栗。
生で食え、火を通せば抜群に美味く、粉にすれば調理の幅も拡がり、更には保存も出来る、栗。
最大の魅力たる甘味が弱味になる可能性こそありますが、主食たる条件は充分にクリアしており、
ゆえに縄文期の遺跡からは人工的な栽培の痕跡さえ見つかってしまう、 「樹穀」 なわけであります。
この栗食の記憶、実は、現代人にも継承されてるんだとか。無意識の底で、息づいてるんだとか。
栗食の潜在記憶が、トロイの木馬の如く発動する為、我々は秋になると、栗を食いたくなるんだとか。
与太な話、と思われるでしょうか。しかし私は、何かしら納得出来るものを、感じなくもありません。
確かに栗は、妙です。特に現在の主食・米との関係性に於いて、他の果物と比べ圧倒的に、妙です。
この世に数多ある果物の中で、栗だけがほぼ唯一、米飯に対するがっつりとした侵入に成功し、
「栗ごはん」 or 「栗赤飯」 として、晩飯のメニューにも登板が可能な認知度を誇ってるという、謎。
同じ秋の果物仲間でありながら、梨ごはんも、柿ごはんも、葡萄ごはんも、そして蜜柑ごはんも、
決して到達することが出来ないマジョリティの地平に、栗ごはんだけが立っているという、謎。
豆を無理にでも果物扱いしない限り、栗が誇るこのぶっちぎりの独走状態は、説明がつきません。
栗には、何かがあるのではないか。今は 「果物」 のふりをしてるが、何かがあるのではないか。
何なら、 「御厨」 の読み仮名が示す様に日本の食の根幹にさえ繋がった、何かがあるのではないか。
日本人と食の問題を真摯に考え続けてきた当サイトとしては、この問題を看過出来ないと判断し、
米を依代とする手法を用いて栗の神秘にアプローチしようと考え、今回、桂の中村軒へ出かけました。
中村軒世界の名勝・桂離宮の畔にあって、かつら饅頭&麦代餅が名代として知られる名店です。
餅そのものの美味さで知られる中村軒ですが、秋になれば栗ぜんざいなど栗アイテムも多数、登場。
で、これら栗と餅の合体メニューを食いまくることで、 「主食の国譲り」 の謎へ迫ったのであります。
そう、これはあくまでも、新たなる挑戦なのです。当サイトが当サイトである為の、挑戦なのです。
断じて、秋になると栗記事2本のアクセス数が不穏なまでに良いので、3本目の泥鰌を狙い、
また同時に、秋口の餅の美味さも堪能しようと思って出かけたのは、ありません。


食欲のみに突き動かされた状態で、妙に修学旅行生が多い阪急に乗り、13時半、桂駅に到着。
中村軒の最寄駅は、この桂駅。なので、桂離宮の最寄駅も当然ながら、この駅ということになります。
が、それに見合った雅さは駅の周囲に徹底的になく、昭和の郊外感溢れる景観が展開されるばかり。
中村軒への道中も、単に住宅地。少し残った畑が、この地の元来の姿を感じさせてくれる程度です。


とはいえ、しばらく歩くと古い家を見かけるようになり、その内に、桂離宮の敷地前にも到達。
「日本にエヴァがあってよかった」 とか言いたくなる、案内看板あり。単に昭和丸出しとも言えますが。
桂、当然ながらこの桂離宮が最大の名所ですが、舟運や街道の要衝としての側面も、強く持つエリア。
舟運は、丹波からの木材の津として繁栄。街道は、今歩いてるこの山陰街道が、栄えてたわけです。


すぐ傍を流れる桂川に設けられた渡船 「かつらのわたし」 から、地名が生まれたという、桂。
その渡船ルート = 桂大橋の前で、街道客に饅頭を売ってきたのが、こちらの中村軒。到着しました。
明治期に建てられたという店は、自分のものでもないのに何か自慢したくなるような、素晴らしい風情。
桂離宮客や修学旅行生とかが押し寄せてたらどうしようかと思ってましたが、大丈夫みたいですね。


山陰街道を渡ってやってきた、店の前。 「くりもち」 「栗赤飯始めました」 の張紙が、光ります。
中村軒、基本はカウンターがある普通の餅寄りな和菓子店ですが、奥には飲食が出来る茶店もあり。
カウンターがある店先のすぐ後に、床机が並ぶ形でも茶店スペースはありますが、メインは奥の和室。
「茶店、空いてますか」 と訊ねると、普通に 「どうぞ」 と、奥へ通されました。で、靴を脱いで、奥へ。


奥の奥には椅子席があるそうですが、入ってすぐの所にひとり向きな座卓があり、そこへ着席。
茶店和室の雰囲気は、至って普通です。客層も、桂離宮客だらけということが全くなく、至って普通。
西京極・長福寺での久邇宮家賀陽宮家東伏見宮家の法要では、饅頭が使われたという、中村軒。
ダイアナ妃も桂離宮にてここの餅を食したそうですが、ロイヤルな堅苦しさはなくて、実にほっこり。


茶店のメニューは、にゅうめんの軽食を軸に、茶漬、餅類と抹茶のセット、ぜんざいなどがあり。
今日の私は、栗を食いまくるべく来たので、栗ぜんざい+栗赤飯+栗蒸し羊羹をオーダーしました。
栗もちと栗大福も行っときたかったんですが、ぜんざいと赤飯のボリュームが不明なので、腹が不安。
また、餅類は中身の絵が欲しいんですが、箸などで割るのが難しいので、お持ち帰りにしましたよ。


で、しばし待った後、オーダーした栗メニューの数々が、ふたつの盆に分けられて運ばれました。
手前が、御覧の通りの、栗赤飯。右側に見切れてますが、奈良漬などが香物として添えられてます。
奥の盆の左側、餅が椀から溢れそうなまでに自己主張してるのが、栗ぜんざい。こちらも、香物付き。
そしてその右側、竹皮で包まれて黒文字が付いてるのが、栗蒸し羊羹です。さあ、食べよ、食べよ。


まずは、栗ぜんざい。数個入ってる大きめの栗は、栗本来の味と食感を前面に出したタイプ。
嘘っぽい柔らかさではなく、柔らかさと共に野菜的な食感もあり、自然の風味を感じさせてくれます。
甘さは、薄め。ナチュラルで上品な仕上がりの餡と一緒に食べると、当然ながらジャストバランスです。
そして、餅が素晴らしい。ストロングながらしなやかで、凜とした餅。美味しい、というかもう、美しい。


続いて、栗赤飯。こちらの栗も、基本的にはぜんざいと同じ路線ですが、甘さは若干前景化。
赤飯はオーソドックスな感じで、小豆もまた自然な味わい。栗本来の味を楽しめる 「おこわ」 ですね。
うどん+赤飯をよく食う者としては、出汁気 or 塩気が欲しくなりますが、そこに香物がジャストフィット。
昆布も美味いですが、奈良漬はもっと美味し。アルコール感が、何故か栗とマッチしてて、もう最高。


栗蒸し羊羹も、一気に食ってしまいましょう。竹皮を剥いた羊羹、その真ん中には大きな、栗。
剥く途中、竹皮の裏側に羊羹が少し残りました。竹皮を巻いた状態で、蒸し上げられたわけですね。
こちらもまた品良い仕上がりで、普通の羊羹にあるもっさり感はなし。洋菓子的な軽さがあるというか。
鄙の率直さを感じさせつつも、品良く、そしてしなやか。こちらの和菓子に共通した特徴と思います。


などとグルメぶったことを、実際には言う暇がない勢いで食いまくり、完食。ああ、美味かった。
全部食うと、まだ少しだけ腹に余裕がありました。栗もち&栗大福、この勢いのまま、行ってしまうか。
いや、やっぱり大福系は怖いし、割り絵も難しいしな。と考え、この店の名物の麦代餅を、追加で注文。
麦代餅、ノーマルとミニサイズがありましたが、価格差は僅か。頼んだのは無論、ノーマルの方です。


で、運ばれてきた、ノーマル麦代餅。餡を挟み、その上から黄粉をかけた、平べったい餅です。
それだけの仕様であり、味もその通りな味なんですが、その食感は極めて、独特。特に餅が、独特。
極めてハード&ストロングでありながら、ゴリ押し感や田舎テイストが一切ない、極めて異色な餅です。
黒文字で食えるような柔な餅では全くないので、手で直接、つかみ食い。美味い、美味い、美味い。


で、麦代餅を食って流石に満腹となった為、少し腹を楽にして、和の風情を楽しむこと、しばし。
栗アイテムを茶店で完全制覇したいという人は、腹に余裕を作り易い椅子席へ座るのが、いいかも。
因みに、私がひとりで栗と餅を食いまくってる最中、2組の客が後客として入り、2組共先に帰りました。
ぜんざいなど一品を頼むパターンが、多いみたいです。栗の食べ尽くしに挑む者は、全然いません。


しかし私は、まだまだ食いますよ。というわけで、栗もちと栗大福を1個ずつ、帰り際に購入。
勘定は、店内の飲食分が2000円弱で、栗もちと栗大福が600円弱。共に、カウンターで支払います。
栗赤飯が存在感を放ってたカウンター、見てるだけで幸せになるので、じぃ~っと眺めること、しばし。
店先には、実に程良い数の客が途切れずやってきて、観光客風には茶店での抹茶を勧めてました。


で、食後は、腹ごなしで桂離宮を散歩。といっても、ここは予約制なので、中は入れませんが。
門前を徘徊し、またもエヴァ明朝な 「宮内庁京都事務所 皇宮警察」 看板などを拝むこと、しばし。
何か燃えますね、この書体だと。試しにドローン飛ばして、どんなのが出て来るか、見てみましょうか。
いや、実はこれはエヴァ明朝ではなく市川崑明朝で、 『犬神家』 みたく離宮池へ沈められたりして。


などとしょうもないことを考えながら、狭くてダンプが多い堤防を歩いてると、出たのは桂大橋。
西詰には、筏浜の名残たる常夜灯。東詰は、七条通西端。正に交通の要衝、という感じでしょうか。
かつてはこの辺、腹を空かせた旅人達が往来してたわけですね。 「離宮なんか知らん」 という感じで。
橋上では、地元の婆ちゃんがやはり 「離宮なんか知らん」 という感じで、川の表情を読んでました。


私もまた、 「離宮もいいけど栗もちもね」 という感じで、帰宅後すぐ、お持ち帰り品を開封。
餅のパックには 「冷蔵禁止」 と明記され、本日以内に食うべしと厳命するシールも貼ってありました。
極めてハードかつストロングな餅ゆえ、冷蔵や放置などによって生じる硬化を、避けたいんでしょうか。
栗もちと栗大福、サイズはさほど変わりなし。餅表面のルックも同じで、共に美しく、そして艶っぽい。


割ってみると、栗餅の方は大きな栗が1個、大福の方は2個ほどが、それぞれ丸ごとビルトイン。
餅および栗の味は、店での印象と同じです。栗は、栗丸出し。餅は、よりコシが強いとさえ感じます。
この餅を食い進み、丸々とした栗にぶち当たる際の感じが、至福。美味いというのを超え、もう、至福。
栗は、美味い。米と一緒に食うと、より美味い。栗の謎に関する当サイトの見解は、こんな感じです。

中村軒の茶店、
客は中年女性の2~4人連れが数組、中年夫婦2組、30代前後の地元系混成グループ。
見るからに観光系という感じの人はおらず、標準語の声も全く聞こえませんでした。
といって、地元の人が日常生活の中で来てるという感じでもなく、主婦層のおでかけ系な感じ。
ただ、その手の層が持つ辛気臭さはなく、その辺が右京区 or 洛西的というか。

そんな中村軒の、栗ぜんざいと栗赤飯と栗蒸し羊羹と栗もちと栗大福。
好きな人と食べたら、より秋の味覚なんでしょう。
でも、ひとりで食べても、秋の味覚です。


【ひとりに向いてる度】
★★★★
混雑に当たらなければ、いい風情が楽しめる。
桂離宮へ行くなら、寄っておくべきだろう。
栗ものも良いが、麦代餅を食うのも忘れるな。
 

中村軒
京都市西京区桂浅原町61
茶店 9:30~18:00 水曜定休

阪急電車 桂駅下車 徒歩約15分
京都市バス or 京都バス 桂離宮前下車すぐ
 

中村軒 – 公式